09 犬の反撃
前回までのあらすじ:盾の王国に着いたがアリシアの受難はまだ続く
密入国に失敗しアリシアも奪われた俺たちは門をあとにした。
「ヴィクトールさん人気のないところに移りましょう」
ピークスの提案にのり、なお続く入国審査待ちの行列から離れた。
「このあたりでいいだろう」
ダガーが壁にもたれかかりずるずると腰をおろす。つられて俺もその場に座り込む。もう立てない立つ気力もない。このままではアリシアは売られてしまう。あのロジャーなら必ずやる。何とかして連れ戻したいが頭が回らない。
よほどひどい顔をしていたのだろう、ダガーが俺に声をかける。
「おい、そんな落ち込むなよ。別にお前のオンナってわけじゃないんだろ?」
「ほっといてくれ」
八つ当たりにダガーを睨みつける。
「おぉ、こわ。こりゃ相当キてるな」
「相当入れこんでますねぇ。いやぁ若い、若い」
何で和やかに笑ってられるんだよ!ていうか、お前らそんなに仲良かったか?
「からかってるわけじゃねぇ、気を悪くすんな。これも想定してたことだ」
「ロジャーならやりかねないと思っていましたが、まさか本当にアリーシアさんまで狙っていたなんて。真のゲス野郎ですねぇ」
どういうことなんだ?二人はこうなることを想定していたのか?
「で、どうだった?」
「このとうり」
ピークスは懐をまさぐると手帳を取り出す。これは門でロジャーが身分証明に使っていたやつか?ダガーはそれを受け取るとぱらぱらとめくる。
「ふぅん、三ツ星の市民か。使えるな」
「なぁ、いい加減説明してくれ。お前たちは何をした?アリシアは無事なのか?」
混乱して何から説明を求めたらいいのかわからない。
「アリシアさんはまだ無事とは断言できませんが、娼館に売られる可能性は低いです。順を追って説明しますので落ち着いて聞いてください」
ピークスは水を一口飲み一息ついた。
「ダガーさんとはロジャーと荷物運びの取引きをする前から、秘かに密入国の約束をしていました。ロジャーがそのまま密入国させるならそれでよし。裏切るなら協力して彼の身分証を盗む算段でいました」
ロジャーはピークスから鞄を盗んだことがある。あのときは相当腕に自信のある態度だった。よく隙をつけたものだ。
「ひとは無意識のうちに規則性のある行動をとります。考え方が頑ななひとほど、行動の先が読めますし、意図的に操ることもできます」
そういうものなのだろうか。これが噂に聞く心理学ってやつか?
「彼は筋金入りの差別主義者なようですねぇ、僕たちを犬もしくは奴隷として見ていました。犬は従順でなければならない、自分を出し抜くようなことはあってはならない、と。
そこで僕は彼の口からさらに差別的な言葉が出るように振舞っていました。彼は言えば言うほどその考えに染まっていきます。短い付き合いでしたが、しっかり暗示にかかってくれたようですねぇ。
人前で慎重な振る舞いができなくなっていましたから」
理屈はわかるが、実践できるほど効くものなんだろうか。
「それだけではありません、ダガーさんの存在も大きかったです。ダガーなんて名前、明らかにおかしいでしょ?そんなうさんくさい名前、盗賊に決まっている。
ロジャーもそう感じたようですねぇ、道中常にダガーさんを近づけさせないよう警戒していましたよ」
「盗みを生業にする奴はみんな背後をとられるのを嫌うからな。相手が盗賊ならなおさら警戒するさ」
「決して背を向けぬように、死角に入らせないようにしてましたねぇ。そしてダガーさんに注意が向くほど僕の行動は自由になる。ダガーさんがロジャーに詰めよっている間に、内ポケットからそれを抜き取りました」
ダガーがペラペラとめくっている手帳を指さす。
「自然に上着がめくれるように掴みかかるのがコツだ」
ダガーは顔を上げるとにんまりと笑う。だが、手帳が盗まれたとわかったらロジャーは怒るだろう。近くにいるアリシアが危ない。
「ダガーさんから聞いたのですが、盾の王国は麻薬が蔓延しており、各ギルドが連携して摘発にとりくんでいるそうです。王国内のいたるところに検問所があり、探知犬も導入しているとか。もし所持が見つかった場合直ちに拘束されます」
それは聞いたことがある。密輸が絶えないため所持だけで禁固刑、最悪死刑もあるとか。
「ロジャーには麻薬でできたアミュレットを渡しました。竜紋学会に売りつければ大金が手に入るという大嘘も添えて。
ダガーさんの存在もあって、今も盗まれまいと肌身離さず持ち歩いているでしょうねぇ。ちなみに、あれは水に触れると独特の甘い匂いがしますので、汗をかいたら匂いがうつって、犬を使わなくても発覚します」
なるほど、そこまで考えて対策を練っていたのか。しかし、心配は尽きない。
「大丈夫と胸を張ることはできねぇが、検問所はさっきの門をくぐって少し歩いたところにある。下手なことはできねぇよ。それより」
うんと伸びをすると、ダガーは立ち上がる。
「そろそろ俺たちもこいつで再チャレンジしようか!」
俺の鼻先に手帳を突き出すと、自信たっぷりにダガーは宣言した。
「この後のことはダガーさんにお任せしていいんですね?昨夜は作戦会議とスリの練習、今朝は重労働で僕はもうヘトヘトですよ」
やれやれという感じでピークスは重い腰を上げた。
◇
ロジャーとアリシアは門を抜け、検問所の列に並んでいた。
「おい、ぼさっと突っ立ってないで様子を見てこい!」
馬上から怒声が飛ぶ。アリシアは今後自分の身に降りかかる、おぞましい出来事を想像し恐怖と絶望で動けずにいた。
「聞こえねぇのか!走れ!」
ガンと頭を蹴られる。いっそ死んでしまいたい!涙は涸れはて、心も乾ききっていた。
「おい、そこ!おとなしく待っていろ!」
兵士とは装いが違う男が駆けよってくる。自警団に所属する男だ。
「いやぁ、お騒がせして申し訳ない。この奴隷が言いつけを守らないせいで」
男は不快の色を隠さず眉をしかめる。この国では奴隷という存在は公には禁止されている。しかし、実態は黙認とまではいかずも不問とされていた。しかも女性のエルフ、何に従事させるかは自ずとわかる。
「それにしても、お前から甘い匂いがするぞ」
ロジャーは服をつまんで体臭を確認する。
「俺たちがよく知っている匂いだ。おい!犬をかせ!」
男はロジャーの服をつかむと馬上から力任せに引きずり落した。懐にしまったアミュレットが地面に落ちる、駆け寄った犬があらん限りの声でロジャーを責め立てる。
「何をしやがる!オレはエドヴァルド三世だ!三ツ星、し、市民だぞ!」
ロジャーの非難に耳をかさず、男はアミュレットを拾い上げる。しかし、つまむ先から脆く崩れてゆく。
「これは、アヘンを固めて作ったやつだな。なるほど、紐にも染みこませてあるのか……」
「何かの間違いだ!ピークスという旅の学者からもらった!ドラゴニアンの司祭が身につけていた由緒あるものだ!竜紋学会に問い合わせばわかる!」
「奴隷売買に麻薬密輸。まだ裏がありそうだな。拘束する!じっくり話を聞かせてもらうぞ」
自警団員がふたり来てロジャーを取り押さえる。顎で合図するとロジャーは引きずられながら消えていった。
「エルフはどうしますか?犬は反応しています」
「念のために連れていけ、お嬢さん,これも仕事だ一緒に来てもらうぞ」
固まったままでいるアリシアを、男は努めて紳士的にエスコートした。
詰め所でアリシアは自警団の男と二人きりになった。ようやく悪夢から解放された。椅子に腰かけると緊張から解き放たれた、ほどなくして両膝が震えだす。
「いまお茶を持ってくる。温かいのがいいか?それとも冷たいのがいいか?」
「……どちらでも」
「じゃあ冷たいのにしよう。たくさん歩いたろう?」
男は優しく声をかけた。ささやかな気配りだったが、いまのアリシアには胸に深く染みわたった。この人なら信じられる、そんな不思議な気持ちがわいてきた。
いままでのことを、ゆっくりとその男に伝えた。男はアリシアを急き立てることなく、辛抱強く、紡ぐ言葉の一つ一つを解きほぐしていった。
「なるほど、あの男、ロジャー……おそらく偽名だが、そいつは殺人も犯しているのか」
柔和だった男の顔が一転厳しくなる。背後でノックする音があり、男はそちらへ駆け寄った。ぼそぼそと聞き取れないほどの声で相談をしている。
扉が閉まり、男は深いため息を一つつくと、アリシアのもとへ戻り言い出しにくそうに口を開く。
「私は今年で40になる。妻と結婚して今年で10年だ。子どもにも恵まれ3人ともすくすく育ってくれている」
何が言いたいのだろう、真意はつかめない。
「家では良識ある良き夫で、良き父で、善良な市民でいる、どうかそれだけは信じてほしい」
この前置きは何か。
「女性の団員がいないか近くの支部にも問い合わせたが、どこも手一杯で割けないという返事が来た」
「通常ならば女性がやるべきだが、人手が足りないんだ」
「いまから身体検査を行う!身につけているものをすべてこのカゴの中に入れろ!」
アリシアは絶句した。
◇
あかん……Rの足音がここまできてる……