第四十話 転換
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「これは……良くない予兆が、現れつつあるようですね」
導師ジョウは、未来予測の瞑想から目覚めると、自らが垣間見た「未来」について、独りごちる。
彼が行う未来予測は、アルカナの棺のエネルギーによって構築された仮想空間で行う一種のシミュレーションに近い。
ある一つの事象の未来を予測する事も出来れば、それに干渉した時の返答も導き出す。
とは言え、それで「最善」の未来を手に入れるには、膨大なシミュレーションを繰り返す必要があり、導き出された未来を実現させるにも、それ相応の根回しが必要となる。
そして、ジョウ本人による「予測の外にいる要因」の存在も視野に入れた検証と計算も、必要な根回しの一つだ。
これまでの予測では、レシェア大河を遡る旅の途中で、スヴェントヴィトの干渉が行われ、一世達はそれを退けつつペラウンへ向かうと出ていた。
一世達は、予測の対象外ではあったが、彼の乗るオルベイルや、同行者を起点に予測すれば、間接的な未来予測は可能だった。
だが、今回の予測では、スヴェントヴィトが旅に干渉して来る事実は変わらなかったのだが、そこから先の未来が、まるで靄のかかったかのように見通せなかった。
「もう一度、何が起きるかを確認しなければなりませんね」
そう言って、ジョウは再度瞑想に入った。
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一世達はレシェア大河を川伝いに進む度に、その情景がノヴァと大きく違うという事を改めて実感させられていた。
まず最初に目に入るのは、その大河が抱えている大量の水。その次に、川の向こう岸が見えないくらいの川幅。そして川沿いに満ちる動植物。
それは、この川の流れが、大量の水と肥沃な土を下流へと運び、マハリの土地を豊かな物にしているのだという証左でもあった。
そして、その豊かさは家畜にも現れている。肥沃な大地は牧草や作物の安定生産を促し、潤沢な餌を与えられて育ったホブの肉は、質と量の両面でノヴァのそれを上回っていた。
「まさか、肉料理一つとっても、お国柄があんなに違うとはな」
最初の荷物の届け先であった牧場で振る舞われた肉料理の味を思い出し、一世は思わず舌鼓を打った。
食料の調達にも一苦労するノヴァでは、ホブの肉は長持ちするように干し肉に加工した上で消費される。一世は、この国に来てようやくホブという動物の肉の、本来の味を知る事が出来たという訳だ。
「ノヴァじゃ殆ど腹を満たせれば良くて、味は二の次って思考ですからね。日持ちさせる事が重要っていうか」
オルベイルに同乗するネインも、これまで干し肉以外の肉を食べた事が無かっただけに、肉汁滴る肉料理との出会いはまさに衝撃的なものであったであろう事は想像に難くない。
「アニキ達がこっちの世界に来た時の気持ち、何となく分かった気がします」
一世の抱いている物とは少しニュアンスは異なるが、世界の違いというものをネインは噛み締めている様子だ。そこに、少々の羨望が見え隠れしている事は、声色からして理解出来た。そして、それを理由にこの国の人間を憎悪する事をしないネインの性根の良さも、改めて実感する。
「さて、そろそろ見えて来るかな……」
そんな矢先に、ザリアーナが前方を注視する。
何が見えるのか、と気になって一世も視線をそちらに移すと、麓を円形に抉られたかのような姿をした山が、視界に入ってきた。
「何、あれ?」
アルエが、皆が胸に抱いたであろう疑問を代表して口から出す。
だが、山肌を抉られた山は、これだけではない。その後ろに、何重にも連なる山々に、同じように穴が穿たれているのだ。
そして、レシェア大河は幾本もの支流に枝分かれと合流を繰り返しながら流れており、この山に穿たれた空洞にも、その支流の一つが流れていた。
「かつて、神話の時代の戦いの名残り……らしいね。詳細は知らないけれども、この辺の民間伝承では神と悪魔が争った後だとか言われてる」
ザリアーナの解説を受けつつ、一世達は抉れた山を潜る。本流とは別ルートだが、こちらの方が近道なのだ。
穿たれた穴は、大きいもので五百メートルはあるだろうか。このような情景に、一世はかつてイトコの家で見たアニメの一場面を思い出す。
これ程の穴を穿つ程の戦いを、果たして何と何が繰り広げたというのか。
「レシェア大河は、神と悪魔が争った戦路そのものだという言い伝えもある」
「あー、大昔に神様が作りました的なの、ノヴァの方にもありましたよ」
ネインの言葉に、ザリアーナは「そうだろうね」と言って返す。
このような伝承は各地に存在しており、それがアルカニック・ギアやアナンタの獣の起源に繋がるのではないか、と彼女は考えていた。
ネインも、話につられてノヴァに伝わる伝承を幾つか語っていった。
あの大陸が砂漠に覆われた理由から、壁峰を踏破した勇者の伝説まで。
特にザリアーナが食いついたのは、前者の方。神と悪魔の戦いにおいて、悪魔が彼の地を支配し、そこを人の住めない土地にしたというものだ。
この伝承にも、「神と悪魔の戦い」というワードが存在する。これはきっと偶然ではないだろうと、一世もそれとなく察した。
そう、二つの大陸の伝承は、おそらく繋がっているのだ。
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西の山に太陽が沈み、空に浮かんだ三つの月が、環と共に光を増す。湿度や温度の違いもあってか、ゾリャー大陸で見る夜空は、ノヴァ大陸で見るそれよりもおぼろげに映って見えた。
一世はキャンプの設営を終え、その幻想的な夜空を見上げていると、シイナが気配もなく姿を現す。
「逆井一世、導師がお呼びだ」
「やれやれ、分かったよ」
その言葉と共に、一世は立ち上がり、シイナの後に続く。
いつもの暗闇に支配された空間に立ち入ると、そこにはローブに身を纏った白髪の男……ジョウの姿があった。
「久方ぶりですね、そちらも色々と大変だったようですが」
にこやかな表情を崩すことなく、ジョウは一世に語りかけてくる。
「御託はいいから、要件だけ話せよ」
「……スヴェントヴィトが動きます。ナカルに向かえば、確実に戦闘になるでしょう」
ジョウのその言葉に、一世は思わず目を見開いた。
スヴェントヴィトと言えば、この世界最強の軍事国家だ。それが、一世達を狙って戦力を差し向けているという。
「スヴェントヴィトが、何故?」
「それは、あなたの機体……オルベイルがかつて彼の国を半滅させた忌むべき機体だからですね」
初めて聞かされる事実。
「おい、そんなの聞いてないぞ」
「まあ、その件については聞かれていませんでしたからね。因みに、私も、あのザリアーナという女性も、彼の国から追われる身です」
ジョウは笑いながら一世にそう言って返す。まさか、自分の身の回りにこんなにもスヴェントヴィトに対立する要素が揃っていようとは思わなかった。
だが、ジョウの表情は、次第に険しいものへと変化していくのを、一世は見逃さなかった。
「とは言え、懸念すべき事案もあります。ナカルに到着して移行の未来予測が完全に行えなくなっているのです」
「それって、まさか」
ジョウの未来予測は、不確実ながらも一世達の行動の指標の一つになっていた。だが、それが効かないという事は、この世界の人間ではない存在が、この先に待ち構えているという事に他ならない。
「ええ、そのまさかです」
そう、この世界に誘われた人間は一世達だけだという保証は、どこにもない。その未確認の転移者の存在が、ジョウにとってのアキレスの踵となり得るのだ。
一体どれだけの人間が、この世界にやって来たのだろうという疑問が、一世の頭を過ぎる。しかし、それに答えられる人間もまた、ここには居なかった。
「どうするんだよ、こっから先」
「恐らく、向こうはオルベイルを狙って攻撃を仕掛けてくるものと思われます。ならば、やるべき事は一つでしょう」
ジョウにそれを告げられ、一世はただ静かに頷くしかなかった。




