NC
家に帰ると、本当に夜詩斗さんの言った通りになっていた。
私が日暮れまで外出していたのはなかったことになり、それとなく皆に確認しても誰も私が夜の8時前に帰宅したことなんて知らない。
驚くべきは、普段は夕食前に終わらせている予習がノートにしてあったこと。しかもちゃんと、予習した場合につく知識が私の頭にはあって、翌日の授業は問題なかった。
そのせいで一日中上の空だったのだが、1つ仮説を立てた。
夜詩斗さんの超能力は、現実干渉の類いなのではないだろうか。今回、私の家の皆が「私は昼過ぎに鎌田さんと帰宅した」という認識をしていたのも、現実をそのように書き換えたから。彼のペイント弾で相手を眠らせる能力は、おそらくはダミーと実用を兼ねたものだろう。私の刀を抜けなくしたのも、きっとその能力由来だろう。
もしもこれが当たっていたなら、強すぎやしないだろうか。ちょっと不公平だ。超能力は個人個人で全くと言って良いほどに別々の現象を引き起こす。その場合のデメリットや発動条件なんかもまちまちだ。つまり個人の体質のようなものだから仕方ない。そもそも持っているというだけで特別なのだから高望みは止そう。
ちなみに私の場合、発動条件は己の射程を理解できる武器に触れること、デメリットは使えば使うほど何故か私の体が冷えていくこと。先の学校で化物を丸ごと凍らせたときと同程度の規模で、風邪を引くかも、くらいの物なので小規模なら涼しい程度である。デメリットとしては軽い方だろう。まあ何をデメリットとするかは本人次第。私の場合、体が冷えるのは特に生理の時期が辛い。結構切実ではある。
「ここは裁万江。答えは?」
「えっ······っと」
教師の指名で一気に現実に引き戻される。
電子黒板に表示されている文章の穴埋めだ。ええと、今日の範囲は盲導犬の話で······いや違う、これは接続詞を問うている場所だから············
「However、です、よね?」
「はい正解。考え事も程々にな。」
「······すみません。」
今教壇に立っているのは、英語教師の名桐先生。このクラスの担任。噂によると、彼も超能力者らしい。ただ、そういう噂が生徒の間で流れているだけ。っていうか変わり者を超能力者だのなんだのと弄る傾向が一部の生徒にあるのでそういう噂は結構いろんな人にあったりもする。
それでも私は、この噂は正解なのではと思っている。
私達超能力者には、確実に1つだけ共通点がある。そしてそれが共通点だと何故か知っている。それはこの世界が一年後に終わるということ。予感なのか予知なのか。己の寿命を確実に突き付けられている感覚。いつも頭のどこかにあって、ふとしたときに意識して気が狂いそうになる。
私はお父さんや家の人の影響で、人生に向き合っている人間がわかる。何となくだけど、自分の死を意識して、覚悟を捧げる人間の眼がわかる。友達にはそういう人は全然いないけど、家の人で長い人はそういう人がいる。鎌田さんもそうだ。そして、結社の皆もそうだ。どうやら超能力者というのは、否が応にも自分の死を直視せざるを得ないから、向き合うことになるらしい。
名桐先生も、同じ眼をしている。
もしかしたら超能力者じゃないかもしれない。
けれども死を意識して、何かに覚悟を捧げている。そういう人間は、現代には珍しい。そんな人が教師をやっているのは何だか変な気もするけど。
「ボーッとしてるなんて珍しいね、理華。」
「······ああ。どうかしましたか?美弥。」
廣川美弥、私の友達が私の机の横にやってくる。
ちなみに、夜詩斗さんに撃たれて眠った友達だ。
「いや、特に用はないんだけど。」
「そうですか。」
「いや用がない訳じゃないんなけど。」
「何なんですか。」
「······宿題写させてください」
「駄目です。自分でやってください。」
「そこをなんとか!」
「あ、美弥、後ろ。」
手を合わせて私に拝み倒す美弥の後ろに、名桐先生が立っている。そして、分厚い手帳をぱこんと美弥の頭に振り下ろした。
「ぎゃっ」
「廣川、宿題は自分でやるように。お前は毎度、裁万江に頼りすぎ。」
「はい······すみません······。」
美弥を叱った後、先生は私の方を向く。
「そうだ裁万江、少し話があるから昼休み、英語教員室に来てくれないか? 忙しければ後日で良いけど。」
「いえ大丈夫です。向かいますね。」
「頼んだ。」
······そういえば夜詩斗さんと名桐先生、雰囲気が似てるな。なんて。
名桐先生はそのまま教室を出ていった。
「何の話だろうね?」
「······多分、この間の事件の。」
「あー。有名人は大変だ。」
実は、この前の学校襲撃事件のとき、私の戦闘は一部の正気を保った生徒に目撃されていて、噂が噂を呼んであの怪物は私が倒したことになってしまっている。超能力者であることまでは広まっていないようだが。廊下を歩くと奇異の目が痛い。
そして昼休み。
私は英語科教員室へ向かう。
戸に、ノックを3回。
「······どうぞ。」
「失礼します。」
今の時間、教員室には名桐先生しか居ないようだった。部屋の奥の方で一人、書類がパソコンを取り囲む机の席に座っている。
「ああ、来たか。呼びつけてすまない。」
「いえ。それで、お話というのは?」
「······まあ単刀直入に。裁万江、超能力者だろう。お前。」
一瞬、嫌な汗が額に滲む。
けれどなんというか、隠す必要はないように思えた。
「······ええ。はい。······そうです。隠してましたけど。」
「やっぱり。」
「それで、何か?」
「こっちの噂でね。日本刀を持って学校を襲った邪神を屠った女子高生がいる、なんて話が。氷の能力者であったから氷刀の少女なんて呼ばれてたり。裁万江のことだろ?」
まさか先生の耳にまで入ってしまっていたとは。その通り名、むず痒くてあまり呼ばれ慣れていない。っていうか話が少し大きくなってない?倒したのは私ではなくてラムさんの爆弾なんだけど。
······こっち?
「つかぬことをお伺いしますが。」
「どうぞ?」
「先生も、超能力者なんですか?」
名桐先生は、ため息をつきながら立ち上がった。
「······そんな噂も生徒にされてる。」
「そうですね。たまに聞きます。」
「俺の能力は、目に見えるものじゃないんだけどね。」
今の返答で、この人は超能力者で確定した。
「お前のことだから信用してるが、言いふらすなよ。」
「大丈夫です。」
「ああそうだ、超能力者ってことでひとつ。」
「何でしょう?」
ここに来て真面目に、先生は言う。多分、これが本題だったんだろう。
「妙な団体に声をかけられたりしてないか?」
ドキッとした。心臓が強く跳ねたとも言う。
結社のことが頭に浮かぶ。妙な団体と言えば妙な団体だ。
「いえ。特には。」
口から否定の言葉が出る。
つい、嘘をついてしまった。でも説明のしようがない。法的には秘密裏にであるが許されていることでも、普通に人の生死が関わっているのだから。学校教師が許容するべきことではない。
「そうか。ならよかった。結構キナ臭い話が多いから。うちの生徒から何かあったら大変だしな。」
罪悪感がじわりと心に染みる。
それはこの教師が心から安心したように笑ったせいでもある。
やっぱ夜詩斗さんに似てるのは勘違いかもしれない。あの人の笑顔はどっちかと言えば笑うというより嗤う方が多いので。怖い。
「あの、ところで先生、NCってご存知ですか?」
数秒だけ沈黙が木霊した。窓の外から聞こえる生徒の声が、今の時間帯を強調する。それは昼間だったからだろうか。それとも、窓からの逆光で沈黙の間、先生の表情が見えなかったからだろうか。
「············さあ。初めて聞いた。」
その咎めるような声を聞いて、私は先程、脳内で勘違いと一蹴したものを、訂正した。
「······いえ、失礼しました。忘れてください。」
そのとき背後の戸から別の英語教師が入ってきて、名桐先生を昼食に誘った。名桐先生は少し気怠そうに、先に行っていて下さい、とだけ答えて手元のプリントを集め始めた。
「それじゃあ、私も昼食があるので、失礼します。」
「ああ。廣川にも課題ちゃんとやれって言っておいてくれ。」
初老の英語教師の横を会釈をしながら通り、廊下に出る。
あの沈黙の間に感じたのは、紛れもなく。