第十一話 砂漠越え
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リーテリーデンの部隊がたった一機のスートアーマーに敗走したという報せは、瞬く間にノヴァ砂上連邦武国の族長会議に齎され、議会はその話題に騒然としていた。
ある者は彼を感情のままに下卑し、ある者は彼の失態を好機と見て、彼が属する部族への糾弾に奔走した。
だが、そんな中で唯一人。状況を静観する者がいた。
「クロクフェルの倅が負けたか」
族長会議の一員であるグリッチ・ザーズは、執務室で葉巻の封を切りながら、秘書の男に問うた。秘書は「はい」とだけ答え、手にした資料をグリッチに渡す。
グリッチは、ノヴァ砂上軍の司令代行を努め、次期総部族長の有力候補とまで噂される人間だ。武勲によって次期のポストが決まるノヴァの国家中枢に於いて、他の部族派閥への根回しや民衆への世論操作など、これまでノヴァには無かった手腕を見せつけ、その存在感をアピールしていた。
リーテリーデンの属する部族も、彼が抱え込んだ「手駒」の一つだった。
「あいつは性格に難はあれど、第七位の機体を与えられた男だ。少なくとも、その腕前は軍でも指折りの乗り手なのだがな……」
そう言って、リーテリーデンの部下が記した報告書に目を通し、気になる一文を見つける。
アルカニック・ギア。
「なるほど、これに負けたか」
グリッチはリーテリーデンの敗因を悟る。
「アルカニック・ギア。一騎当千の力を持った神のムクロ。その発見は、この国に変革が訪れるの前触れか、それとも破滅の前兆か」
グリッチは、皺まみれの頬を歪ませ、葉巻に火を付けた。
肺を煙で満たし、一気に吐き出す。戦時下というこのご時世、砂漠の国でこういった趣向品を嗜む事が出来るのも、偏に彼の手腕を象徴していると言えるだろう。
「それで、私に何の用だ?」
視線を窓際に向けると、そこには黒衣を纏った男の姿。秘書は不審極まりないの来訪者の存在を察知すると、腰のホルスターへ手を伸ばすが、グリッチは「構わぬ」と制し、黒衣の男の方へと向き直る。
「いえ、閣下の耳に是非ともお入れしたい情報がございまして」
黒衣の男は、そう言ってグリッチに足音もなく歩み寄った。
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一世は、自分が意識を失っていた事を自覚すると、まず最初に瞼を開ける事に専念した。
「ああ、良かった。目が覚めたみたいね」
「……ここは?」
寝台から身体を起こし、辺りを見回すと、見覚えのある間取りが視界に入ってくる。
「ネインがね、私達の事を追っかけて来てくれたの。あの後、あなたいきなり倒れたから、合流出来たのはラッキーだったけど……」
そう言いながら、アルエは一世に視線を向けたり逸らしたりを繰り返す。
一世は、自分が上半身に何も身に着けていない半裸の状態であることに気付き、素っ頓狂な悲鳴を上げながらシーツで身体を隠した。
「いや、だって仕方ないでしょ。尋問で服もボロボロだったし、換えの服も無いじゃない?」
「いや、だからって男の子でも女の子に間近で身体を見られると恥ずかしいモンだよ。俺だってお年頃だし」
お互いに顔を真っ赤にしながら、それぞれの主張を口走る。
その様子を船室の入口で見ていたネインは、「お二人共元気なようで何より」と言って、静かにその場を後にした。無論、二人がその後を追いかけたのは言うまでもない。
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「で、これからどうするか、ですけど」
「軍隊と敵対しただけに、この国じゃ俺達はお尋ね者だ。どの道この砂漠は渡ろうと考えていたから、軍の警戒網を抜けて隣国まで行こうと思ってる」
着替えを終えた一世は、地図を広げ、ネインと今後の方策を練っていた。
新しい……とは言えその実古着だが……衣服とセットになっていたポンチョは、砂漠の直射日光から身体を守るのにも有効だったので、一世は有り難く使わせて貰う事にした。ただ、アルエが一緒に髪の毛を勝手に纏めたのには困ったものだと頭を掻く。ボサボサ頭がチョンマゲ頭になったのは別にいいが、髪が引っ張られる感じがして少し落ち着かなかった。
そんな一世が顕になった視線を向けるのは、床に広げられた広大な砂漠の地図。ノヴァ砂上連邦武国に隣接するアガトラ王国が、当面の彼らの行き先となる。
「けど、どうやって国境を越えるんです? あそこは戦争の最前線、常に両者が睨み合ってて俺達が入り込む隙なんて無いですよ?」
「やっぱ、問題はそこか」
ネインの言葉に、一世も頭を抱える。
ノヴァは南北を険しい山脈で分断されており、その先は海。故に、アガトラ以外でノヴァが直接国境を接している国は存在していない。
「国境以外から出国するなら、やっぱり国境の北東にある港ですけど、ここを巡る攻防戦が今の戦争の中心なんで、船を出した途端に攻撃、なんて事になりかねません」
そう言って、ネインは北の山脈の西端にある港湾都市を指す。ここはノヴァが唯一保有している商港であり、これを制圧すればミリタリー・バランスは一気にアガトラ有利となる。危険である事は変わりないが、目指すならやはりここか、と一世はここを目的地の最有力候補としてチェックを入れる。
「そういや、前聞きそびれたけど地図の東の方が黒く塗られてるのは何でだ?」
以前聞こうとした疑問を、一世はここでネインに聞く。
「ああ、これは大陸の東が前人未踏の地だからですよ。こっから先は壁峰……壁のような大山脈があって、更にその向こうはアナンタのテリトリーって聞いてます」
「あんなのが跋扈してるのか……想像したくはないな」
この世界に来てから最初に出くわしたあの怪物の事を思い出すと、一世の中で「東に向かう」という選択肢は消えていた。
「壁峰のお陰で獣はこっちに来る事は殆ど無いんですけど、山の周囲は俺らもあまり近寄らないようにしてます……とは言え、あいつらは壁峰の向こうからいつの間にかまろび出ていたりしますからね。噂じゃ砲弾のように山を飛び越えて来るとか言われてますけど」
「なるほどなぁ……」
ネインの説明に納得する一方で、ネインは一世に対して疑いの目を向ける。何故なら、アナンタの獣は歴史の様々な場面に現れては人類に害を成してきた存在だ。
その危険性と概要は、幼子の時に既に教わるレベルである。なのに、一世とアルエはそれを知らない。だからこそ、ネインは一世に聞く必要があった。
「ねぇ、兄貴達はいったい何処から来たんですか?」
「……さあね」
「いや、はぐらかさないで下さい。兄貴達は普通なら知ってる筈のアナンタの獣の事、全然知らないじゃないですか!」
「……」
ネインの言葉に、一世は言葉を詰まらせる。
その世界にはその世界の一般教養と言う物が存在するが、一世達はそれを知らぬまま、その部分に足を踏み入れていたのだ。故に、ネインに違和感を抱かれてしまっていた。
己の言動の迂闊さを恥じながら、一世は暫く考えた後、ネインに事の全てを話した。
「……兄貴達が、異世界の人間?」
「ああ、黙っていてすまないとは思ってる。けど、俺は何としてもあいつを……アルエを元の世界に帰してやりたいと思っているんだ」
一世の真摯な眼差しを、ネインは困惑しながらも見つめた。
あまりにも荒唐無稽な話だろう。だが、元の世界に戻る手段を探すという目的が明確化した事は、ネインにとって幸いだった。
「兄貴達の正体と目的は分かりました。取り敢えず、それは俺っちの胸の中にしまっておきますよ」
「そう言ってくれると、助かる」
「話を元に戻しますけど、兄貴達が元の世界に戻る手段を探すなら、古代遺跡や技術なんかに詳しい所に行くのがいいと思いますよ」
「それって、つまり?」
一世の問いかけに、ネインは地図のある一点を指差し、答えた。彼の指はノヴァ大陸から海を越えたもう一つの大陸、その中でも特に小さな国を指し示していた。
「古代技術によって発展を遂げてきた、世界最大の軍事力を誇る強国。スヴェントヴィト帝国です」
「強国……ねぇ」
その言葉を、一世はおうむ返しのように繰り返す。その表情はどこか訝しげだったが、向かうべき場所を定めるに越した事は無いと、彼はネインの提案通り、スヴェントヴィトへ向かう事を決めた。
「じゃあ、海路を通じてこの帝国に向かうのが当座の目的って事になるか」
「でも、その前にオルベイルの修理と路銀の確保、っすけどね」
「はぁー、コトはそう簡単に運んでくれない、ってか」
ネインが今後の展望から現状の問題点に話を切り替えると、一世はため息と共にがっくりと肩を落とした。




