―349―Coffee and Cigarettes
最寄り駅から徒歩15分。住宅街を少し進んで、入り組んだ路地のこれまた少し奥。
注意して歩くと、そこに小さな喫茶店がある。
「Hello!」
そろそろかと思ってたら、騒がしいのがやって来た。
「ラム君いらっしゃい。」
「残念だったな。一番乗りは俺だ。」
「えぇー。」
勢い良くドアを開けた茶髪の少年の前に、もう既に白衣を着た男がカウンター席に座っている。
「ラム君、朝食はいつもので?」
「よろしく!」
彼の好物はクロックムッシュに卵とベーコンを挟んだものだ。うん、これは私も好きだから後で食べよう。
「夜詩斗は何か食べる?」
「珈琲でいい。」
そして彼は基本的に朝食を摂らない。健康に悪いなぁ。
「ところで、あれ何だと思う?」
二番乗りの、最近来るようになった女の子と初めて見る男性の二人組のテーブルを見る。かたや日本刀を所持した女子高生。今日は休日で私服だ。かたやガタイが良く、色付きメガネをかけた男性。腰ベルトの見えるところに短刀を提げているけど、多分本当にあれは見せるだけの役割なんだろう。常に周囲への警戒を怠らぬよう、視線が時折一瞬だけ様々な方向を向く。
「お嬢と世話係。」
「っぽいよね。」
あの女の子はこの辺じゃちょっとした有名人だ。学校を襲ったテロリストとの戦いで派手な氷山を拵えたからじゃない。この辺りを拠点とするヤクザの一人娘だからだ。まあそれは花の女子高生にとってはコンプレックスになってるかもしれないから、変に触れることもないけど。
「まあ少なくとも逢い引きではないよね。」
「逢い引きて······その辺の鑑識眼は任せる。」
「歳近そうだよね。brotherとか?」
「ラム、人の話聞いてないな。」
「ちょっと僕話してくる!」
若者の元気さはこういうとき羨ましい。ここまでのはラム君だけかもしれないけど。お嬢と顔見知りとはいえ普通、初対面のヤクザのお兄さんに話しかけに行こうって勇気はなかなかのものではないか。将来大物になるぞこれは。
「大物っていうか、アホなだけだろアレは。」
「思考読まないでよ夜詩斗。」
「口に出てたぞ。」
そいつは失礼。
カウンターから一番離れた席となると、いくらマッチ箱のような店内でも会話の内容は聞きにくい。ラム君が何やらわちゃわちゃと会話を振り、理華くんを通して会話をしているようだ。
ちなみにそれを眺めながら、ラム君の注文したクロックムッシュは完成した。皿に盛って、暇なのでプチトマトを飾り付ける。半分に切ってあるとこう、可愛いよね。
「おい、ラムが引き連れてきたぞ。」
言われて顔を上げると、ラム君が件の男性と理華くんをカウンター席まで引っ張ってきた。
「ここまでいくと末恐ろしいね······」
「リュータ!連れて来た!」
「お帰り。注文の品はできてるよ。」
「やった、いただきます!」
「えと、連れてこられちゃいました······」
クロックムッシュにナイフを差し込むラム君の横で、理科くんがぎこちなく笑う。その後ろで、ガタイの良い男性が頭を下げた。
「初めまして。お嬢がお世話になってます。」
「ええと、うちの部屋住みの、鎌田さんです。」
「ああ、これはご丁寧に。私も挨拶が遅れましたが、このカフェの店主をやってる名和です。よろしく。」
快活そうな彼に、笑って返す。ヤクザって基本、敵に回さなきゃいい人が多いもんね。
「お強いと聞いていますから、お嬢をよろしくお願いしますね。最近、異能狩りとか物騒ですから。」
「ちょっと鎌田さん······」
やっぱり身内がいるとやり辛さがあるのか、理華くんは居心地が悪そうにしてる。心情は三者面談のそれかもしれない。
「もしかして、貴方も超能力を?」
なんとなく勘を働かせて、というよりはそっちの方が面白そうだと、要するに思い付きで話題を投げる。
「ええ、はい。といっても、できることはシンプルなんですけどね。この能力のお陰で、お嬢の世話係も任せられたんです。」
一瞬、随分と優しい顔をした。すぐにパッと笑顔に戻って
「ああそうだ、何かオススメありますか?それを俺とお嬢の二人分お願いします。」
なんて話を逸らされたけど。どうやら理華くんは保護者に恵まれているらしい。善きかな善きかな。大方、理華くんが超能力持ちだということを知ったご両親が同じく超能力を持つ若者に世話兼護衛を任せたんだろう。これで一本、お話が書けそうだ。
「じゃあ、できたら持っていくので、席で待っててください。」
オススメか。多分朝御飯は食べてきてるだろうしおやつ程度のものにしようかな。秋が作ったショートケーキと珈琲のセットでも出そうか。それなら大した時間もかけずに出すことができる。考えながら手を動かして、サイフォンの下のバーナーにマッチで火をつける。
「夜詩斗、彼のこと何か知ってる?」
二人が席に戻ったのを確認し、多少声を抑えて言う。恥ずかしながら、裏社会の情報は自分よりも夜詩斗や秋の方が詳しい。結社も、二人が居なければ作れなかった。否、作らなかったくらいだ。
「······まあ、昔の有名人だ。よくあるならず者の一人だったのが、ヤクザに拾われたんだろ。」
少しだけ、耳に挟んだ記憶がある。
この街に来たばかりの頃、敵に回してはいけない集団や個人のリストに入っていた気がする。ある人物にボロ負けしてから大人しくなったとかなんとか。
「人って変わるもんだねぇ。」
「まあ、生きてりゃいくらでも変わるだろうよ。」
優秀な能力を持つなら、人様のお抱えでなければ是非スカウトしたかった。いや、そこんちの一人娘を引き入れてしまった後に言っても白々しいんだけどね?
「面識、あったりするの?」
「昔のことだ。」
夜詩斗はあまり昔のことを話さない。彼が死にかけていたところを拾ってからもう十年は経つんだけど。なんというか、信用無いなぁ。
そういえばその頃から彼は白衣を着ていた気がする。以前は医者とかやっていたらしく、この格好は戦闘服みたいなものだそうだ。
「あ、珈琲のお代わり、いる?」
「頼む。」
空になったカップに、追加で珈琲を注いだ。そうこうしているうちに、もう片方の珈琲も準備ができた。冷蔵庫からショートケーキを取り出す。苺の旬が来たとかで、赤い粒はつやつやと美味しそうにシンボルをこなしてる。
「ちょっとカウンター外すね。」
丸いお盆に二人分のケーキと珈琲を乗せて、シュガーポットとミルクビッチャーも持って行く。
「お待たせしました。初めてなのでシンプルに、ケーキセットです。」
テーブルの上に置くと、カチャ、と小さな陶器の音が立つ。
静かな店内だ。あえてそうしているというのもあるが。
「おお。美味しそうですね。」
「············。」
目を輝かせる鎌田さんの正面に座る理華くんは不貞腐れてる。もしかしたら、彼女にとってここは珍しく保護者に把握されていない行き先だったのかもしれない。何処に行こうにも行き先を把握されて場合によっては物陰に見張りが······なんてのは少し過保護かもしれないけど、今の治安じゃそこまでやるのも無理のある話じゃない。小さな街とはいえそこをシマとしている組への交渉材料になるし、超能力者はそうだというだけであらゆる意味で価値になる。ましてや年若い女の子だ。良からぬ事を企む輩にとっては彼女の身柄はどこをとっても、といった感じ。
これは、美琉を連れて来るべきだったかも。あ、美琉っていうのは私の妹で結社における治癒系の超能力者。歳は丁度、理華くんの一つ下。歳が近い同性の相手ということもあって、話しやすいだろうし気も紛れるんじゃなかろうか。
「珈琲も美味しいです。何かこだわりはあるんですか?」
「それは······企業機密ということで。」
鎌田さんの問いに、唇に指を人差し指を添えて返す。
「うーん、残念です。お嬢もよく飲むので何かコツがあれば、と思ったのですが。」
「珈琲くらい自分で淹れるってば。」
「勉強中の差し入れくらいさせてくださいよ。」
彼女、家ではちょっと反抗期なのかな。······もし美琉に反抗期が来たらどうしよう。私、泣くかもしれない。
「ごゆっくりどうぞ。」
カウンターに戻り、一度椅子に座る。壁掛け時計はまだ10時過ぎ。今日は少し厄介な来客があるから、今のうちに心を休めておこう。
「ところで夜詩斗。」
「ん?」
「昨日の戦闘跡の処理しておいたけど、後のことは秋に任せて良い?」
「······。」
「私の能力は復元向きだけど工作には向いてないんだよ。」
「わーかってるよ。」
やれやれ。っていうか何で秋と夜詩斗はこんなに仲が悪いんだろうか。気付いたらああなっていたっていう気がするんだけど。もう面倒くさいから新しい工作班をどうにか······まあ、人材が見付かってれば苦労はしてないんだけどさ。
「ところでそうだ。理華くんはどう?」
「ああ······なんというか、純粋な戦闘向きって意味では結社に今までなかったタイプだ。最初は氷を作る能力って聞いて、怪我人の応急手当とか崩れそうな物を支えたりとかそういった支援系を考えていたんだがな。」
「確かに。できれば便利そうだね。」
「その辺りは今後の訓練でどうなるかってところだ。あとはそうだな。意外なほどに戦い慣れてたよ。実戦経験、実は結構ありそうだ。とはいえ、本人はそんなに強くないけどな。」
「手厳しい」
「多分、一般人との戦いしか経験がないんだろう。相手の超能力を探る動きがなかった。」
「そこは経験だよね。」
「まあな。あと真面目っていうか素直っていうか。コロッと騙されそうで心配だよ。」
「それこそお家が許さないでしょうに。」
「······だな。」
ああ、久しぶりに平和だ。いや、いつもが物騒だという訳ではないし、外も異能狩りだのでままならないが、今この時間は平和だ。嵐の前の静けさ、と言うにはできすぎな気がする程に。
珈琲を一杯啜ると、店のドアが開いた。
「やあ久しぶり。おや、月の魔術師くんは昨日ぶりかな。」
「げ。」
······ため息ごと、珈琲を飲み込む。
「いらっしゃい。待ってたよ。」
厄介な来客だ。私も夜詩斗も、この麗人には良い思い出がない。しかし数少ない味方だ。実力も確かだし。
「約束には随分早いけど、今日はゆっくり過ごそうと思ってね。」
これにて幕間は御仕舞い。
よくある非日常の始まりだ。