ジャズ
「諸永くん」
聴き慣れないゆったりとしたジャズミュージックの流れる店内は、コーヒーの香りでいっぱいになっていた。今日はどうやら混んでいるのか、空席があまり目立たない。隣に深く座っているサラリーマン風の男も、二杯目のコーヒーを片手に今朝の新聞を読み込んでいた。
店員も休む暇なく動いている。皆がかっちりと着込んでいるタキシード風の制服は随分と着られているのか、所々に少しばかりのほつれが目についた。
目の前にあるグラス残り半分のアイスティを飲みながら横目で観察していると、前に座った男に名前を呼ばれていた。時空が歪んだのか、僕は三秒ほど遅れて返事をした。
「あ、すみません」
「いえ」
男は細身で、髪はよくワックスで固められている。顔のアクセントになっているハーフリムのメガネは青フチで、切れ長の目と相性がいい(顔がいいのもあるが)。
男は大ぶりの氷の入ったアイスコーヒーに口をつけた。
「ロックミュージックしか聴かないような君が、こんな大層な洒落たカフェに来ていいんです」
「うるさいなあ。たまには落ち着いたBGMをかけたくなるときもあるんです」
「ほお」
男は右の口角をあげた。
普段から音の大きく振動もある激しい曲を聴き慣れている耳には少し物足りない気もするジャズやクラシックは、時々聴いてみると、中々心が安らぐものである。電波が絶え間なく飛び交うせかせかした世の中であるが故に、必要なのかもしれないが。
「それで、今日は何の用で?」
今度はセットのショートケーキに手を付けながら男は満足そうな顔で聞いた。僕も自分のショートケーキにフォークを入れる。
「用ってほどのものは無いですけど…用がなければよんじゃだめなんですか」
「いいえ、そんなことは無いですよ。私も諸永くんと一緒にいるのは気分がいいので」
僕は口に運んだショートケーキをゆっくり味わう。ほんの少し値段の張る生クリームの塊は、やはり少しだけ高級感のあるような味がした。雰囲気に気圧されたか、やはり気のせいかもしれないが。
「保井さん、なんで僕のことが好きなんですか」
男は何も聞こえなかったかのようにケーキを半分まで食べ進める。そしてコーヒーを飲み、ふうと一息ついた。
「何故って。それは諸永くんの顔が好きだからですよ」
僕はほとんど残っていたケーキを口裂け女のように口をめいっぱい開いて一口で平らげた。
やりすぎたと思いながらも、その甘ったるい生クリームに脳の支配権を一瞬で握られてしまった。
「僕の顔なんて見てないで、モデルさんとかの顔を見てみてくださいよ。ほら、例えば…」
僕はびりっと麻痺している思考回路を必死に活用してスマートフォンで一枚の画像を出した。
今、巷で人気のハーフモデル、冴親ワタルちゃん。ハーフだけあって、髪も天然の茶髪、綺麗なグリーンが入った目、高い鼻につるんとした肌。そして誰もが憧れるような明るい人柄を併せ持ったスーパー美少女だ。同い年というのだから驚いたものだ。
「この子を見てくださいって」
彼は僕のスマートフォンを受け取ると、顎に手を当てながら僕とモデルさんを見比べた。小っ恥ずかしい。自分からモデルと自分の顔面偏差値を見比べに行くという地雷を踏むだなんて。一生の恥。
どうやら結論が出たらしい。
「諸永くんの方が顔の形が綺麗ではないですか」
ただ、素直に自分が褒められただけで終わってしまった。やはり恥ずかしくて顔を俯けながら頭に手を置いた。