あなた誰なの?
人工子宮の中を満たす真っ暗な培養液。その中で蠢く胎児の姿はなんとも不気味で神秘的……そして愛おしい。
「だいぶ大きくなったでしょ」
人工子宮内を映すモニター画面に見とれていた私に、背後から声をかけてきたのは、中学時代からの友達である法子。
法子は、大手製薬会社に勤めていたが、新薬の特許を巡って会社と争いになり裁判沙汰にまでなった。
その裁判で法子の弁護を引き受けているのが私というわけだ。
「明日には培養液から出せるまでに成長するわ。でも、英子。本当にこれでいいの?」
「いいって、なにが?」
「あなたの受精卵は、たった二週間で新生児にまで成長したわ。もうデータは十分にとれたのよ。ここで成長を止めないと……」
「だめよ。二十歳の肉体になるまで息子を成長させて」
「どうして?」
「私、子育てに手を患わせたくないのよ」
「じゃあせめて四歳か五歳ぐらいにしたら? 子供ってそのぐらいが一番可愛いわよ」
「法子。あんたとは付き合い長いけど、私のこと分かってないわね」
「どういう事?」
「私、子供って嫌いなのよ」
「でも……そう言ってる人でも、本当に子供ができたら考え変わるものよ」
「私にその可能性はないわ。むしろ児童虐待で子供を死なせる可能性の方が大きいわよ」
「そこまで言うならやるけど……二十歳だったら、あんたの若い旦那と二つしか違わないじゃない。どうなっても責任取らないよ」
別に責任など取らなくてもいい。
私の目的はあなたが考えているのとは違うのよ。
あなたに渡した受精卵。
実はその細胞核に入っているのは、夫のDNAなの。
つまりこの胎児は夫のクローン。
私が欲しかったのは私達の子供ではなく、成人した夫の新しい肉体……いや、別に今の夫に不満があるわけではない。
ただ、彼は結婚前から多額の借金を抱えていた。私の稼ぎだけでは、とても返せる額ではない。そんな折りに、法子の開発した新薬の事を耳にした。
IPS細胞で作られた臓器が患者に移植できる状態に育つまで、現在では一年近く待たされる。しかし、彼女の開発した成長促進薬を用いれば、心臓でも肝臓でも数日でできあがる。
さらに、これを胎児に投与すれば、半月で新生児が生まれるため現在の人工子宮不足は一気に解消されるのだ。
だが、私はこの時、もう一つの使い道を思い付いた。もちろん、クソ真面目な法子なら思い付いても絶対にやらないだろう。
だから私は裁判を有利にするために必要だと法子を説き伏せて、私の提供した受精卵に薬を投与させたのだ。そして受精卵は翌日には胎児となり、半月後には新生児となり人工子宮から出てきた。だが、私はその後も薬の投与を続けさせた。
このままいけば一ヶ月後にクローンは成人となる。成人したといっても、どうせ、頭は空っぽのはず。人間としては全く役に立たないが、私の目的にはそれで十分。
そして、一ヶ月後、法子から連絡がきた。
『子供は成人に成長したわ』
「そう。ご苦労様」
『言う事はそれだけ?』
電話の向こうから聞こえる法子の声は微かに怒気が含まれていた。
どうしたんだろう? まさか!? 私の企みに気が付いた?
「どうしたの? なんか怒ってるみたいだけど」
『英子。あんた、あの受精卵をどこで手に入れたのよ?』
「どこでって……」
『あの子はあなた達二人の子じゃない。あなたの夫のクローンよ』
そのことか。
『どういうつもり? クローンを作る事は犯罪よ』
「それは……」
『言っとくけどDNA鑑定は済ませたわ』
「黙ってて悪かったわ。正直に言ったら協力してくれないと思って」
『当り前よ。なんでこんな事を……』
ここは法子の同情心を利用するしかないか。
「あなたには分からないでしょうね」
『何が?』
「子供を産めない女の悲しみなんて」
『え? そうだったの?』
「二人の子が無理なら、せめてあの人の子供だけでも」
『そうだったの。でも、同情はするけど、これは犯罪よ』
「大丈夫。私は法律のプロよ。抜け穴はちゃんと考えてあるわ」
『抜け穴?』
「禁止されているのは、卵細胞に細胞核を入れる行為よね」
『そうよ』
「でも、すでにクローンの処置を済ませた卵細胞を育てる事は禁止されていないわ」
『だからあ、処置をした時点でアウトだって』
「日本国内で処置をすればね。でも、クローンを禁止していない国で処置した場合、日本の国内法では裁けないのよ」
『え? そうなの? でも……いくら法律上問題なくても人として許されることかな』
「じゃあその子はどうするの? あんたが処分する?」
『それは……できないわ』
「でしょ。それじゃあ明日、夫が迎えに行くから、その子を引き渡してね」
そして翌日。
「じゃあ、行って来くるよ」
子供を受け取りに出ようとしている夫の顔にはどこか不安の色が拭えていない。
夫がこれからやろうとしている事を考えると無理もないことだ。
「大丈夫? 私も一緒に行こうか?」
「大丈夫だよ。それに俺一人でいかないと意味がないだろう」
そう言って夫は車で出かけていく。
その翌日、警察から電話がかかってきた。
軽井沢にある私の所有する別荘が燃えて焼死体が発見されたというのだ。
DNA鑑定によってその死体が夫である事が判明した夜の事……
「なんでこんな時に帰ってくるのよ!?」
夜中に突然チャイムが鳴り、扉を開けるとそこに夫が立っていた。もちろん幽霊であるはずはない。
なぜなら、夫は死んでいないのだから。私は慌てて家の中に夫を引きずり込み、扉を閉めた。誰かに見られたら大変だ。
「何でって、言われてもなあ。ここしか帰るところがないし……」
「あなたは、もう死んだ事になっているのよ。誰かに見られたらどうするの? 保険金が入ったら整形手術で顔を変えてから、帰ってくることになっていたでしょう」
「そうなってたのか?」
だめだ。夫は頭でもぶつけたのだろうか?
不意に電話の呼び出し音が鳴り響く。出てみると相手は法子だった。
夫が死んだことをニュースで知って電話をしてきたらしい。
『……でも、結果的によかったわね。これから幼子を育てていたんでは大変だったわ。やはりあの子は一気に成長させてよかったのよ』
「ああ……そのことだけど、あの子はやはり処分しようと思うの」
『何言ってるの? 今さら、そんな事できるわけないでしょ。第一、ここまで成長してからそんな事したら殺人罪よ。それは、あなたの方がよく分かっているはずじゃない』
もちろん知ってる。
まあ、どっちにしてもすでに処分はしてしまったけど、ここで法子に事実を言うわけにはいかない。
「でもさ。私も考えたんだけど、二十年分を一気に成長させても頭の中はまったくの空白でしょ。これじゃあ生きていても意味が……」
『なあんだ、そんな事心配していたの。大丈夫よ。ちゃんと対策は立てておいたわ』
え? 対策?
『あの子が人工子宮から出た後も、一か月間あたしはあなたの子にホルモン投与や電気刺激で筋肉を付けさせたのよ』
「え? でも、頭は空っぽじゃ」
『仮想空間で二十年分の経験をさせてあるわ。あなたの夫に引き合わせた時には完璧な大人になっていたわよ。まだ、会ってなかったの?』
「え?」
『まさかあの子も、あなたの夫と一緒に別荘で火事に巻き込まれたんじゃ……』
その先は耳に入らなかった。私はそっと受話器を置いて振り返る。
「あなた誰なの!?」
ソファーでくつろいでいる夫は……いや、夫にそっくりな男は、私の問いかけに対して答えず、ただ嘲るような笑みを私に向けていた。
了