入れ替わり作戦
「こんにちは、アンナ先生。最近目が疲れるので、眼鏡をかけることになりました」
「あらっ、そうなのね。女の子が眼鏡をかけるのはマイナスになるわね。全然見えないのかしら?」
「いいえ。そんなことはないのですけれど、小さい文字を読む時に便利なんです」
「そうなのね。そのくらいなら、社交界などに出る時には問題がないわ。早速、勉強を始めましょうか?」
「はい。よろしくお願いします」
応接室には、教師のアンナ。お嬢様のリオ、メイドのルナ(リオルナリー)がいる。
だが今日の配役はいつもと違う。
ランドバーグに依頼し、認識阻害眼鏡をもう一つ手に入れていたリオルナリー。この眼鏡はリオルナリーの紫の瞳を隠す軽い阻害眼鏡。そのぶん、長時間かけても負担はかからない仕様だ。
現在リオと、ルナと名乗るリオルナリーの2人ともそれをかけている。
そして……………
何事もなかったようにリオはメイド服を着て、リオルナリーはお嬢様のドレスを着ている。
共に授業を聞くのは同様だが、アンナから質問を受けるのはリオルナリーだ。久しぶりの質疑応答に、熱の入る彼女。
リオの振りをする筈が、すっかり素に戻りアンナの問いに答え続けるリオルナリー。それを見て、ハクハクと顔色を悪くするリオ。
(ルナってば! 博識なのは解りますが、私に戻った時にいつもの状態に戻っていたら、絶対怪しまれますよ)
そんなリオなど、全く目に入らないリオルナリーだ。
「では質問。チルカータ国の特産物は?」
「白腹尾びれの大カジキマグロ」
「セイコーモナ神国の信仰する神は?」
「モニニラート神」
「ビーレア国とチャーグ共和国の間にある、長く真っ直ぐに栄える街道の通称は?」
「ミルバッセの大街道」等など。
息を切らして、喜色めくアンナ。
「はぁ、はぁ。よく勉強していましたね。私もついむきになってしまいましたわ」
「ありがとうございます、アンナ先生。たまたま覚えていた場所が出て、楽しかったです。ふふふっ」
アンナの眼差しはいつもより優しく、口調も穏やかだった。
「貴女はいつも俯き気味で、間違ったらどうしようと怯えているようでした。そりゃあ、私はつり目気味だし、それを隠す三角眼鏡も怖いって言われるし、でも今さら変えられないのよ。
それに年齢もかなり上だし、確かに萎縮するわよね。でも今日は、顔をあげてハキハキと答えてくれて嬉しかったわ。間違ったら訂正するから、これからもどんどん答えてね」
そう言って笑うアンナは、淑女の微笑みは忘れたように顔をくしゃりと崩して楽しそうだった。
(ああ、そうだったんだ。アンナ先生。私ったらいつも下を向いていたから、顔を見ることなんて殆どなかった。笑ったら、少しだけ優しそうかな?)
リオがちょっとだけ失礼なことを考えていると、リオルナリーは言う。
「それではこれからも、ハキハキと答えますわ。改めてよろしくお願いします、アンナ先生」
「よろしいですよ、リオ」
「程ほどで、何とぞ」
うふふ、ふふふと笑う2人に、冷や汗がタラリと落ちるリオ。
おちょぼ口の淑やかなリオと、たくさん食べ物を蓄えられるリオルナリーの大口。だが、お化粧顔にソバカスを書き足せば、微塵もばれなかったようだ。
その後使用人棟に戻ってから、リオルナリーはリオに言う。
「ねえ、リオ。此処から逃げる前に、やれることはやった方が良いわよね」
「それは、そうだけど」
「じゃあ、もっと勉強がんばろうか? いつ状況が変わるか解らないしね。ここにいる時は私が教えるよ」
「ええっ、ここでもするの?」
「頑張って、リオ。せっかくお嬢様が教えてくれるんだから」
「お母さんまで、そっち側なの? 酷い!」
使用人棟に来ると、休日のナミビアもいたリオの部屋。
すっかり腹を括った彼女は、リオルナリーをお嬢様と呼ぶ。
リオルナリーは “ルナ” で良いと言うも、ナミビアはかたくなに固辞した。でもリオは、 “ルナ” と呼ぶことにした。
今までなら、お嬢様と呼ばなければならない立場だけれど、血縁だと知った後には少し考えが変わったのだ。
「私とリオルナリーは、同じジローラム様の血筋だった。年齢は同じだけれど、私が数ヵ月お姉さんだわ。なら、名前で呼びたいと思うの。ただ、リオとリオルナリーだと呼びづらいから、今まで通り “ルナ” 呼びしようと思うの。リオルナリーは、どう思う?」
そう言われ、すぐに応じるリオルナリー。
「良いよ、良いよ。じゃあ、私もリオって呼ぶね。 “リオ叔母さま” って言うのに、抵抗があったからさ。私もルナ呼びされるのにも、慣れてきたから丁度良いよ」
言われて固まるリオ。
「ありがとう、ルナ。でもさ、同じ年で “叔母さま” 呼びは酷くない? 因みに、お母さんのことは何て言う気なの?」
「ええっ。聞いちゃうの、それ。………大叔母さま」
リオもナミビアも、同時に反応した。
「「それ、おばあちゃん世代のことですから!!!」」
そしてすかさず却下させた2人。
こうして、ナミビアは “お嬢様” とリオルナリーを呼び、リオはルナと呼ぶことにした。
リオルナリーは、ナミビアを今まで通りナミビアで。
リオのことをリオと呼び捨てにすることにした。
リオさん呼びにしようとしたら、リオからまた却下されたからだ。
「年上っぽいから止めて」と、渋い顔だった。
そんな感じで同じ年の叔母と姪の親交は、少しずつ深まったのだ。
(リオはアルオの形式上? では異母妹なので、リオルナリーからは叔母になる)
◇◇◇
時間が合う時に、リオルナリーはリオの部屋に訪れる。リオルナリーはリオに勉強を教え、その合間にリオルナリーはナミビアから刺繍を学ぶ。
一生懸命に作ったレストランのテーブルクロスの刺繍は、シンプルで綺麗ではある。メイドのエプロンもそう、丁寧で味はある。
しかし、基本のものしかマスター出来ていなかったリオルナリー。
そこにお手本のような裁縫上手のナミビアがいるのだから、もう教えて貰うしかない。
と言う訳で、新しい衣類を内職で作っているナミビアに教えを乞いながら、リオに勉強を教えるリオルナリー。
一緒にいることで、共に気心知れていく3人。
リオルナリーはリオの専属メイドとされていたので、一緒にいることに他の者が不思議に思うことはない。
リンダとバネットとも交流は続き、 「お嬢様のお世話係って、大変そうだね」 なんて呑気に言われていた。時々
オルヴォワール(リオルナリーのレストラン)で、ランチも楽しんでいるくらい気安い。
護衛と言う名の諜報員達が、静かに彼女達を守っている以外は平和な毎日だ。
◇◇◇
イッミリーとアルオの結婚当初。
リオルナリーが生まれる何年も前からアルオとニクスは付き合っており、既にナジェールは生まれていた。
そして彼女がアルオに辞めるように言ったメイド達は、イッミリーが調べると軒並み他貴族からの諜報員だった。
中には公爵家の裏の諜報員もいたようで笑えない。
既に表の諜報員的な者は、ジローラムとアメリアが侯爵家の実権を握った際に、多くの使用人が公爵家から送り込まれていたからだ。
だからイッミリーは勘違いしていたのだ。
ニクスが自分と同じような、諜報員的な存在なのではないかと。
だがそれは、全くの勘違いだった。
ピンクブロンドの髪と、水色の瞳を持つ美しい容姿のニクスは、アルオの母親アメリアと同じような色合いを持った美しい女性だった。それにアルオの4才年上だ。
イッミリーは恋愛的なことに疎く、ニクスの考えが解らなかったのだ。
アルオはニクスと熱愛中。
しかも年上の平民で、アルオの両親からも結婚を反対されているのに、庶子もいる。
それなのに政略で結婚したイッミリーとは、3年しても子が出来ない。
となれば、この侯爵家の実権を握るアメリアに媚を売り、周りから固める方法が有効だと考えた女がいるとニクスは考えた。そこで、アルオに色目を使う女より、アメリアに媚を売る女を警戒した訳だ。
それが偶然、諜報員だっただけ。
覚悟を決めて嫁いだイッミリーだったが、リオルナリーと同じように一部で思い込みが激しかった彼女は、そこで調査が頓挫していた。
残念である。
そしてその半年後にリオルナリーが生まれ、ニクスはアルオを詰り、叩きまくった。
「私のことなんて、どうせ捨てるんでしょ? 正妻と後継者が出来ればお荷物ですもんね。悔しいよぉ、馬鹿ぁ」
素直に文句を言って泣くニクスに、アルオは庇護欲が止まらなかった。
(いつも俺を見ない両親や澄まし顔のイッミリーより、人間らしく見える。愛しいな)
イッミリーは基本リオルナリーの大人版だから、素を隠したのが裏目に出たらしい。せっかく大人しく頑張ったんだけどね。どちらにせよ好きな人がいれば、あまり変わらなかったかもしれない。
そんな訳で、侯爵家でもいろいろあったのだ。
そしてナミビアに恋するマクレーンだが、彼は少し前にメイド長カロンと破局していた。
熱烈に告白した彼だったが、リオルナリーのやらかしでデートに遅れたり、直前にキャンセルをしたことで振られたのだ。
「やはり私では、貴方の心を掴めなかったようです。さようなら」と。
言い訳しても聞いて貰えなかった、マクレーン。
カロンはいろいろな経験で強くなり、既に前向きである。邸でもマクレーンに微笑んでくれるほどだ。でもその微笑みは、恋人の時とは違うものだった。
落ち込むマクレーンだったが、ナミビアに出会ってしまった。今回は護衛と言う体で、告白はしていない彼。
いろいろ知っているリオルナリーは、頑張れマクレーンと応援しているが、カロンとの破局は自分のせいだと気づいていない。
破局を知ったのも、リンダとバネットとの世間話の時だから、それほどの恋愛力はないのだ。
さすがのランドバーグも、部屋で書類仕事中に口ごもった。
「お前は何の為にそこにいると思ってるの? 仕事しろよ」
諜報員としては優秀なマクレーンだから、彼を信じて恋愛に口出ししないが、惚れっぽ過ぎると首を横に振るのだった。
「はぁ、もう。転職勧めようかな?」
マクレーンは、諜報員生活の危機かもしれない。




