舞い込む依頼
あれから1週間、ツバキ達は毎日毎日馬車馬の如く働かされることになった。
幸い妙なトラブルはあれが最初で最後だった。
女将は自分の店がクスリの取引に使われたことが相当頭にきたらしく、特に哀れとも思わない売人は警察に引き渡される前にフライパンのラッシュを叩き込れ、病院の中で取り調べを受けることになった。
そして今は、久々に何も無い真っ昼間である。
ソファーに寝っ転がり昼寝をしていると、タングステン警部が事務所にやってきた。
「どうしたの警部。また何か妙な事件でも?」
紅茶に口を付け、シルヴィアが首を傾けた。
確かにこの御仁がやってくるときは、得てして仕事の依頼であることが大半だ。
そして警察の依頼というのは大体面倒臭かったり奇妙奇天烈なものと相場が決まっている。
まあツバキとしては金さえ出れば文句はない。
警察はお役所というだけあって報酬をちゃんと払ってくれるところがいい。
「そんなところだ。俺達がクスリについて捜査しているのは嬢ちゃんも坊主も知ってるだろ?」
「クスリ……ああ、前に売人をとっ捕まえたっけか」
シルヴィアの隣に座り、マドレーヌをムシャムシャ食べながらツバキは思い出す。
お陰様でバイト代を減らされるというなんとも腹立たしい結末を迎えたが、マドレーヌのお陰で怒りが若干和らいでいる。
「その売人がね、死んだんだよ」
シルヴィアの眉がぴくりと動いた。
「……殺されたのね?」
「ああ。写真もあるが、見るかい?」
シルヴィアはしばし固まるが、自分の分のマドレーヌをツバキの方に押しやって頷いた。
白黒の写真に、ベッドに横たわる首無し死体が写っている。
本真っ白であったであろうシーツはツバキの目のように赤く染まっていた。
「ふーん。随分と派手に殺されてんのな」
シルヴィアのマドレーヌを頬張り口をモゴモゴさせつつ、ツバキは写真を観察する。
「……プロの仕業ね。首が綺麗に刎ねられている。抵抗した様子はないから、寝ている間にやられたのかしら?」
口元をおさえながらも、出したシルヴィアの推測はツバキのものと合致していた。
首を切る――特にこの写真のように一撃で落とすのは技術と慣れが必要になる。
これだけでも、相手が相当な手練れであることが分かる。
「考えられるのは……口封じ?」
「だろうね。しかも被害はこれだけじゃない。こっちが捕まえた、もしくはマークしていたクスリの関係者は大体こんな感じになる。こんな風に殺されるか、行方不明になるかだね。最近じゃどこからか『クスリに関わると悲惨な死を迎える』なんて噂も流れている。まあこっちとしては都合の良い噂だけども」
まあ、特段珍しい話ではない。
クスリを売りさばいている組織が不利益をもたらす可能性がある身内を切り捨ている――というのは聞いていて特に不思議とは思えない。
「別に、何もしてないヤツが殺されてるとかじゃないんだろ。別によくね?」
ジロリとシルヴィアに睨まれ、ツバキは肩をすくめた。
「捕まえたとしても、有効な情報を引き出す前に殺されるからたまったもんじゃない。まったく、ペルペトーファミリーには困ったもんだよ」
「ペルペトーファミリー?」
「例のクスリを売っているマフィアよ」
そう言って、シルヴィアがペルペトーファミリーとクスリについての説明を始めた。
何でも最近、とあるマフィア――前にいた世界で言うなら極道とかヤクザものとかそんな連中が売りさばいているクスリが密かに問題になっているらしい。
他のクスリに比べると安価だが、依存性が高く1度吸ったら抜け出すことは極めて困難。
使用を重ねていけばいくほど、依存は強まり、最終的にはマフィアの言いなりになってしまうのだとか。
そしてそのクスリを売りさばいているのがペルペトーファミリーというわけだ。
「ペルペトーファミリーは、元々別のヤツがボスだった。昔気質でまだ話が分かる奴だったんだが……そいつが死んでペルペトーが後釜になってから組織は変わっちまってね。たった1年足らずでこの街の裏社会にあっと言う間に頭角を現したってことさ」
2人の説明を受け、なるほどと頷く。
「はぁん、その鍵がこのクスリってか?」
「それだけじゃない。ペルペトーが厄介なのは、敵にも身内にも容赦がないことさ。ボスになったときに最初にしたことが、自分に反対するヤツの粛正だったくらいだからね」
「全員をか?」
「全員をね」
「失敗したりサツに睨まれた奴もその対象ってか」
「確証はないけど、俺達はそう思って捜査をしていたんだ」
「警部は、私達に暗殺者を止めるよう依頼をしにきた……そう言う事でいいかしら?」
「ああ」
依頼の背景については理解出来た……が、それでも腑に落ちない。
「でもそれって、サツの仕事なんじゃねぇのか? 俺達が出張る仕事みたいには思えないけど」
タングステンは、シルヴィア達に頼む仕事と頼まない仕事の線引きをしっかり行うタイプだ。
この事件は警察だけで解決出来るように思える。
「実は、今朝署長から言われてね。『この件には関わるな』とさ」
「ハァ?」
「つまり、圧力がかかったってことね」
「そのペルなんちゃらは警察とも繋がってるのか?」
「いやいやまさか。さすがに警察もそこまで腐ってはいないさ。けど、お役所っていうのはどうしても『上』からの命令には弱いだな、これが」
表情と口調はおちゃらけているが、目は笑っていない。
タングステン自身も、相当腹に据えかねているらしい。
「ペルペトーが繋がっているのは警察じゃなくて貴族ってことね。それも、警察に口を出せるだけの力を持つ貴族」
「正解。奴は複数の貴族と懇意にしているのさ。こう言うことを見越してのことだろうね。まったく恐ろしいヤツだよ」
「利益の一部を渡されて鼻の下を伸ばしてるってところかしら……まったく、なんで愚かなのかしら。貴族の風上にもおけないわ」
シルヴィアは大層ご立腹だが、前の世界でも、その手の悪党(ツバキも人のこと言えたものではないが)と権力者が繋がっているなんてことは珍しいことではなかった。
悪党は権力という後ろ盾を手にし、権力者は稼ぎの一部が懐に入る。
そういう連中を斬ったこともあったし、逆に護衛の真似事をしていたこともある。
あの時は大変だった。
取引中に乱入してきた浪人が実は天下の将軍様で、しかもその将軍様直々に大立ち回りを始めた時には峰打ちを受け、死んだふりをしつつ命からがら逃げたことを思い出す。
「法律上、貴族を逮捕することはできるし圧力に屈する必要なんて無い……んだけど、世の中、文字に書かれた通りにはいかないってことだね」
「だからオッサン達は動けない、と」
「うん。けど、俺達は動けないけど、探偵達を動かすなとは言われてない。署長も2人のことをそれとなく話題には出してたしね」
「……あー、なるほどそういうことか」
その署長とやらも、一筋縄ではいかない人物のようだ。
転んでもただでは起きない、と言うべきか。
「それにね。圧力がかかろうがかかるまいが、どのみち2人に依頼をせざるを得なかったろうね」
「……まさか」
「そう、そのまさかだよ」
眉を潜めるシルヴィアに、タングステン警部はもう1枚の写真を取り出した。
写真には同じく首なし死体だったが、他にも複数の傷を負っている。
特に目を引くのが、欠損した右腕の傷だ。
「右腕に一撃、背中に一撃……とどめになったのは首への一撃だけど、前の2つでもこの深さじゃ充分致命傷ね――あら?」
シルヴィアは目を見開いて、写真の一部分を凝視している。
そこに写っているのは、死体の左手部分だ。
血で『○・』と書かれている。
「これをダイイングメッセージと仮定すると……○・。転生者案件ってことね」
「ああ。殺されたのは、ペルペトーファミリーに潜入していた捜査員でね。先日、こんな姿で発見されたのさ」
『○・』は警察内部での転生者を示す記号。
「つまり、こいつはペルペトーが飼ってる転生者に殺されたってコトか……結構、良い腕してたんだな」
原則として、一般人が転生者に勝つことは極めて困難だ。
普通であれば一撃で即死である。
三撃で死んだということは、それなりに持ちこたえたということであり、彼が相応の実力者だったことが分かる。
「優秀なヤツでね。今回の潜入も自ら志願したんだ……こんな仕事だから、そういうことがあると分かってはいるけど、やっぱりつらいね」
「それは……お気の毒ね」
シルヴィアが黙祷を捧げるように目を閉じた。
ツバキとしては見知らぬ人間が死んだところで特に思うところもないのだが、わざわざそれを口に出すこともあるまい。
「納得したぜ。その極道の親玉が好き勝手始めたのも、転生者使い始めたからって事か」
そして何故ツバキ達に依頼がやってきたのかも飲み込めた。
「そうだね。そして、2人には口封じを行っている転生者を倒してほしい。それが依頼だ」
警察内には転生者に対抗できる装備はない。
そもそも転生者の力を考えれば、動かすべきは警察ではなく軍隊だろう。
が、それでも人的被害は甚大であることは想像に難くない。
だからこそ転生者は厄介極まりない存在なのだが、対策はどうということはない。
化物には化物を、転生者には転生者をぶつければ良いのだ。
「勿論引き受けるわ、警部」
シルヴィアが迷わず頷いた以上、ツバキが言うべき事は何もない。
「次に狙われる人物の目星は?」
「勿論ついているよ」
「なんで分かるんだ?」
「消去法だよ。こっちがマークしている参考人が彼女以外殺されちゃってね」
文字通りの消去法、と言う訳だ。ちっともうまくない。
タングステン警部に渡された資料を見て、シルヴィアは目を見開いた。
「ツバキ、これ」
「……あ」
その写真に写っているのは、金色の髪とエメラルド色の瞳を持つ女性。
以前、売人に人質にされていたシスターだった。