風魔/魔女のカヴン
「死ね······!」
機械を通した叫びと共に空気の塊が土を巻き込み視覚化されながら襲い掛かってくる。
氷の盾はいとも簡単に砕け、私の体もろとも吹き飛ばす。風そのものに殺傷能力は無いけど巻き上げられた石や砂、木々は肌を裂き視界を奪う。そして何より、暴風によって飛ばされた私自身の高さが凶器となる。
(受け身を───)
と思ったが、身体が安定しない。渦巻いた気流は常に私にランダムな回転を与える。
「理華!巨大な氷を作れ!」
風の向こうで叫ぶ夜詩斗さんの真意はすぐに察した。そんなことで良いなら、まあ、加減はできないけど······!
私の異能は氷を生成、操作する能力。範囲は武器の間合い。だが、その範囲内に巨大な氷を生成する分にはなんら問題はない。むしろ、制御をやめればそれは簡単に成る。
「行きますよ、豹鬼名無!」
名無とは、刀に刻まれた刀鍛冶の名前が掠れているから。豹は氷に通じ、鬼は斬に通じる。思わず叫んでしまったけど、名前を呼ぶ、というのはひとつの力があるらしい。刀から、冷気が吹き出るような気がした。
バキバキと木々が折れる音が聞こえる。
肥大化した氷塊は空中に足場を作る。丁度、私と夜詩斗さんが上に乗っかれるくらい。でもまだ強風にあおられる程度の質量。もっと重く。もっと大きく。氷塊に刀を突き刺し、ちょうどついこの間、学校を襲った化物を凍らせたときと同じ出力で氷を広げていく。
体感にして、幅と高さ十メートルくらいの歪な六角柱。これでようやく、風に押されることなく、氷は落下を始めた。
数秒もせずに大きな振動を感じる。地面についたのだろう。
「あーあー、潰れてない、よな?」
夜詩斗さんが砂埃を払いながら地面に目を凝らす。風やら落下の衝撃やらで舞い上がった土やら葉っぱやらで煙ったくて視界がハッキリしない。
「念のため、もう少し広げておきますか?」
氷から刀を抜いて、姿勢を直す。
「いや、多分───」
夜詩斗さんが何かを言おうとしたとき、その背後で土埃が吹き飛んだ。
「風よ······」
黒いローブの影は飛翔し、私の方へと右手を掲げる。
「切り刻め」
咄嗟に防御姿勢を取る。
けれども、風をたかが細い刀一本で防げるはずがない。
「くゥッ······!」
腕に数本の熱さが走る。いや、脚もやられた。痛い、逃げられない。
「死ね!異能狩り!」
機械越しに聞こえた声の意味を認識する前に、私は───
「毒よ」
しかし白衣の男が、私の前に立ち、視界を遮った。
「絞め殺せ」
その文法は彼から発された。同時に、彼の傷口から血液が浮かび上がる。それはまるで獲物を定めた蛇のように、音もなく相手のフードの中へ吸い込まれた。
風が止んだ。
「やっぱりか。刷り込みってのは怖いな。」
言いながら、動かなくなったフード姿の相手が落下する前に腕を伸ばして捕まえる。そのまま引き寄せようとした。
「あ、コレ無理だ滑る落ちるヤバイ」
だが足場は私の生成した氷だ。急な体重移動をした夜詩斗さんはそのまま氷の柱から落下していった。あれ?高さは十メートルくらい······一般的な建物の、4階弱の高さ。
「夜詩斗さん!?」
氷の柱を溶かして私も地面に降りた。脚の傷が痛いので、鞘に入れた刀を杖にしてゆっくり立ち上がる。体重がかかると本当に痛い。
黒いローブの影を自分の上にして、夜詩斗さんは仰向けに倒れていた。血溜まりなんかはできていないので、うまいこと受け身をとったのだろうか。そういえば格闘技系は経験があるのかもしれない。
「大丈夫ですか?」
一応、確認を。とてもそうは思えないが。
「······多分、背骨逝った。」
それかなり不味いのでは。半身不随だとか後遺症だとか、そんな言葉が脳内にでてきて血の気が引く。
「あー、えっと、これ。」
夜詩斗さんが白衣の中から赤黒い液体の入った試験管を取り出し、私に投げて寄越す。
「えっと、これは?」
「傷に垂らしておけ。治るから。」
「は、はい。」
試験管の栓を抜く。うわ鉄臭い。本当に大丈夫なの?これ。まあ毒ってことはないと思いたいけど。少しだけ指につけて、脚の傷に塗っていった。すると赤黒い液体は傷に吸い込まれるように消えていき、同時に傷も消えた。痕すら残らない。怖いくらいだ。
「じゃあ同じ感じで俺の背中を切り開いてかけてくれ。」
「え?切り······?」
「刀じゃやりにくいだろうし俺のナイフ使ってくれ。」
いやいや。そういう問題じゃ。
「直接かけないと意味がないんだ。早く。」
夜詩斗さんがごろんと転がり、背中を見せる。急かされるままにナイフを手に取って、服を退かした。
「腰から15cm上のところだけでいい。」
「······行きますよ。」
「おう。」
すっと刃を滑らせる。多少、骨に触れてゴツゴツと感覚がある。それでも、呻き声すら上げない彼は痛みに強いとかそういうレベルではない。少し痛みを想像してしまい、ゾッとした。
「予備はあるから気にせず使っていい。」
三本、追加で赤黒い試験管を渡される。
「はい。」
傷口から骨が砕けているのが見えてグロい。そこにドロッとした液体をかけると、吸い込まれるように消えていく。骨が繋がり、肉が互いを縫い合わせるように再生していく。数秒で傷も塞がった。
「助かった。」
「大丈夫なんですか?」
「ああ、問題ない。」
ローブの人物を地面に下ろし、彼は立ち上がる。そしてタッチパネル式の通信端末を取り出したが、画面がヒビだらけになっていたのを見てポケットにしまった。······お気の毒に。
「すまない、携帯借りれるか?」
「は、はい!どうぞ。」
画面のロックを解除してから渡す。
「ありがとう。少し電話する。」
夜詩斗さんは電話をし始めた。······首から下げっぱなしのヘッドフォンは使わないらしい。
「······ああ、そうだ。魔女の弟子だろう。ん?ああ。」
電話の相手は結社の人だろうか。待っているのも手持ち無沙汰になったので、しゃがんで、さっきからピクリとも動かないローブの中身を覗いた。口許を機械的なマスクで覆っているが、女の子だった。しかも私とも歳が近そう。何やらうなされているようで、苦しそうに呻いている。苦しかろうとマスクもといボイスチェンジャーを外した。うーん、同じ学校ではなさそう。なんかほっとした。
「連絡したからそろそろ来ると思う。あと、そのガキは件の異能狩りじゃない。」
「······ですよね。私達のこと、異能狩りって言ってましたし。」
「俺達っていうかお前だな。大方、日本刀を持ってる少女って情報からお前に行き着いたんだろ。」
失敬な。私は人を殺したことなんて一度もありません。
確かに帯刀している女子なんてなかなかいないかもしれないけれど、せめてもう少し詳しく私の事を調べてくれれば······いやそれはそれで嫌だな。
「それにしても、夜詩斗さん、さっきのは何だったんですか?あの、打ち落としたたやつ。」
このローブの女の子を無力化した攻撃?だ。
「ああ、ソレに関してはある人物の真似をしただけだ。」
「真似?」
「そう。大方、何度かそれで痛い目見て、本気でやられたと思ったんだろう。パブロフの犬みたいなもんだな。」
確か、メトロノームの音を聞かせて餌を与える、ということを繰り返し行われた犬は、メトロノームの音を聴くだけで唾液が出るようになる、というモノだったはずだ。
「まあいい。そろそろ回収員も来たみたいだしな。」
「おいおい。私は雑用係りってことかい。良いご身分だねぇ。」
「ゲッ」
突然の声の主は、モノクルをした男装の麗人であった。
「久し振りに会ったんだ。もう少し別の態度があるんじゃない?」
「できることなら二度と遭いたくなかったんだがな。」
「おや、キミとは初めましてかな。氷刀の少女。」
そしてその麗人は、私の方へと向き直ってお辞儀をした。つられて私も頭を下げる。
「は、はい!初めまして!裁万江理華といいます!」
······アルマスガール?
「アルマスはケルトの宝剣の一種だ。氷の刃という二つ名を持っている。」
「通り名は分かりやすい方が良い。学校の件でキミの事はちょっと有名になったからね。」
いつの間に、通り名なんて。少し、いやかなりむず痒い。
「と、ところで、お二人の通り名はあるんですか?」
「ん?ああ、私はともかく、君はまだ話してなかったのか。」
「いいだろ別に。本名でコミュニケーションには足りる。」
「格好良いじゃないか。月の魔術師。我が弟子が聞いたら泣いて羨ましがるぜ。」
「その名で呼ぶな。蝕毒の魔女。」
夜詩斗さんが月の魔術師。そこの女性が蝕毒の魔女という通り名らしい。セミラミス······世界最初の毒殺者だったっけ。つまり、毒に関する超能力者なんだろう。
「で、我が愛弟子は······お。そこに転がってるね。回収してくよ。」
「おう。後で捜査の裏付けはしっかりするように言っておいてくれ。危うく死にかけたぞこっちは。」
「その件に関しては明日、改めてお詫びするよ。売れない映画監督にも呼ばれてるんだ。」
「協力者ってお前かよ······」
夜詩斗さんが手を額にあてる。苦手な相手らしい。そういえば琉汰さんが明日は協力者が来るって言ってた。それがこの人なのか。
「それじゃあ。また明日会おう。」
蝕毒の魔女の名を持つ女性は、ローブの少女を担いで歩いていった。いわゆる、俵様抱っこというヤツ。愛弟子の扱い雑じゃない?とは口に出さないけれど。
「っていうかどうしましょう。これ。」
結果的に、文字通り竜巻が通った後プラス氷が落ちたときの軽いクレーターが場に残されたわけだけど。
「琉汰が何とかしてくれるから気にするな。」
「一応、私の家の前なんですが。」
「あー······」
言い忘れていたけれど。
私の家はここらの地域の裏締めを行っている自由業な訳で。
俗に言う、ヤ印な訳で。
そんなこんなを言っている内に、家から部屋住みの一人、加藤さんが様子を見に来た。と思ったら夜詩斗さんペイント弾でヘッドショット。加藤さんおやすみなさい。
「よしすまんな理華俺は帰る誤魔化しは任せた」
脱兎のごとく。逃げ足の異様に速い人っているよね。
さて、私もそろそろ帰らねば。荒れ果てた林道を歩き、その奥にある少し大きめの門をくぐる。
「お嬢、お帰りなさい。外で大きな音がしましたが大丈夫でしたか?」
「えっと、私も正直、何があったのか······。」
「そうですか。さっき加藤のやつを向かわせたんですが、すれ違いませんでしたか?」
「いや、見て、ないかな。」
「そうですか。では、私も様子を見てきます。お嬢はくつろいでいてください。」
「うん、ありがとう。」
刀と鞄を私の世話係の鎌田さんに渡す。小林さんは自前の木刀を持って門から出ていった。
「お嬢、今日はどうでしたか?」
「知り合いの経営するカフェに行ってきた。結構強い能力者のマスターが経営しててね。あそこは安全だよ。」
家の人に、結社の話しはしてない。多分、余計なトラブルを招くことになりそうだから、言う必要が出るまでは黙っておくつもり。あまり良いことではないけど、少しくらい、隠し事したって良いじゃない。
鶯張りの廊下を歩きながら、部屋に向かう。
「それは良かったですね。そこは何という喫茶店ですか?」
「······ごめん、見てきてないや。」
そういえば関心を持たなかった。知られて来られても困るんだけど。
「お嬢は昔っからそういうところ抜けてますよね。」
鎌田さんはハハと笑った。確かにそれは自分でも思うけど。昔から関心のないことには注意を向けない。あのカフェの名前とか正直、結社という実態に比べればどうでも良すぎて見てなかった。
「じゃあ明日、俺も連れてってくださいよ。」
おっと。
「良い場所なんですよね?」
この流れは、不味い。