第二十三話 アナンタの獣
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「あーあ、残念。もう壊れちゃったかぁー」
突如として、何も無い砂漠に響いてくる、聞き慣れない声。
否。それは声と呼ぶにはやや不適切かもしれない。何故なら、それは周囲に居る者の意識に直接干渉し、伝えられた「思念」に他ならないからだ。
一世は、その思念の主が何処に居るのか視線を巡らせると、アル・ピナクルの頭に腰を据えて脚を上下させている少年の姿を認めた。
黒衣に金髪。そして紅の瞳。生気を感じさせない白い肌は、まるで漫画やアニメに出てくる吸血鬼を彷彿とさせた。
「誰だ?」
その場に居た、誰もが抱いた疑問が、一斉に少年に対して向けられる。
エクリプスの仮面の女、彼女ただ一人を除いて。
「気を付けろ、それは……敵だッ!」
その怒りが込められた一言と共に、エクリプスの刃が少年に向かう。
しかし、その一撃が少年に届く事は無く、刀の切っ先は少年の鼻先で留まった。
寸止めかと、一世は一瞬だけ思考を巡らせる。
だが、それは違う。実際には目に見えない力場が刀と少年の間に生じ、エクリプスの突きを防いでいたのだ。
そればかりか、少年が無邪気な笑みを湛えて立ち上がると、足場も無い空中にその身を浮かばせる。
その所業、最早人間がが行えるようなそれではない。
「何だよ、こいつは……!」
「言った筈だ、敵だと」
動揺する一世を他所に、仮面の女は立て続けに少年に対して攻撃を仕掛ける。だが、やはりそれらは寸での所で見えない力場に止められてしまう。
それどころか、刀を振るう際に生じる突風でさえ力場に遮られ、少年の髪を揺らす事すらしない。
「僕は実験を見届けに来ただけで、今君達と事を構えるつもりはないんだけどなぁー」
不気味な笑みを浮かべながら、少年は自らの言い分を告げる。
実験とは、リーテリーデンの事を言っているのだろうと、一世は即座に理解する。
「けど、君達がまだ遊び足りないなら、いいよ、遊んであげる」
そう言い終えたのと同時に、少年はその場から姿を消す。
姿を消した闖入者を、アル・ピナクルの周りにいた兵士達が探そうとするが、その途端、コクピットに座していたリーテリーデンの成れの果てが動き出した。
辛うじて人の形を保っていた半身が、まるで膨れ上がるように変質し、更に口から、目から、昆虫の顎や複眼、触覚を思わせるモノが飛び出していく。
「ァ……ガガ……ァャ……ッ」
一世は元より、その場にいた兵士達も、その様子に恐怖を抱かずにはいられなかった。
加えて、その変異はリーテリーデンの乗るアル・ピナクル……正確にはその上半身にも及んでいた。
アルカナの棺とジェネレーターを失い、機械的に動く事も出来ない筈のそれが生物のように動き出したかと思った途端、瞬く間に形を変えていき、その質量を増大させ、リーテリーデンと同化していくではないか。
更に、ザリアーナはエアルフのモニター越しに、周辺に漂っていたレイがアル・ピナクルに吸収されていくのを目の当たりにする。
「こ、こいつ動力が死んでいたんじゃないのか……うわっ!?」
アル・ピナクルの周りにいた兵士達は、この変異に巻き込まれ、肉とも鉄ともつかない物質に押しつぶされていく。
その惨状と、まるでバグズの親玉のように変貌したアル・ピナクルの姿を目の当たりにして、一世は眼の前の敵が何なのかを悟る。
「アナンタの……獣か!」
「そう、こいつは獣の因子を打ち込まれ、人でも機械でも無くなった……この世界の理から外れてしまった転落者だ」
一世の言葉に、仮面の女がそう言って返すと、すぐに刀を構える。
一世も再度オルベイルに戦闘態勢を取らせるが、先程の戦闘での消耗が激しく、余力はあまり残っていない。
「一世ー!」
そこに、アルエとザリアーナがエアルフで駆け付けて来た。
二人は一世の無事を喜ぶが、仮面の女は「積もる話は後にしろ」と言って、変異を終えたアル・ピナクルに刃を向けた。
「何よ、アレ……気持ち悪ッ!」
率直な感想を述べ、アルエはエアルフの機関砲の照準を合わせる。
「気をつけた方がいい。あれもアナンタの獣。しかもあんなもの、ここ百年は出てこなかった大物だ」
ザリアーナが注意を促しつつ、巨大化したアル・ピナクルの攻撃を回避した。触手が、コクピットの装甲を僅かに掠める。反応が少しでも遅れていたら命は無かったと、ザリアーナは舌を舐めた。
だが、飛び出して来た触手は一本ではない。フォウォレ隊は何とかこれを凌ごうと三機で背を合わせ、マシンガンで迎撃する。だが、素の機体性能の差は如何ともしがたく、猛攻を長く抑え込む事は出来ず、三機とも苦境に立たされる。
一世は、そんなフォウォレ隊のカバーに回り、その場の触手をガトリング砲で一掃する。そして、その場をエクリプスに託すと、迫る触手を掻い潜り、撃ち落としながらアル・ピナクルのコクピットだった場所へと駆け抜けていく。
その動きは、明らかに以前よりも洗練されており、訓練された兵士達よりも動けているようにも見えた。これは機体の性能故か。それともループを繰り返した経験が、兵士の訓練内容を越えていたからか。
「驚いたな、いくらアルカニック・ギアだからとて、あそこまで動けるとは」
「男子三日会わざれば刮目して見よ、を実践すんじゃないわよあの馬鹿」
アルエにそう言われながらも、一世は触手の大本にたどり着き、ガトリングの砲口を向ける。
だが、彼はそこで見た。
かつて人間だったモノの成れの果て。そう、リーテリーデンの姿。最早、長い金髪以外見る影も無いそれを、人間として扱っていいのか分からない。だが、例え忌むべき敵であっても、それを人間として扱いたいという情が働いてしまう。
「それはもう、人間ではない。逆井一世、銃爪を引け!」
仮面の女が叫ぶ。
背後から触手が迫る。
決断するしかない。
「……うわぁぁぁッ!!」
少年の雄叫びが銃声と重なり、砂漠に響いた。
○
一世はオルベイルから降りると、崩れ落ち、炎上していくアル・ピナクルを眺めながら、胸の中でずっとしまっていた疑問を、投げかけた。
「なあ、アナンタの獣って、何なんだ。あいつらは何で、人間を襲うんだ」
「そうそう、それにあの子供。アレは明らかに化け物を使役しているように見えたんだけど?」
「……あれは、私達の世界の神とは違う、異界の神の残滓。そう言い伝えられているわ。けど、それを操る存在については、ごめんなさい。私にも分からないわ」
一世とアルエの疑問に、ザリアーナが答える。
アルエと一世はザリアーナの説明を聞き、情報の欠落を指摘する。だが、ザリアーナは素直にそれを認めるが、アナンタの獣について分からない事は多いのだ、とため息まじりに続けた。
「私の故郷……スヴェントヴィトでも古代技術の継承と研究を行っているが、私の知る限りの文献でも、アナンタの獣についての記述はどれも似たようなものばかりなんだ」
「となると、それは情報が意図的に抜き取られている可能性もあるな」
その会話に、仮面の女が割って入る。ザリアーナは怪訝な表情を見せながら、「どういう事だ」と言って仮面の女の方へと向き直った。
一触即発。そう思った両者の間にアルエが立つ。
「ザリアーナさんも、シイナも、とりあえず落ち着いて!」
「えっ、シイナってどういう事だよ」
仮面の女をシイナと呼ぶアルエに、一世も事態が読み込めないといった顔でアルエと仮面の女を交互に見やった。
「ふぅーん、僕達の事、ニンゲンの側ではそういう風に伝わっているのか」
くすくすと不気味な笑いを振りまきながら、先程の黒衣の少年が一行の背後に現れる。
今まで何処で何をしていたのか。どうやって自分達に気付かれずに出たり消えたり出来たのか。そんな事はどうでもいい。
今は、「こいつを倒さなければならない」という気持ちが、勝っていた。
「おやおや、怖い怖い。そんな顔をしてると、この女の子の顔もどうなるか分からないよ」
「……ッ!」
少年がその身を翻すと、その腕の中にはいつの間にかアルエの姿があった。少年の手刀が、少女の細い首筋に迫る。
少年の方がアルエよりも小柄な為に、彼は宙に浮いた状態でアルエを抱きかかえているが、それが彼の異質さをより際立たせていた。
「彼女を放せ」
仮面の女はそう言って剣を構えるが、彼女の冷静な表情は、目に見えて崩れていた。
それを見て、少年はまたにやりと笑う。
「そう、君は彼女を巻き込めない」
その言葉と共に、少年はアルエを伴ってその場から姿を消した。




