蜜月(『恋花』ネタバレ注意)
ラゼリードの朝は早い。
隣に愛しい人が眠るようになってからだ。
彼が目を覚ます前、空が白みがっていく頃に、半身を起こし、彼の金色の髪をそっと撫でるのが習慣となっている。
その感触で彼が目を覚ますのも通例だ。
髪と同様の金色の睫毛が僅かに震え、新緑の瞳が薄い瞼の下から現れる。
寝起きだからだろうか、少し掠れたテノールで彼は挨拶を口にした。
「……おはよう、ラゼリード」
「おはよう、フィローリ」
そして夫婦は唇だけを触れ合わす口づけを交わす。
離れるのは身支度を整える時だけ。
眠る時も一緒なら、食べる時も、読書するのも一緒。
城の三階の塔の部屋、彼女は幽閉されている。
彼女が会うのはフィローリとヨルデンとごく僅かな女官だけ。
フィローリは守護という立場もあり、謹慎という事になっているが、実質ほとんどラゼリードの側に居るのが現状だ。
これは大国の王女ながら、自国の守護を担う精霊と勝手に結ばれてしまった挙げ句、その翌日──18歳の成人の儀の当日──に人間から精霊へと変化したラゼリードへの唯一の、そしてささやかな罰だ。
それはとても幸せな一時。
フィローリはラゼリードが退屈しないように、多くの書物──特に自分が守護するカティの山の詳細と、その栽培方法を記したもの──を持ち込んだ。
「ひょっとしたらこの先、君にとって必要になるかも知れないからね」
「まあ、どうして?」
書物に魅入っていたラゼリードは、フィローリの言葉に目を丸くした。
その瞳は真紅と紫が鮮やかに知性のきらめきを放っていた。
彼女はつい先日、黒から一気に銀色になった髪をかきあげる。さらりという音が微かにした。
「君は精霊に成った。僕の後を継ぐのは君かも知れない。僕ももう450年近く生きてるんだ。精霊としては老齢な方なんだよ。こんなに若くて可愛くて美しいお嫁さんをつかまえてしまったけどね」
そう言ってフィローリは隣に座るラゼリードの腰を抱き、耳元で囁くものだから、彼女は深い意味も考えずに頷いた。
ラゼリードの頬が赤らむ。
「こら。今いけない事を考えたね?」
「ふふ、何を考えたか当ててみて」
フィローリはそっとラゼリードを引き寄せると唇を交わした。
「うわっ」
背後から驚いた声がした。
2人が振り向くと、ラゼリードの侍従のヨルデンが顔を真っ赤にし、口をパクパクと開閉して立っていた。
その手には紅茶の用意が一式。
「もう、ヨルデンったら台無しよ」
軽くそう言うラゼリードの瞳には、殺意がありありと見えた。
勿論、フィローリには見えない角度で睨み付けている。
「すっ、すみません! まさかこんなお昼から仲睦まじくされてるとは思わなくて……」
フィローリが立ち上がった。おもむろにヨルデンに近づく。
「お茶が欲しいと思っていた頃なんだ。ありがとう、ヨルデン」
フィローリはヨルデンからテーブルセット一式を優しく優しく奪い取ると、これまた優しく背中を押して退室させた。
それを見てラゼリードがクスクスと笑う。
「フィローリ。わたくしを奪って、その上、ヨルデンの仕事まで奪うつもり?」
「僕は見た目より貪欲だよ。君が知らないだけさ」
「わたくしに教えて。あなたの貪欲さ。総て教えて」
ラゼリードは唇を吊り上げて笑みを浮かべた。
「お茶の後でね」
フィローリは軽く片目を瞑って笑ってみせた。
ラゼリードは書物を脇に退け、テーブルに空きスペースを作る。
手早くフィローリが紅茶をカップに注いだ。
ラゼリードは礼を言ってカップに口を付ける。
「ヨルデンが淹れたお茶、今でも充分に美味しいのだけども、もっと巧くなると思わない?」
「うん、伸びしろがあるね。僕が淹れたのよりは美味しいけどね」
フィローリは茶菓子をかじりながら答えた。
「謙遜はやめて。シャロが絶賛していたのよ、貴方の香草茶。わたくしもあなたの香草茶はヨルデンとは違う方向性でとても美味しいと思うわ」
「それは光栄の極み」
2人で紅茶を片付けてしまうと、ラゼリードが物欲しそうな目でフィローリを見た。
「ねえ、さっきの約束……」
言いかけた直後、ラゼリードはエイオン──男性──へと姿を変えていた。服装までドレスから簡素ながらも生地の良いシャツと細袴に変わる。
「あ……うわっ」
逃げだそうとするエイオンを、フィローリが腕を取って座らせる。
「どうして私に優しくするんだ? あなたの花嫁はラゼリードだ。私じゃない」
「一緒だよ。シャロアンスとも話した事があるだろう? 僕の大事な¨キミ¨。キミが好きだ」
フィローリはそのままエイオンの髪を一房取ると、髪に口付けた。
エイオンは、かあっと頬を火照らせる。
「こんな私でもいいと言うの?」
「もちろん。僕の大切な我が君、我が姫」
エイオンは──ラゼリードは──その言葉一つで大変嬉しくなってしまった。
それはとても幸せな時間。
僅か3ヶ月の蜜月。
END




