問題とも言えない問題編
その謎が俺、こと水木亨のもとに持ち込まれたのは、週の半ば、水曜日の放課後のことであった。
部活動は無所属、かといってとりたて忙しい委員会に入っているわけでもない。そんな生徒の放課後など、教室で同類の仲間と与太話に興じるか、図書室で時間を潰すか、あるいは大人しく帰宅するかの三択に限られる。街に友人と繰り出して巷で話題のスイーツに舌鼓――といった青春ライフには、残念ながら縁はない。そういうわけで、家に持ち帰る必要性のあるテキストとそうでないものとを思案しながら、いつものようにのんびりと帰り支度を進めていた。鞄の中身を整理していると、「よ」という軽快な掛け声とともに肩をぽんと叩かれる。
「何だ」
「何だとは何だよ。というかさ、その“いかにも迷惑しています”みたいな顔やめてくれないかな。割と傷つくんだわ」
「へえ、お前のハートにもガラスでできた部分があるんだな」
動かす手を休めずに言い返すと、菅榮は「ひっどいなあ」と大仰に肩を竦めた。一つ一つのリアクションがやたら大袈裟な彼は、俺の中学来の腐れ縁の中であり、俺の「良き友人」を自称する、常にハイテンション運行の男である。
ちなみに、常時へらへらとした笑みを顔に張り付かせている彼であるが、高校入学したての一年時には――現在、俺たちはここ神倉第一高校の二学年生である――自ら「手品部」と称した新しい部活を立ち上げて、現在は六人ほどの部員を率いる手品部の部長を立派に務めている。ついでに説明しておくと、手品部では読んで字の如く、部員たちが日々様々な種の手品の練習に勤しんでおり、去年行われた文化祭では部室にて「摩訶不思議手品ショー」なるお披露目を催した。これが案外なかなかの評判だったらしく、部長のみならず部員共々、今年の文化祭は更なる高みを目指したショーを観客に見てもらおうと、随分な意気込みを見せているのだという。そしてさらに追加しておくならば、菅榮は「カードマジック」専門の部員であり、曰く「いつでもどこでも練習でき、かつバリエーションも余興具合も適度である点が良い」という自論らしい。
ともかく、いつもの如きのテンションで声を掛けてきた手品部部長は「実は、お前に解いてほしい問題があるんだよ」と、顔を張り付かせんばかりの位置までぐいと近づけてきた。その勢いに押され、思わず背中をややのけ反らせる。
「何だよ、まさかまた変な事件を持ち込んできたんじゃないだろうな」
何を隠そう、妙な方向に好奇心の働くこの男は、どこで仕入れてきたのか、校内で起きる奇妙な事件や出来事に片足を突っ込んでは、その真相解明に一役買ってほしいとしばしば手を合わせてくるのである。どこぞの青春ミステリ小説に影響されたのかと言いたいところであるが、彼の好奇心を抑えることは、事件の謎を解き明かすことよりも何倍も苦労することになる。一年そこそこも付き合えば、腐れ縁の中でなくとも直にわかってくることであった。
「いやいや、今回は“事件”なんて言うほど大事じゃないさ。ただ、俺の考えた謎を、ちょいと解いてみてほしいだけなんだよ」
「謎?」
頷いた彼は、目の前の席にストンと腰を下ろすと――おい、そこはクラス委員長の女子生徒の席だろ――椅子ごと俺の方へと体を向ける。窓から差し込む陽の光に反射し、好奇の色に満ちたその瞳がきらりと光った。
「そうさ。名付けて『誰が女王を殺したか』事件だ」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
では、彼――すなわち菅榮が独自に考えたという『誰が女王を殺したか』事件についての詳細を、ここに綴っておこう。ちなみに、この話はあくまでフィクションであり、全くの架空の世界での出来事である。ゆえに、登場人物、世界設定その他すべてが、菅榮による創作にすぎないことをここに記しておく。
舞台は、およそ中世の頃。ヨーロッパあたりの、ある国での出来事である。
その国のお城に、王と女王と四人の従者たちが住んでいた。勿論、城には他にも多くの召使いや様々な身分の者がいるのだが、事件の直接の関係者はこの六人のみなので、ここでは詳しい説明は省いておこう。
ある日、時刻はそう、夕刻ほどにしておこうか。自室の書斎で仕事を片づけていた王は、部屋のドアをノックする急いた音に手を止めた。
「何だ、そう慌てるでない」
ドアを開けた王の目の前には、不安げな面持ちを湛えた召使いの女性が一人、両手を胸の前で組んで立っていた。
「ああ、王様。大変なことでございます」
召使いの青白い顔に、王はただならぬ気配を感じ取った。詳しい事情も聞かぬまま「とにかく、階下へお越しください」と、召使いに促されるままに一つ下の階へと足を運んだ。
王が召使いに背中を押されるようにしてたどり着いたのは、廊下の突き当たりのところにある、女王の寝室だった。部屋の前には四人の従者がおり、そのうちの一人が「女王様! いかがなさいましたか、女王様!」と、しきりにドアを叩いている。
「何事だ」
「あ、王様! 実は、つい二時間ほど前に“定刻になりましたら自分を起こしてほしい。それまで自室で仮眠をとりたい”と、女王様から仰せを司りまして。定刻が来ましたので女王様を起こしにとこちらに参ったのですが、いくら呼びかけましても何も返ってこないのでございます。まだお眠りになっているのかとも思いましたが、その――少し、様子がおかしいのではと、感じまして」
従者の言葉に、王は顔を真っ青にした。女王は、王の妻でもあったのだった。明らかに取り乱した様子の王は「妻の、妻の様子は」と、従者たちに問い詰める。
「それが、どうやら内側から鍵が掛けられているみたいでして、ドアが開かないのでございます」
首を横に振った従者に、王はさらに顔を蒼白にさせた。いつの間にか、彼らの周囲には溢れんばかりの人だかりができている。皆、固唾を飲んで状況を見守っていた。
「ええい、このままでは埒が明かん――おい、そこをどきたまえ」
従者らを押しのけて、王は鞘から剣を抜くと、それを目の前のドアに向かってあらん限りの力で突きつけた。ドアを破壊して中に入ろうという思案だろう。それぞれ武器を所持していた従者たちも、王に習ってドアの破壊に取りかかる。張りつめた空気の中、武器がドアに刺さる音だけが廊下中に派手に響き渡る。
そして、とうとうドアは、軽く体当たりすれば開きそうなほどまでに破壊された。従者の一人が、ドアに向かって体をぶつけてみる。ドアは、どうと音を立てて部屋の中に倒れ込んだ。
室内に入った従者らと王は、我が目を疑った。純白のベッドの上に、体から真っ赤な血を流した女王が、静かに横たわっていたのだった。
「――駄目です、女王様は既に」
皆まで言わず、従者の一人が沈痛な面持ちで首を振った。溜息をつく者、思わず目を背ける者、様々だった。
「ああ――何故、何故妻がこのようなことに」
王は、まるで眠っているかのような、だが体中を血まみれにした愛する者を目の前に、よろよろと床に泣き崩れた。人目もはばからず、威厳さえも失いただおいおいと泣く王に、誰もが悲しみの表情を向けていた。
医師や警官がやって来るまでには、まだ幾分か時間があった。王はひたすらに悲しみに暮れ、他の者はどうすることもなく所在なさ気にその場に立ち尽くしていた。
そのとき「何事ですか」とひときわ大きな声を響かせながら、部屋に一人の男が入ってきた。
「皆さんお集まりで、一体――おやまあ、これは酷い」
言葉とは裏腹に軽快な足取りで王や従者らの前に現れたのは、道化師のような成りをした男であった。派手な色の衣装に身を包み、頭に被せた帽子の先についているボールのようなものが、男の動きに合わせてぴょんと揺れる。
「お前は、何者だ」
従者の一人が厳しく問い詰める。剣を突きつけられた男は「ちょっと待ってください」と両手を上げた。
「私は、この地でサーカス団として生業をしております、一人のしがない道化師でございます。今日は、晩さんの席で皆様に一芸お披露目しようと、この城に招かれていたのでございます」
「そんな話、聞いていないぞ」
きっ、と道化師を名乗る男を睨みつける従者に、男はおどけた顔をしてみせる。
「いえいえ、まあそう目くじらを立てないで――ところで、何か事件のようで」
「見たら分かるだろう。女王様がお亡くなりになったのだ」
「おやおや――失礼、ちょいといいですか」
男は従者と王の間をするりと抜けると、ベッドの上で肢体を投げた女王にそっと近づく。直接触れることは勿論せず、ただ女王やその付近をきょろきょろと首を振って眺めていた。
「なるほど――これは、殺し、ええつまり、殺人事件ということですね。女王様の体には、深い傷跡が残されています。銃弾などによるものではない、おそらく、何か大きな刃渡りの刃物などで切り付けられたのでしょう。傷口を見ればそれくらいのことは分かります。そうですね、そこから考えると――凶器はおそらく、手斧のようなものかと」
くるりと一同を振り返ると、男はにやり、とこの場にそぐわない奇妙な笑みを浮かべた。
「皆さん、どうです。ここは一つ、私が事件の真相を解き明かしてみせましょう」
「何――ということは、お前には既にこの事件の犯人が分かっているとでも言うのか」
目を丸くする従者に、男は「ええ、まあ大体のところは」と告げる。
「ですが、まあもう少し、状況をきちんと整理する必要がありますね――皆さん、私の質問に、できるだけ正直に、正確に答えていただきたい」
人差し指をぴん、と伸ばして男は言った。
「まず、最初にこの部屋に駆けつけた者と、そのときの状況をお答えいただきたい」
男の言葉に、説明を始めたのは最初に部屋に駆けつけた四人の従者たちだった。以下、四人の従者をそれぞれ『ハーツ(以下【ハ】)』『ダイモンズ(以下【ダ】)』『クローブ(以下【ク】)』『スペイサー(以下【ス】)』として彼らの証言を再現すると、次のようになる。
【ハ】「私は、女王様から“仮眠をとりたい。定刻になったら起こしてほしい”と仰せを司りましたので、定刻が来たときにこちらに伺って、ドアをノックいたしました。しかし、いくら声を掛けましても返事がなく、何だか妙な胸騒ぎがいたしました。どうしても気になったもので、近くの廊下でそれぞれ城内の監視を行なっていた他の三人の従者に声を掛け、再びこちらに戻ってきたのです」
【ス】「私ども四人で、しきりに声をお掛けいたしましたが、女王様からの返事はまったく――それで、私は失礼ながらも、ドアを開けようかとドアノブに手をかけました。ですが、ドアはびくともしませんでした。鍵が掛かっているのだと思いました」
「では、次にこの部屋に訪れたのは?」
男の問いに、ようやく落ち着きを取り戻したらしい王が、静かに立ち上がった。以下、王の証言である(【王】とする)。
【王】「四人の従者の後に、私が部屋の前に到着した――私は、一つ上の階の自分の書斎で書類の整理をしていました。そうしたら、召使いの女性が私の部屋を訪れてきて。“大変なことが起きた”と言うので、彼女に連れられて慌てて階下に降りていくと、この階の奥が何やら騒がしかったので、急いで部屋の前まで駆けつけたのです」
「ふむ――そして、その後は?」
男が重ねて問うた。
【王】「従者にきくと、部屋には鍵が掛かっており、妻に呼びかけても返事がないと言うじゃありませんか。ただ事ではないと思い、私は所持していた武器を使ってドアをこじ開けようとしました。ドアは頑丈ですからな、人が体当たりするだけで開くような造りにはなってないのですよ」
【ハ】「王様に続いて、私たちもそれぞれ所持していた武器でドアをひたすら壊していました」
【ダ】「王様も合わせて、五人がかりでやっとのことドアが開いたのさ」
【ス】「かれこれ、私どもが部屋の前に来てから三十分近くは経っていたかもしれません」
【ク】「ようやくドアが開きそうなほどに破壊されて、私がドアに軽く体当たりしました。そして、ドアは開いたわけです」
「ふうむ。そこで、女王様の変わり果てたお姿を発見した、と――ところで、鍵は内側からしか掛けられないのですか」
【王】「部屋の鍵は、全てそのような構造になっておる。どの部屋も例外なく、だ」
「はあはあ――ところで、この部屋には窓がないようですね。これも、どの部屋も例外なく、なのですか」
【王】「いや、窓がある部屋もたくさんあります。ただ、妻や私の部屋は、外部からの侵入者や暗殺者の可能性を考慮に入れて、敢えて窓を取り付けなかったのです。いつどこから、命を狙われるか分かりませんからね」
「それは用心深いことですね。ああ、因みに今日の女王様の行動を、誰か分かる方は?」
【王】「今日は、昼間までは私とともに通常業務を行なっていました。いや、王や女王と言えども、何かと忙しいものでして。ただふんぞり返っていることだけが仕事ではないのですよ。昼の食事を共にした後は、確か来客があると言って、私とはそこで別れました」
【ス】「その来客につきましては、応接室で私が警備を担当しておりました。確か、隣国の官僚が参っておられて――二時間ほど、応対をされていたと思います」
【ハ】「女王様が応接室を出られた直後、応接室のすぐ近くで私は女王様とお会いしました。そして、先ほど申しました話を女王様と交わしたのでございます」
【ダ】「ああ。ハーツが女王様と別れた直後に、私もお会いしましたよ。ちょうど、客の応対が終わったところだと、仰っていました」
【ク】「女王様が寝室に入っていかれるところは、私が目撃いたしました。そのときは、特に何もお変わりない様子だったと思います」
「――わかりました。ところで」
男は、王と四人の従者をぐるりと見渡して、やや言いにくそうにもごもごと口を動かした。
「その、ですね。殺人ということは、女王様は誰かに恨まれていた、あるいは、何か口論などの末に殺された、という可能性が非常に高いです。そこで、あなた方と女王様のご関係、そして俗に言う――アリバイを聞かせてはいただけないでしょうか」
【王】「私は、妻を心から愛していた。仕事の方でも何のトラブルもなく、勿論、プライベートにおいても、だ。アリバイか――先ほども言ったが、昼時までは妻と行動を共にしていた。それ以降は、自室でずっと書類を片づけていたよ。途中、従者が一度書類を届けに来てくれた。召使いの女性が私を呼びに来る、二時間ほど前かな。確か、クローブくんだった」
【ハ】「私は、昼間まではずっと城の門で門番をしておりました。ダイモンズも、一緒に。午後は、この階の警備をずっと――それ以外は、特には。召使いの女性と、幾度か挨拶を交わしました」
【ダ】「昼まで、ハーツとずっと門番をしていましたよ。午後は、四人でこの階の警備を始めるまではこの階より下の方をずっと警備していました。女王様のお部屋に行く一時間くらい前からは、私ども四人で、この階の警備に入りました」
【ク】「昼までは、この階より下の階をずっと警備していました。昼には、ダイモンズと入れ替わって、門番をしていました。一度、門のところで書類が届いたので、王様のところへ届けに行きましたよ。その帰りに、先ほど言いましたように寝室へと入っていかれる女王様を目撃いたしました。その後、ダイモンズも言いました通り、この階での警備に移りました」
【ス】「私は、昼時までは城の周囲の警備に当たっていました。門のところではなく、さらに外の方ですね。他の従者も一緒に。昼からは、先ほども言いましたが女王様の来客対応について、応接室で警備を行なっておりました。女王様が応接室を出られた後も、お客様の方々がかれこれ一時間ほど部屋におられましたので、私もそこに残って警備の方を続けておりました。その後はこの階で、四人での警備に当たっておりました」
【ク】「あと――私どもは、あくまで従者です。女王様とは、仕事上の警護や警備以外で近くにいることはありませんし、勿論親しくなどは持っての他です。その上、女王様は地位にふんぞり返ることもなく、お仕事もきちんとこなし、我々のような従者や召使いの者にも、等しく接してくれていました。誰も、女王様を恨む者など、いないのではないかと思います」
「なるほど――皆さん、どうもありがとうございます」
男は礼を述べると、どこか不敵な笑みをうっすらと見せた。鋭く吊り上った目の中で、瞳が妖しげにきらりと光る。
「では、皆さん。これから、本題の解答編ということにいたしましょうか。
ここまでの手がかりと、私の持ちうる限りの知識とともに、私は今回の事件についてある仮説を導き出しました。皆さん、私の推理というものを一つ、ええ、じっくりと聞いてみてください」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「――これが、お前の考えた“謎”か。また随分と頑張ったな」
およそ十二枚にわたる原稿用紙に一通り目を通すと、目の前の友人は待ち構えていたように第一声を放った。
「どうだ? なかなかの出来だろ」
「なかなかの出来かどうかは、解答者が評価することだ」
「んで、どうだよ」
原稿用紙をぱらぱらと再読しながら、いくつか質問を投げかける。
「この、女王が死んだ部屋って、何か特殊な作りにでもなっているのか」
「いや、中に描写したこと以外は、至って普通の部屋だぞ。広くて、ベッドとかタンスとかがちょっと豪華ってところ以外は」
「部屋のドアは、木製か」
「ああ、そうだ。時代が時代だからなあ」
「このドアに、隙間はあるのか」
「隙間か――一応、この部屋のドアの下部には溝がない、つまり下の方に若干の隙間が生じているという設定になっている。あ」
「何だよ」
「ただし、そこから何か凶器を滑りこませるなんて、考えるなよ。せいぜい、こんな紙切れや糸くらいしか通らない程度の隙間だからな」
俺の手から原稿用紙を一枚奪い取り、ひらひらとさせる榮。
「なるほどな――ん」
「何だ」
ふと、原稿用紙に書かれたあるセリフに目が留まる。そして、急いで後の方の原稿用紙を捲り、またそのページのあるセリフを黙読する。
「――ふん」
「何だよ、その鼻につくような笑い方は」
むっとした表情の友人を前に、ふっと軽い息を吐く。そして、原稿用紙を持たない片方の手の人差し指をぴん、と立ててみせた。さながら、探偵役を担った作中の道化師がしてみせたように。
「――では、俺から作者のお前に向けて、一つ、真相の物語を送ってやろう」
「え、ってことは、もしかしてもう」
口をあんぐりと開ける友人に、道化師を真似た一言を言い放った。
「――本編の、解答編といくことにしよう」




