バスから見えた世界は。
不意に振動が体に伝わり、目を開いた。
暖かい橙色の光が反射していて眩しい。いつの間にかあんなに騒がしかった車内も、今は自分と運転手だけになっているようだ。手に重さを感じ視線を下ろすと、英会話の本がちょうど半分くらいのページで開かれている。ああ、読んでたら寝ていたのか…。
そういえばこのバスは、今どの辺りを走っているのだろう。目が覚めてくると、頭は不思議と色んなことを考え始める。電光板を見てみると目的地まではまだ時間がある。肘をついて窓の外に意識を向けた。外はちょうど太陽が沈んだところらしく、左右に違う世界が広がっているようだった。
「マジックアワー…」
太陽が沈んでから暗くなるまでの時間をそう呼ぶ、と何かの映画で聞いてから、この空の呼び名を知っていることが嬉しくてつい呟いてしまう。急に自分が今車内にいることを思い出し、独り言を聞かれていないか気になって前を見た。運転手は相変わらず無愛想に運転を続けている。ふぅ、と軽く息を吐いてまた外を見る。
何の変哲も無いただの住宅街。高校に入って都会に行くようになってからは、この街が大っ嫌いだった。高いビルも格好良いお店もお洒落なカフェもない。今考えると何故高いビルがいいのかイマイチ分からない。別に気取ったお店だってただ高いだけじゃないか。同じ高校の友達に「お前のところは田舎だよなぁ」ってよくバカにされたけど別に田舎じゃない。コンビニだってスーパーだって普通にある。
あれ…?何で5年以上も前のことに今更ムキになっているんだろう。それに今でもこの街が嫌いだから、今こうやって海外へ行こうとしてるんじゃないか。自分の中に矛盾を見つけ思わず口角が上がる。
外もだいぶ薄暗くなってきた。薄紫色の空をバックにカラスが2羽仲睦まじく飛んでいく。カラスってアメリカでも飛んでるんだっけ、あれ? 日本の鳥だっけ、そもそもアメリカって鳥飛んでるのかなぁ。向こうに住むために色んな情報を集めてたけど、鳥のことなんて勿論考えもしなかった。何もない空なんて居心地悪そうだな…。現地の人とうまく馴染めるかなぁ。急に心細くなって一気に不安が広がっていく。
外はもう真っ暗だった。ただ空にはいくつかの星とやや欠けた月がいつものように街を照らしていた。バスは6年間を過ごした小学校を通り過ぎた。子供時代の思い出が孤独の海に沈んでいく自分を暖かく包んでくれた。いつも通った道がもうすぐ目的地であることを教えてくれる。この道を見るのもあと数回なのだろう。もしかしたらあの無愛想な運転手さんのバスに乗るのはこれが最後かも。そんな事を考えたら何だかもっとこのバスに乗っていたくなった。
気づけば電光板は目的地を示していた。「次、降ります」と運転手さんに伝え、持ったままだった本を慌ただしく鞄に入れる。いつでも立てるようスタンバイをすると、少し余裕が生まれた。普段なら絶対にしないけど、今日は運転手さんに一言声でもかけようかな、なんて事も思った。
自分だけを運ぶバスが目的地に着く。荷物を持って先頭まで歩く時間が長く感じたのは何故だったのだろう。
「っ、」
運賃を払うときに、ありがとうございました、と会釈した、つもりだった。しかし、声がちゃんと出すことができなかった。なんでこういう時に限って人見知りを発揮するんだよ。自分自身にいらいらした。
そのままバスを降りて振り返ると、運転手さんはいつも通り無愛想な表情。いや、少しいつもより優しい表情をしている気がした。まあまだ今日が最後とも限らないし、次乗った時にはちゃんと言おう。そう考えると、足取りがとても軽くなった。
そうだ、家に着いたら折角だしアメリカの鳥についてもちょっと調べてみよう。