レモンティー
「顔って、あとは好きなところないんですか」
二杯目のアイスティーにレモンを絞りながら聞いた。レモンの汁が顔に飛んできて目をしぱしぱさせる。男は面白そうにそれを見ながら口を開く。
「そうですね、顔が一番ですが…全部好きですよ」
「はあ、そうですか…」
レモンを小皿に乗せて、少し絞りすぎて酸っぱくなったレモンティーをストローで飲む。男も店員を呼びつけ二杯目のアイスコーヒーを注文した所だった。
「例えば」
注文を終え急に話し始める。
「その短い髪の毛。私は傷んだ髪がサラサラのノーダメージの髪よりも好きなんですが、あなたのその茶色の髪の毛なんかはとても好きです」
ものすごく変な目のつけ所で僕は思わずレモンティーを喉につまらせた。しかもそれが少し厄介な所に入ってしまって、男の少し気持ち悪い所と相まって危うく三途の川をみるところだった。
「そんな所見てたんですか」
「今少し気持ち悪いと思ったでしょう」
「もちろん」
男は僕からレモンティーを奪うとずずっと一口飲んでみせる。酸っぱかったか知らないが、口を絵にかいたように✱にすぼませた。
「なんで傷んだ髪がすきなんですか」
「私と同じだからですよ」
レモンティーをさっと僕の前に戻す。飲んでいいとは誰も言っていないのだが。
「後は…そうですね。痩せすぎず太りすぎず、中肉中背くらいの体型が」
「なんでそんな変態チックなんです?」
男の口つけたストローをちょびっと拭いてから僕はまたレモンティーを飲んだ。これでも純粋なので、関節キスに少しだけ興奮していたのは多分この先誰も知る事はないと思う。
「でもやっぱり、なんだかんだ言ってもこうして会ってくれる所が好きですけれどね」
アイスコーヒーが運ばれてきて、男はシロップを二つ、ミルクを一つ入れると、ストローで手早く混ぜる。土のような暗い色からみるみるうちにカフェラテの淡い色に変わり、中心はゆったりと渦を巻いていた。ストローの赤色が水面に反射する。
「僕、まだ貴方に好きだとか嫌いだとか言ってませんけど。これで答えがごめんなさいだったらどうするんですか」
残り半分のレモンティーを片手に、僕は男の目を見ずに言った。男は相変わらずアイスコーヒーの氷をストローで弄んでいる。ふと、男がふんと何故か鼻で笑った。僕は思わず顔を見た。
「あなたは言いませんよ。私のことを嫌いになれないし、ごめんなさいも言えない」
男はどこか確信があるのか、いつもと変わらぬ嘘か本当か分からないような不思議な笑顔で言った。
「どうして」
「どうしてもです」
男はまた微笑んだ。空になったレモンティーのグラスをテーブルのワキに寄せ、僕はため息をつきながら革のソファに思い切りもたれ掛かり天を仰いだ。
背景に流れるクラシックミュージックはすこしアップテンポの曲に変わっていた。店はというと先程よりは落ち着き、客も気づけばまばらになっている。隣に座っていたサラリーマンの男も飲み終わったコーヒーカップだけを残し、既に消えてしまっていた。
ぼーっと天井にぶら下がる偽物のシャンデリアの明かりを眺めてから、僕は顔を男の方に向けた。ばっちりと目が合う。
「諸永くん」
その男はーーーー保井カタルは、優しい笑顔を浮かべながら、腹の底が見えないような目を眼鏡の奥で僕に向け、ゆっくりと口を開いた。
僕はなにも言わずに、ただじっとそれを聞いていた。
「諸永マホトくん。私と結婚してください」
バックグラウンドミュージックは、いつの間にかモーツァルトからグリンカへ変わっていた。どうやらグリンカの激しい指揮の方が陳腐な脳味噌は好みのようで、僕は右の口角を少しだけ上げてから、今度は酸素を少し溜め込んでから大きくため息をついた。