本命チョコはいかにして渡すのがベストなのだろうか。
とある高校、とある教室、とある席。
「貰えたのかしら。」
「いいや、今のところは1つも。」
やたらに高圧的な少女が少年に話しかけていた。少年は席に座ったまま虚ろな瞳で少年を見ている。
少女、朝倉 奈緒。少年、日高 拓馬。
「そう、部活で貰えるといいわね。義理。」
「そうだな。」
義理だけやけに強く発音された言葉に少年は力無く応答した。
この2人、かれこれ10年程の間、両片想いを続けている。
さて、いつになったら想いは伝わるのだろうか。
♡ ♡ ♡
準備はできている。鞄にも忘れずに入れた。
大丈夫、今年こそは渡せる。
いや、絶対に渡す――。
なんて嘘です無理ですごめんなさい許してくださいそんな度胸持ち合わせていません。
ううう……。私みたいな豆腐(以下)メンタルには無理だよ、こんなキラキラしたイベント。渡す前に死亡する。
休み時間に渡そうと思ったりしたものの、渡せず渡せず、昼休みに至る。
そもそも国の宗教がキリスト教でもないのになんでバレンタインデー(クリスマスもだけど)だけがこんなにも回避不能の重要イベント化してるのよ。国民の祝日でもないのにカレンダーに書かれたりしてるし。
それならちゃんとふんどしの日とかもイベントとしてやればいいのに。バレンタインデーと同じく2月14日だよ、ふんどしの日。あ、あと煮干しの日も。
なんて机に突っ伏しながら愚痴ったところで手元のチョコレートが彼の手元に瞬間移動してくれるわけもなく、鞄の中にあるそれはあたりまえながらひっそりとそこに隠れている。
顔を上げてみるとクラスの人たちが沸いている。バレンタインのムードに浮かされているからだろう。お菓子のやりとりもあり、普段より騒がしい。女子から女子へ、時たま男子へ。
まあ、時たまといってもこんな大勢の前で渡しているのが。という意味でら実際にはもっと男子へ流れていっている(はず)。
私も今年こそは……とは思ったんだけど、やっぱりなかなか厳しいなあ。いや、ヘタレな私が悪いんだけど。
いっそのこと、古典的ではあるけれども靴箱なりロッカーなりに入れておく……のはやめておこう。うん。
ロッカーは教室前の廊下にずらっと並べられている。(特に試験の時は)スマホや財布などの貴重品を入れることもあるので各自用意した南京錠が嵌められている。もちろん、彼のロッカーにもナンバーロック式のものがかかっている。
解錠のためのナンバーは偶然に知っている。
でも、廊下だと入れているところが誰かに見つかる可能性が高い。というか、それ以前に鍵のかかっているロッカーに入れるとか、相当な変質者だろう。なんでナンバー知ってるんだよってなるし。
それに、ロッカーは副教科の用意や国語の便覧、資料集などを置いておくために主に使う。そのため、今日使うという確証がない。
靴箱は時間さえ見計らえばチョコレートを入れるところが見つかる可能性をぐっと下げることができる。南京錠も(かけることができるようにはなっているが)基本かけている人はいない。彼もそう。
そしてなにより、帰るときには確実に使う。
と、ここまではいいんだけど、問題はここから。靴箱に入れられない、入れたくない理由がある。
まず第一に衛生上の問題で、下靴を入れるような場所に食べ物を入れるのはどうかと思う。そして第二に、
第二に……、個人的にあの靴箱には入れたない。
正確には、あの靴箱の状況を見て、入れたら負けだと思う。
『チョコください!』『あまってるのでいいんです。むしろあまってるやつくださいお願いします!』『不要品回収箱』『勉強するのに糖分が必要なんですっ!』
多種多様な紙がロッカーに貼られていた。まあ、多分ネタではあるんだろうけど、特に最後のやつなんて「自分で角砂糖買って下さい。」ってなる。
幸い、拓馬のロッカーにはそういう紙はなかったものの、他のロッカーのその様子に、入れたら負けなような気がしてしまう。
うーん、じゃあ、「義理」と言って渡すのはどうだろうか。
と、去年の私も一昨年の私も。なんならその前の私も思った。
思いはするものの、実行に移せたことは1度としてない。
バカなことに、その前の年に渡せなかったことは毎度毎度忘れてしまい、今朝の私と同じように謎の自信から「絶対渡せる!」と自分の豆粒程の度胸を過信し。その結果、本命のつもりで作ったため、思い切りハートの形をしたチョコレートとかを作り、どう見ても義理とは言えないような代物になっている。
そのせいか、義理というのが恥ずかしくて隠しているように見えてしまう(実際その通りなんだけど)ということから、かえって義理というのが恥ずかしく思える。
そして、結局渡せず仕舞いとなってしまい、家に帰って枕を濡らす。
友達用の友チョコもあったのだが、やはりバカな私はそれらを全て渡しきっていた。
もう、ない。
しかし、今年ばかりはなんとかして渡さないと。なんとしてでも。
じゃないと、そろそろ私の身が持たない。一昨年は泣きすぎて次の日に枕を干さないといけないほどになった。去年なんて夜通し泣き続けて軽い脱水症状を起こした。そろそろヤバい。
それに、一緒にいられる時間だって限られているし、今年はこんなチャンスに巡り会えた――。
奇跡的だった。9クラスあるうちの学校で、拓馬と同じクラスになれた。だから、周囲を見回してみれば……。
いた。憂鬱そうな顔で虚空を見つめていた。
彼は誰かからチョコレートを貰えたのだろうか。とても気になる。
聞くくらいならいいよね。別に変でもないよね。毎年聞いてるし、幼馴染みだし。
貰えたのか聞くくらいなら別に……。
× × ×
私のバカァァァァァッ!
なんで、余計なことまで言ってるのよ。普通に「貰えた?」って聞けばいいじゃない。
緊張しただけで、なんであんなに高圧的に、それから余計なことまで意って。
あ、でも今年も貰ってないのか。よし。
じゃない。そうじゃない。緊張しただけで……、いや、緊張したからああなったのか。やっぱりヘタレだなあ。私。
でも、なんでだろう。いつもより元気がなかったような。いつもなら貰えなくてもちょっとくらいは気にしてるけど、あんまり気にしてないって感じなのに。あんなにぼーっとしてるなんて。
なにかあったのかな。
というか、どうしよう。このチョコ。(いちおう)本命チョコ。
またかあ……。また今年も渡せないのか。今日も帰って枕を濡らそう。
チョコレートは明日にでも自分で食べよう。
仕方ない。自業自得だし。渡せなかった私が悪いんだし。
☆ ☆ ☆
憂鬱だ。とてつもなく憂鬱だ。
もとよりバレンタインはあんまり好きじゃない。貰えたことがほとんどない。ここ数年は1度もない。だからじゃないけれど。
いや、だからか。
まあ、貰えないことはわかりきっていたのであまり気にしてはいなかったが、まさかあんなものを見てしまうとは。
朝、奈緒の鞄の中身が少しだけ見えてしまった。中にあったのは透明の袋にラッピングされた小さなチョコレート。それから、
いくつかあったそれらとはまるで違う、まるで本命と言わんばかりの包装。茶色の小箱にピンク色のリボン。もはや、格が違うと言わんばかりの天地の差。
そりゃあそうだよな。高校生にもなったんだ。好きな人の1人や2人くらい……。
考えていて、結構虚しくなってきた。
周りもバレンタインだバレンタインだ、チョコだクッキーだっって騒いでるし、仮にも人の命日だからな?
くっそ……。あいつのチョコ食えるやつが羨ましい。もういっそのこと義理でもいいからくれ。
なんて言えるわけもなく、ヘタレであることを再確認する。
早く昼休みが終わらないかと、普段は絶対思わないようなそんなことを思いながら、ぼーっと黒板上の時計を眺めていた。
そのとき、
「拓馬、ちょっといい?」
聞き覚えのある声で呼ばれた。慣れ親しんだ声。
奈緒の声……だ。
× × ×
少しでも期待した俺がバカだった。
チョコレートは貰えなかった。そのかわり、罵声は貰った。
本命チョコの行方はわからない。知りたいような、知りたくないような。
そういえば、あいつなにに緊張してたんだよ。あの高圧的なしゃべり方はどう考えてもあいつが緊張してるときになぜか俺にだけ向けるしゃべり方なんだが。
そういえば去年もそうだったよなあ。なんでなんだろうか。
とにもかくにも昼休みが終わってくれ。もういいだろう。ある意味拷問だ。
まあ、そんなこと言ったところで昼休みが短くなるわけがない。眠って時間を潰したいところだが、4時間目に寝てしまったせいか全くもって眠れる気がしない。
いいなあ。チョコ貰ってるやつら。最後に貰ったのいつだったっけ。
ああ、6年前に奈緒に貰ったのが最後か……。
ダメだ。鞄に入っていた例のチョコレートが脳裏をよぎる。
チャイム、頼むから鳴ってくれ。
チャイムが鳴ったとき、結構心の中で喜んだ。
が、予鈴だったことに気づくまでしばらくかかり、気づいたのちに酷く落胆していたのは言うまでもない。
まさか、長い休み時間がこんなにもキツいだなんて。
初めての感覚だった。
◎ ◎ ◎
「うわあ、すげえ、雪だ。」
「珍しいね。ここらじゃ1年に1回降るが降らないかなのに。」
「まあ、1回降ったらそのあと何回か降ることはあるけど。」
「最近寒かったからね。って思い出したら余計に寒くなったよ。うー、寒っ!」
「積もるかなー。積もったら雪遊びできるのにー。」
「小学生かよ。高校生にもなって。」
下足室の前、部活を終えた人たちがそこに集まっていた。
見ているものは雪。ついさっき降り始めた。
「うわあ、傘持ってきてねえんだけど。」
「え、そうなんだ。まあ、私もなんだけど。」
こちらも部活を終えた2人。拓馬と奈緒だった。
「うーん、雪だから別に帰れないってこともないんだけど。」
「ちょっと……だよね。軽く濡れちゃうし。肌に当たると割と冷たいし。」
2人してその場で考え込んでいた。ちなみにこの2人、偶然にこの場に同時に来た。事前に一緒に帰るなどと約束していたわけではない。
「まあ、帰るか。降り止むの待ってるのもアレだし。これ以上強くなっても困るし。」
「そうね。帰りましょうか。」
少し人がはけて、靴箱に向かえるようになったので2人とも靴を取る。下靴を取りだして、スリッパをなおす。
靴箱には未だ数枚紙が残っていたり、セロハンテープのあとやむしろセロハンテープ自体残っていたり。男子たちのネタの名残があった。
念のためにもう1度言っておく。この2人、偶然にこの場に同時に来ただけである。一緒に帰る約束など微塵もしていない。
「寒いな。」
「寒いね。」
家が近い。と言うか、3軒挟んだ思い切り近所である。
歩き始めて早10分。まず1番目の会話がこれだった。そしてここに至るまで2人ともなにも疑問に思わず歩き続けていたのだが、ここであることに気がつく。
(あれ、なんで俺、奈緒と一緒に帰ってるんだよ。そんな約束一切してなかったのに。ってか、今さらあのチョコのこと思い出しちまったし、誰があのチョコ貰ったんだろ……。)
(待って、今気づいたけどなんで私拓馬と一緒に帰ってるのよ。なんか気づいたら一緒に帰ってたけど、よく考えたら約束もなにもしてないじゃない。)
さて、もう言うまでもないだろうが、念には念をというし、三度言っておくこととしよう。この2人、偶然に下足室に同時に来ただけであって、元々一緒に帰る約束なんてちっともしていない。
(でも待って、これってチャンスなんじゃないの?)
ここにきて思い出した。奈緒の持っている鞄の中、渡せず仕舞いになりかけてる本命チョコがあるということに。
今、謀らずして2人きりである。雪の中、帰り道を歩いている。ムードも条件も完璧。渡すどころか、告白するのにもピッタリな状況なのだ。
(無理だぁぁぁ。そんな勇気ないよ……。)
やはりヘタレである。
「そういえば、貰えたの?」
多少凹み気味の様子で奈緒は聞いた。一瞬なにを貰ったのかを理解できない様子だったが、
「ああ、チョコか。ちょっとだけだけどな。部活の人から。」
「そう、よかったわね。ちゃんとお返し作って返さないとね。」
「え、ああ、そうか。作らなきゃなのか。すっかり買うつもりでいた。」
そう言って、拓馬は少し悩み出した。なにを作ろうか考えているのだろう。まだ1ヶ月あるのに。
そして、奈緒は奈緒でなにかを考え込んでいた。なにかを思いついたのか、思い出したのか。
そして、
「そ、そうだっ!」
彼女が突然に叫んだ。叫んだとはいえ決して大きな声ではなかったものの隣にいた拓馬は体をビクッとさせていた。
「なに急に叫んで――。」
「ちょっとチョコ買ってくるから待ってて!」
十数メートル先にあったコンビニに向けて奈緒が走り出した。全く状況が理解できていない様子で、呆然としていた。
ただ立ち尽くすと迷惑だろうと思ったのか、まだ呆然としたままでとりあえずコンビニの駐輪場まで歩いて行った。
「はい、これ。バレンタインのチョコ。」
カサリと音を立ててビニール袋が拓馬へと突き出される。未だちょっとだけ理解し切れていない様子の拓馬だったがとりあえず受け取った。
「あ、ありがとう。」
「言っとくけど、買ってきたチョコは義理だからね! 義理チョコ!」
奈緒はそうとだけ言うと、いきなり走り出した。またも理解できないことが増えた拓馬がまた呆然としていた。
「なにを回りくどく言ってるんだよ。チョコは今買ってきたんだから普通に義理って言えばいいのに。」
とはいえ割と嬉しく思った彼は、奈緒の行動に不可解さを感じながらもチョコを食べようと袋を開けた。
「は? ……は?」
まず真っ先に絶句。そして、
「はあああああっ!?」
そこにあったのはセロファンの包装をされたチョコレートと、それから見覚えのある箱。
茶色の箱。ピンクのリボン。
「これって、朝の……。」
そう、朝、彼が彼女の鞄の中に見つけたアレである。
3秒。いや、5秒停止。そして、
「ちょっ、おいっ! 奈緒っ! 待て、待てっ! どういうこったこれ!」
わざわざ買ってきたチョコが義理だと言ったのである。確実にそうであるとは言えないが、つまりこれは。
「ちょっ、追いかけてこないでよっ! 速い速い速い速いっ!」
「待てってっ! おいっ! このチョコ、どういうことなんだよっ!」
その日、結局奈緒は枕を濡らすこととなった。
まあ、それが悲しみの涙ではなかったことは言うまでもない。