第四話 証明の続き
プリメラに会ってからというもの、とある見習い騎士のことをよく思い出す。
名前はウィル。
小柄で、華奢で、それなのに剣を持つ手はしっかりとしていて、これまで相当な鍛錬を積んでいたことがわかった。
騎士団長がウィルを紹介する時、一回りも二回りも年下の相手に対していやに緊張していたからきっと高位貴族だったのだろうが、同僚に知られるとやりにくいからか、家名は明かさなかった。
それだけではなく、ウィルはほとんど話さなかったから詳しいことは誰もよく知らない。
修練場でも兜を滅多に外さなかったが、それは華奢な容姿で声変わりも前のウィルを女みたいだと馬鹿にする男たちが多かったからだろう。
ロードはひたすら自分の筋肉と腕と向き合ってばかりいてそんな無駄なことはしなかったから、次第にウィルは警戒を解いたのか、二人だけの時は話しかけてくるようになり、気づけば気安い仲になっていた。
「第一騎士団に配属されるほどの実力をもったロードがせっかくいるのに、誰も相手にならないなんて。もったいな」
ウィルは配属されたその日の訓練が終わった直後から、ロードに手合わせをしてほしいと頼んで来た。
それで毎日のように二人残って模擬刀を打ち合っていたのだがその日も例外ではなく、疲れて座り込んだウィルは、ぶつくさと文句を言った。
いつもウィルにとってはいかに剣の腕を磨くかが大事で、他の事などどうでもいいというような口ぶりだった。
「みんな怖いんだろう。呪いなんてものが、あるのかないのかわからないからこそな」
「誰も実際には見てないんでしょ?」
呆れたようなウィルに、ロードは傷が目立つようになった模擬刀を眺めながら言った。
「だが、いつそれが発現するかはわからんだろう」
「どうせビビるんだったらいつか確実に封印が解ける魔王のほうでしょ。今の内に鍛えて鍛えて魔王を倒せる力をつけることに時間を割くほうがよっぽど有意義だよ。そのためには強い相手とやりあって、実戦を積んでおかないといけないのに。呪いだなんだって騒いでる場合じゃないよ」
「おまえはそう言うが、呪いがないなんて保障はないんだぞ」
「でもロードが手袋越しに剣を持っても剣が壊れることなんてない。怒っても、食堂のご飯を食べっぱぐれて悲しそうにしてた時も、別に何も起きなかった。それに、その手袋を脱いで触ってもなんともないじゃん」
その言葉に、ロードのほうが驚いた。
前言通り、魔王を倒すことしか考えていないからロードに手合わせをしてくれと言うのだと思っていた。
だがそうではない。
ウィルは自分自身の目でしっかり観察してリスクはないと判断し、ロードに近づいたのだ。
「おまえ、そこまで見てたのか……」
「根拠なく『ない』なんていうのは愚かだよ。根拠と言えるかどうかもわかんない不確かで些細な事実をもって『ある』って妄信するのも同じくらい愚かだけど、それはまあ気持ちもわからなくはない。わからないものを恐れるのは生存本能の一つだし、人は弱い生き物だから。だからこそ、信じるに足る根拠を示さないといけない」
いつも痛烈な皮肉ばかりをポンポン好きなように言っていると思っていたが、そんな風に考えていたのか。
思わず面食らった顔をするロードに、ウィルはこともなげに言った。
「恐れるなら、正しくね」
兜を脱ぎ捨てたウィルがぷるりと首を振ると、白金色の前髪が反動で揺れる。
この年頃の少年によくある長いまつ毛と大きな瞳は中性的だ。
いつも後ろで一つに束ねている短い髪を一度ほどき、縛り直す仕草を見ていると、まるで少女のように錯覚してしまう。……こともあった。
汗が流れるうなじは細く頼りなく、芯から強いのにどこかあぶなっかしく見えて、つい目が離せなくなる。
だからこそ普段兜を取らないことは正解だ。
そういったことに距離を置いているロードですら気の迷いが生じてしまいそうになるほどなのだから。
その造形が整っているのも一因だ。
「それに、ロードの手に触っても別に何も起きなかったし」
「は? いつ触った?」
「この間そこのベンチで疲れて居眠りしてたでしょ」
「阿呆! 勝手に触って、何かあったらどうする!」
「触りたかったんだもん」
「子どもか!」
好奇心の塊か。
しかし言いながら気が付いた。子どもだった。
とはいえ、ウィルが何歳なのかは知らない。
ずっと子どもだ子どもだと思ってきたが、もしウィルが少年ではなく少女だったら、どれくらいの年になるのだろう。
十四歳? いや、少女なら十五歳くらいでもおかしくはないだろう。
だとしたら、十八歳のロードとそれほど年は変わらない。
そう考えて、ロードは思わず項垂れて額をおさえた。
――少女なわけがあるか。
騎士団に少女がいるわけなどないのだ。
ウィルといると、思考がどうにもおかしくなる。
「勝手に触ったことは反省してるよ。意識のない時に好き勝手されたら誰だってやだよね」
「そういうことじゃないだろう……。そしてそういう言い方をするな」
なんかやましくなるだろうが。とは黙っておいた。
「でも寝てる時に触っても平気だって証明できたね。だからハイ。ロードも触っていいよ」
手の平を差し出され、ロードは眉を寄せため息を吐き出す。
付き合いきれない。
「全然『だから』じゃない。そもそもなんで第三騎士団なんかに入ってきた? それだけの腕があれば、第二騎士団か第一騎士団でも入れただろう」
「第一騎士団は……会うとやばい人がいるからダメ。第二騎士団はそれほどの腕の人がいない。第三騎士団には凄腕がいるって聞いてたから第三騎士団に入れてもらった」
配属先を選べたとは、やはり高位貴族だからだろうか。
「なのに、ロード以外はてんでダメだね。せっかくロードがいるのに、教えを請いもしない。宝の持ち腐れだよ」
「俺は教えるのに向いてない」
「そんなことないよ。伸び悩んでた時に、体が小さくても戦える方法を教えてくれた。ロードは練習に付き合ってくれた。どうせ実戦じゃ使い物にならないんだから鍛えても意味がないって言われてても、諦めずに前を向けたのはロードがいたからだよ」
まっすぐにそんな風に言われると戸惑う。
人から悪意や敵意を向けられることばかりで、慣れていないから。
そんなロードに気づいたのか、ウィルはにやりと笑って言った。
「将来魔王を倒すかもしれない見習い騎士を育てたんだから、ロードの功績は大きいよ」
思わずロードは苦笑した。
本気なのか茶化しているのか、ウィルはいまいちわからない。
「そろそろ日が暮れる。鍛錬は終わりだな」
声をかけるとウィルも「うん」と頷いて立ち上がり、二人並んで防具をしまいに格納庫へと入った。
「よっ……! はっ! ……全然届かない」
兜をしまう棚は低い所から埋まっていく。
入れ方が悪いとごろりと転がって足の上に落ち、とんでもなく痛い思いをするからだ。
ロードは周囲を見回し、足場になりそうな椅子を足元においてやると、ウィルは口をすぼめた。
「肩車してくれるとか、持ち上げてくれるとかしてくれたら早いのに」
その発想はなかった。
ロードは常に人に触れずに過ごしてきたからだ。
人の物を触ることもないから、代わりに仕舞ってやるという発想もない。
本当にウィルはそういったことを厭わないから、なんだか普通の人間になったような気がしてしまう。
ロードが黙り込んでいると、その間にもウィルは椅子にのぼり、兜を棚に上げた。
しかし椅子の上は不安定だったから、半ば投げやりに入れる形になったのが悪かった。
ウィルが椅子の背に手をかけ、降りようとしたところに兜が頭上から転がり落ちてきたのだ。
「危ない!」
咄嗟に兜に手を伸ばしなんとか掴むが、目の前にいたウィルに反対の肩が当たってしまった。
「わっ……!」
ぐらりと体勢を崩したウィルは、もはや諦めて飛び降りようとしたのかもしれない。
だが気づけばロードは無我夢中でウィルの体を抱き留めていた。
ふう、と息を吐き出し、そっと下ろしてやると、小さく「あ、ありがと」という声が聞こえた。
見下ろすと、耳が真っ赤だ。
「……すまん」
「なんで謝るの?」
「いや、いろいろ」
「いろいろって何」
ウィルがむっとした顔で後ろ向きにロードを見上げるから、思わず目を逸らしてしまった。
人を抱きしめたことなどないからよくわからないが、少年だとしても随分柔らかいものだなと思ってしまったなどと言えるわけがない。
耳を赤くしているのを見てうっかり気の迷いが暴れそうになったなどとも言えるわけもない。
そして。呪われている手で触れてしまったからなどとも、言えるわけがなかった。
「どうせまた、『呪われた手で触れてしまった!』とか思ってるんでしょ? むしろ今、なんともないって証明されただけじゃない。もう普通に触っていいよ」
「だからおまえは、触っていいとか言うな」
そんな許可を出されても困る。
「呪い呪いって、そればっか! もういいよ!」
ぷんすか怒られるとなお困る。
子どものようなのだが、それが少年ではなくどうにも少女に見えてしまい気の迷いの森に入ったまま出て来られなくなりそうだから。
ぐるぐるとした思考の迷い道から必死にあるべき道を探していると、ウィルがぽつりと声を上げた。
「ねえ。ロードは、呪いがなかったら何がしたかった?」
「そんなのはわからない。考えたこともないからな」
「まあ確かに、生きられないとわかってたのが急に生きられるとわかっても何したらいいかわからなかったし、その気持ちはわかるな」
「おまえ、不治の病で余命宣告でもされてたのか」
「まあ、そんなとこ」
冷やりとした手で心臓を撫でられたようだった。
しかしウィルは平然と受け、くるりと振り返った。
その顔は何かを思いついたようで、にっと楽しげに笑っている。
「だったら。いつかさ、みんなにもわかるように証明してあげるよ」
「あ?」
唐突な言葉に、頭が回らない。
「そうしたら自由になれるでしょ。それからやりたいことを考えたらいいよ。――まあ、代わりに自由じゃないことも付いて来るけど、それはまあ成功報酬ってことで諦めてもらおうかな」
何やら後半は意味がわからないが、自由の意図はなんとなく汲み取れた。
「呪いなんてないって証明するってことか?」
「いや。呪いがあるのかないのか、どっちでもいい。はっきりさせるんだよ」
「どっちでもいいって、お前な。他人事だと思いやがって……」
ロードは呆れたが、ウィルは平然と言った。
「呪いがあるってわかったら、発動条件をおさえればいいでしょ。そしてそうならないように回避策を見つければいい。付き合い方がわかればいいんだよ。包丁が武器にも道具にもなるのと同じ。少なくとも、今みたいに普通に暮らせることは実証済なんだからさ」
呪いなんてないと思いながらも、あったらどうしようと恐れていた。
だがそう言われると、なんということもないように思えてしまう。
「でも、どうやって?」
「一通りは観察も実験もしたし、あとは危機的状況に陥っても発現しないって立証できれば完璧かな? 『ない』ことは証明できなくても、普段通りの生活をしていて呪いを恐れる必要はないってわかれば、みんなロードに近づけるし、ロードも安心できるでしょ」
その言葉に、ロードは目を見開いた。
そんなことは考えてもみなかった。
どうしたらいいのか考えたことはあっても、ないことの証明なんてできないと、いつもそこで終わってしまったから。
それに、その証明は確かめてくれる人が必要で、一人でできることではなかったから。
「騎士団で生活していても呪いなんて起きてないことは、みんな知ってるはずなのに、全然態度を改めないしね。まだ怖いんだったら、徹底的に可能性を潰すよ。手始めに、みんなの前でハグしようか?」
「阿呆……」
ウィルが言うと冗談に聞こえないから困る。
「ロードが安心できるまでは、勝手に触ったりしないよ。だけどいつかもう大丈夫って思ったら――」
何を言い出すのか眉を顰め身構える。
「腕相撲でもしようか」
ため息を吐き出したロードに、ウィルは楽しげに笑った。
だがそんな日は来ないまま、二人の企みは途絶えた。
ある日ウィルが修練中に倒れたのだ。
苦しそうに息をするウィルを抱きかかえようとした手をはっとして引き戻し、立ち尽くすロードにウィルは言った。
「ついに、限界が来たみたい……。あーあ、まだこれからだったのに」
それきり、ウィルが第三騎士団の修練場に姿を現すことはなかった。
騎士団長にウィルの容態を尋ねても『問題ない』とだけ返されたが、決して目を合わせようとはせず、はぐらかされているのがわかった。
しかしその後、一通の手紙が届けられた。
差出人の名前はなかった。
ただそこには、『証明の続きは、また今度』とだけ書かれていた。
それから一年が経ったが、ウィルとはまだ会えていない。
ウィルが証明しようとしてくれていたその続きを、ロードは今、魔王討伐をもって果たそうとしている。




