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お嬢様は仮の姿?!

作者: 日野真春

他の人の作品が楽しかったので、書きました。




「舞踏会、ねえ…」


 全然興味のない上等な紙切れだ。封蝋は見覚えのある深紅。いわずと知れた王家の印。

 こればっかりは無視できないので、しょうがなく手に取ったのだけれど。

 ぴらぴらと振っていると、後ろからため息が聞こえた。


「アレク様……品がのうございます。ミエス伯爵家のご息女として、もう少々たしなみを……」

「わかっているよ、サラ」


 返事はしても、アレクは動かなかった。仰向けに寝転んだソファ、ひじ掛けには編み上げのブーツが乗っかったまま、首だけがうんうん、とうなづく。


「お嬢様」

「……うーん?」

「動いてくださいまし」

「はぁい」


 追い打ちに、ようやくアレクが体を起こす。だるいし眠いし今日はどこにも出かけたくないが、今夜は諦めて支度するしかない。


「えーと、今日は」

「本日は学園への出席日でございますよ」

「面倒だな。なしで」

「なりません!」

「ええ~」


 あからさまにアレクは顔をしかめた。王立の魔術学園はここ最近、行けば平穏のニ文字とは遠い状況のため、まったくもっていく気にならない。


「いやだよ、あんな所。うるさいし、馬鹿が多いし。あと今日は眠いし怠い。たぶん具合がよくないんだよ」


 だから自主休校(けっせき)で、と子供みたいな駄々をこねるが、侍女のサラには通じない。


「ふざけてないで、制服にお着換えくださいまし。眠くて怠いのは本の読みすぎと乗馬のしすぎです。一日中遊びまわるからですよ」


 どうぞ、と問答無用ですでに用意されていた白い制服が手渡される。これは普段着で、正装の際には青になる。はあ、とため息をついて受けった。


「じゃあ、今夜は行かなくても……」

「良いわけないですからね、アレク様。主催者を知っているでしょうが」

「あの人ほんと好きだなぁ……」

「陛下です、お嬢様っ」

「ああそうそう。女王陛下、陛下っと……」


 敬意のけの字もない陛下に、サラは頭を押さえた。頭痛がする。いや、アレクといれば、いつでも頭痛は付き物だが。


 十六歳のミエス伯爵家の長女は、こと学園においては、魔力も魔術も折り紙付きの優等生だ。が、問題ないのは成績だけで、社交界でも学園でも、果ては家の中でも、いつでも誰かを悩ませている。主に、身内にとっては、だが。


 父親のミエス伯爵はあきらめの境地で、亡くなった妻に毎日謝りながら朝起き、ごめんよとつぶやきながら眠りにつくくらいだ。

 親心も知らず、アレクはまだぶつぶつと文句を言っている。


「やだなぁ……両方気乗りしない。どっちかだけ……やっぱどっちも嫌だなぁ。ねえサラ?」

「義務です、お嬢様」

「ええぇえ~。義務いらないな。権利もいらないから、平民になりたい。商人とか、楽しそうじゃない?」

「お嬢様っ」

「知ってるサラ? わざわざこんなめんどい貴族になりに来た平民の女の子。物好きだよねむしろ代わって欲しいんだけど」

「お、じょ、う、さ、ま!」


 言いたい放題なアレクに、ついにサラが眦を釣り上げた。これが怖いのはよぉく知っているので、さすがに口を閉ざす。

 締まらないやり取りをしているうちに、アレクの支度は整った。強い魔力を宿す証の漆黒の瞳――色が濃いほど魔力が強い傾向にある――艶のある金色の髪は肩の半ば、肩口でゆるく纏められ、胸の前へ流されている。

 素地だけなら、一言でいえば白皙の美貌、だ。

 締めに手袋をはめ、ブーツのつま先をこんこん、と床打ってから、じゃあ、とアレクはサラを振り返った。


「仕方ないから、行ってくる」

「寄り道せずにお戻りくださいませ。本日の用事は絶対に外せませんので」

「……はぁい」


 嫌だ、と顔に書いたまま、アレクは第一関門へと向かっていった。



 ****



 うるさいなぁ、とやっぱり来て後悔した。

 ざわざわしている。あと、きゃあきゃあ騒ぐ声がする。ちっとも落ち着けないけれど、音を遮断するのには文字に没頭するのが一番だと知っているので、アレクはあえて教科書を開いた。こうしていると、大抵の人は声をかけない。すでに暗記するほどだとしても、とにかく耳を塞ぎたいのでこれが一番いい、と言い聞かせて、新しい発見はないかと読み込んでいた、というのに。


「アレク」

「……」


 呼ばれた声が、無視すると厄介な相手だった。ちょっと考えてから……しぶしぶ顔を上げて……眩しいなあ、と目をそらしたくなった。


「でんか……何か用ですか?」

「お前の殿下は本当に間抜けだな。なぜ返答に間が空いた? 無視できると思ったのか?」

「しても許されるかな、とは考えましたね。ご用件をどうぞ、殿下。別に忙しいわけじゃないんで」


 ものすごい無礼にも、別に怒ったりはしなかった。一応、ここでは身分がさほど頓着されない、という建前がある。


「……用件は一つだ。今夜のドレスの色を教えろ」


 イライアス・ヴェンダー。

 紫紺色の瞳は、菫よりも鮮やかだ。有無を言わさないこの慣れた命令口調は、王太子らしいといえばらしい。将来を万人から嘱望される相手は、その期待を背負ってこそ輝く、とばかりに学園では優秀さを見せつけていた。

 そんな相手に、無駄な抵抗はしないに限るとアレクは身をもって知っている。


「臙脂になりますね。今年作った色なので」

「俺が送ったのがあるだろう」

「……」

「アレク?」

「あれは派手なので。今回の夜会には向いていないと思いました」

「母上主催だぞ。文句を言うやつはいない」


 問題はそこにない。確かに幼馴染のよしみか、時々派手な贈答品が届くのだが、大抵は扱いに困るものが多かった。なにしろ、売り払えない。ドレスはその最たるもので、薄い紫に刺繍やレースをたっぷりと使った贅沢な一級品だった。

 どう見ても、現在の伯爵家の賄いきれるものではなかった。


 内情は火の車、ではないが、清貧を掲げて生きなければならない金銭状態で、夜会になんて本当は出ていられないのだ。アレクとしては学園なんてお金のかかるところは早めにやめたいくらいだけれど、三年の修業と、卒業資格をもって王宮の魔術師見習の試験合格とみなされるため、仕方なく通っている。

 魔術師になれば、たとえ女性であっても、お金が稼げる。


 貴族社会からははじき出されるだろうが、父が必死になって支えようとする領地と領民のためになるし、大体憧れもないので最初から問題もなかった。


 そのために、色々とやっているのに。

 あのドレスは、目立つ。


 十八の成人にはあと二年あるとはいえ、あれを着ていったら、どんな勘繰りをされるか分からない。

 金銭感覚の違う相手からのもらい物は、身分が身分だけに突っ返すのも難しい。

 大体、なんで絡んでくるのかな、と二つ年上のイライアスがちょっと恨めしかった。

 別にかまってくれなくていい。小さい頃の縁なんて、家の事情が変われば勝手に消えるものだと思っていたのに。

 学園に入学した途端、あれこれと話しかけてきて……色々あったな、と遠い目をして思い返してしまう。

 が、ここ二か月は、打って変わって全然接触がなかった。

 これ幸いと無視していたのに。


「臙脂にするって決めたんで。以上です」


 用件は一つ、と言われたとおり、会話の終了と同時にアレクは教科書に目を戻した。早く立ち去れ、と念を送ってみたけれど。


「……シア」


 耳元で、声がして。

 頭の中に入っていたはずの文字が、一文吹っ飛んだ。もう一回、と読み直そうとすれば、今度は教科書に指がかかって、机へと戻した。


「シア。お前、頭は悪くないだろう?」


 当たり前だ、と反論するより、教科書を追いかけたい。ちょうど魅了の魔法のいい所だったのだ。看破や解除が難しいため、対応としては術者の思考を混乱させ、効果を弱めること……


「シア――今夜のドレスの色は?」

「――っ」


 結んだ髪の先をイライアスが引く。見てはいけない、と固く念じていたのに、白い手袋の指先が嫌でも目に入った。くるり、と金髪の先を遊んで、黒曜石の髪留めに親指が触れる。

 そのまますくうように持ち上げられて。


「――わっかりました! 紫です、いただいた、白菫(しろすみれ)で!」


 行きますから、と髪の先を取り戻しながら小声で精一杯早口に告げれば……いたく満足そうな笑みが返ってきた。

 くっそう、とは絶対に口に出せないが。

 絶対に、勝てない。

 本当に、何もかも。

 いつの間にやら、あたりが静まり返っている。また余計な噂になるな、とちょっと遠い目になった。


「……殿下、いいんですかね。不名誉な噂が持ち上がりそうですけど」

「どうせ学園の中だけだろう。あとひと月で居なくなる場所だ。全く問題ないが?」

「ですよね」


 こっちはあと二年いるんだけど、とは言っても無駄なので言わない。


 ではな、と背を向ける瞬間に、思いっきり舌を出しておいた。そのまま見送れば、外にいたらしい待ち人の一団の中に会話しながら入っていく。

 先輩たちか、知らない男ばかりの顔ぶれの真ん中にいる小柄な影が一瞬だけ目についた。

カッコいいとか、全く思っていない、が。

その影に対して浮かべたやわらかい微笑には、なんとなく引っかかった。


「……アレク」


 固まっていたら、大丈夫? と聞いてきたのは隣の席のジョシュアだ。丸い眼鏡の奥から、心配が透けて見える琥珀の両目が向けられる。殿下が怖いのか、姿が見えなくなってから現れたのはご愛敬だ。


「平気平気。前からあんな感じだから、殿下って」

「君は慣れているかもしれないけどね……」


 気にするな、と手を振れば、ジョシュアはため息をついた。


「本当に困っているなら、君の力になりたいんだ。いくらなんでも、悪ふざけが過ぎると思うし」

「……ま、あとひと月だし、殿下の方がその辺の見極めは上手いから……」


 問題はない。本当なら、もっと問題なかったはずだけれど、そこはしょうがない。


「ありがとう。心配かけてごめんね、ジョシュア」

「本当に、何かあったら教えてね、アレクシス」


 お礼を言えば、ようやくジョシュアも笑い返してくれた。



 ****



 もらったドレスを着ていく、と言ったら、その瞬間から侍女たちの目の色が変わった。なんで、とか口にする暇もなく、風呂だ香油だともみくちゃにされた。

 めんどい、と口に出さないで顔に出すアレクを、黙っているのをいいことにサラやほかの侍女たちはどんどん奇麗に飾り付けていく。

 見慣れない装飾だなぁと思っていたら、例によってイライアスから貰ったものだとか。


 なんかなぁ……と引っかかる。

 だってアレだ。殿下は今、昼間見た通りあの小さな影、もとい平民から貴族になったばかりの少女に夢中らしいのだから。


 学園は、騒がしい。

 特にあの少女が半年前に来てから、誰の婚約者と仲良くしてただの、取り巻きを増やしただの、飛び交う噂に事欠かない。おかげで、ちょっと前まで話題だったアレクとイライアスのどうしようもないアホな話が立ち消えになったのには助かったけれど。


 アレク自身は、家の事情もありそういう相手はいないから、直接何かあったわけではない。が、雑音が多い学園には、あまり行きたくないし、勉強だって捗らない。

 大体、次は誰それではないか、なんてフザケタ予想まで立てる人間さえいる。困っている人もいれば、面白がっている人もいて……それが余計に、うっとうしい。


 ただ三年を、静かに過ごせればそれでいいのに。

 はあ、とこぼしたため息を、サラはどうとったのか、滅多になく優しい声がかかった。


「お嬢様。あまり噂ばかりをお気になさらず。イライアス様お見立てのドレスは素晴らしいですよ」

「よく分かんないけどありがと。一応着たから、もう脱いでもいいよね?」


 重いしキツイし、とこぼしても、なぜか態度は変わらなかった。


「そのようなことを。夜会はこちらで行くと、お約束なさったのでしょう?」

「したというか、させられたというか……」


 自分の誕生日に送られてきたので、一年近く前のだ。送ったことも忘れたと思っていたから臙脂のものを新調し、それを着ていたというのに、今更何なのか。

 きちんと用意されていた馬車に乗るための台に足をかけながら、はあ、と抑えきれないため息が漏れる。


「帰りたい……」

「まだ伯爵家でございます」

「だから部屋に」

「なりません。往生際が悪いですよ」

「サラ。代わりに行ってくれる?」

「私は付き添いです。私の代わりなら、お嬢様はどの道会場へ行くことになります」


 さあ、ときりきり追い立てられて、アレクは馬車に乗った。

 到着後は、周囲への挨拶が定石だが、そちらは父親に任せて、成人前のひよっこらしく隅にいることにした。


 今日はデビュー前の貴族子女を親とともに参加させ、本番に臨んでもらおうという意図のある舞踏会だ。多少の無礼は、若気の至りとして見逃されるし、失敗をきちんと学んでデビューしろという前振でもある。

 対象は主だった貴族全般のため、主催は派閥の影響のない王族になる。別に来なくても罰はないが、常識として、毎年全員参加が大前提だ。入れ代わり立ち代わり、大勢の人が行き交う。

 そんな中でたった一人を見つけ出すなんて、不可能――なはずだったのに。


「ミエス伯爵令嬢?」


 呼ばれて、しまった。間違えようもなく、自分の「名称」だ。目立たないよう壁に沿って人目をうまく避けていたのに。

 仕方なく振り向いた先には、人形のように綺麗な「お嬢様」か「お姫様」。ちょっと詩的に喩えれば「妖精」のような少女がいた。女性としては背の高いアレクと比べると、靴の高さの違いかちょうど頭一つ分違う。たぶん、同じ靴を履けば頭半分で済んだと思われた。


 聞こえなかったふりを、すればよかった。壁に向かっていた方がまだましだ。後ろのシャンデリアやドレスや宝石の輝きと相まって、目に痛いくらい眩しい。


 知らない相手だ。が、周囲の状況を見れば察しは付いた。

 昼間に会ったイライアスをはじめ、思い出せたら有名貴族の子息名が付く人間を数人連れていれば。あいにく顔と名前の両方が分かるのはイライアスだけだが。

 顔が、引きつる。何の用だと叫びたくなったが、場所が場所だけにまずい。

 全部をごまかすために、扇を広げて口元を隠した。


「ごきげんよう。確かに私はミエス家の者ですが……なにか?」

「なにか、ではありませんわ。そのお召し物……いかがなものかしら?」


 名乗るより前に険のある眼差しを向けられる。やっぱり、と内心でため息を吐き出した。

 いくらほんのり薄く、というほどとはいえ……紫は王族の色だ。咎められるのはまあ当然である。が、無理やり約束を取り付けたのも、そこにいる「王族」ではあるので、一応悪いことはしていないはずだ。

 根回しはもっとちゃんとしてほしい。こんなところで声も潜めず堂々と指さされてはたまらない。視界の端で、父親があまりのことに倒れたのが見えた。申し訳ないが、助けには行けそうにない。


「……ご指摘を受けましたが別に、好き好んでこの格好をしているわけではありませんの」

「なにを……っ」

「とある方に、強制を受けまして。逆らえなかっただけですわ」

「とある方?」


 ふふ、と少女が笑った。一瞬、今までの美貌は幻かと思うような歪んだ笑みだ。美しいは美しいが……毒が見え隠れする。

 扇を握る手に、自然と力が入った――まさか、と。


「強制? 一体どなたが?」

「……イライアス様ですわ」

「そうなの? 殿下?」


 くるりと後ろの相手の少女が振り返る。それだけで、きらきらと美しい光が飛んだ 。

アレクも自然とそちらへ目を向けて、気味が悪いくらい穏やかに微笑するイライアスが「いいや?」と否定するのを聞いた。


「……」

「だ、そうですわよ? とんだ嘘つきね」

「……」


 可愛らしい微笑み。それより気になるのは、少女の向こうにいる(一応)幼馴染の男。伯爵兼宮廷魔術師という職務柄、ひとり家に取り残される子供を憐れんで、ともすれば父の友人という立ち位置にいる女王陛下が、王宮の隅にいることを許してくれた。

 そんな過去があり、幼少のころからイライアスとは付き合いがあった。


 だから、知っている。

 あれは、イライアスであって、イライアスではないのだ。


 ふざけた王子は、あんな穏やかな顔をしない。苛烈で、腹黒で、意地が悪いせいで、どんなに綺麗に 笑えても、「穏やかさ」とは無縁だった。

 はあ、と今度こそ扇の後ろで息をついた。面倒だなと思っていたけれど、ようやく意図が読めた。


 こんこんこん、と踵を三回鳴らす。アレクが魔法(・・)を使うときの癖だ。


「嘘つき、ですか」

「ええ。あなた……いいえ、お前には不敬罪が適用されるわ。一生を牢の中で過ごすのよ」

「それはご寛恕を。これは……ほんのいたずらにございます」

「いたずら?」

「ええ。すべては……貴女の目に留まるため」

「は?」


 躊躇いなく言い切れば、間の抜けた返事が来た。

 まあそうだよね、と心の中で同意しておく。が、細かいことを気にしてはいけないのだ。これは勢いが大事なので。


 扇をたたんで、にっこりと笑い、追い打ちを続ける。


「誹りはすべて甘んじて受けます。責はもちろん、この私にございますから」

「え?」

「ですがどうかお許しください。どこにいようと、貴女はとても遠く、手の届く人ではなかったのです」

「何を言って」


 少女が一歩後ずさった。揺らいだのは風か――それとも魔力か。


「え、百合? 百合なの? 聞いていないんだけど!」

「花が似合うのはあなたで、私ではありませんね。ですが……このような場面に、贈り物がないのは無粋でした」


 かざした手のひらに、力を込めて花を呼ぶ。

 よくわからないが、少女が希望したとおり、向こうの花瓶に飾ってあった白百合を一本、どこか呆然とする相手の髪に、飾りとして差した。

 よくお似合いです、と褒めれば、ぱあっと頬が赤くなる。とても見慣れた反応に、余計に笑みが深くなった。

 いつの間にか、衆目はすべてアレクたちに向いていた。ざわめきは遠く、あくまでも静観できる距離が空いている。


 ――ちょうどいい、舞台だ。


「あなた、一体……」

 呟きには、さっきはなかった熱がある。呆気にとられつつ、引き込まれてくれた。

「何者、なの?」


 思惑通りの質問に、表情を崩さず、内心でほくそ笑む。

 セリフは、決まっていた。


「目に映る私は、仮の姿でございます」


 ドレスに手をかける。同時に発動させたのは、転換魔法。あるものとあるものを入れ替える。そして、素早く髪もほどいた。施された化粧のうち、口紅だけを軽くぬぐった。

 抜けるような青の上着と、白銀の釦。金の縁取りも鮮やかな、魔術学園の「正装」。腰への帯剣が許されるのは最上学年のみだが、剣さえあれば騎士とも見まがう鋭さがあった。

 白い下衣に対比する黒い編み上げのブーツは、細い足を力強く見せてくれる。


「アレクシスでございます。どうぞ。以後お見知りおきください。美しい方。許されるなら、貴女の名を呼ぶ権利を、いただきたく存じます」


 胸に手を当て、軽く一礼。簡易な騎士の挨拶だ。流れでそっと手を伸ばせば、引き寄せられた白い手袋の繊手がある。指先を触れるだけの感覚で、そっとすくい上げて、軽くかがんで唇を寄せ――口づけるふりをする。


「どうぞ、御名を」

「ルージュよ。ルージュ=モントー」

「ルージュ嬢、とお呼びしても?」

「呼び捨てで結構よ。アレクシス……」

「……」


 一歩ずつ、二人の距離が近くなって、少しでも動けば触れられる。そんな距離が許されるのは、夫婦か恋人だけなのに。


 アレクはうっとりとするルージュに、もう一度手を伸ばした。潤んだ緑の目は宝石よりも美しい、という空言が浮かんだが……そんなものより、気になるのは。

 液体が入っているかのように、ゆらゆら揺れる輝きを放つ、薄いピンクの耳飾り。


 顔近くに手を持っていっても、ルージュは身じろぎもしなかった。むしろ、何かを期待する眼差しだ。


「ルージュ……」

「アレクシス……」


 頬に手を添える……ような動きで、耳飾りに触れた――瞬間。

 ぱきり、と粉々に砕け散った。


「きゃあっ」


 すぐに飛び退って手を引っ込めたのに、欠片が手袋越しにかすって痛みをくれた。悲鳴は無視だ。自分が可愛い。ルージュは耳を押さえてしゃがみこんだ。


「な、なに……」

「茶番はそこまでにしておけ、アレク」

「茶番だなんて、ひどいですね殿下」


 傲岸不遜、をそのまま表した顔で、イライアスが渋面を作っていた。ようやく、見慣れた顔が戻ってきた。


 すらり、と金属の擦れる音がする。


 イライアスの服装は今のアレクと同じ、魔術学園の正装で、最高学年のため、帯剣している。それを滑らかに引き抜いた音だった。


「ルージュ=モントー。先ほど不敬罪だと抜かしたな。己の所業がよく分かっているとみえる。すでに魔石は破壊した。魅了はもう使えまい」

「い、いらいあす……?」

「名を許した覚えはない。罪が増えたぞ。ラス!」

「問題ありませんよ殿下。ちゃんと記憶も記録もしてますから」

「てゆーか、こんだけ人がいれば間違いなくね?」

「黙っていろよ、オーウェスト。殿下は例によって漏れなくねちこくこの女を処罰したいだけだから」

「趣味悪いっすね、俺らの主は」

「当然の報いだと言え、グンター」


 誰が誰だが、アレクには全然わからないが、どうやら全員正気に戻ったらしい。そしてどうやら、これは全部計画のうちだったようだ。どこまで惑わされたフリだったのか、アレクには判別できないが。

 ついていけないのは、床にへたり込んだまま、切っ先を向けられているルージュだけだ。


「なに、なんなのっ!?」

「本当に気づいてないの? あんたはもう終わりだよ?」

「魔術学園で魅了魔法なんて使っていたら、一発でばれるに決まってんじゃん。すぐに俺らに監視役が回ってきたし」

「頭悪いにもほどがありますね」


 真顔で罵倒されたルージュが、ようやく事態を飲み込んで顔色を変えた。


「う、うそよ! だって私は……」

「言い訳は無用だ。口は閉ざせ。命令に反すれば罪が増えるぞ」


 向けられた銀色の切っ先が、さらに近づく。抵抗をすれば必ず切り捨てる、と低くイライアスが呟けば、両目を丸くしてから、両手のこぶしをぎゅっと握った。

 ぱきり、と切っ先がはねつけられて、イライアスが眉間にしわを寄せた。

 立ち上がったルージュから、きつく睨みつけられたのはアレクだ。


「冗談じゃないわ! わたし(主人公)正義(ストーリー)よ! 悪いのはあんた(悪役)じゃ――」

「もちろんですよ、ルージュ」


 にこりともう一度笑顔を向ければ、ルージュは音がするように硬直した。


「は、え……?」

「先ほども申し上げたではありませんか。責は私にある、と。悪はもちろん、この私」

「……」

「見える形は仮の姿――いついかなる時も、すべての人をたばかっていますからね」


 とても晴れやかに、ただの事実(・・・・・)をアレクはさも重々しい真実のように告げた。

 

 呆気にとられたままのルージュは、二の句が継げなかった。だって、何もかもが違い過ぎる(・・・・・)

 そして背後から、魔術師の白いローブを着た人間が二人現れたのには、気づかなかった。


「きゃあっ!?」


 見えない力が、すぐさま少女を拘束する。床に転がされてなお、吊り上がった眦は変わらないし、視線はずっとアレクに向いていた。

 いっそ見事だ。


「なっ……騙したのっ!?」

「私は何もしていませんよ」

「ふ、ふざけ――」


 言葉は途切れた。白い繭のようになったものを、大人(まじゅつし)たちがふわりと浮かせた。ごそごそ動いているが、無駄なことだ。

 イライアスに一礼し、彼らが会場から出ていく。

 残されたのは。


「怖い女だなー」

「殿下、お怪我はありませんか」

「あるわけないだろう」

「ま、強いっちゃ強かったすけど。才能あるのにもったいないっすね」

「それを魔法なしでぶち壊したもっと上手がいたからなー」


 人々の衆目の真ん中で、捕り物をやった五人と――暇だったのでさっき数えた。イライアス込み――「変身」してみせた、アレクだ。ちなみに一番目立っているのは間違いなく自分だった。


「あーと……帰っていいですかね、殿下」

「お前は……」


 呆れ果てた顔で、イライアスがアレクを見下ろす。無造作に手が伸びて、せっかく整えてまっすぐになっていた金髪をぐしゃぐしゃにした。


「何するんですか!」

「なんだあれは! 誰があの女を篭絡しろって言った!」

「何も言わなかったじゃないですか!」


 ふざけんな、と全力抗議だ。勝手に巻き込んで説明なんて一言もなかった。なおも拘束しようとするイライアスを潜り抜けて距離を置く。せっかく魔法でうまく着たのに、台無しにされてはたまらない。

 慣れた仕草で、髪を整え、いつも通り先だけをゆるく縛る。詰襟を整え、外れたボタンをはめなおし、胸を張って上着の肩を戻した。

 いつもいつも、やっていることだ。品行方正、間違ったことをすると面倒くさいので。


 十六歳のミエス伯爵家の長女――アレクシア=ミエスは、こと学園においては、魔力も魔術も折り紙付きの優等生だ。

 反面とても「変わって」いる。本人曰く、十八の成人までだと公言して憚らないし、周囲もなんだかうやむやにしてしまっているのだが。


 アレクは、まごうことなき男物の制服で、学園へ通っている。ついでに、名前も面倒なのでアレクシスで通していた。


 理由は、ただ身動きがしやすいからだと、主張して。

 白皙の美貌によく似合う、すらりとした体躯は、余計にその性別を判別しにくくし、詳しく事情を知らない生徒や先生は、まず間違いなくアレクを「男性」と認識している。ので、剣の時々授業で遠慮なく伸されることだってある。

 去年一年間は、イライアスに散々構われたせいで、二人は恋人だというデマさえ流れ――もちろん、男同士という意味――否定するのも面倒だった覚えがある。


 きらきらしていたのはシャンデリアの光だけでなく、魔力が紛れていたからだとわかったので、魅了の魔法だとあたりを付けた。解呪よりも術者の気を逸らすことで生じた隙を狙って、掛けられた本人が我に返るか、術の破壊を試みるのが一般的なので、アレクとしては盛大にあのルージュという性悪女の気を引いてみたというのに。


「ちゃんと魅了魔法が破れて殿下方の思惑通りになったのに、怒られる意味が分かりませんよ……」

「お前は……そこにいればよかったんだ」

「はあ?」


 怪訝な声で続きを促したのに、そっぽを向いたイライアスは説明を加えなかった。


「もういい。行くぞ」

「行くぞって、どこに? こんな騒ぎになったし、私はもう帰りますけど」

「なぜ帰る? 一曲も踊っていないだろうが」

「踊るんですか? この状況で?」


 本気か、と周りを見回せば、どうやらもろもろなかったこととして振舞われつつある。楽団はすでに曲を鳴らしていて、ちらほらと優雅に踊る人たちがいた。

 華麗なるスルーというやつだ。


 ほら、と手を出されたが。


「私とじゃ無理ですよね? 女性がいませんよ」

「お前が女だろうが!」

「えー。この格好の時は男性の方が楽しいんですよ。殿下が女性なら……」

「おいっ」


 苛立ちのこもった声に、アレクが肩をすくめる。

 後ろでは、ほかの四人が必死に笑いをこらえていた。


「殿下……お可哀想なくらい全然相手にされてない……」

「やめろラス。殿下に聞こえるぞ」

「てか、あれは殿下が男に数えらえてなくない?」

「どうっすかね? どっちかってーと女扱いされてるのに気づいてないって感じっすかね……」


 なんにせよ。


「「「「対象外ってことだな」」」」


 ぼそっと重なった言葉に、イライアスが鋭く一瞥を投げた。あとで覚えてろ、と口が動いて……四人全員が黙り込む。

 行くぞ、嫌だ、ともめる二人に、静かに近づいた影があった。


「アレクシア」


 名前を呼ばれて、ピンとアレクの背筋が伸びる。張りのある、それでいて柔らかな高音。足は振り向きざまにさっと一歩引かれていた。

 跪いて、見上げた先に。


「お呼びでございますか、陛下」


 イライアスと同じ、紫紺色の瞳があった。顔にかかる一筋の髪すら計算されて結い上げられているのは、輝く銀髪。その微笑は先ほどのルージュなど及びもつかない……本当の慈愛を浮かべていた。

 普段はどんなに気軽に「陛下」なんて呼んでいても、こうして目の前にすれば、自然と敬意が浮かんでくる。


 ソフィ=ヴェンダー。

 知恵者、賢者と名高い今代の王。


「不届き者を捕縛した演技、見事でしたよ。我が息子がかすんで見えたほどです」

「とんでもない。すべては殿下の手の内でございます」

「褒美に……と言いたいところですが、これはあくまでも個人的な願いです」


 茶目っ気をたっぷりと含ませて、女王がぱちりと片目をつぶる。決して若々しい美人ではないけれど……少し皴のある顔も手も、いつまでも見ていたいと思わせる人だった。


「わたくしと最初の一曲を、いかがかしら?」


 答えは、一つしかなかった。差し出された手に、恭しく口づけを贈る。


「間違いなく、最高の褒美にございます」


 芝居がかった言葉を続ければ、ソフィもまたひと際美しく微笑み……ほんの一瞬、息子に目線をやった。勝ち誇った口元が、音もなく動く。

 ――『おばかさん』と。

 反論もできず、苦い思いをイライアスは飲み込むしかなかった。





 その後、王太子をはじめ、有名な筆頭貴族子息と共に捕り物をした「アレクシス」は有名になり。

 彼らが卒業したのち、在学中の人気は男女ともに衰えを知らず。

 卒業し、魔術師見習になった後、持ち込まれる縁談は、男女ともに比率が半々――どころか女性の方が多いくらいで。

 ミエス伯爵があり得ない悩みを抱えてしまったのは、だいぶ余談になる。









どこかで間違った気がする……。

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― 新着の感想 ―
[一言] 殿下の健気なアピールを連載で読みたいなって思いました。でも、アレクのスルー力も話のテンポも私のツボです。大好物です。面白かったです!
[気になる点] アレクシスって普通に女性名でもあるので、アレクシアから変える意味がわかりませんでした。
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