第二十四話 追跡
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やられた。
一世はそう思いながら、砂漠へと駆け出し、連れ去られた少女……アルエの名前を、喉が潰れそうな位の大声で叫んだ。
だが、彼女からの返事はない。
ただそこには、圧倒的なまでの敗北感と後悔、そして虚しい残響が残るだけだ。
一世は歯を食いしばる。
硬く握られた拳から赤い血が滴り落ち、砂の海に染みていく。
掌からは、不思議と痛みを感じなかった。
「……奴はアナンタの使徒だ」
仮面の女は、そう言って今まで頑なに外す事の無かった仮面を外す。彼女の素顔は、アルエが言ったように藍羽シイナのそれだった。
一世は一瞬、その顔に眼を奪われる。だが、それよりも今は彼女の話す言葉の方が重要だった。
「使徒?」
「遥か昔に、この世界に撒かれた異界の神の欠片。その中でも強大な力を持ち、個として覚醒した六六六の存在だ」
「馬鹿言わないでくれ。そんな文献、私の国では見たことも聞いたことも無いッ!」
「お前の国が、情報を伏せているのだろう。あの国は確かに古代の優れた技術を幾つも復活させているが、その中で禁忌として指定された文献や技術は幾らでもあるだろう?」
仮面の女……シイナの言葉に、ザリアーナは渋々とだが肯定する。
あの国では、皇族が禁忌と指定し、隔離された文献が山のように存在している。
それに伴って復元されて来た古代の歴史の中には、まるで虫に食われたような空白がいくつか生まれていた。
そして、それらはスヴェントヴィト帝国の最高戦力たる聖封騎士団の名の下に厳重な封印と管理が行われている。
ザリアーナは、それが必要な事であると認識しており、これまでその事を疑問に思わず、研究と研鑽の日々を過ごしてきた。
だが、穴の空いた歴史の中にこそ、重要な「何か」が隠されていると知ると、ザリアーナは益々、スヴェントヴィトに戻らなければならない理由を強くする。
しかし、その前にやるべき事があるのも、また事実だ。
「二人共、言い争いはそこまでにしてくれ。今はアルエの奪還は急務だ」
目尻を赤くしながらも冷静さを取り戻した一世が二人の間に割って入り、意見する。
「俺は、あいつにああなって欲しくは無いんだ」
そう言って、アル・ピナクルの残骸へと視線を向ける。
リーテリーデンの顛末を考えると、アルエもああなる可能性はゼロではない。
急がなければ、手遅れになる。
彼はそう二人に告げているのだ。そして、一世としてもそれだけは何としても避けたい展開だった。
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少年がアルエを連れ去った方角は、意外と簡単に判明した。
あの少年が使徒と呼ばれるアナンタの獣の元締めであるのなら、それと同じ性質を有している事は明白だ。
アナンタの獣はレイ・テクニカと同じく大気中のレイを吸収して活動を行っており、今回の戦闘でオルベイルがばら撒いたレイは、多少なりともアル・ピナクルに吸収されたとは言え、あの周辺にそれなりに充満していた。
そして、エアルフであの場に満ちていた残留レイの流れを追った所、膨大なエネルギーの中に一箇所だけ、ぽつんと穴が空いたようなポイントが存在していた。
それがあの少年の移動経路だと一世達はすぐに理解し、すくにネビュリア・コロニーへ戻ると、ネインの船に船を出すよう手配する。
幸い、船には大したダメージは無く、すぐに出港可能だ。
「アニキ、生きてたんですか!? というか、どうしてそんな怖い顔してるんです、皆して」
「北西に向かってくれ。アルエが攫われた」
たったそれだけの説明で、ネインも状況を呑み込んだらしく、快く船を出してくれた。「ここまで来たら生きるも死ぬも一緒です」とは、この少年の言だ。
一世は、彼の選択にただただ感謝せずにはいられなかった。
そして、オルベイルとエクリプス、そしてエアルフをカーゴに積み込むと、その日の内に出発する。
「ネイン、ネビュリアの北西には何がある?」
「何って、そりゃあもう、今勢いのあるザーズ・コロニーですよ」
「族長会議の一員、グリッチ・ザーズの収めるコロニーだね。次期総部族長に最も近い位置にいる男だって聞いてる。ただ、ネビュリアからザーズまで、どうやっても二日程はかかる」
一世の問いかけにネインが返答し、更にザリアーナが補足を加える。
グリッチという男がどのような人間かは分からないが、その男がアナンタの使徒を匿っている場合、衝突は避けられないだろうと、一世は覚悟する。
「あのコロニーは、経済的にも軍事的にもすごく安定していて、事実上ノヴァの第二の首都と言われています。あそこでのドンパチは、流石に不味いですよ」
「アナンタの使徒は人に化け、人に紛れる事が出来る。人口の多いコロニーに隠れていても不思議ではない」
仮面の女……シイナがそう言って、船の進行方向を見やる。
彼女の仮面は、どうやらレイの流れを見る事が出来るらしく、それ故に案内係を買って出てくれていた。
ザリアーナは、自分の技術力ではスートアーマーのカメラにその技術を組み込むのが精一杯だったと語っており、その仮面に秘められているであろうテクノロジーに興味津々といったご様子だ。
「あの、こちらさんは、誰さんです?」
「私に名前は無い。そこの逆井一世や天上アルエは私をシイナと呼ぶが、呼びたければ好きに呼べ」
「は、はぁ……じゃあよろしくお願いします、シイナさん」
シイナの明らかに俗世離れした態度に、ネインは彼女の言葉をどう捉えていいか考えあぐねた。
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身体が、まるで鉛のように重い。
五感もあり、意識もはっきりしているものの、その身体は指先一つ動かす事が出来ず、目蓋もまるで接着されたかのように開く事が叶わなかった。
手足に力を入れても、まるで力を込めた先から活力が吸われていくような気だるさに襲われてしまう。
まるで身体の制御が自分の手から離れてしまったかのような感覚に、アルエは苦しめられていた。
今、アルエは一糸まとわぬ状態で粘性の高い液体のような物で包まれており、その中で、まるで胎児のように浮かんでいた。
どうやら、この液体は彼女の行動を阻害する拘束具としての役割を果たしているらしい。
「この娘が、その特異点か」
「そう。最初はちょっとした味見のつもりだった。だけど、この子からはレイを吸い取る事は叶わなかったんだよね。ニンゲンなのに、ニンゲンとは理が違う。これは実に興味深いよ」
「ふん、ニンゲンを介して棺の性質を取り込む実験までやっておいて、別の研究対象を見つけたらそちらにうつつを抜かすか」
液体の外から声……いや、思念が伝わって来る。思念の主は二人。一人はネビュリアでアルエを人質に取り、ここまで連れ去った少年。もう一人は、もっと年上の男のように感じられた。
「嫌だな、あの男は失敗作だよ。僕が干渉する前から、精神が錯乱していたからね。それに……」
「それに?」
「この子からはレイを吸収出来ないけど、アルカナの棺を使えばその限りじゃない筈だ」
「残った最後の一つだろう。あとの一つはあのニンゲンに我々への不干渉を確約させる為の取り引き材料に使ってしまった」
「アレは別にいいよ。僕達に必要ない能力しか持たないからね。むしろ、残った一つこそ重要だ」
少年が思念でクスクスと笑う。まるで、アルエが聞き耳を立てている事を知った上で彼女を怖がらせようとしているかのようだ。
その意図を読み解き、アルエは自分がこれからどうなってしまうのかという不安に、胸が押しつぶされるような感覚を覚える。
肺から空気が抜け、口から泡となって吹き出す。
少年はアルエの肢体を見つめ、にやりと頬を釣り上げた。




