第三話 目覚め
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一世とアルエは、ネインの案内で槌の塔の地下へと向かっていた。
「ねえ、この場合って、塔の上の方に目的の物があるんじゃないの?」
アルエは、塔を下る度に自分の胸中で大きくなっていく疑問を、遂にネインに向けて投げかけた。だが、その疑問の答えはネインではなく、一世の口からもたらされる事になる。
「頂上のアレは確かに気にはなるけど、あそこにお目当てのものは無いんじゃないかな」
「なんで分かるのよ?」
「いや、だってこの塔、宇宙船だろ?」
一世の言葉に呆気にとられ、アルエは一瞬だけ歩みを止めた。彼女は無言だったが、その表情は「なんで?」と明確な意思表示をしている。
「頂上にあるの、あれは推進力を生み出すためのエンジンブロックだよ。似たようなのをイトコのやってたゲームで見た事があるし、それにこの遺跡、ドアが天井や床にあるっていつのも不自然だろ。なら、砂漠の真ん中に頭から突き刺さったと見るのが正解だと思うよ」
「何よそれ。じゃあこの遺跡は、大昔に宇宙から墜落して来た、って事?」
アルエはそう言って、一世に顔をぐい、と近づける。翡翠色の瞳が一世の視界に迫り、香水と汗の混じり合った匂いが彼の集中を少しだけ惑わせた。
「ま、まあそうなる、のかな?」
視線を逸らしながら、取り敢えず会話に一区切りを打つ。
「異世界ってこう、魔法が発達していたり、中世ヨーロッパってイメージがあったのに、なんか幻滅ね」
「いや、そもそもネインの船からしてファンタジーとはかけ離れてると思うけど……」
明らかに化石燃料と電力で動いていますといった体裁のボロ船を思い浮かべながら、一世はこの世界の世界観にフォローを入れる。
加えて、砂漠を往く船が一般的に使われているとなれば、砂上戦艦なんて物もあろう事は想像に難くない。
「何してんですか、置いていきますよ?」
アルエが落胆していると、ネインが呼ぶ声が聞こえて来た。二人はすぐにネインに合流し、先を急いだ。
ゆっくりとしている暇は、今の彼らにはないのだから。
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遺跡の中は複数の区画に別れており、その一つひとつが分厚い隔壁扉……この建物が宇宙船であるならば、恐らくはエアロックであろう……によって仕切られていた。幸い、それらは緊急時に手動で開放出来るように設計されていたが、一世達の頭を悩ませたのは、それを垂直に降りなければならない、という事だ。
長い通路が垂直に通っている場合、落下しないように足場となるオブジェクトを探し、そこまでワイヤーを垂らしながら進んでいく必要があった。
そこで役に立つのが、ネインが腰から下げているワイヤーガンだ。
これを駆使して二つの区画を抜け、ネインの手持ちのワイヤーが心許なくなって来た時、三人はようやく目的の場所に辿り着いた。
格納庫区画。十数体ものスートアーマーが、ハンガーに収められて整然と並べられている。
最奥には卵のようなオブジェクトが安置されているが、それが何なのかはネインも分からないという。
ハンガーの一つひとつに、全長十メートル前後の機械の巨人が眠っている。曲線主体の、見るからにハイテクノロジーで構成されているであろうそのシルエットに、一世は思わずテンションを上げた。
これが動かせれば、あの化け物……アナンタの獣を退けられるかもしれない。
しかし、事はそう上手く運ぶものではない。
「駄目だ、どれもジェネレーターが死んでる」
機体を調べていたネインが、落胆した様子でそう告げる。
「再起動とか出来ないのか?」
「少なくともここでは無理ですね。外部から電力を供給しないと、こいつらはテコでも動かない」
なんという事だ。このままでは外に出る事は難しくなる。
しかし、一世のその焦りを加速させるかのように、事態は更に最悪な方向へと天秤を傾けていく。
格納庫全体が震えるような激しい振動が、轟音と共に突如として一世達を襲う。何事だ、と轟音のする方向へと視線を向けると、機体搬出用のハッチと思しき扉が外側から破壊されようとしていた。
「まさか、さっきのバケモノが!?」
絶体絶命の状況下で、焦りと恐怖の感情が一世を縛る。
隔壁が殴り破られ、その向こうからアナンタの獣の無機質な顔が覗き込む。青銅色の瞳が一世をじっと睨み付ける。
『グゥォォォォォァァァァァアーーッ!!』
獣が叫び、格納庫内の空気が震えた。
一世達はすぐに格納庫の奥へと逃げ込むが、元来た道を引き返した所で、また地上で待ち伏せされるのがオチだ。
詰んだ。
そう思った矢先に、獣の拳が一世の眼前に迫る。
「危ない!」
その叫び声とともに、アルエが一世の身体に覆いかぶさる。
獣の拳は、アルエの背中を掠め、その奥にあった卵型のオブジェクトを貫いた。
「な、なんで?」
「……駅で助けようとしてくれた、借りを返しただけよ」
「あ、うん。その、ありがとう……」
短い会話の間に、アナンタの獣がオブジェクトから拳を引き抜き、軛を返す。
だが、一世とアルエは、獣がオブジェクトに開けた穴の向こうにあった物の姿に釘付けになっていた。
「ねえ、アレって……」
「ああ、間違いない。あれにもスートアーマーが入っていたんだ」
卵型のオブジェクトの中から覗く、スートアーマーの顔。人間を思わせる双眼を持ち、その身に纏った真紅の装甲が、ハンガーに収められた機体とは違う特別感を醸し出しているようにも見えた。
獣の拳が、再び一世達を追い立てる。しかし、キャットウォークやハンガーの間に張られたワイヤーが、その行く手を阻む。
ネインのワイヤーガンだ。
がんじがらめになった獣の頭上で、ネインが叫んだ。
「二人とも、早く! そいつは動力が生きてるッ!!」
「ええい、こうなりゃヤケだ!」
ネインの援護を受け、一世は全力疾走し、機体の背後からコクピットに収まる。
操縦方法など一切知らないが、なるようにするしかない。
少し遅れて、一世の後ろにアルエも滑り込む。
「な、何してるのさ!?」
「仕方ないでしょ、ここが一番安全そうなんだから」
アルエの言葉に「全くもう」と返しながらも、一世は機体のコントロールスティックを握った。
ジェネレーターで生み出されたエネルギーが機体の全身に伝わっていくのを振動で感じ取る。
「口を閉じて、しっかりと掴まってろッ!」
そう叫ぶと同時に、一世は紅の機体のコントロールスティックを思い切り押し出した。
その動作にシンクロするように機体の双眼に光が灯ると、推進力が背面から発生し、オブジェクトを突き破ってアナンタの獣へと突進していく。それに伴う加速Gが二人を襲うが、一世は何とか機体をコントロールし、最初の一撃を眼前の敵に喰らわせる。
一世達はアナンタの獣ともつれ合い、やがて壁に激突。壁の中に充満していた消火剤が煙となって辺り一面を真っ白に覆い尽くした。
消火剤の煙が視界を塞ぐ中、巨人同士のぶつかり合う様子を、ネインはその眼に焼き付けていた。
白煙の中から先に姿を表したのは、アナンタの獣。少し遅れて、一世の乗る機体が煙の中から現れ、再びアナンタの獣に向けて突進する。
だが。
起死回生の一手となる筈だったそれは、ものの見事に「ハズレ」の機体だった。
何故ならば、二人の乗った機体には、肝心の四肢が無いからだ。
手足があるのと無いのとでは、立ち回りや駆け引きの優劣が大きく変わってくる。
ただ突進するだけしか出来ないよりは、殴る、蹴るといった「技」を使える方がそれだけ状況に対応しやすいし、脚があれば敵の攻撃を回避する際のエネルギーロスも小さく出来るし、被弾したとしても踏ん張りが効く。
が、一世の操るこの機体は、それが尽く出来ない。
言うなれば、敵の攻撃を避ける事も耐える事も出来ない巨大な弾丸。このままでは、アナンタの獣の放つ拳の前に敗北する事は必定だ。
「駄目だ、そのまま突っ込んだら……ッ!」
ネインが叫ぶよりも早く、獣の拳が一世の機体の頭に打ち込まれた。
瞬間、ネインは顔を背ける。
だが、獣の放った一撃は、機体の頭に届く事は無かった。
「……えっ?」
顔を上げると、先程まで達磨のように手足を持たなかった機体に、まるで設えられたかのような四肢が備わっているではないか。
加えて、装甲の各部の形状も、先程とは異なっている。
そう、この機体はその身を包んでいた装甲を背部に集約させ、その下から出現した本来の腕でアナンタの獣の一撃を防いだのだ。
それは、まるで羽根を背負った天使か、悪魔のよう。腰から伸びた一際長いパーツは、姿勢制御用のスタビライザーか、或いはカウンターウエイトだろうか。
やれる。これなら、勝てる。
ネインはそう確信する。
「これまで好き勝手に追いかけ回してくれたな」
機体のコクピットで一世が口を開く。
「ここからは、俺のターンだッ!」
その叫びと共に、一世は柔術の要領でアナンタの獣を床に叩き付け、掴んだ腕を力任せにねじ切った。
だが、それだけで獣は倒れない。どころか、予備動作も無しに飛び上がり、今度はスピードで一世を翻弄する。
固く握られた拳が開き、今度は鋭い爪に転じた。
「バトルスタイルを変えて来た、ってか」
「どうするの、逆井くん?」
アルエの問いかけに、一世は一瞬だけ思考し、やがて決断する。
「受け止める!」
敵が真正面から一世達に爪を振るう。
だが、一世が突き出した鋼鉄の腕はそれを受け止め、鋭利な刃物を思わせる爪を砕いてみせた。
動きを封じられ、武器を失い、なす術のないアナンタの獣は、宙に釣られた格好で一世の乗る機体の腹に蹴りを入れるが、中途半端な体制で放った蹴りに、機体が動じる事は無かった。
「トドメッ!」
その一言に呼応するように、機体の右腕の内部機構が露出し、中から眩い光が溢れ出す。
その状態から一世はアナンタの獣を放り投げ、遅れて自らも跳躍。光り輝く右腕を、獣の腹に押し当てた。
マニピュレータと展開した内部機構が獣に食い込み、逃れられないよう拘束する。
「いっ……けぇーーッ!!」
右腕から、膨大なエネルギーと共に光の杭が放たれる。
アナンタの獣の身体に流し込まれたエネルギーの奔流は獣の巨体を容易く貫き、その背後にあった幾枚もの壁や床を突き抜け、やがて外界にまで達すると、眩い閃光とともに消滅した。
そしてアナンタの獣の亡骸も、やがて最初からそこに何も無かったかのように黒い塵となって消えていった。
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事を終え、一世は無我夢中で機体を動かした果てに、自分が何をしたのか、改めてその行いに身体を震わせた。
マニュアルを読んだ訳でも、ましてや予め操縦方法のレクチャーを受けた訳でもない。殆ど成り行きで乗り込んだ機体を、まるで動かし方を知っていたかのように操ってしまっていた。
何故、このような事が出来てしまったのか。その答えを知る者は、少なくともこの場にはいない。
ともかく、目下の危機を回避出来た事に安堵しよう。
一世はそのように思考を切り替えて、ゆっくりと胸をなでおろすと、アルエが自分の肩に抱きついたまま気を失っている事にようやく気が付いた。