4.峰岸家の朝はパン
4.峰岸家の朝はパン
ピピピピ、ピピピピ。
カチッ。
「ぐぅ…んん、ふぁ…ふ」
部屋に鳴り響くアラームを反射的に止め、だらしなくも大口を開けながら、尚も肌寒い春の外気を少しでも布団の中に招き入れない様にと包まる。
「むにゃ…」
「ん?」
目の前に生暖かい感触。
また入って来たのか、彩よ。
過去に何度もダメだと言って拒んで来たが、懲りずに部屋へと忍び込み、ベッドの中へと侵入して来るのは昔から変わらない。
肌寒い冬なんかは、ほぼ毎日侵入を許していた。俺も寒かったから何だかんだと許して来たが、そろそろこの悪習は絶やさねばならない。
「…くぅ…ふゃ」
足元で何かもぞもぞと動いている。
今日はもう1人のお客さんがいるみたいだ。
「葉たん、いつ入って来たんだ…」
一つのベッドに俺、彩、弟の葉汰が密集していた。何だか複雑な川の字。
…仕方ない、そろそろ時間だし起こすか。
「おらー、起きろぉ彩。葉たんも、準備しないとだめだぞー」
シャーッとカーテンを開け放ち、窓も開け、朝の陽光と外気を部屋に取り込む。
んむ、今日も良い天気だ。
「はぅっ!!あぁあ!…んぐ、鬼だよお兄ちゃん…」
「…くぅ…ん…」
一気に朝の新鮮で冷たい空気を取り込んだ事で、急激に目を覚ました彩は若干涙目になりながらも、完全に目を覚ました。
その横でスヤスヤと肩を上下させ、尚も気持ち良さそうに寝こけている小さな体。
…流石葉たん。
「俺の部屋だ、文句は言わさんぞぉ。嫌なら自分の部屋で寝起きしなさい」
悔しげにこちらを見る彩。
だが、正論故に屈服する。
…ふふふ、良い目だ。
まだ目を覚さない葉たん。
「ふんだ、良いもんねー。朝のちゅーは済ませたし」
…先に起きてたのか。良い加減、注意しないとな。
彩は不服そうな顔ではあるが立ち上がり、ぐんと伸びを一つして葉たんを抱っこする。
「葉た〜ん。起きて幼稚園行く準備しようねー」
パタン、と部屋を出て行く2人。
取り残された俺は一つ溜め息を吐くと、制服に着替え始めた。
一階に降りて洗面所へ行き、洗顔、寝癖直し、歯磨きと朝のルーティーンを済ませた後、リビングへ入った。
キッチンの方に、丁度朝ご飯を作り終えて配膳中の母さんがいた。
「おはよう、母さん」
「あら、ユウさんおはよう。今朝は…その、着けてらっしゃらないのね?」
「昨日のブラの件は忘れてぇ!」
昨日の俺の失態からか、母さんは頬を赤く染めながら俺の身体の輪郭に目を通し、ブラ線の有無を確認していた。
…未だに信じてるのか、ピュアな人だ。
峰岸 里穂。
几帳面な性格でおっとりと優しいが、普段からぽわぽわとしている天然な人で、たまに抜けた発言をする。
8年前。父さんと結ばれて結婚し、片親だった俺の母親になった人。
その日から、俺や彩、延いては父さんと母さん、皆の人生が変わったんだ。勿論、良い方向に。
TVで流れてる朝のニュースを横目に、リビングから和室に入り畳に正座し、写真立ての前で手を合わせる。
…おはよう、母さん。
心の中で朝の挨拶を唱える。
俺を産んでくれた人。
でも俺にとって知らない女性。
目を開けると、背後で人の気配がしたので振り返る。制服を身に纏った彩が正座して手を合わせていた。
「お義母様。優斗さんとの交際につきまして、ご了承頂き誠に有難うございます」
「突っ込み辛い言質取るなボケ!」
そんなやり取りを聞いていたのか、リビングのソファに座り、新聞を読んでいた父さんがくっくっと笑っていた。
「そいつぁ、そんな良いモンじゃ無いぞー、彩ぁ」
「お父さんはその日が来た時に、黙って頷いてくれればそれで良いの!」
彩は食ってかかるが、ソファで胡座をかいた父さんの膝で、スヤスヤと二度寝する葉たんを見て表情を崩しほっこりしていた。
峰岸家は皆、割りと規則正しい時間帯に起きて、朝ご飯を食べる。
一番早起きは母さん。
ヂンッと焼き上がるトースターの音が聞こえる頃には、サラダや目玉焼き、ソーセージやハム、ベーコンなどが用意されており、その日によりけりだが、スープかシリアルを配膳してる頃に俺達が起き始める。
順番的に俺、彩、葉たんが起きて来て和室で手を合わせてる頃に、父さんが欠伸を噛み殺しながらリビングに入って来る。
父さんが起きて来る時間は日によって様々だが、普通のサラリーマンとは違い、基本朝は家から動かない。
峰岸 幸一。
我が家の大黒柱。
飲食店や雑貨屋等、複数のお店を抱えるオーナー。いわゆる個人経営の社長と言う肩書きではあるが、基本現場に任せており、経営に関しては母さんが管理をしてる部分も多い。
その為、基本的に酔い潰れてる姿しか見た事がない。
夜、飲みに行ったりする事が多いので、その反動で朝は動かないのだ。
ただ、金銭的な豊かさで言ったら一般家庭よりも余裕を感じるので、父親として素直に尊敬している。
…癪だから口には一切出して無いが。
「彩は入学して直ぐに友達出来たみたいだけど、まだ連れて来ないのかー?連れて来る時はダンディなパパを演出する為に、時間がいるから先に言っておいてくれ」
「余計な事したらほんっとに怒るからね!」
「着古したスウェット姿の無精髭パパよりも、スーツ着て薔薇咥えてるパパのが断然良いだろぉー!」
「そんなの見たら顎割るからね」
「怖っ!?おぉおい優斗よぉ!愛しの娘が反抗期でバイオレンスなんだが!?何とか言ってくれぇい!」
「知らん。あと、娘だけだと思うなよ」
「おぉおぉぉおう!?峰岸家の中でイジメが蔓延ってますぅ!葉たんっ…パパを助けて!」
「あやたんおこだって、パパ…め!なの!」
「あぁああ!!私が悪ぅござんしたぁあ!」
腕組みしてる彩の前で、葉たんがポーズを取り崩れ落ちた父さんに「め!」をしていた。
…あれは、ほっこりする。天使かよ。
昨日、公園から帰って直ぐに彩にチーズケーキを献上した後、機嫌を良くした彩から「一緒にお風呂で洗いっこしよっ!」と言われたが完全にスルーして部屋に戻り、ラブレターと脅迫状を再度確認した。
もしこれらが悪戯などでは無く、本物であるならば。学校にいる誰かしらが、こちらにコンタクトを取って来る筈。
ラブレターの差し出し人なら愛を。
脅迫状の差し出し人なら殺意を。
こちらに向けて来る筈なんだ。
そうして決意の下寝たのだが、今朝になって改めて緊張感が削がれ、普段通りの日常へと戻ろうとしていた。
ヒュポッ。
朝食を食べ終わり、学校への支度を整えた俺は、スマホの画面に表示された文字を目で追い、「今出る」と返事をする。
「じゃ、行ってきまーす」
「あ、待ってお兄ちゃん!お弁当」
「おお、悪い悪い」
スマホ片手に玄関のドアを少し開けたところで、彩がリビングへお弁当を取りに戻って行く。
「優斗、おはようございます。どうかしましたか??」
「弁当。彩が持って来てくれてるからちょい待ってくれ」
玄関前で既に待機していた真也。
後ろに真也の妹の真帆ちゃんが見え、俺の姿を確認するとニコッと微笑み頭を下げた。
葛木 真帆。
中学3年生で幼馴染グループの中で一番下の妹ポジション。
発言は控えめで大人しめ。
兄に似て美形だが、ホモ気のある兄を心良く思って無いそうで、兄妹仲は悪くは無いけど良くも無い。それでも朝は決まって一緒に登校する。
「ふふ、そう言えば、優斗の人生は激しく動きましたか?」
「んぐっ….ちょっとその話、後にするから黙っとけ」
興味があるのか無いのか分からないが、微笑みながら此方を伺ってる。
「はぁーいお待たせ!ってシンちゃん真帆ちゃんおはよう!」
「よし、そんじゃ行くか」
「ふふふ、はい」「はいっ」
穏やかな風が吹き、春の陽が差す通学路を4人で歩き出した。