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アショーカ王の聖妃  作者: 夢見るライオン
第一章 出会い編
9/222

9、アロン王太子

 

 ダンダカの森に行ってから三日が過ぎていた。


 しばらく寝込んでしまったミトラだが、満月のご神託の日を前に、ようやく起き上がり、今日から本格的に世話係に戻る事になった。

 本当はもう、自分になど聖大師様をお世話する資格もないのではないかと、神殿の誰にも顔向け出来ない心持ちだったミトラだが、大勢の神官と従者を失い、絶対的な人手不足だった。

 まだ心の整理もつかぬまま、せめて自分に出来る事は何でもやろうと、重い体に鞭打って久しぶりに聖大師様のお世話に戻ったのだ。



 その夜、聖大師様のお世話を済ませたミトラは無事塔の上に見送ってから、翌朝ひとり井戸の横の石垣に腰をかけていた。


 しかし、その顔は歪み、顔色は真っ青で瞳は動揺が渦巻いている。

 どこかに駆け出したいのにどこに駆け出していいのかわからない。

(アロン王子……私はどうすればいいのでしょうか……)


 その時、従者の棟のドアが一つ開き、レオンが身支度を済ませて出てきた。

 どこにいても野生の勘でミトラの居場所を見つける彼が、いち早く気付いて起きてきたらしい。

 ただならぬミトラの様子に、正面に片膝をついて見上げる。

 言葉を待っているらしい。


「レオン、大変な事に気付いてしまった。

 いや、本当はもっと早くに気付くべきだった。

 自分の事にばかり気をとられていたために見落としていた。

 どうしよう……」

 そう言ってミトラは両手で顔を覆った。

 どうしたらいいのか分からない。


「どうなさいましたか?」

 次に現れるのは、やはり導師だった。


「導師殿……私は見てしまったのです……」

 ミトラは両手で顔を覆ったまま答えた。


「見る? 何を?」

「萌黄の光を……」

「萌黄?」

 導師は優雅に首をかしいだ。

「ダンダカの森の妊婦の腹に見た光です。

 同じものが聖大師様の腹に……」

 ミトラの言葉にさすがの導師も言葉を失った。


「まさか……」


「間違いではない。

 以前にも聖大師様を診立てた時、腹に異常がある事は気付いていた。

 ただ悪いものではないのと、その可能性を考えもしなかったので……」


「それはつまり……」

「ミスラの神の子でしょうか? 導師殿。

 聖大師様はミスラ神の妻なのだから……」

 ミトラは思い詰めたように導師を見つめた。

 しかし導師はゆっくりと首を左右に振った。


「いいえ……。それはないでしょう。

 私には心当たりがございます」

「心当たり? まさか……聖大師様が他の男と不義を!」

 蒼白になるミトラに導師は肯いた。


「イスラーフィルです」

 導師の言葉にミトラもレオンも衝撃を受けた。


「そんな……まさか……」

 イスラーフィルは確かに聖大師様の世話にうるさく、口の悪い男だが、山賊に襲われた時、身を挺してミトラを守ってくれた。

 そしてあの時見せた優しさは、意外にも誠実なものだったはずだ。


「もしそれが本当なら……」

「聖大師様もイスラーフィルも無事ではすまないでしょう」

 導師が言葉を継いだ。


「どうすればいい。どうすればいいのだ導師殿。

 今晩が神のご神託の日だというのに。

 まさかその不義のせいでご神託が受けられぬのか?」

「何かいい方法を考えましょう。みなが罰せられずにすむ方法を」

「本当に? 本当にそんな方法があるだろうか?」

 ミトラは導師に縋りついた。

「考えましょう。ミトラ様は今晩に備えてお休み下さい」

「休んでなどおれぬ。

 アロン王子。王子にだけは伝えなければ」

「お待ち下さい。アロン王子を巻き込んではなりません!」


「でも……」


「とにかくミトラ様はお休み下さい。睡眠はよい知恵を授けるものです。

 よく眠れる薬湯を用意させましょう。

 レオン、女官に用意させよ」

 レオンは頷いて立ち去った。


      ※     ※

     


 心がざわつく。

 何かが終わろうとしている。

 いや始まろうとしているのか?

 シェイハンの美しい庭園で過ごしたアロン王子との日々。

 王と王妃、それに幼い姫たち。

 みんな優しくて誠実で国を治めるに相応しい人達だ。

 この国の次代の聖大師である事を誇りに思う。


「ミトラ、愛しているよ」

 ジャスミンの白い花々が、濃厚で甘美な香りを漂わせている。


「愛?」

 聞きなれぬ言葉に目を凝らす。


「そう、愛している。わが妹よ」

「いもうと……?」

 兄などいただろうか? そもそも家族などいなかったはずだ。

 巫女の家系に生まれ、宮殿に引き取られたと聞いている。


「そなたにだけ重い荷を背負わせてしまった。すまないミトラ」

 そのシルエットはよく知っている。


「アロン王子!」


 慌てて名を呼ぶ。

 すぐ側にいるはずなのに、ひどく遠く感じる。


「すまない、ミトラ」

 影がもう一度繰り返す。


「待って! 行かないで!」


 おだやかで平和で、永遠にこの時を紡いでいくのだと信じていた。

 誰かが騒いでいる。

 この平和な時間を乱す不届き者は誰だろう。

 行って注意せねば。


 ミトラははっと目を見開いた。


 石造りの天井。

 薄暗い室内。ここはミトラの寝室。

 窓から赤い光が見える。

 夜闇にゆらめく赤い光。

 ミトラは飛び起きた。


 夜になっている。

 今日は満月のご神託の日だ。

 聖大師様に仕える自分がこんな所で寝ていていいはずがない。


 どうなっている?


 ミトラは目まぐるしく思考を回転させた。


 そうだ。

 レオンに渡された薬湯を飲むと、ふわふわと心地よくなってその後の記憶がない。

 眠ってしまったのだ。

 ではご神託は?

 聖大師様とイスラーフィルは?


 窓辺に駆け寄って外を見る。

 その光景にミトラは我が目を疑った。



 燃えている……。





次話タイトルは「ヤムシャ長老」です

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