―347―Natural Crack
───報告
氷刀の少女(本名:裁万江 理華)について。
氷刀の少女(以下、「対象」)と昨日、学校教員の職務の一環としての接触の際、特筆すべき事柄があったため定期報告に追記する。
対象が先日、P4との交戦の結果として異能社会での知名度が向上したことによる軽い面談を行った。そこで対象は、「NC」についての疑問を投げ掛けてきた。最近まで裏社会の情報に明るくなかった彼女が急に辿り着いたとは考えにくい。裏社会の情報に詳しい何者かが、対象に情報を与えた可能性がある。本件に関して調査が必要であれば、追って任務を下されたし。
また、対象と要注意団体「結社」との接触がほぼ確定事項となった件についてだが、こちらは前回報告と同様、観察を続けていく。
───第13席 ブレイカー より
「······くぁ」
報告書を送信し、欠伸をする。
教員の職務に加えて、NCの任務をこなすのはかなりハードワークだが、仕方ない。今から職を変えるにもそんな余裕は遠に消えた。
椅子に体重を投げながら、カレンダーを仰ぎ見る。
二月二十日。もう、終焉へのカウントダウンは一年を切った。計画を早急に進めなくてはならない。
瞼を閉じ、浮かぶのはいつだって暗闇だけ。
三十年生きたって、己が死ぬのは怖い。できることならばどこまでも先延ばしにしたいと思うのは当然だ。超能力者だけの新しい世界を創り、そこで新しく生活する、なんて眉唾な話に縋りたくなるくらいには。
いや、眉唾でもなかったのだ。確かに、あの人の考えた計画は筋が通っていた。けれども今はパーツが足りない。
「化呼の野郎······」
この計画の要のひとつはヤツだった。
それが十年前に姿を消してやっと見つかったと思ったら今度は俺達と敵対しているときた。何がしたいんだか訳がわからない。ヤツは死にたいのか? 全人類巻き添えにして?
自殺なら一人で勝手にすればいい。まあ、それが巻き添えに繋がるわけだが。
誰よりも生にしがみついている男だと思っていた。
······いや。
結局、俺がそう思いたかっただけなのかもしれない。
何年人間やっても、人間のことなんてわかりゃしないのだから。
黒い仮面に手を伸ばす。
これは特別製。感情を殺し、個性を殺し、誰だって殺人マシーンになれる仮面。難点は、これをつけると白髪になることだけど、外せば治るし真っ黒な仮面をつけているだけで目立つからあまり意味がない。顔面に張り付くような密着感が気持ち悪い。
大太刀に手を伸ばす。
俺の超能力の触媒。持ち運ぶだけで疲れるし、振り回すと体が持っていかれそうになる。間合いしか利点がない。けれどその利点が俺の超能力を最大限活かす。結局は脳のスペックの問題だった。俺は第六感を、この半径2メートルにも満たない間合いでしか意識できない。この刃の長さは、俺の無力の象徴だ。
「······行くか。」
全く。いつものことながら嫌になる。
いくら市民の武装権があると言っても刃渡り70センチ以上は違法だし、何より重たい。
けれどそんなものよりも酷く、酷く強固な理性が俺の体を動かす。
巷で噂の異能狩りとやらが、ただの教師だって知ったらなんて思うだろうか。
電気と回線を借りた家の窓から飛び降りる。こうやって足がつかないように立ち回るのは犯罪行為をしている自覚があるから。
どうせあと一年で、人類の数は0か300万人になる。こんな犯罪なんて、いちいち気にしてても意味ないか。
「───よおブレイカー。元気だったか?」
着地したところで、背後からの声に振り返った。
「それとも、偽名の方で呼んだ方が良かったか?」
月光を背後に。
白衣を着た男が立っていた。
「······久しぶりだな。裏切り者が処刑役に挨拶とは余裕だな。」
振り向きながら、大太刀を抜く。
心臓が早鐘のように胸を揺らす。
「だって、お前らに俺は殺せないだろ?」
舐めきった口調で、痛いところを突く。
本当にその通り。ヤツを殺したら、計画が遂行できない。
「じゃあなんだ。おちょくりに来たのか。」
「ああうん。その通り。」
カチンと来て空いてる左手で拳を握り、化呼の目の前に飛び出す。
失策だと気付いたのは拳が化呼の顔面から五センチほどの距離まで近付いたところ。
何もなかったはずの空中から、大量のペイント弾が落ちてくる。数にして目算で10······20······いや40。化呼はにやけ顔で一歩二歩と後ろへ下がる。
結果、全身赤いペイントまみれ。こんなの黒ずくめよりずっと目立つ。
「くっくっくっ······あー可笑しい。落とし穴と同レベルの罠だぞ今の。」
口許を手の甲で隠しながら化呼が笑う。本当におちょくりに来たようだ。もう既に任務ほっぽり出して帰りたい。帰ってシャワー浴びたい。
今のからくりは、ヤツの能力によって空間に隠されたペイント弾が俺の能力の有効射程に入ったが為に解除されたのだろう。
「お前寝ないから面倒臭いよなぁー」
パシュパシュと消音機で減衰された発砲音と共にペイント弾が打ち出される。もうここまで来ると誤差なので甘んじて受ける。
ペイントが隙間に入り込んで気持ち悪くなり、仮面を外す。既に大分振り切れてきた感情がさらに昂る。
「ふざっけんなよお前なァ!」
「うおっ急にキレた。」
そりゃあ仮面で感情を抑制していたのだから跳ね返りがあるに決まってる。ここで三発ほどぶん殴らないと気が済まない。
「お前本当にいい加減にしろよこっちは普段から本業副業含めてストレス溜めまくってんだよ。」
「本業ってどっちだ?っていうか教師って副業禁止だろ。」
「今更そんなことで。」
「止まれないってか?」
もういっそここで斬り殺してやろうかと思った。
でも誠に残念なことに、我々の希望は彼が握っている。
「いい加減本題を言ったらどうだ。」
「ったく。せっかちなのは変わんねぇな。」
夜詩斗は三歩後方へ歩き。
「まあいい。······捕まってくれや、異能狩り。」
右手を頭上に掲げて指を鳴らした。
「───ッ!」
それは彼の能力の自発的解除の合図。
嘘のベールを剥がす、魔術師の行程だ。
何が来る?
前後左右八方へと意識を広げる。何が起こってもおかしくはない。
「───上よ!」
上空───おそらくは数メートルの落下だろうか。声につられて上を見た俺の顔面に、突然現れた女の踵落としが炸裂した。
丁度先程のペイント弾のように。おそらくは空中に隠されていたのだろう。それも俺の能力の有効範囲よりも高い位置。
脳が揺れて、視界に星が瞬く。その一瞬の隙で足払いから右膝の関節に固め技を食らう。
「よし秋!そのまま折れ!」
「指図すんな中二病!」
ギリギリと膝が嫌な方向に軋む。
「ぐあぁ!!!」
マジで折りやがったこの女!どんな筋力してやがる!!
「悪いわね、アンタみたいな男好みじゃないの。」
「お前の好みはそもそも男じゃねぇだろ」
「うるっさいな言ってみたかっただけだっての!」
化呼と言い合いをしながら痛みで怯む俺の左足も同様に折られる。脚の温度がサッと冷えたと思ったら激痛が脳を刺激する。
「あーあ。ペイントだらけ。夜詩斗、あんた今度弁償しなさいよ。」
「クソッ!!この怪力女!!」
我ながら暴言のボキャブラリーが幼稚だ。というか痛みでそれどころではない。本当に痛い。尋常じゃなく痛い。
「無駄口叩いてないでさっさと連れてくぞ。」
「アンタも手伝いなさいよ。」
「わーかってるって。」
首筋に痛みを感じる。
生ぬるい何かの液体が、血管に流れ込んできた。
その液体が体に浸透するのを温感が告げていた。
そして、俺の意識は眠るでもなく、無理矢理奪われた。