暁に恋して
1.
「てめえ、今実佳のスカートの中覗いたろ!」
隣を歩く有里の声に、私はようやく気がついた。
私達は、仲間で固まって音楽室へ向かう階段を上っているところだった。
今時の女子高生なら、制服のスカートはマイクロミニ。当然下着も見せパン。だから見られてもどうってことはない。階段の上り下りに気取って手や鞄なんかで隠す子がいるけど、隠すくらいなら最初から穿かなきゃいいのにって思うから私は隠さない。
親友を自認する有里は隠さないけど、覗かれることには敏感で、気がつくとすぐに相手に咬みつく。でもそれはほとんどが自分のためじゃなく、私や友達のためなんだけど。
別にいいんだけどな、なんて思いながら私は振り返った。だけど有里が襟首を締め上げているその男の顔を見たとき、私の心臓は大きな鼓動を打たないわけにはいかなかった。
霞大吾――同じクラスの窓際に座る彼の顔の右半分を、私は毎日眺めている。私の目は、どこにいても彼の姿を探して彷徨う。
見た目は全然おしゃれじゃない。黒いままの髪は無造作に長くいつでもボサボサで、制服はもちろんどノーマルのままで皺だらけ。クラスメイトと打ち解けて話す様子もなく、授業中クラス全体に笑いの渦が湧き起こっても一人ぼんやり佇んでいる。部活にも入ってないし、運動も勉強も取り立てて出来るわけじゃないみたい。要するに、女の子にモテる要素が全くない男ってこと。なのに――。
「後ろからこっそり覗いてんじゃねえよ、このムッツリ野郎!」
相変わらず口の悪い有里が締め上げる手に力を込めて恫喝を加えても、彼は無言のままニヤリと笑っただけだった。
そのときまた、私の胸は高鳴った。
そう。私が気になっているのは、あの目の色だ。いつもぼんやりとしていて、何を考えて生きているのか全く判らないように見えるのに、時折彼の目はまるで子供のようにキラキラした輝きを放っていることがある。私はそれが気になっている。それをまた見たくて、いつでも彼の姿を探している。
結局、彼が否定も肯定もしないため、有里は舌打ちして、「さっさと消えちまえ」なんて言って彼を追い払った。
彼は無言のまま私達を追い抜いて、先に音楽室へと消えた。
「全くムカつくよなあ、ああいうヤツ。ああいう無言のムッツリが一番キモいよ」
有里はそう吐き捨てた。心底そう思っているみたいだ。
「じゃあどういうのがいいの? 堂々と『パンツ見せて』って言いに来る奴?」
先を歩く倫世が混ぜっ返した。
「その方が全然マシじゃねえ?」
「そうかなあ。それもちょっと怖いよ」
「パンツの問題じゃねえよ。興味があるなら、正面から口説いてみろってことさ」
「それって何か、話ずれてなくない?」
クククと笑いながら階段を上りきったとき、私は思い出していた。私が彼を気にするようになったきっかけは、これだったんじゃないかと。
いつだったか、ちょっと前の昼休み。教室の中で、軽音部のミッキーとタクちゃんがみんなにせがまれてギターを弾いていたときのことだ。
学祭に向けて、彼らは毎日学校にギターを持って来ては部活で練習してた。その彼らに、「ねえ、ちょっと今弾いてみてよ」
なんて誰か女の子が言ったもんだから、昼休みの教室内はにわかライブハウスになっちゃった。教室でアンプは鳴らせないからアコースティックだったけど、近頃チャート驀進中のロックバンドの曲だったから、みんなノリノリになっちゃってた。だけど霞君だけは、窓際の机に突っ伏して寝てた。
ミッキーもタクちゃんも、みんながノってくれるもんだから舞い上がっちゃってガンガンに弾いてたんだけど、そのうち霞君一人だけ寝ているのに気がついたんだ。ミッキーはそれが気に入らなかったらしくて、演奏中に霞君の席まで歩いて行って、寝てる頭に膝蹴りしちゃったんだ。「よお、ちゃんと俺らの音楽聞けよ」って。
驚いたのは私だけだったみたい。そのとき既に教室内は「このノリについてこない奴は仲間じゃない」みたいな雰囲気に支配されていたから、そう出来ない奴は膝蹴りされても仕方がないとみんな思っていたのかもしれない。私ははらはらしながら、事の成りゆきを見つめていた。
彼は跳ね起きると、頭頂部の痛みに顔をしかめながら目の前のミッキーに驚いた視線を向けた。ミッキーはそんな彼に、「よお、お前も一緒に盛り上がれよ」と言った。教室内の他のみんなも、同じ言葉を視線に含ませて投げていた。
すると彼は、「痛えな」とか「うるせえな」とかじゃなく、たった一言こう言ったのだ。
「ロックだけが音楽じゃねえだろ」
ミッキーは、咄嗟には何を言われたのか判らなかったみたい。一瞬ポカンとしていたけれど、でもすぐに青ざめて、「何だと、てめえ」と霞君に掴みかかった。演奏は中断され、重そうなギターがストラップに吊されて、ミッキーの身体でぶらぶら揺れていた。
霞君はミッキーの手を振り解くでもなく言い返すでもなく、深い溜息をついただけだった。「しょうがねえな」っていうよりももっと悲しげで、残念そうな感じに。
それを最大級の侮辱に感じたミッキーは拳を振り上げかけたけど、みんなの視線に気がついて、「やめやめ! テンション下がっちまったい。みんな、続きは学祭のステージでな」と言って、ギターのストラップを肩から外した。みんな、「頑張ってね」とか「楽しみにしてるよ」とか言いながらまたちょっと騒いだけれど、霞君は再び机に伏して寝てしまった。
その日から、彼は空気を読めないマヌケ野郎扱い。誰もが何となく距離を置くようになった。でも彼はそんなことは意に介さず、毎日普通に登校して来てはぼんやりとしているのだった。
私はその日以来、みんなより彼の方を向いている。あのとき彼がミッキーに放ったあの一言は、一体彼にとってどんな意味があったのだろうと考える。そのとき彼が瞳に宿した色が今まで自分の周りになかったもののように思えて、また見たいと思う。
でもそれがどんなときに表れるものなのか、まだ私には判らない。
2.
学校はいつだって恋愛とエッチの話題でいっぱいだ。教科書は本能を理性で抑制するよう要求するが、そんなことに一体どれほどの効果があるというのだろう。
自分の身体が大人の性に目覚めれば、当然異性のそれにも興味が向く。それが恋愛感情に変わることもあれば、そうでないこともあるけれど、自分の身体の変化と共に発生する感情を抑えられるわけがないと思う。抑えられずに溢れ出し、右往左往することが私達の年代には大切なような気がする。完璧に抑えきってしまった人間は、きっと大人になって暴発してしまうんじゃないかしら。
放課後も昼休みも登下校も、ケータイでのやり取りも、話していることは大体同じ。誰と誰がくっついたとか、次のデートに着ていく服がどうとか、とうとう彼としちゃったとか。誰だって未知の領域に足を踏み入れるのは少し怖いから、未経験の子ほど熱心にそういった話に耳を傾ける。
先行して詰め込んだ沢山の知識と半熟な身体をもってして、私達は競争を始めている。他人よりも早く異性を知ることに私達は憂き身を窶す。恋愛感情はその先にある肉体を体感するための手続きとしてしか扱われないこともあり、ときとして手続き自体省略されることもある。
「ねえ実佳、ちょっと聞いてよ。最悪! 超ムリ! 黒西のヤツ!」
放課後校門を出ると、理子が突然憤慨して言った。一緒に歩きながらもそれぞれケータイのキーを打つことに夢中になっていた有里も倫世も、その手は止めずにちらりと振り返る。
「何かあったの? 体育の時間」
と、私は訊き返した。黒西は体育の教師だ。私は今日見学だったけど、見ている限りでは特に何の問題も起きていなかったはずだ。
「何? 胸でも触られた?」
と有里が茶化すのに、理子が「それよりひでぇよ、マジで」と吐き捨てたものだから、「ウッソー、なになに?」と倫世まで目を輝かせる始末。倫世は特にこの手の話が大好きなのだ。
「後片づけで用具入れにいたら、黒西が『ちょっと話がある』とか言って入って来てさ。ほら私、前に骨折して一ヶ月くらいずっと体育休んでたじゃん。で、『お前下手すると進級ヤバいよ、実技テストとか全然受けてないし』って言うわけ。それは確かにヤバいから、『じゃあどうすればいいんですか?』って訊いたんだ。そしたらアイツ、何て言ったと思う?」
私達は理子が答えを期待していないのを判っているから、無言で話の先を促した。
「『個人的につき合ってくれるなら、考えてやってもいい』だってさ! 信じられないでしょ? 何考えてんだ、あのバーコードハゲ。あーっ、もう、ムリムリムリムリ!」
「えーっ! 何それ?」
「マジで? 超ありえない」
私達は驚きの声を上げたが、そこには「教師のくせに生徒にそんなことを言うなんて」というのと共に、「授業中にそんな下手くそな方法でアタックするなんて」という意味も込められていた。
私達の年代は異性の視線にとても敏感だ。ある意味それを沢山浴びたくて化粧をしたり、可愛いピアスを身につけてみたり、人よりスカートの丈を短くしたりしているわけだから、ちょっと考えれば気づかないわけがないってこと判るはずなのに、男って意外にそういうことに鈍感だ。本人はさりげなく見つめているつもりでも、女の子には簡単に見抜かれちゃう。
黒西が理子にだけ特別な視線を注いでいるのに、私達はずっと前から気がついていた。理子にも前に注意するように言ったことがあるのだが、本人はすっかり忘れてしまっていたようだ。
「で、あんたどうしたの?」
「まさか『いいですよ』なんて言ったんじゃないよね?」
「冗談! 言うわけないじゃん」
「じゃ、何て?」
「もう私完全にキレちゃってさ。『何考えてんだ、ふざけんなこのエロオヤジ!』って怒鳴って逃げちゃった」
「へえ、言ったじゃん、理子」
「キンタマ蹴りくれてやりゃあよかったのに」
「でもさあ、アイツが私の体育の成績つける権限持ってるのは事実じゃん。このことで嫌がらせされて、マジで進級出来なかったらどうしようって、ちょっと心配になっちゃってさ」
「そっかあ」
「アイツなら、やりかねないよね」
「大丈夫よ」
と、私は言った。
「追試くらいやってくれるでしょ。もしやってくれなかったら、みんなで黒西のところへ行って、『用具室での話、聞いてました。それって犯罪じゃないですか。校長や教育委員会に相談しましょうか』って脅せばいいのよ。四人もの女生徒が証言すれば、アイツの首なんか簡単に飛んじゃうわよ」
「そうか。そうだよね、さすが実佳」
「もしこれ以上何かされたら、私達協力するからね」
「うん、ありがとう」
ちょうどこの話題が終わった頃、私は三人と別れた。彼女達はこのまま駅前のケーキ屋へ行こうと誘ってくれたけれど、今日はバイトの日だったから一旦家に帰ることにした。
それにしても、教科書の内容を伝達するのが仕事である教師ですら、授業中に生徒を口説こうとするのだ。彼らは身をもって、立場も年齢も関係なく相手を手に入れたいと思うことが恋愛の本質だと教えてくれている。こういう生きた教材から、私達は少しずつ本当のことを学んでいくのだ。
3.
キーを差し込んで部屋に入ると、薄暗く冷え冷えとした空気が私を迎えてくれた。この家が家族で埋まるのは、深夜から朝にかけてのわずかな間だけだ。普段ほとんど人のいないこの広すぎる空間を、私は時折もったいないと思う。
鞄を置いて制服を脱ぎ、そのままベッドに倒れ込むと自然と溜息が漏れた。誰の視線もない一人きりの場所で、私は少しホッとする。大の字になった四肢の先端までが徐々にリラックスしていくのが判る。
私は他人の視線の前で、私であることを演じている。私は早くから自分を客観的に見ることが出来る子だったから、自分のどこをどう飾れば人から可愛いと思ってもらえるかを自分なりに知っていた。また、それを実現するための親の財力も持ち合わせていたから、私は常に自分を磨き、小さい頃から男の子にモテたし、女の子からは憧憬を孕んだ友情をもらった。
私の周りには常に人が集まった。
センスがよくてカッコイイ女――、これが周りの私に対するイメージだった。私は時折それに答えるべく、薄いブラウスの下にストラップレスの紫色のブラジャーを着けて登校したりした。
負けず嫌いの執念で、あるときテストでいい点を取ったら、「知的な女」と称賛を浴びた。以来私は、ある程度の成績を維持するよう努めた。
男の子達に人気があったので、女の子達が、どうすれば男の子にモテるのか、彼とうまくいくかを相談しに来るようになった。幼少時より乱読家でそれなりの知識があった私は、その範囲内で適切なアドバイスを返した。それが好評であったがゆえに、いつしか私のそれは豊富な実体験に裏打ちされたものだと思われるようになった。
私は立ち上がり、鏡の前で全裸になった。制服には制服用、私服にはそれ用の下着がある。学校では控えめなピアスもちょっと大きめのものに代えてみる。
だけど本当は、得意な気持ちの裏に隠したいという気持ちがある。見せたい思いと逃げたい思いが同居している。シルクやシルバーで埋め立ててしまったら、私の心は誰からも見えなくなってしまう。
そんな風に思いながらも、カラータイツの下にラメのペディキュアまで塗る自分を、私は時々二重人格だろうかと思う。
夕方から降り出した雨は止まることを知らず、深夜にも本降りのままだった。少なくなった街の灯りに照らされて空から落ちてくる水は、ときにしらたきのように、またあるときはロングピアスのように見えることもあったが、今の私には人の元気を奪う毒針のように思えた。
私はいつしか溜息をついていた。もうすぐ日付も変わろうというこんな時間に、自分のバイト先である喫茶店の軒先に所在なく立ち尽くすなんて、当初の予定にはなかったことだ。さっきから私のケータイにはひっきりなしに友達からメッセージが入って来るが、どれに返信する気にもなれなかった。
事の始まりは、店長が早退したことだ。確かに私も、一緒にシフトに入った宮田君も、店長と一緒に何度かクローズをやったことがあったから手順を覚えてはいたけど、責任者不在でやるっていうのはかなり不安だった。だけど日頃から責任感の強い店長が自ら、「早退したい」と言い出すなんてよほどのことだと思ったから、二人共断るなんて出来なかった。
重そうに身体を引きずって、真っ青になりながら歩く店長を送り出した後、こういうときに限ってお客さんが沢山来て、店は大忙しとなった。営業時間は午後十時までだったけど、バイトだけではなかなかお客さんに帰ってもらうよう言い出しにくくて、ようやく店を閉めたのが十一時十分。それから店内の清掃、売上集計などを始めたためにこんな時間になったのだった。
私は傘を持っていなかった。店にも置き傘はない。宮田君も持っていなかった。彼は自宅とは反対方向にある銀行の貸金庫に売上を入金する役を買って出てくれて、そのまま雨の中を走って帰ってしまった。
しばらく待ってみたが、一向に雨脚は衰える気配を見せないため、私は覚悟を決めて駆け出した。
が、すぐに後悔した。一瞬で衣服がずぶ濡れになり、身体にまとわりついて気持ち悪い。真冬でもないのに急激に体温が奪われていくのが判る。髪が顔に貼りついて、視界が狭くなって鬱陶しい。私は我慢出来なくなって、前方から視界を切って髪をかき上げた。
そのときだった。私の身体に何かがぶつかった。「ドシン」という衝撃。でも金属などではない、恐らく他人の肉体と思われる柔らかな感触。
「ごっ、ごめんなさい」
私は咄嗟に謝った。前方不注意、どう見ても非は私の方にある。でも相手が返した言葉に驚いてその顔を見たとき、私の身体は胸の奥から別の衝撃を受けた。
「何だ、京野じゃん」
「霞、くん……」
そう。あの霞大吾だったのだ。よりによって、こんなずぶ濡れの醜態を彼に晒す羽目になるなんて。私は今すぐ逃げ出してしまいたい気持ちだった。けれど、彼が「入ってく?」と言いながら傘を差し出してくれたときには、私は「うん、ありがとう」と自然に頷いていた。
私は傘の右側に入り、彼と肩を並べて歩いた。これ以上濡れなくて済むことにホッとしたのはほんの一瞬だった。私の全身は緊張し、鼓動は高鳴りっぱなしだった。彼は何も喋らないけれど、傘を少し右に傾けて私が濡れないようにしてくれている。そのせいで、彼の左肩に傘から雨が落ちている。
そんなに気を遣ってくれなくていいよ。もうこんなにびしょ濡れなんだから。
普段なら何てことのないこんな言葉が、今はどうしても自分の口から音声となって外へ出ない。けれど、このままでは間が持たないので、私から何か話すしかなかった。
「あの、ありがとう。助かっちゃった。バイトの帰りだったんだけど、私、傘持ってなかったから……」
「バイト?」
「うん。ウェイトレス。喫茶店の。知ってる? 『キャッツ』ってチェーン店」
「うん。制服がオレンジのミニスカートってアレでしょ?」
「うん」
彼の視線がちらりと私の方を向いた。私がオレンジのミニを穿いている姿を彼が想像しているのだろうかと思い、ちょっと恥ずかしくなった。
「あ、ケータイ」
「え?」
ふいに彼が言った。彼の目線を追いかけると、私のバッグの中でケータイが着信ランプを点滅させながら震えていた。私は画面も見ずに、バッグの奥へ押し込んだ。
「いいの?」
「うん。どうせこの時間は、特に用事のある連絡じゃないから。霞君、ケータイは?」
「持ってない。必要ないから」
「へえ。霞君らしいね」
私が何気なくそう言うと、彼は突然立ち止まった。彼が私に向ける瞳には、意外な驚きというような色が宿っている。私にはそう見えた。でも何が? 私がちょっと考えている間に、彼は小さく笑いながら視線を前に戻し、再び歩き始めた。が、彼が髪をかき上げる仕種をしたそのとき、今度は私が驚く番だった。
「あっ、ピアス」
「え?」
彼も驚いて、自分が今した仕種を思い返したらしい。その後ちょっと照れたように、「見えた?」と、私に訊いた。
「うん」
と、私は頷いた。かき上げる髪の隙間からだったけど、小さめの耳朶に光る緑色の石を私は見逃したりはしなかった。
彼は困ったように笑いながら、
「これ、内緒な。学校では外してるし」
「うん」
即答の理由は、私を惹きつけて止まない、あの子供のようなキラキラした光がこのとき彼の目に宿っていたことに他ならなかった。
でも、私が驚いたのはピアスだけじゃなかった。私の鋭い嗅覚が、彼が髪をかき上げた際に微かに舞った、煙草と酒と香水のような甘い香りの入り交じった匂いを確かに捉えたからだ。何故彼はこんな匂いを? そう言えば、何故彼はこんな時間にここを歩いていたのかしら? 彼の背のリュックには、一体何が入っているのだろう?
私の中に次々と好奇心が沸き起こる。それを口に出すべきか否か葛藤する。また心地のよい秘密の共有が増えるのではないかと期待しつつも、初めて会話を交わした夜にそこまで踏み込んでいいものかというためらいが揺れる。
そうしてぼんやりしていると、突然彼が私の手を取った。
(……え? え?)
私がどぎまぎしていると、彼は私の手に傘を押しつけて、
「京野ん家、あっちだろ? 俺、向こうだから」
と、立ち止まって言った。
「どうして知ってるの? 私ん家」
「前に、帰るとき見かけたことあったから。その傘あげるよ。じゃあ」
私が次の言葉を口から出す前に、彼は走り去っていった。私の左手の彼が触れた部分は、雨が蒸発するほど熱かった。
3.
私はつくづく卑怯な人間だ。まだ彼に傘を返していない。あのときどんなにありがたく思ったか、一緒に傘の下にいたあの時間がどれだけ楽しかったか、まだ彼に伝えていない。
それは恥ずかしいからではない。クラス中から半ば村八分にされている彼に話しかけることで、みんなの自分に対するイメージが悪くなることを、みんなから彼と同じような扱いを受けることを恐れているからだ。
だから二人きりになれる機会を狙って、彼と話したいと願う。けれど私の回りには常に友達がいて、登下校も休み時間も自ら労を割かなければほとんど一人になることはない。
私は今、そうすることを嫌がっている。出来るだけ友達の中に埋没し、隠れていたいと思っている。
彼はと言えば、全く今までと変わらなかった。あの日のことを特に恩着せがましく言って来るでもなく、特別私だけに笑顔や視線を振り向けてくれることもなく、それどころか全く目を合わせることも会話をすることもない。それは私に対してだけじゃないのだけれど、彼にとってあの日のことは何でもないことだったのだろうかと私は少しせつなくなったりする。
彼は教室内にいるときは、相変わらずぼんやりと窓の外を眺めており、私の瞳は彼の顔の右半分に吸い寄せられている。加えて、あの日以来、髪が揺れた拍子に耳朶のピアスの穴が見えやしないかと、時折目を凝らすようになった。
そうしているうちに、学祭まであと十日となった。
私達のクラスは、「お祭り」をイメージした屋台を出すことになっている。男子が屋台や御輿の骨組みや設計などを担当し、女子は宣伝チラシ作りやメニューの選定、材料の調達などを担当する。担当分けは生徒の自主性に任されるが、男女共にクラスの中でも三、四つくらいの仲良しグループがあるから、それに基づいていつの間にか自然に決まっていた。私は、有里や理子や倫世達と一緒にチラシを作るグループに入っていた。
この時期になると、連日授業が終わった後すぐに準備作業に取りかかるようになる。部活に入っている人達はそちらが優先になってしまうけれど、クラスの方を全くないがしろにするわけにもいかないから、各自時間を調整して両方の準備に参加している。
霞君は、どこのグループにも入っていないので、毎日授業が終わるとさっさと帰宅していた。が、今日は違った。
「おい霞、ちょっと待てよ」
ちょうど教室を出るところだった彼を呼び止めたのは、ミッキーだった。
「一応お前もクラスメイトなんだからさ、何か手伝えよ」
棘のある言い方だった。けれど霞君は無表情のまま振り向いて、「いいけど」と返した。
「じゃあそこにある材木から、十五センチ幅の角材を切り出してくれよ。ここじゃあカスが出て汚れるから、外でな」
ミッキーが顎をしゃくった先には、二メーターくらいある太い材木が四本転がっていた。屋台の支柱にするためのものだ。
一瞬、間があった。みんながこれからどうなるのか注目していた。
「いいよ」
霞君は表情を変えないままそう言うと、一本目の材木を肩に担いで教室の外へ出て行った。
「あいつ、結構力あるじゃん」
「ああいうの、ブチギレたら逆にコエーかもよ」
そういった声の後に、クスクス笑いが起きた。私は不快な気分になった。とても一緒に笑う気になどなれない。
彼が四本目の材木と工具を持って出て行くと、私はちょっと間を置いてから仲間達に断って、その後を追った。
案の定、霞君は苦労しているようだった。この手の材木をのこぎりで切る場合、誰かが片側を支えてやらないと非常に切りにくいものなのだ。裏門の花壇の脇で、古い煉瓦を重ねて台を作ったりしながら、彼は何とかまっすぐ切る方法を模索していた。
私が近づくと、彼はすぐに気がついて、視線をこちらに向けた。私は黙ったまま材木の、煉瓦で支えられた地点の上に腰をかけ、にこやかな笑顔を作った。
「ここに座っててあげる。そうすれば、ブレずにまっすぐ切れるでしょ?」
「ああ。悪いな」
「気にしないで。どうせ暇だし」
「ありがとう」
彼はそう言って、ちょっと笑顔を見せてから材木にのこぎりを入れ始めた。と同時に、私のお尻に規則的なバイブレーションが伝わって来る。それが彼の手によるものであることを思うとき、私は悩ましい気分になる。思わずここに来た本来の目的を忘れてしまいそうだ。本当に忘れてしまわないうちに、私は話し出すことにした。
「あの――」
と声をかけると、霞君は手を止めて私の方を見た。
「あ、いいの。続けて、そのまま。切りながら聞いていてくれればいいから」
そう言うと、すぐにバイブレーションが戻って来て、また私の官能をくすぐり始める。私はこっそり深呼吸をした。
「あの――、ありがとう。あのとき、傘を貸してくれて。本当に助かったし、嬉しかった。なのにごめんね、お礼言うの、こんなに遅くなっちゃって。言おう言おうとずっと思ってたんだけど……。傘、教室のロッカーに入ってるから、後で返すね」
「いいよ、別に。あげるって言ったろ」
「でも……」
「実佳ぁ!」
ふいに背後からの大声が私を呼んだ。有里だ。私は口から飛び出そうになる心臓を無理矢理飲み下してから振り向いた。
「何でこんなとこいんのよ、実佳。早く来てよ。アンタいないと話まとまんないんだから」
有里は自分の腕を私のそれに絡ませると、強制的に私を立ち上がらせ、連れ去ろうとした。彼がこっちを見ていたので、私は有里に気づかれないように片手を顔の前に上げて「ごめんね」と唇を動かした。彼がそれに気づいてくれたかどうかは判らない。彼はその後、再び材木との対決に戻っていった。
「何か弱みでも握られてんの? アイツに」
廊下を歩きながら、有里は少し怒ったような調子で言った。私の右腕は今でも有里に奪われたままだ。
「え? 何で?」
「自分のスカートを覗き込むようなヤツの手伝いするなんて、ありえないじゃん。それに最近、実佳、授業中に怯えてるような目でアイツのこと見てるだろ」
私はさっき飲み下した心臓をまた吐き出してしまうほど驚いた。
有里の席は私の二列右隣。だから確かに、私が彼の方を見つめているのを目撃してもおかしくない。それにしても、私は出来るだけ周囲の目を気にしながらさりげなく視線を向けていたつもりだったのに、既に気づかれてしまっていたなんてショック。でも幾ら何でも、「怯えてるような目」っていうのはないんじゃないの? 普段からそういう風に見えているのかしら? それとも霞君の方を見るときだけ?
私は急に周りの視線が気になりだした。と同時に、私の返事を待っている有里の視線にも気がついた。が、今の自分の気持ちを正直に話すことなど出来はしない。というか、まだ自分でもはっきり整理出来ていないのだ。
曖昧に悩む姿――、それは周囲が私に求める「クールでカッコイイ女」のイメージにはそぐわない。
「何言ってんの。弱みなんかないし、怯えてるわけでもないよ。アンタすぐに、何でもストーリー仕立てにするよね」
と、それだけ返し、私はニヤリとして有里の顔を覗き込んだ。彼女は少し照れながら、私の腕を抱く力をさらに強めて、「だって、その方が世の中面白えだろ」と言って笑った。
私達は、泥酔して駅前を歩く中年のオジサンのように、左右にふらつきながら教室へ戻って行った。
4.
地球上で一番最初に「当番」とか「日直」という制度を考えたのは誰だろう。ついでにそれを男女ペアでやらせようと思いついたのは誰だろう。
外国では男は幼少時から紳士として教育され、女性に対して常にフェミニズムを発揮すると聞くが、私の今までの人生の中で、この国の若い男が紳士たりえたというようなことを見たり聞いたりしたことがない。
男の子はたいてい、「掃除とか面倒臭えことは女がやるもんだ」と思っている。日直のペアを組んでいる大平もそう。彼は、黒板消しの汚れを落とすとか、床に落ちているゴミを手で拾うとか、そういったことに対して全く手をつけようとはしない。たまには代わりにやるどころか、私の手伝いをする気も全くないようだ。それでいて、私が中腰で床を這っている間に、「今度映画に行こう」だの、「帰りにお茶しに行こう」だのと笑顔で話しかけてくる。私が彼の誘いに応じない理由を、彼が自ら悟る日ははたして来るであろうか。
自ら敵を増やす気もないし、こういうことを女の子から教わるのは屈辱だと思うから、私は別に指摘しない。にっこり笑って、「また今度ね」と、柔らかく払いのけるだけだ。
かくして日直の労働負担は私に多くのしかかる。音楽室の黒板消しもクリーナーもどちらも古かったから、私は仕方なく廊下へ出て窓から身を乗り出した。
どうして音楽室だけ、後から使うクラスの日直が前の授業の片づけをしなければならないのかしら。何故音楽の授業があるときばっかり日直に当たるのかしら。なんて思いながら黒板消しを両手に持ってパンパンと叩き合わせる。粉の舞う様子に思わず顔を背ける。
でも音楽の授業は好きだ。歌うのも好き。けれど私の音域は狭いから、高い音はファルセットにしないと出ない。担当の和原先生はそれを快く思ってくれない。あくまでも腹式呼吸での歌唱力を伸ばすのが基本というのが信条だからだ。それも判らなくはないけど、歌なんてそれぞれが好きなように楽しく歌えればそれでいいんじゃないかしら、と思う。音楽のテストにしても、ジャンルや歴史、楽典についてならば判るけど、歌うことに対して点数をつけるのはどうなのかしら。
周りに誰もいないのをいいことに、私は窓辺で今月の課題曲を歌ってみた。高音域はファルセットにして。うん、いい感じ。この方がずっといい。腹式で苦しげに呻くより、この方が結構高いところまで震えずに伸びやかに行ける――、そう思った次の瞬間、私は危うく両手の黒板消しを落下させてしまうところだった。
ふいに訪れた人の気配に、私はこの上なく驚いた。そして振り向き、それが誰だか知ったとき、顔から火が出るほどの羞恥が来た。
それは霞君だった。そのとき私に出来たことは、黒板消しを強く握りしめて彼の顔を見ることだけだった。
もう最悪! よりにもよって、霞君にこんな恥ずかしいところを見られるなんて。穴があったら入りたいどころか、ダイナマイトを飲んで自爆したいくらいだった。
彼はその場に立ち尽くしていた。それも私を絶望的にさせる。せめて素知らぬふりをして、さっさと行ってしまってくれればよかったのに。私の全身は硬直し、黒板消しを落とさずにいることしか出来ないというのに。
けれど私は、羞恥のピークからしばらく解放されることはなかった。予想だにしなかった彼の次の言葉が、私に冷静さを取り戻すことを許さなかったからである。
「へえ、京野ファルセットの方が全然うまいじゃん。俺、今マジで感動しちゃった」
霞君は、あの子供のようなキラキラした光を目に携えてそう言った。
私はそこから先は、夢の中の出来事のようにぼんやりとしか覚えていない。
「そういう声質、ずっと探してた。もしよかったら、その声貸してほしいんだけど……」
多分そう言われたような気がする。
「あ、でも、これだけじゃわけ判んないよね。都合がつくなら、説明も兼ねて明後日ここへ来てほしいんだ」
彼がサラサラとその場で書いたメモを、私は右手で受け取っていた。内容をその場で読むでなく、そのとき私が思ったのは、右手に持っていたはずの黒板消しは一体どこに行ったのだろうということだった。
5.
そして二日後。私は全裸のまま、床に散らばした服の海の真ん中に鎮座していた。バイト先には休みの連絡を入れ、放課後まっすぐに帰宅して服選びを始めたのだが、二時間経っても何も決められずにいた。霞君との約束は午後八時だったから、まだ充分に時間はあるけれど、このまま同じことを繰り返していても私が全裸でなくなる日が来るとは思えない。けれどそれは楽しい選択だから、私は少しも苛々しない。
いっそのこと全裸で行ったら彼は驚くよね、なんて考えてから、身体の線にがっかりされたら立ち直れないだろうと思い、気が沈む。やっぱりこういうときはVラインの深いキャミ? それともブラウスで胸のボタンを多めに開ける?
ふと我に返って思う。私ってすごいエッチかも。でも女のおしゃれは男の目を引きつけるためのもの。これ、普通よね。
私は自分を納得させて、パンツにするかスカートにするか考える。全体のトーンを決めてから、それに合わせてピアスやマニキュア、リップの色を選んでいく。
彼が誘った、「J・グラフィティ」という場所がどういうところであるか判れば、服選びは楽になるかもしれないが、私はあえて調べようとはしなかった。未知なままの方がきっと楽しい驚きが増す。
彼が言った、「声を貸してほしい」という言葉の意味は何だろう。私はちょっとだけ考えて、すぐに詮索を止めた。
霞君と、学校以外の場所で、しかも夜会える。私はそのことだけに胸を弾ませていようと決めた。だが結局は、その弾むものを効果的に見せながら隠すものを何か身につけなければこの部屋を出られないことに、思考は戻るのだった。
午後七時五十分、J・グラフィティの入口前に私は立っていた。
繁華街の大通りから一本裏手に入った雑居ビルのB1がそこだった。自分の住む街にこんな場所があることを、私は今まで知らなかった。
店はまだ開いておらず、入口前のベンチには七、八人が座っていた。年齢、性別はバラバラで、誰もが無言。皆一人で来ているようだ。
ここで待っていれば霞君は来るのかしら。しばらくぼんやり待っていると、いつの間にか店の入口が開いて、出て来たスタッフが名前を読み上げ始めた。待っていた人達が一人ずつそれに答え、中へ入って行く。私もフルネームを呼ばれたので、それに従って中へ入る。
入るとすぐにレジカウンターがあり、前の人達はそこでお金を払って奥へ進んで行く。
私が慌てて財布をバッグから出そうとすると、レジにいた口ひげのオジサンが、「京野実佳さんだよね?」と訊いてきた。私が頷くと、「君の分は大丈夫。どうぞ奥へ」と言って、思わせぶりなウィンクをする。私が意味が判らずに立っていると、「君の分のお金はもうもらってあるってことサ」と、中年のくせにいたずら好きな子供のような笑顔。
私はそれに促されるまま奥へ入った。
短い通路を抜けると今度はバーカウンターがあり、「ワン・ドリンク制なので、お好きな飲み物をどうぞ」と声をかけられた。
何本ものボトルが壁に並んだり吊り下げられたりしていて、それらがグラスと共に天井からの光を美しく反射させてカウンターに模様をなしている。まるで、流行りのドラマの中で恋人同士がデートをする場所としてよく出てくるような、そんなカウンターだった。そこでコーラやジュースをオーダーすることはいかにも無粋に思えて、私は飲んだことのないジン・トニックを頼んだ。
グラス片手に振り返ると、そこは別世界だった。こぢんまりとしたステージにアップライトのピアノ、ドラムセット、ウッドベースや管楽器が並べられ、薄暗い中に淡く光る赤と青のスポットが幻想的な空間を作り出している。
ドキドキした。私は束の間、座る席を探すことを忘れてしまった。劇場で、始まる前に緞帳が上がるのを待つときのような、映画館でブザーと共にスクリーンを覆うカーテンが開くのを待つときのような、そんな雰囲気が私は大好きだ。
霞君はまだ現れない。彼は、この小さなライブハウスのステージを一緒に見ようと私を誘ってくれたのだろうか。彼の言う、「声を貸してほしい」という言葉から察すると、そうではなく、彼はステージに立つ側で、彼のやる音楽のために私の声を借りたいという意味の方がしっくりくるのだが、学校の中でのぼんやりした様子からは、彼がステージに立って演奏する姿を想像することはとても出来ない。
初めて頼んだジン・トニックが辛いくせに甘くすっきりとしていて、私の口に合ったお酒だわ、と思えるようになった頃、店内のライトが全部消えた。ステージの暗闇を、幾つかの人影がすっと移動する。
演奏は突然始まった。ステージのスポットライトだけが淡く灯る。
――ジャズ。どういうリズムやメロディを刻む音楽をジャズと呼ぶのか理屈は判らないけれど、これがジャズであることは判る。
ステージ上で次々に紡ぎ出される心地よい音のうねりとリズムが、バイブレーションとなり私を襲う。私はされるがままに深い陶酔に溺れる。
溜息も出ない。身動きも出来ない。私は視線だけをステージに這わせ、この空間を圧倒的に支配するグルーブを視覚からも取り込んで自分の官能をさらに行き着けるところまで深くしようと企んだ。
指先が気の向くままに鍵盤を跳ねる奔放なピアノ、出しゃばりすぎずムードを作るサックス、その後ろで、まるで愛しい女にするかのようにしっかりと抱いたボディの上に指を滑らせるウッドベース、そして――。
瞬間、私は息を飲んだ。この早めのビートを規則的に保ち、グルーブのボルテージをキレのいいブレイクで高めていくドラム――を叩いているのは、何と霞君だった。いつもはボサボサの黒髪を逆立てて固め、ライトの加減で顔が赤黒く見えるけど、私が見間違えるはずがない。
それは今までに私が見たことのない姿。ステージ上の彼は、とんでもなくセクシーだった。ブレイクや数フレーズのソロでも安定感たっぷりのプレイ、時折他のメンバーと交わす目配せ、ライトに光る両耳のピアス、額に浮かぶ汗――。
そして何よりも、とびきりの笑顔。目で追いきれないほど激しく身体を動かしながら、その労力に一曲目から汗を滴らせていても、本当に心から楽しそうだ。あんな顔、今まで見たことがない。彼の身体がパーツごとにあんなに激しく、それでいて滑らかに動くことを私は知らなかった。あのドラムスティックを激しく捌く彼の力強い両腕が、私の身体に触れるなら――。止めどなく浮き出ては飛び散る彼の額の汗を、私の指先が拭うなら――。
身体の奥が熱くなる。その熱はたちまち全身を駆け巡り、私の意識を奪ってステージ上の一点以外の光景をフェード・アウトさせる。顔が火照る。ジン・トニックの氷が、私が飲み干すより先に蒸発するほどに。
悔しい。胸がキュンと鳴り、どんどん苦しくなってくる。心臓は今にも爆発しそう。私は喘ぎ始める。まるで酸欠の金魚のように。でも欲しいのは酸素じゃない。けれど私の欲望は、金魚のそれのように純粋だ。
曲の境目になんか気づきもしない。周りの客の拍手を聞いても、私の腕は動かない。ブレイクタイム。ステージ上のメンバーが視界から消えると、私の意識はスイッチを切り替えて余韻の中へと深く沈み込む。そこから一ミリも浅瀬に向かいたくないと抗う。
再びステージが始まる。グルーブが戻る。熱い。身体の芯から。アルコールのせい?
それもある。でもそれだけじゃない。
こんな風に、何かに心も身体も奪われたこと、今までにない。
全ての演奏が終わってフロア内が明るくなったとき、私は放心状態だった。私を邪魔にして席を立つ人がいても、私は指一本動かせなかった。
しばらくして、ようやく吐息が一つ。身体が気怠い。エッチの後って、こんな感じなのかしら。勝負下着で覆った私の身体の各所から、それを思わせる反応が伝わってくる。自分の身体がこんな風になることが、自分自身で信じられない。
けれどその陰で、私は自分に問いかける。今までの人生の中で、私はステージ上の彼のように心から笑ったことがあっただろうか、と。
6.
気がつけば、客席にはもう私一人。幻想的な気配に身を嬲られているうちに、時間の感覚を失っていた。でもあえて腕時計を見る気はない。けれど、時間の経過を如実に示す現象が、私に「LADIES ROOM」と書かれた扉を開けさせた。
用を済ませて鏡の前に立ってみる。まだ頬が熱い。冷たい水で顔をジャブジャブと洗ってしまいたい気分だが、そういうわけにもいかない。
ジン・トニックに奪われたリップをゆっくり引き直す。うん、悪くない。ちょっと顔が赤いことを除けば、いつもどおりのカッコイイ私。
男はみんな、女の身体が細く柔らかそうなカーブを描き、その内奥が見えそうで見えない服が好き。それが一番よく私を引き立てることを知っているから、私はそんな服を好んで身につける。だけど今目の前の鏡の中に、私は映っているだろうか?
トイレから出ると、バーカウンターの周りが賑やかだった。ステージを終えたバンドのメンバーがバーテン達と談笑している。
「やあ京野、来てくれたんだね」
私を見るとすぐに、霞君が声をかけてきた。グラスを持ったまま私の手を取り、隣の止まり木に座らせる。さっきまでスティックを持って、激しくドラムを叩いていたその手。それが私の皮膚に体温を感じさせる。熱い。とっても。
「どうだった? 俺達のステージ」
彼は屈託のない表情で、まっすぐに質問を投げかけてきた。それに合わせて他のメンバーも笑顔で好奇心たっぷりの視線を向けてくる。
長い白髪をポニーテールにしたピアニストのオジサンは五十から六十歳くらいだろうか。サックスの黒人はきっと三十代。ウッドベースの男の子は二十二、三といった感じ。彼らに共通しているのは、あどけない子供のような表情とキラキラ輝いている瞳。それが八個も揃って私を見つめているなんて、思わず身をよじりそうになる。再び頬が真っ赤に染まる。努めてクールになろうとするが、自制がうまく働かない。
「あの――、もう、何か入り込んじゃって、気持ちよくてボーッとしているうちに、いつの間にか終わっちゃってて……。私、ジャズ生で聴いたの初めてだったんだけど、曲がどうとかいうより、その気配に圧倒されちゃって――。ごめんなさい。私、ワケ判んないこと言ってる」
私の支離滅裂な言葉に呆れるかと思ったら、みんな「へえ」とか「ほお」とか言いながら、私を見る目に強い光を込めてくる。
「京野、いい感性してんな。そういうことが判る人なんだ」
霞君はニヤリとして私に顔を寄せた。意外な驚きだが実は予想していた、というような嬉しそうな表情。
「ありがとう。それは最高の褒め言葉だよ」
と、白髪のピアニストは私にウィンクを投げる。
でも私は、それに対して気の利いたリアクションを返すことが出来なかった。私の神経は過敏に昂ぶっている。感性? 感じる、ってこと? 演奏中の陶酔状態を思い返し、また身体が熱くなる。
きっと私はバカみたいにうろたえている。傍目から見ても、今の私にはカッコよさなど微塵もない。でももうダメだ。こんなシチュエーションは初体験。リカバリーする方法が見つけられない。どうしよう? とりあえず、正常な思考を妨げるこの身体の熱を少しでも冷まさなければ。
私は動揺し、目の前にあった氷入りのグラスに手を伸ばすと、中の液体を一気に体内へ流し込んだ。確かに液体そのものは冷たかった。けれどそれは見事に私の期待を裏切り、全く正反対の効果を瞬時に私の体内にもたらした。
辛い。そして熱い。猛烈に熱い。口の中が、液体が流れ落ちていく喉が、胃が焼けそうに熱い。私は激しく咳込んだ。けれどそれはその熱い液体が体内を駆け巡るスピードを助長し、呼吸を奪い、鼓動を激しくしてさらに私を苦しめた。
「な、何コレー。すっごく、辛い……」
私は途切れ途切れに声を絞り出した。
霞君がちょっと心配そうに新たなグラスを私に差し出してくれる。私はそれを掴み取り、一気に飲み干した。今度は正真正銘の水。ようやく私は深く息を吐く。
「辛いに決まってんじゃん。それ、ウィスキーだもの。しかも俺の」
何てこった。私がアメリカ人だったら、きっと今頃「オーマイガッ!」と叫び出しているところだ。うろたえるあまり人のグラスで一気飲み。その上激しくむせて醜態を晒してしまった。どうも私は、この人の前でいつもどおりカッコよく振る舞えない。
彼はウィスキーのお代わりを頼み、私のオーダーも訊いてくれたので、私はジン・トニックを頼んだ。
「いつも、そんな辛いの、飲んでるの?」
私は訊いた。
「慣れれば別に辛くないよ。かえって、甘いかな。俺、ビールなんかよりこっちの方が性に合ってる」
そう言って、彼はグラスに唇をつけた。その仕種がとてもさまになっている。きっと飲み慣れているのだろう。体育祭や合唱祭など、校内のイベントの後にクラスで開く飲み会に一度も顔を出さない彼が、こんな風にアルコール度の高いお酒を飲むなんて、全く予想外のことだ。
「飲めるんなら、クラスの飲み会にも時々顔を出せばいいのに」
「それは、遠慮しとくよ。俺、飲みたいときに飲みたい分だけ自分のペースで飲みたいから、一気飲みを強要されたり、騒いだりするの好きじゃないんだ。それにみんなと仲良くないし、イベントの達成感も共有出来ないしね」
「そんなこと……」
私は言葉に詰まった。確かに学校内での彼は、盛り上がってバカ騒ぎの出来る性格には思えない。
気がつくと、彼以外のバンドのメンバーはカウンターから消えていた。
「でも、もうちょっとみんなと仲良くなれればいいのに。今のようにほとんど仲間外れみたいな状態、嫌じゃない?」
「そりゃあ、気分よくはないさ。でも正直、そんなことどうだっていいんだ」
「随分、投げやりなのね」
表情からそうでないことは判っていたが、私はあえてそう言った。案の定その言葉は、屈託のない笑顔にすぐに弾き飛ばされる。
「そうじゃないよ。俺、本気でジャズドラマーとして将来やっていきたいと思ってるんだ。だからまずは今のバンドでメジャーデビューしたい。そのための努力を今までもしてきたし、これからも惜しむつもりはない。
学生だから、当然学校には行かなきゃならないんだけど、それ以外の時間は出来るだけそのために費やしたいんだ。学校終わったらバイトしたり、スタジオで練習したり、ライブに出たり、作曲したり――。俺にはやることが沢山あるんだ。その結果、クラスメイトと疎遠になったとしても、それは仕方ないって思うしかないし、クラスメイトの方から俺にコミュニケーションを求められても、俺は時間的にも彼らの期待には応えられないから、それで仲間外れにされるなら、まあそれも仕方ないかって」
「大人ね」
「どうかな。何が大人で何が子供かなんて、定義の仕方でどうにでも変わるじゃん。俺は、俺が俺であるためにやりたいことをする。それだけだよ」
そう言って、彼は残りのウィスキーを一気に飲み干した。カウンターに置かれたグラスの中で、バーテンが刻んで作った球形の氷がパキーンと音を立ててまっ二つに割れた。その音は、私の頭の中になお一層強く響いた。
「……カッコいい」
私のそれは、半ば呆然とした呟きだった。
自分の夢のために素直に懸命に生きる。これこそ本当のカッコよさだ。私の求めたものとは雲泥の差。私のは見た目だけ。うわべだけ。彼の前にこんな露出の多い服を着て来たことが、今になって無性に恥ずかしく思える。本当にカッコイイ女は、きっとTシャツにジーンズでもカッコイイのだ。
「だろ? なかなかいないよ、前向きに仲間外れになれる奴。……なんてな」
その、子供のようなキラキラした瞳。私が日々求めて止まなかったそれが、今までは見て楽しむだけだったものが、今は私の表皮を通り抜けて深々と心に突き刺さる。
「ヘイ――」
突然背後から、早口の英語がまくし立ててきた。振り向くと、カウンターから消えたメンバーがステージ上で楽器を準備して待っている。でも驚いたのはそのことじゃない。霞君が、サックスの黒人に負けないくらい早口の英語で言い返したことだ。
「英語、話せるの?」
私は目を丸くして訊いた。
「そうだね。あいつジョニーって言うんだけど、ジョニーと話す分には全然問題ないよ。もっともあまりいい言葉遣いじゃないから、正しい英語と呼べるかどうかは判らないけどね」
この人、本当に底が知れない。一体何度私を驚かせれば気が済むのだろう。
彼は出来ること、出来ないことを素直にはっきりと口にする。それでいて少しの嫌みも翳りもないのだ。
「ジョニーがそろそろ始めようってうるさいから、本題に入ろうか」
そう言って、彼は私を口説き始めた。
ジャズは基本的に先人達の名曲を引き継いで演奏するだけのように思われがちだけど、自分達のバンドはジャズに新しいムーブメントを立ち上げたいと思っている。そのために自分達で曲作りをし、それを元にメジャーデビューを果たしたい。
その売り込み用のデモテープ作りにぜひ協力してほしい。今回の曲にフィットする女性の声を俺達はずっと探してた。黒板消しを叩きながら歌っていたあのファルセット、あのときの君の声が最高にいいと思った。絶対俺達の曲にぴったりだ。俺はそう確信したから、君にここへ来てもらった。みんなも待っている。だから歌ってほしい、あのファルセット。
いつの間にか私の手を取って力説する彼の瞳から、逃れられる人がいるとは私にはとても思えなかった。彼の夢に協力する。彼の力になれるということ。最初から私に否やのあろうはずがない。
でも正直に言うととっても怖い。私で力になれるだろうか? 彼らの期待に応える力が私の中にあるのだろうか?
そんな思いが私の中の素直な「イエス」を引き留める。
でも彼は私の表情を読み取ると、手を引いて無理矢理ステージに立たせた。新たに設置されたボーカル用のマイクスタンドが、鈍い輝きを放って私にプレッシャーをかけてくる。
「京野、楽にして。あのときみたいに、両手に黒板消しを持っていると思えばいい。……楽譜、読めるか?」
ドラムセットに座り、スティックを指先でくるくる回している霞君に、私は不安げに首を振った。
「ダンさん、頼みます」
彼がそう言うと、ピアノのダンさんがコードを一つ鳴らし、私にほほえみかけた。
「そんなに緊張しないで。左手が伴奏、右手が君の歌うメロディ・ライン。よく聴いて、音を覚えて。歌詞はないから、ラララでいい。繰り返し弾くから、慣れてきたら声を出してみて」
私は唾を飲み込みながら頷いた。何度かの繰り返しの後、少しずつ声を出してみる。かすれている。身体も口も強張っている。それでもピアノのダンさんはにこやかな表情を崩さずに、何度もフレーズを繰り返してくれる。
けれど私の心は申しわけない気持ちでいっぱいだ。早くちゃんと歌わなきゃ。みんなの期待に応えなきゃ。私がちゃんと歌えなきゃ、霞君の立場がなくなっちゃう。彼の前でこれ以上みっともない姿を見せたくない。バンドのみんなに、使えない奴と思われたくない。そう思えば思うほど自分の首を絞めることになるだけだというのが判っているのに、私は既にこの思考の悪循環を断ち切る術を失っていた。
ふと、伴奏中のダンさんの視線が私から逸れた。何だろう? そして背後に人の気配。でも振り向くより先に、私の耳の裏側に息が吹きかけられた。
「きゃあああっ!」
思わず叫び声を上げた。そこは私の身体の中でもっとも敏感な部分の一つ。男女にかかわらず単なるクラスメイトがこれをやったら、ソッコー平手打ちして一生涯の絶交を宣告するところだ。
「――!?」
やったのはもちろん霞君。私は動揺しまくり、口をぱくぱくさせながら彼を見た。彼は最初だけいたずらっぽい表情を見せていたが、すぐに真剣になった。
「京野さあ、最初からうまくやろうとか思わなくてもいいよ。ステージに立つの初めてなんだから、それでうまく出来たら、俺らの立場がないじゃんか。お前、歌うの好きだろ? 俺知ってるよ。そうでなきゃ、あんな伸びやかなファルセット出せやしない。
リラックスして、歌うことを楽しんで。誰が期待してるとか、そんなこと考えないで、好きな歌、歌ってよ」
私はまだジンジンする耳の後ろではなく、激しいビートを刻む左胸に手を当てた。
「ごめん、びっくりさせて。でもこれやると、ホントにリラックス出来るんだぜ。身体の力、抜けたろ?」
「……うん」
鼓動が緩やかに戻ると、確かに身体からよけいな緊張がなくなっているのが判る。
「俺も初ライブのとき、ステージに立つ前にダンさんにやられたのさ」
そう言って霞君が視線を投げると、ダンさんはそれに思わせぶりな笑みをニヤリと返した。
「でも自分のパートだけだと、確かに歌いにくいかも。ジャムに巻き込んじゃった方が、勢いでいい声が出るのかな。ダンさん、それでいきましょうよ」
ダンさんの返事と霞君のドラムソロが始まったのはほとんど同時だった。すぐに他の楽器が追いかけて心地よいグルーブを作る。いい感じ。これならゆったりとした気持ちで声が出せそう。
ダンさんは、他の楽器にかき消されないように強めにメロディ・ラインを弾いてくれている。それでも私は一小節目の出だしを外してしまった。けれど、今はそれでもいいや、と思える。
歌い始めた中で一つ判ったことがあった。あんなことして平手打ちせずに許せるのは、たぶん霞君だけだ。
自然に声が出た。ファルセットもいい感じに伸びる。ちらりと見ると、みんなの表情が変わっている。でもそんなことどうでもいい。心地よいリズムの波にぷかぷかと身体を浮かべて空を見ているような、そんな気分。霞君と目があってもウィンクを返せるほど、今は心に余裕がある。それに対して彼が心底嬉しそうな笑顔を返してくれたから、私の歌はまた一小節飛んじゃった。
でもみんな楽しそう。私も楽しい。こんな気持ち、一体いつ以来だろう。もしかすると初めてかも。
演奏は続く。私も歌う。最初から通したり、パートのアレンジを変えてみたり、ラララを崩して歌ってみたり――、心地よい疲れと共にライブハウスを出る頃には、朝日が昇りかけていた。
時の経つのを忘れるほど夢中になったのは、本当に久しぶり。バンドのみんなとの一体感も、目にしみる淡い自然の光もホントにホントに心地いい。
「行こうか」
そう言って私を見る霞君の笑顔に暁の光が射しかけて、私の目を眩ませたとき、それは確信に変わった。
私は、ずっと前からこの人が好きだったのだ。
6.
その日から、彼を見つめる私の視線は前より一層熱を帯びたものへと変わった。自分でもそれが判っているから、出来るだけ視線を向けないようにしているのだが、彼はまるで極性の異なる磁石のように私の瞳を吸いつける。
気がつけば、私は霞君のことばかり考えている。家にいるときは何をしているのか、食べ物や映画の好き嫌いはどうかとか、そんなことも考えるけど、もっと強く私の興味を引くのは、普段は髪の裏側にあるピアスの穴のこと、ドラムスティックを握る手に滲む汗の匂い、バスドラムのペダルを踏むときのふくらはぎの筋肉の動き、彼の咬む指の爪の色――、私って、変態かしら?
そして当然エッチなことも考える。彼になら、されてもいい。いや、彼となら、したいと思う。そういう目で私は彼を見る。そして、裸になったときの彼の身体の各パーツはどんなかなと想像をたくましくする。他の男の子ならとうてい耐えられないが、彼になら私は身体のどの部分に触れられても不快感を覚えないだろう。不快感どころか、きっとそのとき私の身体は全神経を鋭敏にして、彼の手が奏でる甘く狂おしいほどのバイブレーションを待ち焦がれるだろう。そして次に訪れる痛みに恐怖しながらも、その先に待つ深い官能の谷底へ自ら落ちることを望むだろう。
高校生にもなれば当然、性についての知識はある。避妊についてもそう。けれど彼とそうなりたいと願うとき、そうしたことは全て吹っ飛んじゃって、とにかく今すぐそうしたいという強い衝動が来る。それは確かに、私達の年代に当然のようにある「人より早く異性を知る競争」の影響があることは否定出来ないけれど、でもそんな衝動に身を焦がしても、決して消極的ではない性格の私が自分から彼にそう言えないのは、未知の部分に対する恐怖があるから。
友達に恋のアドバイスをしたり、自分を見せる術をそれなりに知っている私を周りは場数を踏んだ女だと思っているけれど、実は私はまだヴァージンだ。だからエッチに対する強い欲望を持ちつつも、大いなる不安が私の中に住んでいる。
彼は、私の身体に満足してくれるだろうか?
最大の懸念はこれだ。服を脱いだ彼の身体がどんな風でも、私は受け入れることが出来る。でも彼はどう思うだろう? 身体を覆う全てのものを脱ぎ捨てた私を綺麗だと思ってくれるだろうか?
私の感情はとことん先走る。まだ彼に告白してもいないのに。それに対して、彼がどう応えるかも判らないのに。
でも私は知っている。この先走りが相手に対する思いの強さの表れであり、「人より先に異性を知る競争」をしながら、実際には「いつ」ではなく「誰と」の方がはるかに大事だと、既に自分が本能的に気づいているということを。
今日、私は寝不足だった。
朝日が昇りきった頃に自宅に戻ると、待ち構えていた父に平手打ちを食らった。母も起きていて、朝帰りの理由を問い質す。ライブハウスでの出来事は、既に私の中でかけがえのない財産になっている。だから相手が親であるなしにかかわらず、私は誰にも言いたくなかった。
やましいことは何もない。友達のところに行っただけ。
私はそう主張したけれど、露出の多い服とアルコールの匂いが彼らの疑念を深めているようだ。でも私の主張はある意味真実。一晩帰らなかっただけで、犯罪者のように拘留して尋問したり、自白を強要したりしないでよ。
「いい子だから」、「安心している」、「信じているから」なんて虚飾の言葉で無関心を繕うやり方なんて、もう見飽きてる。「そんな服で」って言うけれど、この服今日初めて着たわけじゃないよ。もっとセクシーな下着もあるけど、時々洗ってくれているのに覚えてなんかいないんでしょ。
私が毎日学校へ行って何をして、何を考え、どんな友達がいて、どんな風にバイトして、どこで服や下着を買うのか少しも知らないくせに、どこを見て安心出来ると言うの? だからこんなとき、感情が昂ぶったりすると本音が覗いてしまうんだ。
最初は話せば判ることだったのに、いつの間にか話す場所すら見つけられないほど距離が開いてしまったのは、私が望んだことじゃない。
私がそのまま何も言わないので、両親は追及を諦めた。
「さっさと寝ろ。もう二度とするな」
そう言って身を翻した父を見て、私は深い悲しみを覚えた。死刑囚の身体を電気イスに縛りつける刑務官だって、あんな冷酷な目つきは出来ないだろう。
母は学校を休むように言ったけれど、私は少し眠ってから行くことにした。幸い殴られた頬は腫れるほどではないし、目の隈もそんなに目立たない。
登校中に有里達と一緒になったけど、彼女達に「どうしたの」と一度も言わせないほど、私は私を演じきれた。唯一訊かれたのは、昨夜あったケータイの着信に応えなかった理由についてだが、これについては曖昧に返事をしておいた。
外気を遮断した教室内はぽかぽかと暖かく、私は幾度となく睡魔に屈服しそうになった。が、その度に私はなくなりつつある精神力を振り絞って目を開けていた。
授業中に机に突っ伏して眠る女をカッコイイとはお世辞にも思えないからだ。だけど今日はとても耐えきれない。少しくらい……と思っていたら、前の席の藤崎君が先に机に伏して眠ってしまった。そうなると、私の様子は教壇から丸見えだ。それに、いつ霞君の視線が私の姿を望むかもしれないと思うと、やはり眠っているわけにはいかなかった。
奇跡的に昼休みに辿り着いたものの、さすがにもうこれ以上はダメだと思った。昼食を摂ったが最後、五時間目以降熟睡してしまうだろう。私は購買には寄らず、屋上の日向で少しでも眠ろうと腰を浮かした。
が、すぐに有里達がはしゃぎながら机を寄せて来た。
「実佳、今日何にする? クロワッサン? それともコロネ?」
これこそ校内で唯一の楽しみと言わんばかりの笑顔を、有里が向けて来る。
「私、今日お昼パス」
「えーっ、何で?」
「どっか具合でも悪いの?」
そう訊かれても、「眠いから屋上でちょっと寝る」なんて本当のことは言えない。屋上は本来生徒の立ち入りは禁止だし、一つだけ施錠されていない入口があることを話したら、「じゃあ今日はみんなで屋上でランチにしようよ」となるに決まっているからだ。
「お財布、忘れちゃったから」
咄嗟に口から出た嘘の中では、今までで最悪の部類に入るだろう。もちろん本当は忘れてなんかいない。でもみんな本気にしてくれて、購買で私の好きなパンと飲み物を買って来てくれた。
「貸しなんて言わないよ。こういうときはお互い様だろ」
と、幾つもの屈託ない笑顔の前で、私は萎縮するしかなかった。これで机から離れることは出来なくなった。あらゆる意味で最悪の発言だ。
私はみんなの親切に囲まれて、仕方なく目の前のパンを食べ始めた。まるで一口ごとに睡眠薬を喉に流し込んでいる気分だ。せっかく有里が私のために人気の高いホイップアンドショコラを買ってきてくれたというのに、味なんか判らなかった。
「そう言えば、学祭終わると進路相談だね」
メンチカツサンドを頬張りながら、何気なく倫世が言った。
「そう言えば、そんなのあったね」
と、理子が返す。
私達の高校では、二年の二学期から三学期までにとりあえずの進路を絞り込み、それに基づいて三年への進級時にクラス替えがなされる。大まかに、大学・短大への進学コース、専門学校進学コース、就職コースに分けられ、それにより年間の授業科目数、時間についてもそれぞれ差が出る。
「私はね、もうバッチリ決めてあるんだ」
と、まさかの有里がそんな風に言ったものだから、みんな本当に驚いた。
「へえ、アンタ何すんの?」
理子が興味津々といった顔で覗き込む。
「専門学校行って、美容師になる。それでもって、将来自分の店を持つのが夢」
照れながら胸を張る有里の言葉に、私の驚きは倍加した。互いに親友を自認する関係のはずなのに、私は今まで有里の夢について全く聞いたことがなかった。
「マジいいじゃん。アンタらしいよ、それ」
「そうだよ。絶対いけるって。何か今、イメージ沸いたもん」
私以外の二人が感嘆を込めてそう言うと、有里は「そうかな、えへへ」なんて髪をいじりながら、「そう言う理子はどうなんだよ」と聞き返した。
「私ん家さあ、お母さんがアパレルの店やってるじゃん。だから多分そこで働いて、いずれ店を継ぐことになると思う。お兄ちゃんはそういうのヤダって家を出ちゃったし。でも私はね、全然嫌じゃないんだ。自分も綺麗な服を着れるし、人が綺麗になる手伝いをするのって何かよくない?」
「うん、判る判る。アンタそういうの向いてそう」
「でも自分が気に入った服、店に並べる前に全部自分で買い占めちゃうんじゃない?」
「そんなこと、しないよお」
束の間起こった笑いの渦の後、倫世が言った。
「私も多分専門学校。私はね、ホテルで働きたいの」
「ホテルって、ラブホ?」
「違うよ。海外の要人とかが泊まるすごいヤツ。そこで最初は接客応対をして、ゆくゆくはホテル全体を統括するマネージャーになりたいの」
終始無言のままみんなの夢を聞いていて、一つ判ったことがある。それは、彼女達の瞳の輝き。夢を語ったり、それに対する努力をしているときには、誰の瞳にもキラキラとした輝きが宿るものなんだ。霞君の瞳の輝きも、きっと同じ理由? もしそうなら、私が彼のことばかり見つめていたのは、彼の瞳に宿るそれを見たがったわけは、ただ単に私が持っていないものを欲していただけのこと?
「そう言えば、実佳は?」
ふいに有里が私に問いかけてきた。が、すぐに答えを用意出来ない。
「実佳は当然、四大よね。頭いいから」
「そうだよね。この中で大学行けるの、実佳くらいよね。いいなあ、花の女子大生かあ」
「そっかあ。そうなるとクラス、別になっちゃうよなあ」
そういう風に話が進んでしまうと、私はただ笑顔を作っているしかなかった。
確かにコースとしては大学進学を選択するつもりでいる。けれどそれは表向きで、本当は大学へ行く気なんかない。
私の両親は体裁上、私が高校を卒業するのを待って離婚する気でいるから、その先どちらの援助も期待出来ない。それどころか、慰謝料に関する泥仕合の準備を今から着々と進めている彼らの目に、私の姿はもう映らなくなって久しい。奨学金を得てまで大学へ行くほど、したい勉強があるわけではないし、今後保護者の同意が必要な案件をもう増やすのは嫌だ。
みんなそれぞれやりたいことを持っていて、それを胸を張って語ることが出来る。でも私のは、前向きな気持ちから生まれたものじゃない。だから今まで誰にも話したことはない。
今日の昼休みは、将来の話題で持ちきりだった。恋愛関係の相談や噂話は今日に限っては出ない。
私は自分については触れられないように、彼女達の夢への思いを引き出し、聞く側に専念した。みんなそれぞれに熱い思いを吐露してくれる。私は時折相槌を打ったり、話の内容を一段深く掘り下げるための質問を幾つか投げかける。
会話には眠気を紛らす効果があり、それで少しは救われはしたものの、充分に昼食を摂ってしまった私には五、六時間目の授業はまさに地獄だった。それでも何とか眠らずに耐え抜いたのは、ほとんど尽きかけていた精神力を小さなプライドが支えてくれたのと、午前中眠り続けていた前の席の藤崎君がフケてしまったからだった。
放課後になると、さすがにもう限界だった。過度の眠気が体力を消耗させ、立っているのもしんどい。
私は急用があるから、という理由で有里達の誘いを断り、一人靴箱へ向かった。自分では急いでいたつもりだが、靴箱までの道のりがやけに遠く感じられる。
ようやく辿り着き、靴を履き替える。少しホッとして、さらに瞼と身体が重くなる。この時間なら家には誰もいない。帰ったらすぐに寝よう。制服を脱ぐ気力が残っているかは、別にどうでもいい。
そのときふと、誰かが私の肩を軽く叩いた。既に頭の中が眠ることでいっぱいの私は、呼び止められたことに猛烈な不快感を覚えた。
だから私は振り向きざま言い放った。
「ごめん! 私、今日ホント急ぐから……」
そして瞬時に大いなる後悔が私を襲った。
私を呼び止めたのは、霞君だったのだ。私はその場に凍りついた。
霞君は全く表情を変えないまま、
「あ、そうなんだ。ゴメン。じゃあまたにするよ」
と、手を軽く上げて歩き去って行った。
私はもう、その場に倒れて意識を失いたいくらいだった。
7.
そして学祭の当日がやって来た。
このときばかりは、教師も生徒もたいていは普段とは違ういい表情になる。校内にいるのに開放感がある。いつもは陰に潜んでいたロマンスが発覚したり、新たに生まれたりするのもこんなときだ。
校内は至るところ賑やかだ。最初に校門の上に造花で彩られたアーチをくぐるだけで、もう心静かにはいられない。それは関係者も来客も一緒みたい。こちらが作り出すテンションに、来客もすぐに溶け込んでくれる。
グラウンドでは各運動部の招待試合に一喜一憂し、惜しみない声援を送ってくれる。教室内のクイズ大会や各種パーティ・イベントなどは、ときに司会者の意図を超えるほど盛り上がる。模擬店の売り上げも上々のよう。普段は廊下ですれ違っても知らん顔の仲でも、今日は笑顔で相手のクラスのイベントの状況を訊き合ったりしている。校内がこんなにも活気に満ち溢れることは、一年のうちにこの時期をおいて他にないのではないだろうか。
私達のクラスも盛況だった。綿あめや焼きそば、ソースせんべいなど、お祭りをイメージした屋台は意外なほど人気があった。調子に乗った男の子達は、最初展示するだけだったはずの自作の御輿を担ぎ上げ、ギャラリーを引き連れて校内を練り歩き出してしまった。
予定外のことが起きても、それが周りを笑顔にするなら今日は誰も咎めない。
朝から綿あめ屋のレジ係だった私は、お昼の来客ピークを捌いてようやく解放され、遅い昼食を摂りに教室を出た。ここから私は自由時間。交代制なので、自由時間はみんなバラバラ。
係用のエプロンを脱いだ私はホッと安堵の息をつく。忙しくて、額に汗が滲むほど暑苦しかったこともあるが、スカートの丈よりはるかに長く野暮ったいデザインのエプロンからようやく解放されたのが嬉しい。
さて、何を食べようか。美味しそうな食堂をやっている教室もあったが、私は一人で店に入って食べるということがあまり得意ではなかったから、見るだけにしておいた。
廊下をのんびりと歩きながら、通りがかる教室の中を眺めて行くのはなかなか気分がいい。
朝の出欠確認のとき以来、私は霞君を見ていない。私の方が教室から動けなかったから当然といえば当然なのだが、こうして行く先々を見渡しても一向に出会わない。途中で帰ってしまうような人には思えないのだけれど。
あの日靴箱で声をかけてくれたとき、彼は一体何を言おうとしたのだろう。私は気になって仕方がないのだが、どうしても訊けずに無為な日々を過ごしてしまった。でもこんな開放的な気分の今なら、さらりと訊けそうな気がする。けれどそういうときに限って出会わないものなのだ。
次第に空腹感が私の中に広がって来る。近くのコンビニでサンドウィッチでも買って来よう。霞君を捜すのは、それからでもいいや。
コンビニへ行くのに、正門まで歩くのはかなりの遠回りだ。校舎の裏側から外壁を乗り越えて外へ出るのが一番早い。普段なら周囲の目を気にして慎重になるところだが、これだけ大人数の出入りがある今日は誰も気に留めないだろう。
私は即決し、廊下を抜けて校舎と自転車置き場の間を通る。少し行くと外壁寄りに焼却炉がある。もう使われなくなって久しく、相当老朽化している。その回りに積み上げてあるブロックを踏み台にすると、簡単に外壁を越えられるのだ。
ブロックに片足をかけたところで、ふと人の声がして私は振り返った。ここは校舎の裏側。窓から教室の中を覗き込める。声のする方向を辿って行くと、飾りつけのされていない教室が見えた。視聴覚準備室。声がするのは、この開け放たれた窓の奥からだ。しかももめているような男女の声。私はそっと窓際から中の様子を窺った。
何と中にいたのは理子と、体育教師の黒西。黒西が理子の腕を掴んでいて、理子は明らかにそれを嫌がり、振り払おうとしている。
私は足下にあった枯れた小枝を、わざと大きな音を立てるように踏み折った。
パキン、という音がして、二人が窓外へ視線を向ける。私は偶然通りがかった風を装って、彼らの前に姿を現した。
二人の表情は対照的だった。黒西は明らかに狼狽し、理子は安堵の笑顔。黒西が理子を掴む手が解け、理子はこっちへ駆け寄って来る。黒西は何か叫びたそうだったが、無言のまま教室を出て行った。
理子が窓枠を乗り超え、裏庭へ出て来る。
「助かったよ、実佳。ありがとう」
心の底からそう言う理子に、「どうしたの?」なんて訊くのはカッコイイ女のすることじゃない。話したい人は、そのうち自分から話してくれるものだ。
私は言った。
「これからコンビニにお昼買いに行くんだけど、一緒にどう?」
理子は頷いた。
私達は通行人にパンチラショットをサービスしながら外壁を飛び降り、私はパンを二個、理子はプリンとアイスティーを買った。帰りしなに、理子は自分からさっきのことを話してくれた。
足りなくなった焼きそばのプラスチック・トレイを取りに理子が視聴覚準備室に入ると、中に黒西がいたらしい。それは全くの偶然だったけれど、手ぶらで戻るわけにはいかないので、理子は仕方なく無言のままトレイを探し始めた。そのうちに、突然腕を掴まれたのだと言う。
この前の体育の授業後のことがあったから、理子はかなり警戒していて、掴まれた瞬間に悲鳴を上げそうになったけれど、すぐには誰も助けに来てくれないような場所でそうすることの危険性を考え、咄嗟に喉まで出かかっていた叫びを飲み込んだ。
黒西は半ば泣き落としに近い状態で、「僕と真剣につき合ってほしい」、「本気で君が好きなんだ」などと迫ったそうだ。ついでに、先日離婚して今はフリーであること、慰謝料は発生しないから君一人養うには充分すぎるほどの蓄えはある、と訊いてもいないのに話したそうだ。
いかなる条件があろうとも、もはや恐怖と生理的嫌悪感しか感じない相手に恋愛感情を持つことなど絶対にありえない。
だから理子は、出来るだけ穏やかに、それでいてつけ入る隙がないほどにきっぱりと拒絶したらしい。当然だ。
でもそれに対して激昂し、黒西が口走った言葉が私達に例えようもないほどのショックを与えた。理子が、「一言一句忘れやしない」と震えながら話してくれた黒西の言葉はこうだ。
「俺ら教師は、お前ら生徒の住所や電話番号はおろか、親の勤務先さえ知っている。その気になれば、生徒一人の人生、メチャメチャにするのはわけない」
そのやり取りの後で、私が窓から現れたというわけだ。
これは、明らかに犯罪的な脅しの言葉。それを吐くことによって、絶対に相手が翻意して自分の方を向いてくれる確率はなくなるのに、男は時々こういう言葉を平気で口にする。
こんなとき私は思う。恋愛において男女は平等ではなく、ましてや女に有利などでは全くない、と。
今や、道で男にナンパされ、断ったらナイフで刺される時代。繁華街へ行けば男の集団に無理矢理どこかに連れ込まれる危険があり、四、五歳くらいから、さらわれたり、いたずらされたりという危険が待ち受けている。ミニスカートを穿くJKは全員援助交際をしているものだとマスコミが決めつけ書き立てれば、信じたアホ共は、酔いに任せて街角でケータイの番号と共に「幾ら?」と値段を聞いてくる。無視すると逆ギレして罵詈雑言を吐きかける。そんな風に、女の性と恋愛に関する感覚を根こそぎ蹂躙することばかりが世間に起こっても、誰も助けてはくれない。
いつだって割を食うのは女。汚辱を雪ぐために自らを何度も傷つけねばならないのも女。立ち向かったがために完膚なきまでに性を貶められるのも女。刑法において物品の価値よりもその性が軽んじられているのも女。
すっごく嫌な気分。黒西の言葉は、そんな現実を私達に目の当たりにさせる。こんなにも脆い生き物って他にあるだろうか。動物や昆虫だって雌を守るために戦うというのに。
でも私も理子も、特に俯いて歩いているわけではなかった。教師同士のやり取りを今まで見た中で、黒西はそんなに度胸のある奴じゃないってこと、私達は知っていたから。それに今日、明日は待ちに待った学祭を楽しむ方が優先だ。
「とにかく、あいつには人目があるところで迫って来る度胸なんかないんだから、シカトしてればいいよ。当分は校内外で一人にならないことだね」
「うん」
「もし黒西が教師の権限で呼びつけるようなことがあったら、必ず私達に教えなよ。誰かしらついて行くようにするから」
「うん。ありがとう」
理子は笑いながら頷いた。もし黒西がそれ以上やるようなら、そのときは出るところへ出るしかない。
外からは踏み台がなく近道する方法がないため、私達は正門から校内へ戻った。そして一階の購買の脇にあるロビーのベンチで昼食を摂った。しばらくすると、そこへ有里と倫世も集まって来た。みんな担当の仕事が終わってフリーになったのだった。
「これからどうする?」
と有里が訊くと、みんなが異なる意見を出したので、それじゃあ三時半のミッキー達軽音部のステージまでバラバラに行動しようということになった。軽音部のステージは学祭で一、二を争う人気の高さであり、ミッキー達からも絶対沢山人を連れてきてほしいと言われていたのでみんな行くことに決めていた。
厳密にはバラバラではなく、私達は二手に分かれることに落ち着いた。サッカー好きの有里と理子は招待試合の行われるグラウンドへ、私と倫世は校内をぐるぐると見て回ることにした。有里にはさっきの理子と黒西の一件をまだ話していないが、こんなとき彼女ほど頼りになるパートナーはいない。私は霞君を捜したかったのだが、これといって当てがあるわけでもなかったので、倫世と行動を共にすることにしたのだった。
私達は並んで歩き出した。
倫世の身長は私とほとんど変わらない。絶対的に違うのは胸の大きさ。本人は具体的なサイズを明かさないけれど、軽く九十センチは超えているんじゃないかしら。全体的な身体のラインが起伏に富んでいて、女らしくて綺麗。私は時折羨ましく思う。
「こんなの全然よくないよ。重くて肩凝るし、走ると揺れて邪魔だしさ。それにすぐ『巨乳』とか『爆乳』とか言われるの嫌だし、みんな話すとき私の目じゃなくて胸を見てるもんね。いい気分じゃないよ」
そう言って倫世は苦笑するけれど、世の中の男の子達は、女の子の胸は大きい方がいいと思っているから、やっぱり私は羨んでしまう。
元からあんなに大きかったのかしら。それとも何人もの男の子の手が・・・その結果?
倫世はなかなかの発展家。もう既に三人もの男の子と寝た経験がある。でもどれも長くは続かなかった。本人曰く、熱しやすく冷めやすいのだそうだ。エッチに至るまでのプロセスで燃え上がり、することで頂点を迎え、後はどんどん冷めていく。そんなときに男の子特有のエゴや気に入らない仕種を見せられると、もうアウト。後は別れに向かって一直線ということになるらしい。
私はもう一度倫世の胸を見た。男の子の手が彼女のそれを揉みしだく様子を想像してみる。そのときの彼女の表情はどんなだろう。次に自分なら? と想像してみる。途端に身体が熱くなる。
「ねえ、実佳」
突然倫世の呼びかけに私はハッとなった。すぐに返事をするには、私は自らの妄想にはまり込みすぎていた。
「ちょっと体育館に行きたいんだけど」
そう言う倫世の口調からは、ある種の含みが感じ取れる。私はすぐにピンときた。そして彼女の作る照れ隠しの無表情を見て、私は確信する。
「なあに、また別の男?」
私はニヤリとして訊き返す。
「もうっ! そんなストレートな言い方しないでよ」
「でも、そうなんでしょ」
「……へへっ」
倫世ははにかみながら頷いた。こんなときの彼女はたまらなく可愛い。
なるほど。校内をぐるぐる見て回りたいなんて言い出したのは、私と二人きりになりたいための口実だったのね。
私は倫世が過去につき合った三人の男の子を全員知っている。それは共通の友人だったからではなく、倫世が事前に私に品定めをさせたからだ。倫世は誰かを好きになると、つき合う前に必ず私を呼び出して、二人して物陰からその男の子を見ながらこう言うのだ。
「あの男の子どう? いい感じじゃない?」
と。私は彼女が本当は意見を求めているわけではなく、背中を押してほしいだけなのを知っているから、「なかなかよさそうな子だと思うよ」などと肯定の言葉を返す。だって実際、初めて見たその数秒間でその男の子のことを見極めるなんて無理。判断材料は自分の第一印象による直感だけ。いずれにせよ肯定の言葉を返すことは決まっているのだが、後で考えると倫世の男の子を見る目はなかなかのものだ。
「いいわよ。体育館までお供しますわ、倫世姫」
「うむ、苦しゅうない。ついて参れ」
私達はおどけながら方向転換した。
「で、今度はどんな子?」
「あのね、演劇部で、きっと今舞台の上で台詞喋ってる」
「主役?」
「ううん。多分違う。でも台詞の多い役だって言ってたよ」
私達はそこで一旦会話を中断した。演劇部の舞台はもう始まっているから、体育館の正面入口を開けて入るわけにはいかない。私達は舞台袖の奥にある用具入れの出入口を経由して、客席へ入ろうと試みた。
が、扉の前に立つと、何やら声が漏れ聞こえてくる。私達は一瞬顔を見合わせたが、そっと扉を開けて中へ入った。
「バカヤロォ!」
入るなり響いた怒声に私達は目を丸くしたが、すぐにそれは私達に向けられたものではないと判った。
用具入れには先客がいた。演劇部の後にステージに立つ軽音部のメンバーだ。ミッキーとタクちゃんともう一人。けどもう開始まで一時間くらいだというのに制服のままだ。それも俯いたまま無言。彼らの前に立っているのは黒西だった。さっきの怒声も黒西のもの。黒西は顔を真っ赤にして、聞くに堪えない言葉を駆使してミッキー達を怒鳴りつけている。
「そんなに大きな声を出したら、客席に聞こえちゃいますよ」
私は見かねて言った。
黒西は一瞬止まったが、私の姿を確認すると、「またお前かあ、京野」と、あからさまな敵意を投げつけてきた。束の間、私は戦慄を覚えた。
「あ、京野にトモ」
ミッキーが私達に気づいて声をかけてくる。
「どうしたって言うの? 一体」
「バカヤロォ! 誰が私語なんぞ許したか。そもそもお前らは自覚が全くないのだ。俺は、『最近の若いモンは仕方がない』なんて思うほど甘かねえぞ。いつの時代だって自覚を持って行動出来ねえ奴はクズだ。こんな女共とちゃらちゃらしてやがるから、こんなマヌケな事態を起こすんだ」
「ちょっと! こんな女共って何よ!」
倫世がすかさず口を挟む。
「お前らは黙ってろ! というか出て行け! 消えろ! 関係ねえだろうが」
それは明らかに「叱る」という域を超えた、はっきりと判る憎しみ。理子の一件で、黒西は彼女の友人である私達を、特に私を目の敵にしているのだ。それにしても頭の悪い奴。「こんな女共と……」って巻き込んでおきながら、次の台詞に「関係ねえ」はないだろうに。
「学祭のイベントをナメてんのか? お前ら。『絶対盛り上げてやるから、トリにしてくれ』っていきがってたのは誰だ? そこまで言っておきながらステージに立てないだ? 三時半からの一時間、どうしてくれんだよ、え?」
「ステージに立てないって、どういうこと?」
私は首を突っ込むことに決めた。
「お前は黙ってろって言ったろうが!」
「いやそれがさ、朝、ドラムの金太がバイクで事故って、そのまま病院に運ばれちまって……」
「事故? ひどいの?」
「私語は許してねえって言ってんだろうが! このクソ野郎」
黒西は、言うことを聞かないミッキーの顔面を思いきり殴りつけた。ふいのことで、たまらず後方へ吹っ飛ぶ。
「ちょっとぉ! やりすぎじゃない」
「いいや、自業自得だね。ドラムの浅田だって、学校で禁止されているにもかかわらずバイク通学の途中で事故ったんだ。おまけに今頃まで連絡してこねえから、こんな取り返しのつかねえ事態になってんだろ、え? 朝のうちに言ってくりゃあ、プログラムを修正したりとか打つ手はあったんだ。それをお前ら……」
そう言えば、黒西は学祭での体育館内イベント担当責任者だった。でもちょっとこれはいきすぎだ。
「だからそれはさっき言ったじゃんかよ。俺らだってさっきまで金太と連絡つかなかったんだからしょうがねえよ」
ミッキーが必死に言い返す。
「いや、違うね。お前ら、元々学校をナメてやがるのさ。何事にも真剣にならず、責任も取らず、ヤバくなったらケツまくりゃあ、誰か何とかしてくれると思ってる。世間じゃそういうのを『穀潰し』って言うのさ。知ってるか? この日本語」
「……」
「予定されていたプログラムが実行出来ないなんて、学祭が行われるようになってから今まで一度もなかったことだ。何と嘆かわしいことか。わざわざ来て下さったお客様に幾ら詫びても申しわけが立たん。ん? 詫びか。……そうだな」
突然、黒西がニヤリと不気味な表情になった。
「そうだ。お前ら、三時半になったら、予定どおりステージに上がれ。三人で」
「え?」
「それで四時半までの一時間、三人で土下座してずっと客に謝り続けろ。『僕たちの無責任で演奏出来なくなりました。ごめんなさい』ってな。どうだ? グッドアイデアだろ?」
「クッ……」
いい加減ミッキー達ももう我慢の限界だった。
「そんなのただのイビリじゃん。あんたそれでも教師なの?」
「イビリとは人聞きが悪いな、京野。俺は罪を犯したアイツらに償うチャンスを与えてやろうと言ってるんだぜ。しかも当初の望みどおりステージにまで上げてやろうと言っている。心が広いと言ってほしいね」
「どこが! あんた性格歪んでる」
「あ、そうだ。もしその気があるんなら、予定どおりステージで演奏してもいいぞ。『ドラムはないけど、僕たちのロックを聴いて下さい』なんて言えるもんならな」
この言葉は、軽音部のメンバー達の神経を充分すぎるくらい逆撫でしたようだ。拳を握り締めて、今にも飛びかからんばかりの形相になっている。
「サイッテー!」
と、倫世も吐き捨てた。
「そうそう。お前ら、セコイこと考えてもダメだぞ。ドラムだけテープやCDでカラオケにしようとか思っても、俺は予定外の機材の使用は一切認めんぞ。時間になったら客席で見てるからな。このままバックレてステージに穴を空けたら、絶対ただでは済まさんからな」
そうか! 今の言葉で私はピンときた。何故もっと早く気づかなかったのだろう。
「要するに、ステージに穴を空けなきゃいいのよね?」
私は口を挟んだ。
「あ? プログラムと違う内容のものをやるのも許さんぞ」
黒西は刺々しい目つきでさらに追い込もうとする。
「判ってるわ。ねえミッキー、要するに代わりのドラムがいればいいのよね?」
「そりゃそうだけど……。俺らの知ってる限りじゃ、この学校にそんな奴いないよ。ドラムセットってのは、ブラスバンドなんかの大太鼓、小太鼓とはわけが違うし……」
ミッキーは気弱な調子で言った。そこへ黒西がさらなる追い打ちをかける。
「いやしねえだろうよ、そんな奴あ。この学校以外の人間に助っ人を頼むのは許さんぞ。もっとももう開演まで一時間ないから、それも無理だろうがな」
「うるさいわね! ちょっと黙っててよ!」
私は言い放って、不安げなミッキー達を見た。
「大丈夫。私を信じて、ステージの準備をして待ってて。着替えたり、楽器の用意とか色々あるんでしょう」
「そんなこと言ったって、もう一時間ないんだぜ。曲だってメジャーバンドのコピーじゃねえ。俺達のオリジナルなんだ。幾ら何だって……」
「いい? 自分達でダメだと思ったら、絶対にダメなのよ。あそこまで言われて悔しくないの? ぎりぎりまでやれることやらなくちゃ」
「だけど、ドラムの代わりなんて心当たり……」
「大丈夫。心当たりは、あるわ」
私はきっぱりと言いきった。
8.
「嫌だよ」
「……え?」
倫世と手分けして校内を捜し回った挙げ句、霞君を見つけたのは十分後のことだった。
霞君は三年生のクラスでやっていた餅つき大会に参加して、あべかわ餅を食べているところだった。私は手短に事情を説明し、協力を頼んだ。それに対する彼の返答がこれだったのだ。
「どうして? どうして嫌なの?」
「ていうか、どうして人の頭を膝蹴りするような奴の手伝いを俺がしなくちゃならねえんだよ? 奴らが直接頼みに来るならまだしも……」
「それは私が、先に準備しててってミッキー達に言ったから。もう時間ないし、お願い! 一緒に来て。面と向かえば、きっとミッキーもあのときのこと謝ってくれると思うし。ね?」
霞君は、残りの餅を口に詰め込んで返事をしてくれない。
「ねえ、お願い! クラスメイトが困ってるの。助けてあげてよ。あなたしか、彼らを助けてあげることは出来ないの。それに、絶対黒西の思いどおりにはさせたくないの。そんなことになったら、私もすっごい悔しい。ねえ時間がないの。とにかく来て」
「でもな……」
ためらう分だけ時間はなくなっていく。私は少し苛立ってきた。
「何よ! あなた、ジャズドラマーなんでしょ? ジャズって基本的にアドリブの世界なんでしょ? 初めて会う人や飛び入りの人とでも即興で素晴らしい演奏をするのが醍醐味なんでしょ? だったら、ミッキー達とも即興で合わせることが出来るでしょ?」
「無茶言うね。奴らロックだろ? ジャンルが違うぜ」
「専門的なことは、私判らない。でも一ミュージシャンとして、演奏しないでステージを潰すより、やってみてステージで失敗する方がよほど潔いと思わない? それともあなたが前向きになれるのは、自分の夢に対してだけなわけ? 他のことはどうでもいいの?」
「……」
「お願いっ! 今あなたしか、頼める人はいないのよ」
私は頭を下げて懇願した。周囲がどんな目で私を見ていようが、今はどうでもいい。
「……んなにミッキーが大事か?」
「え? 何?」
彼の呟きを私の耳は捉えきれなかった。
「……判ったよ。行けばいいんだろ。体育館だな?」
「あ、うん。ありがとう!」
霞君は怒ったような形相で、私を置き去りにして歩き出した。私は慌てて追いかけて、本心からの礼を言う。けれどそれと同時に、幾ら説得のためとはいえ私が吐いた暴言を思い返し、このまま二度と口をきいてもらえなくなったらどうしようと冷や汗をかいていたのだった。
「霞、お前が?」
用具入れでメンバー達と着替えていたミッキーが、私と入って来た霞君の顔を見たときの、これが第一声だった。
ミッキーがちらりと私を見る。私は無言で頷きながら、内心はらはらして成りゆきを見守っていた。ミッキーが霞君を拒否したり、霞君が「まずこの前のことを謝れ」とか言い出して掴み合いにでもなったらどうしよう。でも霞君はそんなことは一言も言わず、ちょっと用具入れ内の楽器類を見回してから、
「何曲やるんだ?」
と、ミッキーに訊いた。
「六曲」
「じゃあ楽譜かタブ譜をくれ。持ってるだろ?」
「いや、そういうのはない。毎日の練習で身体に覚え込ましちまったから」
「じゃあ何か曲の音源は?」
「それなら、俺あるよ」
と、タクちゃんが答えた。くしゃくしゃに丸まったヘッドフォンのついたオーディオプレーヤーをポケットから取り出す。
霞君はタクちゃんのところへ歩いて行って、
「こいつ、今日やるやつ全部入ってるか?」
「ああ」
「今日の演奏順になってる?」
「なってるよ」
「じゃあそれ貸してくれ。今から覚える」
「おい、ちょっと待てよ!」
そう声をかけたのはミッキーだ。
「随分態度でけえけど、お前マジで叩けんのかよ? フカシでからかいに来ただけならぶっ殺すぞ」
「大丈夫よ」
私は慌てて間に入った。
「霞君は月に何度もライブハウスのステージに立ってる、バリバリのジャズドラマーなのよ。ね?」
私が水を向けても、霞君は返事をしない。代わりにタクちゃんが「へえ、そりゃ知らなかった」と感嘆の声を上げた。が、ミッキーはそれで納得しているわけではないようだった。
「ジャズかよ。ロックのドラムと違うだろ」
「リズムキーパーとしての役割は同じだよ。信じられねえんなら、俺は帰るぜ。けどよ、お前もミュージシャンなら、演奏しねえでステージ潰すより、演奏してステージで失敗する方が潔いと思わねえか? 少しでも何とかなる可能性があるのなら、それに賭けてみようとは思わねえのか?」
あ、ずるい。今の言葉、私が言ったまんまじゃん。私はちらりとと霞君の方を見るけど、彼は鋭い目でミッキーと視線を交わしている。やがてミッキーの方が目を逸らし、着替えと楽器の調整に戻った。私の受け売りのあの言葉は、ミッキーを説得するのに効果があったらしい。
霞君はほぐしたヘッドフォンを耳に入れると、出入口の扉に手をかけた。
「おい、どこ行くんだよ」
ミッキーが慌てて声をかける。
「静かなところで集中して聴いてくる。出番三時半だろ? 五分前までには戻るよ」
「てめぇっ! これでバックレようってんじゃ――」
「あ、そうそう。俺衣装ないから、Tシャツでいいよな?」
それだけ言い残して、霞君は扉を出て行った。途端に軽音部のメンバー達が私に詰め寄って来る。
「京野、マジかよ? マジで叩けんだろうな? アイツ」
「マジでジャズドラマー? 俺知らなかったよ」
「ホントに大丈夫なんだろうか?」
霞君を紹介した責任が、ひしひしと身に迫るようなプレッシャー。
「だ、大丈夫よ。私、霞君のライブに一度行ったことあるけど、素人の私が見てもすごいテクだと思ったもん」
「けど、ぶっつけ本番だろ?」
「それは仕方ないわよ。みんなだって、判ってて霞君に賭けたんでしょ? 私はうまくいくと思うわ。霞君前に言ってたけど、ジャズって基本的にはアドリブなんだって。その場の雰囲気で、初めての人や飛び入りの人なんかとでもセッション出来ちゃうのが醍醐味なんだって。だからきっと、ちゃんと合わせられると思うわ」
私の話に納得したのかしないのか、とにかく彼らは腹を括ったようだった。
「そうだよな。今から全曲覚える霞の方だって大変だろうしな」
と、タクちゃんが言ってくれたので、私は大分救われた。
今回のことで、タクちゃんが霞君に敵意を持っていないと判ったのは意外だった。てっきりミッキーと共に攻撃的になるとばかり思っていたのに。
「でもさ、京野」
「何?」
「お前って、何でそんなに霞の肩ばっかり持つわけ?」
「……え?」
束の間、私は言葉に詰まった。
「てことはつまり、お前が授業中ぼんやり窓の外を見ている方向にたまたまヤツがいるんじゃなくて、ヤツを見るために窓の方を向いているってこと?」
「え? え? え?」
何で? どうして? タクちゃんがそんなことを。驚きのあまり言葉が出ない。この前有里にも同じことを言われたばかり。てことは、授業中の私の行動はみんなバレバレってこと? 自分では完璧にさりげなくしていたはずなのに。有里にバレたのは親友だから仕方がないかって思っていたのに。実は自分で思っているほど、私の演技力はレベル高くないってこと? ……だよね、コレって。ショックだけど、言い返さなくちゃ深みにはまる。
「別にそういうわけじゃ……」
言葉とは裏腹に、頬の火照りは嘘をつけない。もう少し近づいてじっくり顔を覗き込まれたら、私にごまかし通せる自信はなかった。この用具入れが電気を点けていても少し薄暗いことが、今は救いだった。
「でもよ」
と、今度はミッキーだ。
「アイツのライブに行ったことのある奴なんて、いや、アイツがジャズドラマーをやってるなんて知ってる奴は、校内でもお前くらいじゃないのか?」
そうかもしれないけど、今はそれを自慢している場合じゃない。
「そんなこと、ないんじゃない」
と、私は返した。さりげなく呼吸を整え、心拍数を抑える。
彼らはステージ衣装に着替え始めたが、特に出て行けとも言われなかったので、私は用具入れの片隅で跳び箱の上に座っていた。別に全裸になるわけではないし、見ていても少しも興奮しない。もっとも、そんなにじろじろ見つめていたわけではなかったけれど。
客席も好きだけど、ステージに立つ前の、準備をしている楽屋の雰囲気も好き。次第に高まっていく緊張感が何とも言えず心地よい。
なんて浸っていたら、いきなり扉が開いてバタバタと人が入り込んで来た。倫世だった。それに有里と理子も一緒だ。
「実佳ぁ、霞君に会えた? 私、みんなに頼んで手分けして探したんだけど……」
倫世の呼吸は荒かった。
「うん、会えたよ。ありがとう。ゴメンね、迷惑かけちゃって」
「別に迷惑なんかじゃないよ。黒西にあんなこと言われりゃあ、誰だって抵抗したくなるさ」
と、有里。
「けど、何で霞君なの? アイツ音楽やってたっけ?」
「ところで肝心の本人は?」
と、倫世が訊いたところでステージの方から拍手が響いてきた。演劇部の舞台が終わったのだ。役者達がぞろぞろと用具入れへ下りてくる。スタッフがステージから大道具を大急ぎで搬出している。どう見ても私達部外者は邪魔者だ。
「もうすぐ始まるわ。客席に行ってましょうよ」
私はそう言ってみんなを促し、用具入れを後にした。私自身、本当は霞君が戻って来るのを確認してからにしたかったのだが、信じているなら平気なはずだと言い聞かせて客席へ回った。
客席はもういっぱいだった。演劇部の舞台が終わった後も、ほとんど入れ替わっていないのだろう。確かに体育館での出し物のメインは演劇部の舞台と軽音部のライブの二つ。これを見なくちゃ学祭じゃないよねって感じ。部員の人数構成比は違うけど、例年集客数でしのぎを削り合えるのはこの二つだけ。
緞帳の向こうから、それぞれの楽器がセッティングされ、サウンドチェックをする音が漏れ始める。女の子達がきゃあきゃあ言いながら、バンドのメンバーの名前を呼びかけたりしている。開演か待ち遠しく、ワクワクする時間。
でも私の中からは、時間が経つほどにワクワク感は遠のいていく。ちゃんとステージは開けられるだろうか。ライブの呼吸は合うだろうか。霞君とミッキーがステージ上でもめたりしないかしら。ワクワクの減少につれて、時間と共に不安が増大していく。次第に表情から笑顔がなくなり、強張っていくのが自分でも判る。
「なあに実佳が緊張してんの?」
なんて有里に背中を叩かれても、笑い返す余裕もない。
霞君を紹介し、諦めずにライブをやるように勧めた自分の責任が、この沢山の来客に浮かぶ期待の笑顔を前にして途方もなく大きく感じられ、逃げ出してしまいたくなる。そして今更ながら、私は何て無茶なお願いを霞君にしたのだろうと気がついて自己嫌悪に陥る。
この状況で逃げ出したいくらい大変なのは、私なんかじゃない。霞君は私の何十倍も大変な思いをしているはずだ。
幾らアドリブを重んずるジャズというジャンルでライブをやり慣れているからといって、彼はまだ私と同じ高校二年生。何十年もジャズの世界で生きて来たベテランではないのだ。その彼に、初めてのメンバーと、初めての曲を六曲も開演まで一時間もない時点から覚え始めて、使い慣れていない楽器で、大勢の客の前でぶっつけ本番で演奏しろと私は言ったのだ。もしこれで失敗し、彼自身が傷つくようなことになったら、どんなに償っても償いきれない。
ダメだ! 今からでもライブは中止にしよう。こんな大それたこと……私、バカだった。全部私のせいだから。黒西にイビられる役は私が一手に引き受けるから。ああ早く! どうすればいい? とにかく舞台裏に行かなくちゃ。
私は顔を真っ青にして立ち上がった。
有里が「どうしたの?」と声をかける。
その瞬間、エレキ・ギターの爆音が響いて緞帳が開いた。途端に客席が暗くなり、対照的にステージに激しいスポットライトが当たる。周りの子達が黄色い声を上げて総立ちになる。有里達もみんな立ち上がっている。
え? もう開演? いつの間に?
私はステージ上に霞君の姿を探した。でも探すまでもなかった。だって一曲目は、霞君のスティックショットを合図に激しいビートを刻み出したのだから。
ボーカルが歌い出す。歓声が上がる。エイトビートのロック。音の洪水が体育館を埋め尽くす。こうなるとパイプイスは完全に邪魔者。みんな身体ごとリズムに乗って盛り上がる。
私は直立したまま固まっている。スポットライトが反射するドラムセットの方を見る。楽しそうに全身を使ってドラムを叩く霞君の姿がそこにはあった。リズムはぴったり合っている。すごい。時々アイ・コンタクトを交わすミッキーやタクちゃんも本当に楽しそう。
曲の出だしから速いビートで、霞君はもう汗をかいている。腕を大きく振ったとき、それが飛び散るのが見える。次第に水分を含み始める白いTシャツは、きっと制服の下に着ていたもの。
すごい。カッコイイ。でも私がそう思えたのは一瞬だけ。ライトに光る彼の額の汗や、滑らかな腕の動きを見ても、今はセクシーだと思う余裕がない。ただただ立ち尽くしながら、祈る気持ち。何とか無事に終わってほしいと。拳を握り締めて私が思うのは、本当にそれだけ。
そのうち誰かが気がついた。
「あれ、あのドラム、金太じゃないじゃん」
「え? ホントだ」
「誰、誰?」
そんな声が周りから聞こえ始めると、事情を知っている倫世が得意そうに、
「霞君だよ、あれ」
と、答えた。その瞬間、
「ウッソ、マジ?」
「霞? ホントだ」
「アイツ、軽音部だったっけ?」
とか色々な反応があったけど、そのうちそれは、
「いいぞ、霞」
「霞君、カッコイイ」
とかの賛辞に変わっていった。
私はそれを小耳に挟みながら、ちょっと得意な気持ちになったけど、でもやっぱり心配で仕方がなかったから、話には加われずに食い入るように霞君を見つめていた。
ステージは大盛況のうちに終わった。六曲とも大きなミスもなく、いいグルーブを醸し出していた。
みんながアンコールを要求したけれど、ミッキーがうまくいなしたのが印象的だった。だって霞君は六曲しか覚えていないんだもの。それを気遣ってくれたのだ。
最後のメンバー紹介のとき、ミッキーは霞君のことを「助っ人だけど最大の功労者」と紹介してくれた。
人一倍の拍手を受けながら、はにかんで中途半端な笑顔を見せる彼の姿を見たときに、ようやく私の身体の硬直は解け、私は音を立ててパイプイスに座り込んだ。全身の力が抜け、しばらく立ち上がれないと思われた。友達が心配そうにする中、私は深い安堵の息をついて一人ニヤついていた。
結局、正ドラマーの金太君はしばらく入院とのことで、翌日の学祭のステージも引き続いて霞君がドラマーを務めた。
9.
高校生の飲酒は法律上禁止されているけれど、真摯なスポーツ選手でもない限り、飲まない人はいないんじゃないかしら。「あなたがお酒を飲み始めたのはいつ頃からですか」というアンケートを採ったら、きっとほとんどの大人が「高校時代」と答えると思うのだけど。
私達は、校内でイベントがある度に、終わるとクラスで集まって飲み会を開く。みんな学生だから、場所はやっぱり学校の近くの繁華街になる。先生達もそれをよく知っていて、午後六時前くらいから何人かで繁華街に張り込んでいるけれど、実際にはほとんど見つからない。居酒屋やカラオケボックスでバイトしてる子の紹介や色々なツテを手繰って、私達は毎回無事に酒席にありつくことが出来る。
今回の場所はカラオケボックス。私達は一旦自宅に帰って着替え、バラバラに現地に集合する。どこかで待ち合わせするのは危険。見張ってる先生達の目につく可能性がある。私達はケータイで連絡を取り合いながら、見張りの裏をかいたルートで店に入る。
部屋は貸し切りのパーティルーム。中へ入ると、既に十五、六人くらいが先に来ていた。私は遅い方だった。テーブルにはもう料理やボトル、グラスなどが所狭しと並べられている。
「ヒュー、京野、相変わらずカッコイイじゃん」
「やっぱお前、私服の方が断然いいよな」
「マジイケてるよ、それ」
私に気がつくと、男の子達が賛辞を浴びせかけてくる。私は「ありがと」なんて言ってニッコリほほえむという、お決まりの態度で返す。
でも実は、クラスの飲み会のための服選びというのは結構難しいのだ。あからさまな合コンというわけでもないから、あまり露出の多い服は着られないし、自分だけ目立つような服で他の女の子達の反感を買うのもまずい。ポイントは、「カジュアルなんだけど、着こなし方で結構違うんだね」と思わせる程度に抑えるということだ。でも口で言うほど簡単じゃない。毎回大変なのだ。
でも今日は一つだけ、いつもの飲み会と違うことがある。それは、今私が勝負下着を身につけているということ。
毎度飲み会の後に、男の子達から、「この後二人で飲もう」とか、「つき合ってほしい」とか色々言われるけれど、特に食指が動かないからたいていは断っちゃう。だからその先のことを考えて勝負下着で来るなんてことはないのだ。なのに今日だけ特別に着ている理由は、今日初めて飲み会に霞君が来るって聞いたから。
今まで彼は一度も来たことはなかったけれど、そのことでつき合いが悪い奴だと思われていた面もあったけど、今回軽音部の助っ人でドラムをやったことで、俄然注目を浴びちゃった。今日の飲み会は、彼が主役と言ってもいいくらい。ステージの後、みんなが絶対に飲み会に来てほしいと迫り、本人は最初気乗りしなかったらしいが、最終的には行くと約束したらしい。
私はステージの後、一度も霞君と話していなかった。彼は軽音部のメンバーと共に女の子達に囲まれながらステージの片づけをしていたし、私は午前中に仕事から解放された生徒の中から数人が選ばれる、解体した部材などの廃棄処理係にあみだくじによって任命され、教室とゴミ集積所を行ったり来たりしていたからだ。
「実佳、こっちおいでよ」
先に来ていた有里と理子が、手招きして私を迎えてくれる。私は二人の間に腰を下ろした。
「遅かったじゃん、実佳」
そう言って、有里が私におしぼりを差し出してくれる。
「ありがと。倫世は?」
「まだよ。あの子いつも早いのにね」
と、理子が答える。
「それよかさあ、ここまで来るの大変だったんだぜ」
「何かあったの?」
「私、理子ん家寄ってから一緒に来たんだけど、途中からずっと黒西が後ろをついて来てさ」
「ウッソ。マジ?」
理子が頷く。
「でさ、キモいから『何で尾けて来んだよ』って訊いたんだ。そしたら『お前らがこれから酒を飲みに行くのは判ってるんだ。今日こそは現場を押さえてやる』って。まあでもそれは判るよ、教師の立場からすりゃあ。でもよ、マジタイミングよすぎ。あれは絶対、理子ん家の近くで張ってたんだぜ。そうでなきゃあ、この辺繁華街の中ならともかく、あんな路地で出くわしたりしねえって」
私は理子の目を見た。理子は無言で頷く。
いい加減ヤバいことになりそうな気がする。黒西が本気で理子を好きなのは判るけど、愛情表現の仕方がひどく犯罪的で間違っている。でも大人でも子供でも、そういう風にしか行動出来ない人がいるのも事実。それが絶対に相手を振り向かせることなどないと判っていても。
話しているうちに、ぞくぞくとクラスメイトが集まって来る。
ふいにみんなが、「わあ」とか「おう」とか声を上げた。ようやくミッキーとタクちゃんが姿を現したのだ。疎らな拍手と今日のステージを褒め称える声がけられる。
続いて一際歓声が上がった。私は直感した。きっと霞君だ。ルームの入口の方を見る。当たった。霞君が照れて頭をかきながら入って来る。私は周りの目を気にして自制しつつ笑顔になった。が、次の瞬間、その笑顔は凍りついた。
霞君のもう片方の腕に、しっかりと倫世のそれが絡みついているのを見たからだった。
飲み会はミッキーの乾杯で始まり、すぐにハイテンションになった。霞君はミッキー達と上座の方に座り、女の子達に囲まれて質問攻めにされている。彼の隣りには倫世がぴったりくっついている。
倫世は気軽に男の子と腕を組んだり、甘えてしなだれかかったり出来る子だから、彼女の今日の態度を見ても誰も特別なこととは思わない。それでいて、同姓からも悪く思われないのが彼女の魅力。
霞君が手にしているグラスの中身はウィスキー。始めにドリンクをオーダーするときに「俺、ビール苦手なんで」と言ってそれをオーダーしたとき、再びクラスメイトの間から感嘆の声が漏れた。その後の彼の態度から、それがパフォーマンスではないことがすぐに判ったから、みんなホントにカッコイイと思ったみたい。
私はいつも最初の一杯はみんなに合わせて生ビールなんだけど、今日はやけ気味にジン・トニック。今日はジンの辛さばかりがやけに気に障る。
そのうち席は入り乱れ、幾つかのグループごとに盛り上がるようになる。
私は気づかないうちに、いつもよりかなり早いペースでグラスを空にしていたらしい。急にトイレに行きたくなり、私は席を立った。
トイレに入ると、鏡の前には化粧直しに余念がない子達が溜まっていた。私がそれを横目に個室に入ろうとすると、
「ね、実佳、飲んでる?」
と、声をかけられた。
倫世だった。倫世はあまりお酒に強くないので、すぐに頬が赤くなり、目が潤んでくる。幾ら化粧を直しても隠せやしないんだけど、それがかえって彼女を可愛く見せる。加えてあの大きな胸。やっぱり男の子はこんな子に弱いよね、なんて同姓の私が見ても思っちゃう。
「飲んでるよ」
「そ、よかった。ねえ、いいよね、彼。霞君」
「え?」
倫世が腕を回して私の肩を抱く。
「何て言うの。控えめな魅力って言うのかな。能ある鷹は爪を隠す? こう、ひけらかさないのに滲み出るって感じ?」
「ちょっとぉ。さっき言ってた、演劇部の男の子はどうしたの?」
「ヤメた。だって、霞君の方が全然イイもの」
倫世は屈託なく笑う。
「本気、なの?」
「どうかしら」
私の胸はズキリと痛んだ。倫世がこういうことの答えをぼかすなんて、今までになかったことだ。火に油を注いでしまったような後悔。私は口から出す言葉を間違えた。けれど彼女の気持ちを逸らすためとはいえ、彼の魅力を否定することなど私には出来ない。
パーティルームに戻ると、既にカラオケ大会が始まっていた。ルーム内が薄暗くなっていて、ミラーボールがくるくると天井で回っている。
だけど誰かが歌っているのを気にする子なんていないみたい。自分の入れた曲がかかれば気づいてステージに上がるけど、そこから先は完全に自己満足の世界。それ以外はグループごとに談笑したり、酔い潰れて寝ている子がいたりと様々。
霞君はすっかりミッキーとタクちゃんと打ち解けた様子で、笑顔で話し込んでいる。周りの倫世達が会話に混ざらないのは、音楽談義でもしているからか。
私はちらちらそっちを見ながら、有里と理子の話に適当に相槌を打ちつつ、空のグラスを増やしていった。
霞君を見る倫世の目、ちょっとマジっぽい。彼が倫世に笑顔を返す度、私の小さな胸は痛む。癒す薬の代わりに、私はジンの辛さを求める。
やがて激しいビートのカラオケが始まり、ミッキーとタクちゃんがステージへ駆け出して行った。チャンス。隣りには倫世がいるけど、霞君の前の席は今は空。どんな風に話しかけようとか、まるで考えていないけれど、とにかく彼のそばに行きたい。
私が腰を浮かしかけたそのとき、誰かが肩に手をかけた。
「やあ実佳ちゃん、奇遇だね」
こんな言葉を吐く奴は一人しかいない。大平だ。奇遇なわけねえだろ。クラスの飲み会だってのに。
「そうかしら?」
私は無表情で言った。こんな奴さっさとうっちゃってしまいたい。だけど大平は私の肩を抱いたまま、身体をすり寄せるようにして隣に座り込んだ。私は間髪入れず身体をずらし、肩を抱く手を優しくそれでいて毅然と払いのけた。けれど彼は少しも動じない。
「冷たいなあ。一緒に日直をする仲だというのに」
そのねちっこそうな笑顔に悪寒が走る。それなら少しは手伝いやがれ。いつも私にばっかりやらせておいて。
私は返事をしなかった。目を合わせる気にもなれない。
そんな私の態度を少しも拒絶だと感じ取れないほど彼は無神経。それは日直のペアを組んで既に判っていたことだった。だから私はすぐに席を立つべきだった。けれど酔いのせいか、私の脳からの命令はなかなか四肢を動かしてくれない。
図々しくも、大平はその隙につけ込んできた。あろうことか、私の髪に手を入れて首筋を撫で、顎に手をかけたのだ。
急激に私の身体は粟立った。猛烈に腹が立ち、私は大平の手をバシンと大きな音を立てて払いのけた。
「気安く触らないで!」
その声にルーム内のみんなが凍りついた。ミッキーとタクちゃんも歌うのを止め、私を見ている。スピーカーから流れる大音量の伴奏が虚しく響く。みんなの視線が私に集中する。この期に及んでもニヤついている大平の顔がさらなる苛立ちを誘う。
しまった。こんな注目を浴びては霞君のところへ行きづらい。だけどこの後一秒たりともコイツの隣りになんかいたくない。
私はみんなの視線に刺されながら立ち上がった。とにかくこの場を離れたい。が、一歩目を踏み出したところでよろめいて、反対隣りに座っていた有里を押し倒してしまった。勢いで、グラスや小皿などが音を立てる。みんなが騒つく。
「どうしたんだよ、実佳」
「ご、ごめん有里」
と言った瞬間、猛烈な吐き気が私を襲った。ヤバい! これ以上会話をしている場合じゃない。
私はおぼつかない足取りのままトイレに駆け込んだ。もはや時間との戦い。私は個室の扉を閉める余裕もなく床に座り込み、便器に向かって今まで飲み食いしたものを口からぶち撒けた。体内から逆流するに任せて、私は何度も吐いた。苦しい。涙も鼻水も垂れ流し状態。
まさか自分がこんな目に遭うなんて。これこそ、もっともみっともなく絶対にやりたくないことのワースト・ワンだったのに。今まで少しずつカッコよく思われるように積み上げてきたものが音を立てて崩れていく。
何て無様。便器を抱いて嘔吐する女。きっと私は明日から、自分の口から吐いたものと同じように、クラスから排泄されるだろう。
吐き気はなかなか収まらない。体温が急激に下がる感覚がある。再び立ち上がってここから出られる日が来るだろうか。
そのとき、ふいに誰かが私の背中をさすり始めた。「実佳、大丈夫?」と気遣う声で有里と判った。他にも何人か近くに人の気配を感じる。でも私に返事をする余裕はなかった。背中をさすられて少し楽になった私は、吐き気が消えるまで体内の全てを吐き続けた。
ようやく一段落したものの、私はかなりグロッキーだった。もう立ち上がるのも億劫だ。
「うがい、した方がいいよ」
と、理子がグラスを差し出した。私は涙目で彼女とそのグラスをじっと見る。
「大丈夫。トイレの水じゃないよ。ちゃんとルームから持って来たんだから」
「はい、濡れタオル。口の周り、拭いた方がいいよ」
そう言って、倫世が心配そうに私の顔を覗き込む。みんなの本気で心配そうな表情が、私の屈辱感を倍加させる。自分がこんな醜態を晒したこと、それを人に見られてしまったことが耐えられず、私の心は内部爆発を起こした。その拍子に、酔いも手伝って、私の中にある感情を抑える堰が決壊した。
「何よ! 何で私なんかに構うわけ? あんたなんか霞君といちゃついてればいいじゃない!」
倫世はポカンとした表情。
「私なんか放っとけばいいじゃない! ここにいると匂いが移るわ。元々見た目しか取り柄がなかったけど、それすらも今はぐちゃぐちゃよ! 臭いでしょ? キモいでしょ? こんな私、もう嫌になったでしょ? だからもう、みんな飲み会に戻ればいいじゃない。
私、みんなを騙してたのよ! 外見カッコよく見せかけていたけど、見てホラ、ホントはこんなに汚ならしい。これが真実の私。
ホントはみんなにアドバイス出来るほど恋愛の経験なんてないし、まだヴァージンだし、キスもしたことないし……。
私は嘘とゲロにまみれた女なの。幻滅したでしょ? 嫌になったでしょ? だからもう、私なんかに関わらないで!」
後で専門家が分析すれば、酩酊と羞恥による感情の暴走で本心が暴露されたとか、現実逃避と自己防衛による排他要求が暴走のトリガーだったとか、色々理屈がつけられるのだろう。でもその時点での私には、飲食物を吐くことと言葉を吐くことは同じことだった。
でも遠い。それは間違いなく自分の身体が吐き出しているものであるはずなのに、まるで別の惑星の出来事を望遠鏡で見ているかのようだ。
「早く出てって! みんな自分の夢を持っているんだから、それぞれに生きていけばいいじゃない。私には何もないんだもの。中身は空っぽ。クールを装った外見も、今はもうこんなだわ。だからもう、私を放っておいて!」
トイレの中はシーンとなった。聞こえるのは私の嗚咽だけ。
「実佳……」
と言ったのは有里。
「ごめん」
「……?」
「私きっと、実佳のこと追いつめてた。私、実佳のこと大好きだから、私の中に勝手に『理想の実佳』みたいなのを作り上げてそれを強要していたんだと思う。実佳はほとんどそのとおりの姿を見せてくれたから私嬉しくなっちゃって……、実佳が本心からそうしたいと思っているのかなんて、全然気にしてなかった。だから今日、実佳が爆発しちゃったのは私のせい。本当にゴメンね、実佳」
「どうして? どうして有里が謝るの? 虚飾をまとってみんなに嘘をついていたのは私よ」
「あのね」
と、今度は理子。
「私、ホントはうすうす気づいてた。実佳が素直な自分をさらけ出せなくて苦しんでいるんじゃないかって。でも、何もしてあげられなかった。私の友情こそ、うわべだけのものだったかもしれないよね」
「止めてよ! 何で理子までそんなこと……」
と私が言いかけたところへ、倫世の言葉が割り込んだ。
「そんなことないよ。どっちも。きっと友情って損得じゃないし、本音で相手と接しなきゃいけないってルールがあるわけでもないと思う。大事なのは、一緒にいて楽しいと思えて、これからも思い続けられるかもしれないって思える、それくらいでいいんじゃないのかな。
友情ってきっと対等。どっちのせいとか、ないよ多分。でも、お酒のせいかもしれないけど、私は実佳がこうやって本音をさらけ出してくれたことが嬉しかったよ。霞君のことで、私に嫉妬するなんて可愛いって思ったし」
「倫世……」
「酔っぱらってゲロったくらいで友情がなくなるわけないよ。だから今日のことで、そんな風に考えなくていいんだってこと、お互いに判ればいいんだよね。っていうか、もう判ったし」
「何で? 何でみんな、そんな風に言ってくれるの? ずるいよ。みんな自分の考えがしっかりあって、将来の夢まであって。私なんか、私……」
私は号泣した。こんなに泣いたのは初めてかもしれない。涙に滲んでいく視界の中、私に手をかけようとする有里を止める倫世の姿が見えた。そう。今私が望むことは、心ゆくまで泣かせてくれること。倫世はさすが大人。ちゃんと判ってる。でも本当は、倫世が大人なんじゃない。私が子供だったんだ。周りの目を気にしすぎて自分を見失っていた。
いつでもどんな状況でも、胸張って自分は自分であると言えること。それが大事なんだっていうことに、私は便器の脇に座り込み、初めて気がついたのだった。
10.
号泣した後の記憶はところどころ抜け落ちている。どうやってトイレから出て来たのか記憶がない。お金を払った覚えもなければ、バッグをどうしたかも覚えていない。でも飲み会が終わったらしいことは覚えている。カラオケボックスから外へ出たことも覚えている。だけどその先は記憶がない。
私は今、全身に風を浴びながら道を進んでいた。身体を貫くほどの冷風が今は心地よい。それが私の体内を浄化してくれるような気がする。自分の身体を動かさなくても前方からやって来る風圧に、私は夢うつつ。
何故か私の指先が掴んでいる物体だけが妙に生暖かい。私はお尻が痛くなるほどガタンと揺れた拍子にその正体を確かめた。
背中。男の人の。上を見る。耳の後ろから横顔へ。何だ、見たことあると思ったら霞君。前を見てる。髪が風になびいてる。私の髪もなびいてる。どうして? ああ、そうか。このスピード感は自転車だ。密着感は二人乗り。え? 二人乗り? 霞君と? 私が? どうして??
「わぁっ!」
急速に意識が戻るにつれて、私は混乱して大声を上げた。
「うおっ!」
その声に霞君もかなり驚いたらしい。ハンドルのコントロールを誤り、塀に向かって自転車が傾いてよろめく。それをブレーキと足を使って何とか立て直して止める。
霞君の顔が私の方を向いた。目が合っても私は笑えない。一体何がどうなって、こうなっているの?
霞君はちょっと驚いた表情で私を見ていたが、すぐに笑顔になり、
「お前、二人乗りで寝るなよな。カーブになったら振り落としちまうぞ」
そう言って、自転車を再スタートさせた。
けれど私の混乱は収まらない。一体何がどうなって、私が今霞君と二人乗りをしているのか、さっぱり思い出せないのだ。有里達はどうしたんだろう。ミッキーやタクちゃんは?
それよりも何よりも、私はトイレの床に座り込み、さんざん吐いたままの状態ではないか。きっと吐物の匂いもトイレのそれも染みついたままだろうし、髪も化粧も服だって乱れているに違いない。
何で? どうして? いつも私は最悪の状態で霞君と二人きりになる。みんなが気を利かせてくれたのかもしれないし、彼が私のために自転車を走らせてくれているのは嬉しいけれど、私は木の上のバナナを取り損ねて崖から落ちていく猿のような絶望的な気分。
やがて道は上り坂になり、霞君が腰を上げて重そうに自転車を漕ぎ出した。私は荷台から飛び降りた。一瞬よろめいたが後について歩き出し、上りきったところで霞君が「着いたよ」と、私に声をかけた。
そこは川縁の土手だった。見慣れた川も夜になるとちょっと神秘的。お世辞にも綺麗とは言えないけれど、建物の密集しない開放感はいい気持ち。遠くの橋上で電車が光と音を撒いている。でもどうしてここへ?
私がそんな視線を向けると、霞君は小さく呆れたように笑いながら言った。
「お前が言ったんだぜ。『大吾、土手行こうよ。風に当たりたい』って」
全然覚えてない! しかも呼び捨て!
……私って、こんなに酒癖悪かったんだ。何かもう、自分で自分のことが信じられない。
「ごめんなさい。ありがとう」
私はようやくそれだけ言った。そして沈黙。匂ったらどうしようと思うと、どうしても距離を開けてしまう。距離を開けると、たたでさえ緊張して弾まない会話が全くなくなってしまう。悪循環。今更ながら、彼を呼び捨てにしたことで頬が熱くなる。
すると突然、まるでそれを冷ますかのように空から大粒の雨が落ちて来た。あっと言う間に土手のあちこちに水溜まりが出来、その水面を新たな雨粒が次々と跳ねる大雨になった。
「あそこの下に入ろう。足を滑らすなよ」
霞君は、川縁近く、橋の下の雨宿りできる場所を顎をしゃくって示し、早足に自転車を押して土手を下り始めた。私はさっきまで自分のおしりが乗っていた荷台に手をかけ、自転車の勢いに引きずられてパンプスを土手の草むらに突っ込んだ。
ようやく辿り着いたときには、二人とも既にずぶ濡れだった。今更雨宿りしてもあまり意味がないくらい。服が水を吸って重い。
(えっ? あ、あれっ?)
そこで私は青ざめた。背中のホックが外れてブラがずれているではないか。今まで全く気づかなかった。そう言えば、有里が背中をさするために外したような気がする。ヤバい。霞君の目に私の胸の形が変に映っていないかしら? けど、けど、彼の目の前でつけ直すなんてこと出来るわけない。どうしよう?
顔は平静を装う。でも心中は動揺しまくり。急に走ったせいで息が荒いのが多少のカムフラージュをしてくれる。
霞君は自転車のスタンドを立てている。が、きちんとストッパーがかからないらしい。何度かストッパーを蹴飛ばしていたら、反動でスタンドが戻り、自転車が傾いた。
「やべっ」
霞君はバランスを崩し、自転車と共に泥の上に誘われた。が、間一髪のところで踏みとどまり、手先足先をぬかるみに浸すだけで済んだ。自転車は右半分泥だらけ。
「大丈夫?」
「うん。けど……」
自転車を起こした後、ぬかるみの中から何かを拾い上げた。
「ごめん。お前の鞄、こんなになっちまった」
と、彼が拾い上げてくれたそれが、ブランドの風格など微塵もない、おはぎに取っ手がついたような状態になっているのを見たとき、私の中の笑い袋が音を立てて弾けた。
私は身をよじり、目に涙を溜めて大笑いした。お腹が痛くなるくらい。びしょ濡れなのに身体が熱く思えるほど。水を吸った衣服の重さも気にならない。ブラのことも今はどうでもいい。
ひとしきり笑い尽くして息をついたとき、彼が言った。
「よかった。やっぱり笑ってる顔の方がずっといい」
私は反射的に赤面し、慌てて目を逸らす。髪をまとめて絞り、手櫛を通して整える。
沈黙。
雨が地面を叩く音が響く。私の鼓動と同じくらいの激しさだ。
継げる言葉は何もない。代わりに息を一つそっと吐いた。
彼の手にあるバッグを受け取る。手で泥をかき落としてみる。今度は掌に泥がついた。じっとその手を見つめてみる。
「おい、京野」
霞君が心配そうに私の顔を覗き込む。
「実佳で、いいよ」
私はそう答えて橋の下から歩み出し、掌を前に突き出した。見る間に掌の泥が溶けていく。穴を穿つかのような大粒の雨に再び全身が蹂躙される。
「ここでいい。こうしていれば、今までの私全部、洗い流してくれるような気がするから」
明日肺炎で倒れても、今は雨に打たれたい。でもどうなってもいいという、後ろ向きの思いじゃない。
霞君は、そんな私を見てふっと笑い、
「じゃあ俺も、洗い流してもらおうかな」
と、私の隣で両腕を天に掲げた。
ああ、そうだ。そんなとき彼に宿る瞳の色が、やっぱり私はそれが好き。
見ちゃうとやっぱりドキドキする。だけどその思いを込めた言葉を口にするのは、私にとっては勇気が要る。今ではないとも感じている。だって今の私は、状況も見た目も完全に不戦敗。土俵に上がる資格もない。
その代わりと言っては何だけど、彼が肩の後ろあたりに飛び散った泥を払うのに苦労しているところへ、手を差し伸べた。
「ありがとう」
彼が照れくさそうに言う。
霞君の背中は温かかった。彼についていた泥が、私の手につく。それだけで私の身体も熱くなる。
「実佳、高校出たらどうする?」
ふいに霞君が訊いた。呼び捨てにする、その響きが互いにくすぐったい。
「え? どうして?」
「いや……、まあ、何となく」
とは言うものの、単なる思いつきで訊いたわけではないことは表情から察しがつく。
「……そうねえ」
いつもなら話題を逸らして答えを返さないこの質問に、過剰摂取で体内に堆積したアルコールのせいか、最悪の状態ばかりでの二人きりにこれ以上恥ずかしいことなどないと開き直ったせいか、それとも肉体ごと溶かして私を無に帰そうとする大雨のせいか、それは判らなかったけど、今は素直に答えようという気になった。
「あのね、私、一応三年になったら大学進学コースを取る気でいるけど、それは親に向けた建前。本当は、進学も就職もする気はないの」
私は彼をちらりと見た。
「今、バイトしてお金貯めてるんだけど、卒業したら、そのお金を使って……、旅に出たいの」
「旅?」
「うん。バックパック一個背負って、世界中を見て回りたい。ツアーなんかで表面だけかじるんじゃなくて、自分の足でその国の生活の中を歩きたいの」
「へえ、すげえじゃん」
彼の感嘆が本心からか、疑っている自分が悲しい。
これは私の小さい頃からの夢。けれどこれを夢だと認めているのは私だけ。
旅など金があって思い立てば、いつでも簡単に行ける。その程度のものを夢とするのは志が低い。例えば宇宙飛行士になりたいとか、自分の店を持ちたいとか、実現までに努力と苦労が求められるものこそが人生の目標となり、夢に値する。
小学校の卒業文集に書いた私の文章を読んで、担任教師がそう言ったときのショックを私は忘れていない。悔しさに涙を溜めて両親にその話をしたとき、返ってきた「そうなんじゃないの」という言葉に私の心は砕け散った。
人間は、相手の内面など判りはしないのだ。可愛い服を着て行くと、人は「可愛いね」と褒め、集まって来てくれる。でも、世の中や周りの出来事に対する自分の思いを話すと、「子供のくせに生意気だ」、「女のくせに偉そうに」と言って周りからいなくなる。今までその繰り返しだった。
「別に……すごくない。幼い頃は異国への憧れからだったけど、今はここから逃げたいだけ。前向きな理由じゃないから、あんまり人に話したことないんだけど」
「そんなことないよ。自分なりにこうなりたい、こうしたいって思うことだけだって立派な夢だと思うけどな。高校出たら、すぐに行くの?」
「ううん。それは微妙。今のペースで卒業後すぐに出発出来るお金が貯まるかどうかは……。でも、どうして?」
「うん。実は……」
と、霞君は濡れた前髪をかき上げた。
「前に、実佳にライブハウスに来てもらったとき、あのときボーカルやってもらって録ったデモテープを関係者に聴かせたら、かなり評判よくてさ。ダンさんも喜んじゃって。で、これからもしばらく、君の声を貸してもらえないかと……」
「……」
「あ、もちろん、実佳の意思を尊重するから、旅立つまでの間で構わない」
「……」
「どう?」
雨は一向に止まず、私達は既に服のまま海にダイブしたような状態だった。大雨に打たれるままの二人きり。辺りに人影はなく、時折やってくるのは、土手の向こうを通る車の走行音くらい。
最初、私は自らの醜態を気にして彼と距離を取ろうと思った。でも今は、彼と二人きりでいることに甘いときめきと共に安堵を覚えている自分がいる。
そう。今まで彼と二人きりのとき、いつも私は最悪の状態だった。飾ろうにも飾れず、逃げ出したくなるようなシチュエーション。その連続。そのせいか、今はありのままでいいと思える。
私は何の光もない空を見上げ、大きく息を吐いてから、
「音楽は……」
「え?」
「楽しいかしら?」
と訊いた。彼はニッと笑い、
「もちろんさ。三つのときから十四年やってる、この俺が保証するよ」
と、親指を立てた。
「でも」
「ん?」
「学祭のステージは、ありがとう。あれは確かに借りだから、それについては返すけど、今後は貸すとか借りるとか、そういうことは、なしにしよう」
「え? それって……」
私の含みのある笑顔に、彼は察しがついたよう。
そう。勇気を出すとか、そんな風な大事に捉えなければいいんだ。ありのまま、望むまま、素直な意思に任せればいい。
私は彼に向かって一歩近づこうとした。が、足が動かない。地面を見ると、いつしか広がったぬかるみと砂利が、がっちりとパンプスのヒールをくわえ込んでいる。私は思いきる。そして力を込める。
ふいに足が抜けた。でも足だけだ。パンプスは泥に囚われたまま。その勢いで身体が前へ傾く。
「きゃあっ!」
私は叫び声を上げながら、思いきり霞君を押し倒した。ドシャッと音がして、泥の飛沫が走る。
気がつくと私の頬は彼の胸の上。皮膚が彼の激しい鼓動を感じ取る。そして私の片方の膝は彼の両腿の間に。
私は彼を見る。彼の瞳も私のそれを見つめ返す。
今まで私には、黒か白、もしくはプラスかマイナス、またはイエスかノーしかなかった。原因が行動を促し、行動は結果を生む。その全てを読んだ上でなければ、私は進むことが出来なかった。そして、世の中の全ての出来事が、その論理で説明がつくと思っていた。
それが私の今までの人生観だった。
でもたった今、それが泥の飛沫にまみれたことで気がついた。そうじゃないことだってある。そうじゃないことだって、あっていいのだ。
泥に埋まったパンプスに、私は感謝しなくちゃいけない。
今の私には、今目の前に見えているものだけが全て。
雨の中。泥の海。霞君の上に横たわる私。そのときに私が思ったのは、取り繕うことなんかじゃなく、たったこれだけだった。
ま、いいか。
でも、これでいいんだ。
(了)