人斬りが死んだ話
「クソッたれ……」
鉄錆の匂いの吐息と共に、ツバキは毒づいた。
いたる所に切り傷が作られ、特に腹の出血がひどい。
「何がたった1人斬るだけ、だ。あれだけいるなんて聞いてないぞ」
ツバキは人斬りだ。
人を斬るのは別に好きでもなんでもないが、そんな風に育てられ(育てる、なんて上等な扱いではなかったが)、そんな風に生きてきた。
辻斬りめいた連中と一緒にされるのは心外だが、まあハタから見れば似たようなものなので仕方ない。
状況は最悪だった。
依頼は侍を1人斬る、ただそれだけの仕事。
なんでも幕府転覆がどうだこうだとか、その首謀者の1人だとか依頼書には書いてあったが、この国の政には興味がない。
あったとしても侍では無いツバキはアレコレ口を出せないし、依頼を断る権利とやらも無い。
どころか、睡眠も食事も一日ないなんてこともザラにある。
いくら世間知らずなツバキでも、自分が置かれている環境が最低最悪であることは分かる。
今回受けた依頼を完遂させたら、里には戻らず旅に出ようと思ったのだが、現状はこの始末。
ツバキが来るってことはあちらにも伝わっていたらしい。
屋敷に潜入したツバキを待っていたのは、刀を手にした20人以上の侍であった。
幸い標的を含む全員を斬り殺すところまではいったが、やはり多勢に無勢という言葉は馬鹿にならない。
新しい追っ手から逃れるために、ひーこら逃走しているのが今であった。
「ああクソッ、なんとも素晴らしい状況だなオイ!」
そう毒づいたとき、ツバキの前に5人の人間が立ち塞がった。
全員見覚えのある――同じ里の人間だ。
どいつもこいつもツバキより顔色がいい。
きっと腹一杯食って、好きなだけ寝れればこうなるのだろう。
これで一安心――と言えればよかったが、彼らが纏っているのはもれなく殺気だ。
「よく逃げ延びたものだな」
蔑みを隠さない表情と声音。
里の連中はツバキのことを嫌っている。
ツバキもツバキでそんな連中らと仲良くしたいとも思わない。
「……全部テメェらの差し金か」
「無論。まさか待ち伏せを全員殺すとは思わなかったが、手負いにできただけでも収穫か」
ここまで言われれば、バカな俺でも分かる。
「俺1人消すためによくやるぜ。それとも何だ? 落ちこぼれ落ちこぼれ言っておきながら、いざ殺すとなったらビビってる訳かよ。情けねぇ」
「貴様、言わせておけば――!」
「まぁ、待て。挑発に乗ってやる義理もあるまい」
斬りかかろうとしたヤツを手で制した男は、粘っこい視線を俺に向けた。
「我等が一計を案じたのは他でもない。ナツメから聞かされたものでな。おまえが里を抜けようとしている、と」
……は?
姉上が?
ここで表情を崩さなかった自分を褒めたかった。
姉であるナツメならば、確かにツバキが里を抜けようとしているのは知っている。
なんならツバキが教えた。
が、ナツメがツバキを売ったなんてことはあり得ない。
これは動揺を誘うための罠。
ここで表情に出してしまえば、ナツメも面倒事に巻きこまれる可能性はある。
ただでさえ自分みたいな奴を相手にしていることをよく思って無い連中は里には山のようにいる。
「はいはい分かった分かった。長ったらしい前置きはたくさんだ。要するにオマエら、俺を殺しに来たんだろ? だったらさっさとかかってこいよ」
問題は、生きて切り抜けられるかだが、困難であると判断せざるを得ない。
里の連中は剣の腕だけは立つ。
それを5人、手負いの状態で相手するとなれば、生き残れる可能性は低いと見積もらざるを得ない。
だが――それでも戦わない理由にはならない。
刀を抜き、構える。
「抜刀術も使えぬ半端者め、我が刃の前に塵と消えるがいい」
一瞬で距離を詰めた1人が抜刀。
その速さは火縄銃の弾と見紛う程だった――が、
「分かりやすいんだよ」
首が宙を舞い、墜ちる。
放たれた斬撃を受け流し、首を落とした。
だが敵もさるもの。
1人死んだことにまるで動揺せず、こちらに向かってくる。
唯一の光源である月明かりを纏い、刃の群がツバキに殺到した。
敵は複数でかかることを前提とした立ち回りだ。
1人が攻撃することで隙を晒せば、また別の人間が守る、といった塩梅。
おかげでこちらはかなり攻めにくい。
足下に転がっていた木の枝を蹴り上げ、空いている左手で掴む。
傷口を押さえていたせいで血で滑りそうになるが、そうはさせじときつく握り込む。
4人の表情に嘲りの色が浮かぶ。
確かにこんなもので刀と打ち合ったら一方的に切り飛ばされるだけだ。
武器としての格は何段も落ちる。
しかし殺せない訳ではない。
敵の目めがけて枝を突き入れた。
枝の先端は反射的に瞼を閉じるよりも早く、眼球を貫き、一気に脳まで達した。
そうするとは想定していなかったのか、あまりにもあっけなかった。
メザシになった剣士は僅かに痙攣すると、地面に倒れた。
それなりに長さのある枝は、さながら墓標のように見えた。
これで2人。
そう思ったとき、視界が急激にブレた。
「ヤバ――」
血を流しすぎた。
まだ3人残っている
まだ倒れるわけにはいかないと地面を踏みしめて耐える。
さあ、次は誰を殺すか。
そう思った瞬間、剣士の一人が唇を歪めた。
「言い忘れていたが、あまり抵抗はしない方がいい。おまえの態度次第で、ナツメの処遇も決まる」
「……!」
その言葉が暗に示していることを理解し、硬直した。
それが、致命的な隙となることは分かっていた筈なのに、止まってしまった。
腕が軽くなった。
見れば、本来腕があった場所には何も無く、力なく血が流れているだけだった。
腕を斬られた。
そう認識したときには、ツバキの体は三方向から貫かれていた。
思えば、ツバキ程度の存在で姉の立場が揺らぐはずもない。
出血のせいで判断力が鈍ったか。
無様な自分を笑いながら、正面にいる奴の喉を手で抉り取った。
これで3人――けど、もう無理だ。
刀が引き抜かれ、自分から流れ落ちた血溜まりの中に膝を突く。
念には念をとばかりに、残された腕も斬られた。
痛みはもう感じなかった。
もう助からないと体が判断したんだろう。
同感だ。
何やらこちらを嘲っているようだが、もうどうでもいい。
ボロボロの状態で半分以上屠れただけでまだマシと考えるか。
走馬灯というのは本当にあるらしく、霞んでゆく視界の中で今までの人生が頭をよぎる。
「くっだらねぇ……」
ナツメのことを除いて、思い出すのはロクでもないことばかり。
姉みたいな人に会えただけマシと考えるか……
……
……いや、本当にそれだけでいいのか?
せめて、もう少し欲しい。
しかしそれが何なのか――答えが出る前に、ツバキは死んだ。
普通だったら、ここで終わりの筈だった。
ツバキは別に神や仏は信じていないので(そんな上等なものがいたら、人生もう少しマシになってたろうと考えている)、死んだら何も無いということになる筈だった。
どうやら違うらしいと思ったのは、真っ暗な視界の中で青い稲妻が走った時だった。
目を開く。
そこにあったのは、石造りの部屋だった。
窓が1つも無く、日の光が差し込んでくる様子はない。
さらに周囲の空気の匂いが、明らかに先程までのものとは違う。
しかしそんな些細な疑問は目の前に飛び込んできた光景によってどうでもよくなった。
銀髪の少女が倒れていた。
ツバキと同じくらいの年かさで、顔立ちからして異国の人間だろう。
少女は致命傷こそないが、傷を負っていた。
そして彼女の背後には、黒いフードを被った4人の人間。
彼らは目の前の少女よりも、ツバキに注目し、明らかに狼狽えている。
「あれは転生者か……!?」
「バカな、レコードも使わずに異界転生の儀を完遂したと言うのか!」
彼らが話していることは理解出来た。
が、異界転生だのレコードだの、ツバキにはサッパリ分かっていない。
分かっていないが、なんとなく状況は掴めた。
黒フードの集団はあの少女を殺そうとしている。
血にまみれた短剣がいい証拠だ。
そこに偶然ツバキがやってきた、ということだろう。
状況を整理しながら、自分の体も確認する。
傷は全て癒え、斬られた腕も元通りになっている。
つまり全快だ。
「ふーん、ほー、なるほど、そういうことか」
全ては分からないがなんとなく分かった。
ここは地獄ではない。
ツバキは生きている。
そして目の前の黒フード達は自分と同類――刺客とかその類いであるということだ。
異世界へ召喚されたツバキが最初にやったことは、4人の刺客を皆殺しにすることだった。
「なんで、助けてくれたの?」
ツバキが刀についた血を払っていると、起き上がった少女がおずおずと聞いてきた。
「あなたは私の傀儡にはなっていない筈よ。本来なら助けてくれる義理なんてないのに――どうして?」
「どうしてって言われてもな……」
改めて考えてみると、確かにそんな義理は存在しない。
それにこの行動が正しかったのかどうか、というのも疑問が残る。
実は少女の方が稀代の大悪党で、あの黒フードこそ正義の使徒である――という展開もなくはないだろう。
だが、仮にそうだとしてもツバキは同じことをしたと思う。
「ムカ付いたからだ。それだけだよ」
どうせ自分は人斬りだ。
義憤に駆られたのでではない。
単純に1人に多数がよってたかって痛めつけようとする構図に腹が立ったのだ。
先程の自分の状況とあまりにも酷似していたから。
「転生とかなんとか言ってたけど……俺は生き返ったってことか?」
「え? ええ、まあ、そうね。あなたがいた世界とはまた違うけど……あ、私の都合で眠っていたところを起こしてしまったのは謝るわ。どうしても嫌だと言うのなら、あなたの魂を解放することもできてよ?」
「待て待て、別に嫌だとは言ってないだろ」
どうやらツバキは本当に生き返ったらしい。
それだけ確認が取れれば充分だ。
ツバキは生きている。
そして異世界というのだから、里の連中との縁も切れる。
それはナツメも同様で、そればかりが心残りだが……今の状況が嬉しくないと言うのは嘘になる。
ここなら、前よりマシな人生を歩めるのではないだろうか。
「そ、そう? うん、そうよね。この私に呼ばれて嫌な顔をする人なんているはずないものね!」
それはどうだろうか。
黙っている時は儚げに見えたが、口を開いた途端イメージに修正を加える必要が発生しつつある。
「そう言えば、名前聞いてなかったな。なんて言うんだ? あんた」
「シルヴィア・ブルームよ。あなたは?」
「ツバキだ。家名は特にない」
それが異世界へ召喚された人斬りと、没落貴族の少女の出会だった。
それから約2年。
数多の戦いを経たツバキ達の今は――
「……崖っぷちだ」
と、言わざるを得ない状況であった。