第二十話 夢幻の試練
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ジョウの能力によって、一世は現実とは別の場所に、意識を転送されていた。
「……何が起きたんだ?」
そう言って、一世が閉じられていた瞼を開くと、そこは見慣れた機体の……オルベイルのコクピットだった。
「戻って、来たのか……?」
違う。これはジョウとかいう男から与えられた試練という奴だ。
一世はそれをすぐに直感する。
何かは知らないが、これを突破しない限り、ネビュリアへ戻る事は出来ない。
それを強く自覚すると、機体のモニターに光が灯った。外の様子が、映し出される。
「……ッ!」
炎に焼かれるネビュリア・コロニーの姿が、眼前に広がっていた。
人で賑わう港も、市場も、機甲ギルドも、カフェも、無慈悲な力の前に為す術もないまま、呑み込まれている。
そして、それを行った張本人が、目の前に佇んでいる。
まるで塔のように肥大化した右腕を天高く掲げた異形の機体、アル・ピナクル。
それがオルベイルの存在を感知し、一世の方へと向き直る。
機体を操る男が、笑みを浮かべた。確証はないが、一瞬だけそんな気がした。
怒りの感情が湧き上がり、全身の毛が逆立つ。
「お前が、これを、やったのかァッ!!」
その叫び声と共に、一世はオルベイルをあの形態へと変容させ、アル・ピナクルへと突撃していった。
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アル・ピナクルに突撃していくオルベイルの姿を映像越しに眺めながら、ジョウはため息交じりに、頭を抱える。
「これでは、先が思いやられるかな。彼は見慣れた風景や人物が理不尽に晒される事に、まだ慣れていない」
そう言って、ジョウは別の映像に視線を移す。
現実のネビュリアでは、未だアル・ピナクルは上陸しておらず、それが伴う砂嵐に対応する目的で、市民の避難が進められていた。
そう、一世が今現在体感しているのは、ある種の仮想現実。しかも、未来の時間軸を高い精度で予測した物だ。一世は、それを現実の二百倍の早さで経験している。
無論、そこにはジョウの脚色が加えられているが、ネビュリアにアル・ピナクルが上陸する未来は、避けようの無い確定事項だ。
この仮想現実の世界で一世がオルベイルを制御出来なかった場合、最初からやり直しを要求され、時間軸を遡る事になる。しかも、痛覚などは一切誤魔化される事なく一世の脳へとフィードバックされる。
この世界で死んでも命を失う訳ではないが、その際の恐怖と痛みは、確実に一世の心を蝕んでいく。
そう、これはゲームではない。生き地獄にも等しい夢幻の試練。それが、ジョウの持つアルカナの棺の能力の一端だ。
「ネビュリアが焼かれるまで、あと六時間といった所ですか。それまでに、間に合うといいんですけど、ね」
一世の試練の完遂を望みつつ、ジョウは刻一刻とネビュリアに近付く砂嵐を凝視した。
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突如近傍に発生した砂嵐への対応に、ネビュリアは半ばパニック状態に陥っていた。
まるで狙いすましたかのように、砂嵐は一直線にネビュリアへと向かってくる。しかも、大量のアナンタの獣、バグズを伴って、だ。
実の所、ノヴァにおいてアナンタの獣が人口密集地に現れる事は、そう珍しい事件ではない。特殊な状況を除き、大抵の場合はそこに駐留している軍の部隊によって撃破される為、住民に危害が及ぶ事は殆ど無い。
だが、今回はバグズが気象状況を前提とした作戦行動、即ち何者かの意図の下に行動しており、事態の異常さを物語っていた。
コロニーの行政を預かる部族長も、すぐに市民への避難指示を出し、機甲ギルドに対して砂嵐の調査とバグズの駆逐を依頼。また、最悪の事態を想定し、近隣のコロニーから軍の派遣を要請した。
「軍隊嫌いのネビュリアでも、こういう時の判断は速い。けど……」
ザリアーナは、エアルフに新しく取り付けた腕の調子を確認しつつ、行政の対応の早さを称賛した。
だが、あの砂嵐の中にいるのは、間違いなくリーテリーデンのアル・ピナクルだ。
「ただのスートアーマーが束になっても、アレに勝てるかどうか怪しいかなぁ」
彼女が口に出したその不安は、エアルフに同乗しているアルエにも確かに伝わっていた。
「ふーん、あなたでも不安になる事はあるんだ」
「笑ってくれても構わないよ、お嬢様?」
「別に、笑うつもりは無いよ。あんなのを間近で見て、怖いと思わない人間の方が信用出来ない」
アルエの言葉に励まされたのか、ザリアーナは胸に抱いた不安が少し和らいだ気がした。
そして、ネインの船から機体を出し、二人は眼前に迫る砂嵐と向き合う。
再戦は近いと、二人は緊張感を強める。
「……始まるわね」
そうしている内に、先行していたギルドのスートアーマー部隊が、バグズとの戦端を開いた。
機甲ギルドの先発部隊のスートアーマーは十機。一方で、砂中から現れるバグズの数は不明。下手をしたら、こちらを上回る数の敵を相手にしなければならないかもしれない。
そんな彼らに対して、二人は敬意を払った。
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スートアーマー隊は砂嵐周辺のバグズの数を着実に減らしていった。
幸いにしてバグズの戦闘力は第三位のスートアーマー程度であれば対処出来るレベルだ。だが、機体を風に煽られ、足を砂に取られれば、事はそう上手く運ばなくなる。更に砂嵐から放たれる砲撃が加われば、ジリ貧になるのは目に見えていた。
部隊の損耗率が上がり始めると、指揮官の号令によって先遣部隊が後退を始め、それと入れ替わる形で次の部隊が上がってくる。
砂嵐の中に潜んでいる存在の事は、事前に得た情報から織り込み済み。だが、敵の砲撃能力は、彼らの想像の上を行っていた。
砂嵐で拡散したビームが、まるで意思を持つように死角からスートアーマー部隊に襲いかかったのだ。
「な、何だって!?」
「マルコォーーー!!」
マルコの改良型フォウォレが、死角からの砲撃に喰われた。だが、それ以上に敵の勢いが止まらない。
防衛網を食い破られるのも、時間の問題だ。
ザリアーナは出番が近いだろうと確信し、エアルフのレイ・テクニカを起動させる。
「砂嵐を吹き飛ばすよ、準備はいいかいお嬢様?」
「もちろん」
アルエが機体の上半身を稼働させ、レイを収集し始める。その様子は、さながらエアルフが踊っているかのようだ。
スートアーマーの動作は、基本的にはマスタースレーブ、つまり搭乗者の動きをトレースする形で行われる。
アルエは日頃からダンスで手足を思い通りの位置へ動かす事に長けており、それによって効率的にレイを収集する事が出来た。
「ブロア・アルファ!」
アルエの叫び声と共に、圧縮された空気弾が砂嵐の中心へと放たれ、炸裂した。
飛び舞う砂を吹き飛ばし、強制的に砂嵐を晴らすと、その中に潜んでいた敵……アル・ピナクルをあぶり出す。
「さあ、ここからが本番だ」
操縦権限をアルエから引き継ぎ、ザリアーナはアル・ピナクルを見据える。
だが、砂嵐が晴れたと思った途端、今度は曇天が蒼穹を覆う。
真昼にありながらまるで闇夜を思わせる黒雲が、ネビュリア・コロニー……正確にはアル・ピナクルを中心に発生していた。
次の瞬間、黒雲から雷光が走り、それが街に火を放った。
突然の落雷に、そのような偶然が存在するかとザリアーナは思考を巡らせたが、何を起こすか分からないのがアルカニック・ギアだ。
恐らくは天候を操る能力を有しており、砂嵐もその能力の一端に過ぎないのだろうとアタリを付ける。
加えて、落雷はスートアーマー部隊に多少なりともダメージを与え、バグズがその隙を突く形で攻勢に転じる。
「どうにも、参ったねこれは……」
想定の斜め上を行く事態に、ザリアーナは敗北を悟る。
だが、そこに思わぬ援軍が現れた。
腰から刀を下げ、頭部にポニーテールを思わせるブレードを備えた、群青色のアルカニック・ギア。
「シイナ!」
その機体……エクリプスの姿を認めると、アルエは無意識の内にそれを駆る仮面の女の名前を叫んでいた。




