ナジェールの気持ち
ロザンナとマクレーンは、アラキュリ侯爵家の監視を続けていた。
ケイシーから以前聞いていた通り、ナジェールは懸命に働いていた。ニクスのように威張ることも、奢ることもせずに、ただただ仕事を熟していく。
ロザンナとマクレーンは監視を続ける中、アルオもニクスもナジェールに関わることが極端に少ないことに気づく。
最初こそニクスのように、乗り込んで来た身の程知らずの愛人母子と見なされていたが、年月がそれを変えた。
初めて会った時に、リオルナリーに声を発せなかったのは、母親のあまりにも傍若無人ぶりに戸惑ったからだ。
あんな状態で、暢気に『こんにちは』と言える度胸は彼にはなかった。
両親の振るまい、特に貴族でもないのにそのように振る舞う母親にいつも胸を痛めていた彼は、こんなことを続ければ、いつか酷い目に合うと怯えていた。
両親を反面教師にしたように、謙虚に育っていたのだ。
ただやっかいなことに、全てを覆す権力を父親が持っていたことで、平民の母は増長し父は欲望のまま生きてしまった。
結果として謙虚を促す息子を遠ざけ、お金をばらまくように快楽に耽る両親。ただナジェールは母親には諫言をしても、アルオには何も言えなかった。
彼は庶子であることを理解し、貴族からすれば平民母子 等、いつでも亡き者や捨てることが出来る人だと思っていたからだ。
当然慕うこともないので、大人になる毎に距離は出来た。
反対にニクスはアルオへ盲目的に従い縋った。
ニクスの祖父は男爵家の出の三男で、結婚後は平民の下級書記官になった。それでもニクスの母親は、結婚前は比較的裕福に暮らしていたらしい。だがその母親の結婚生活は裕福ではなく、そのことで父親と喧嘩ばかりしていた。
当然夫婦仲は悪くなり、父親は母子を捨てて逃げてしまう。
それからは祖父の家を継いだ兄夫婦の家に転がり込み、肩身の狭い思いをして暮らした母子。
伯父は仕方ないと言うだけだが、血の繋がらない伯母や従兄弟達との何とも言えない視線に、屈辱的な思いをずっとしてきた。その母親は流行り病で亡くなり、一人になったニクスは外に働きに出るようになった。
人の目を気にしない自由な時間は、彼女に解放感を与えた。
だが伯父の息子が当主になった時、ニクスは追い出されてしまう。
「もう成人なのだから、責任は果たしたでしょう」と。
その後の彼女は住み込みの食堂で働き、安い賃金で懸命に生活していく。
ある時、伯父の末娘が結婚する幸せな姿を見て涙した。
「どうして私には家族がいないのに、何も持ってないのに、あの子だけは幸せそうなのだろう? 式だって立派で、祝福する人達に囲まれていて。 生まれた家が違うだけで、自分だけが惨めで…………」
周囲は感動しているのだと目も向けないから、嫉妬からくるものだとは気づかなかった。
そんな彼女が偶然に食堂に来たアルオに見初められ、付き合いだした時に思ったことは、『絵本のように王子様に会えたのだから、きっと幸せになれる』だった。
アルオも母の愛を求めるようにニクスを傍に置いた。
ナジェールが生まれた時が、幸せのピークだった。ただいくら望んでも、結婚だけは出来なかった2人。
ジローラムは何れきちんとした妻を娶れば、愛人くらい作っても良いと思って放置。ウィスラル公爵も平民の愛人など歯牙にもかけなかった。下手にニクスが下級貴族であったなら、消されていた可能性があっただろう。
◇◇◇
そんな歪んだ2人から生まれたナジェールは、幼い頃から気配に敏感な子供だった。周囲の友人達と比べて、住む家や持ち物が違うことに気づいたり、みんなの父親に対しての態度がやけに丁寧だったり。
そのうちに自分よりの5つ程年上の、その問いに答えてくれる耳年増の女の子が現れた。
「あんたのお母さんは、貴族の愛人なんだって。あんたは庶子と言って、跡取りとは認められない子なのよ。いつか捨てられるんだから、今のうちに貯金でもしておくのね。偉いのは貴族の父親で、あんたなんかに何の力もないんだから、いい気にならない方が良いわよ。わかった?」
きっと彼女は親が言ったことを喋ったのだ。
深くは考えていないだろう。
でも…………………
聡いナジェールは、十分に悟り、謎が解けた瞬間だった。
自分は世間的には認められない存在なのだと。
それからは自分を知らない場所でアルバイトをし、少しづつお金を貯め始めた。だけどその後に誘拐騒ぎが起きて、僅かな自由さえ奪われてしまった。
◇◇◇
侯爵家に来た時は、本当の跡取りであるリオルナリー様から 「愛人なんて、庶子なんて出ていけ」と、言われると覚悟していた。
なのにアルオ様は、その跡取りを使用人棟に入れてしまった。アルオ様には言えなかったが、母親には何度も伝えた。
「リオルナリー様にあんなことをしてはいけない。いつかその過ちで騎士達に捕まってしまうから、元通りにここで暮らして貰おう。そして今のうちに、下町に戻ろう」
だけど、その答えはいつも却下された。
「アルオが決めたことよ。実の父親がしたことで、どうして捕まるのよ? それに今までここに来れなかったのは、憎いあの母子がいたからなのよ。リオルナリーなんて邪魔なの。私達はここで貴族になるのよ。遠慮することなんてないわ。あははっ」
話なんて聞く母親ではなかった。
平民の僕が、貴族のアルオ様に訴えることも出来はしないし。
流されるように教育され、侯爵家の恩恵を受けてきた。
いつ断罪されても良いように、覚悟を決めていた。
使用人棟に戻るリオルナリー様が大きくなる度に、罪の大きさを感じる。
それでも、いつまでも裁きの日は来なかった。
でもある日、アルオ様の母親のアメリア様が失踪し、アルオ様が寝たきりになってしまった。
そしてアメリア様の子供がジローラム様ではなく、ジローラム様の弟だとわかり、僕は貴族の子ではないことがわかった。
安心した。
ずっと怖かった。
中途半端な血のせいで、身動きが取れなかったから。
アルオ様はショックを受けて、さらに体が弱っている。
母親は事態を受け入れられず、部屋で暴れている。
僕はジローラム様に、僕の罪を尋ねた。
ジローラム様は僕に罪はないと言う。
そして僕にジローラム様の養子になり、侯爵家を継いで欲しいと言うのだ。
僕はリオルナリー様のことを聞いたが、後継者教育も受けていない女の子には無理だと言われた。
そしてジローラム様の弟の血筋だから、甥の子になる僕には権利があるのだと言われるのだ。
その時に自分から断ることは出来ず、ただ頷いてしまった。
でもその後に、アルオ様の妻であるイッミリー様がジローラム様の娘であることがわかり、リオルナリー様が本当の孫であることがわかった。そして庶子であるもリオ様という娘もいると教えられた。完全に侯爵であるジローラム様の血筋ではないか。
そして誓ったのだ。
いつかリオルナリー様かリオ様に、後継者を渡せるように尽くしていこうと。
リオルナリー様とリオ様の後継者教育が不十分でも、婿に入る人が優秀なら問題はないだろう。
だから何とか学園に連絡を取れば、この気持ちは伝わるのではないかと思った。でも今は留学されて、デバルム帝国にいると言う。
僕は不敬を承知で、リオルナリー様とリオ様に手紙を書きたいとジローラム様に伝えた。でもジローラム様は、2人には縁を切られてしまったと辛そうに呟いた。
「こちらからは連絡できないんだ。ホッテムズ伯爵なら連絡は可能だろうが、俺では断られるだろう。でもおまえの手紙なら、届けてくれるかもしれない。いつも我慢して生きてきたおまえの願いならば」
僕は不思議に思った。
僕が真面目でも、不真面目でも、伯爵が知ることはないだろうに。
それでも僕は、ホッテムズ伯爵に頼んでみることにした。まずは僕の願いを書いた手紙を、ホッテムズ伯爵に送った。
ホッテムズ伯爵はわざわざ侯爵家まで来て、僕の話を聞いてくれた。
「侯爵家を継ぎたくはないのか? 権力を望む者なら、人を殺しても欲しがる地位だぞ」
僕は首を横に振り、「過ぎる地位ですから」と答える。
「今だって十分に後継者の能力はある。血筋とて全く無関係ではないのだから、やる気なら俺だって支援するぞ」
「僕は厳密に言えば貴族ではありません。
血筋が大切ならば、余程リオルナリー様やリオ様の方が良いでしょう」
「まあ、いろいろあって、アルオがジローラムの子じゃないことは公に出来ないのだ。それと同様に、イッミリーのことやナミビアのこともな。あくまでもアルオの病気により、庶子であるナジェールを後継者にすると言うことになっている。庶子から後継者になると、幾人かには侮られたり軽口は言われるが、贅沢は出来るし将来は安泰だぞ。…………でも貴方はそれを望まないのかな?」
「はい。
出来れば田舎に行って、商家等に勤めてひっそりと生きたいのです。
勿論、どなたかが侯爵家を継ぐまでは、この身を尽くすつもりですが」
「そうか。貴方もここから逃げたい派か。よっぽどアラキュリ侯爵家には魅力がないようだ」
「それは、どう言うことですか?」
「ああ。貴方が言うリオルナリーとリオは、ずっとここから逃げたかったんだ。もうここには戻らないだろうね。貴方がどうしても嫌なら、身代わりを立てるけど」
「身代わりですか?」
「ああ、そうだ」
「血の繋がりが全くない人ですか?」
「そうだね」
「侯爵家の血筋はもう良いのですか?」
「それを貴方が聞くのか? ではこう言うのはどう?
血筋は貴方で、身代わりのリオに似ている子と結婚して継いで貰うとか? ああ、でも、貴方もここが嫌だったね」
「嫌ではないです。
育てて頂いた場所ですから」
「なら、リオルナリーとリオに相談してみたらどうだ。先に逃げたのは向こうだし、俺も手を貸したからな。手紙は俺が届けよう。素直に気持ちを吐き出してごらん。ナジェール、君は優秀だから、ここを出るなら俺の執事になって貰う手もあるしな。わはははっ」
そう笑うランドバーグは明るく笑った。
今まで我慢して来た彼の気持ちが、やっと解ったからだ。
貴族は面倒くさいから、自由に生きるのも良いだろう。
誤魔化しは得意だから、いざとなれば “リオの身代わり” を連れて来て、ジローラムとの涙の出会いだってさせてやろう。
丁度良く、リオの戸籍は余っているからな。
初めて会うから、誰でもバレないだろうし。
黄色い髪と緑の瞳は、他国ではありふれているからね。
なんて打算的なランドバーグと、ドキドキしながら手紙を書くナジェールだった。




