31 覆面剣士 ルジア②
「……」
しばし黙り込んだルジアは、やがて観念したように口を開いた。
「私は……カシミール一帯を治めるウラシャ国王の王女ルジアナです」
「カシミール? 大国じゃないか。
四方を峻険な山に囲まれ、竜に守られた土地と聞く。
タキシラの配下にある部族の一つだよね」
「はい。されど独立性が強く、前太守様にも蹂躙されなかった国でございます」
「そんな大国の王女様がなんだってシュードラのフリまでして騎士団に入るのさ」
「私は……先程ヒジム様は美しいと言って下さいましたが、それは男の恰好をしているからこそ……。
この大柄で筋力逞しい体には女物のサリーは見事に似合わず、幼少より、周りの男達より力も強く、武道の才に恵まれ……幾度となく縁談の話は持ち込まれたものの、なよやかな貴族の男達は、みな逃げ出す有様」
屈辱に震えるように話し出すルジアにヒジムは可笑しくなってきた。
「パータリプトラに君とよく似た知り合いがいるよ」
もちろんデビの事だ。
「左腕の火傷も忌み嫌われ、無理に婚姻を結んだところで女の幸せなど手に入れられぬ事は分かりきっているのです。
そうであるなら、私は別の幸せを目指したいのです。
自分の得意な武の道を……極めてみたいのです」
「ははは、なるほどね」
「されど、父も兄も許してはくれず……」
「だろうね」
「身分も顔も隠してアショーカ様の元で武功をあげたいと。
アショーカ様の側近には女性が一人いると聞き、ヒジム様に憧れ、あなた様のようになりたいと志願してきたのです」
「まあ、気持ちは分かるけどさ、口で言うほど簡単な事じゃないよ。
王女様なんて高貴な方が、下品でむさ苦しい男の生態に耐えられるかどうか……」
「私は……この逞しい体躯で見下ろされた男達のガッカリした顔、蔑むような顔に何度も傷ついてきました。
正直、男は嫌いです。
でも今日、剣で勝ちを取るたび向けられた賞賛の目と、共に戦った者への連帯感。
私を女として見る男は嫌いですが、剣士として見る男の視線は悪くなかった。
もはや女に戻るつもりもありません。
どんな事にも耐えてみせます」
ヒジムにもその気持ちはよく分かる。
ヒンドゥの男達は、妻であっても女を自分の付属品ぐらいにしか思っていない。
美しく慎ましく服従するものであれ。
夫に逆らえば切り捨てても罪にもならない。
子を産めぬような女は山中に捨てられても文句も言えない。
夫にかしづき、夫の気持ち一つで運命を決められてしまう。
たとえ王女であろうと姫であろうと、他人に決められた運命を生きるしかないのだ。
ヒジムも今でこそアショーカの側近として認められているが、昔は様々な迫害にあった。
自分より勝る女に対する男の嫉妬というのは、この世で一番醜く汚らしい。
剣で勝てぬと知るや、腕力に物をいわせてよってたかって辱めようとする。
その残酷さを何度も目の当たりにしてきた。
アショーカに出会ってなければ、自分はおそらくまっとうな道を歩いていないだろう。
今でも男達の差別の目に晒される事もあるが、もがき苦しみながらも自分だけの立ち位置を確立してきた。
その自負はある。
だからミトラといいルジアといい、人に差し出される運命でなく、もがいて、もがいて自分の道を切り開こうとする女を助けたいと思ってしまう。
「覚悟が出来てるならいいよ。
出来るだけ協力してあげる。
だからと言っていつまで隠せるものかは分からないけどね。
バレた時に、それでも必要だと思わせるほどの能力を早く身に付ける事だね」
「バレてしまったらヒジム様も罰を受けますか?」
ルジアは心配そうに尋ねる。
「なに? 僕の心配?
僕はせいぜい謹慎ぐらいさ。
アショーカには僕が必要だからね。
僕より自分の心配をするんだね」
「し、死罪でしょうか?」
ルジアは深刻にうつむく。
「王女様を死罪にはしないでしょ。
でも役立たずなら即刻、国に送り返されるね。
それ以前に、女とバレたらアショーカはもう対等には扱ってくれないよ」
「そ、そうでございますね。
アショーカ様は王子様ですもの。
見目麗しい美姫達に日々囲まれていらっしゃる方です。
男装する女など一番軽蔑するでしょうね」
醜女を見る時の高貴な男達の嘲る顔を思い出す。
しかしヒジムはため息をつく。
「逆、逆。
女扱いされて、厳しい訓練には参加させてもらえなくなるよ」
「え? 女扱い?
私をでございますか?」
「そうだよ。
アショーカが女に甘いのは有名だからね。
アショーカにとったら、君でも、か弱く可愛い女にしか見えないのさ」
「か、か弱い?
言われた事がございませんが……」
ルジアは自分にだけは無縁であった形容詞に唖然とする。
半分男のヒジムですら、時折ちょっと甘いと感じる事があるぐらいだ。
しかもあの筋骨逞しいデビ様を妻に娶った男だ。
ルジアだって充分許容範囲だ。
「アショーカは人を肩書きで差別したりしない。
女でも男でも。
司祭階級でも奴隷階級でも。
その痛みはアショーカ自身が一番感じてきた痛みだからね」
「まさか……。マガダの王子様ですよ?
一番の権力と優越を持つお方ではないですか」
「そうとは限らないのさ。
だから、君の能力を軽蔑する事があっても、君が女だからといって軽蔑する事はない。
それは僕が一番よく知ってる。
ただしあの馬鹿力の男から見れば、女はおよそ吹けば飛ぶぐらいの生命力しかないようにしか見えないみたいだね。
実際は殺しても死なないような図太い女もいっぱいいるけどね。
だから女とバレたら、きっと命を預けてはくれないよ。
むしろ君を守るため、自分の命を楯にするだろうさ」
「わ、私を守ろうとするのですか?
まさか!」
自分を楯に隠れる男は見た事があるが、自分を背に守ってくれた男など見た事がない。
「ふふ……。まあ、いつか分かるよ。
でも、そうなった時は君は用なしだけどね。
騎士団はアショーカを守る為にあるんだから。
守られるヤツなんて邪魔なだけさ」
バレた時は出て行けという事だろう。
「分かりました。
決してバレないように致します。
そしてバレた時は出て行きます」
ルジアは強い瞳で頷いた。
「それともう一つ。先に言っておくよ。
騎士団は当然だが戦闘集団だ。
命懸けの戦乱に身を置く事ももちろんある。
命を落とす事だってよくある事さ。
でもカシミールの王女様を死なせてしまったと知れたら、ウラシャ国王との関係が微妙になるのは必至。
それは困るんだよね。
だから万一君が命を落とす事があれば、誰にも身元が分からないように死体を処分させてもらうよ。
君は身寄りのないシュードラの衛兵で、カシミールの王女なんてここにはいなかった。
君の存在をきれいさっぱり抹殺するから、それは覚悟しておいてね。
了解?」
なんでもない事のように告げる。
アショーカ王子のためなら、この人はどんな非道な事も心痛める事もなくやるのだろう。
ルジアナは神妙に頷いた。
「そうして頂いて構いません」
「じゃあ契約成立ね。
まあ、がんばりなよ」
次話タイトルは「ミトラの決意」です




