18 アショーカとミトラ①
タキシラの中央を貫く大通りを往復して、パレードの行列が戻ってくると、宮殿の中庭は階段状の観客席を設けた競技場に造りかえられていた。
「これは……?」
「聞いてなかったか?
剣技の大会を催す事になっている。
普通は武士階級だけが参加出来るのだが、アショーカの提案で平民階級や奴隷階級も参加出来るらしい。
まあ身分別だがな。
優秀な者はそのまま衛兵に召し抱えると触れを出したものだから、奴隷階級は千人を超える応募があったらしい。
予選会を二度も行っての本大会だから、かなりの強者ぞろいだぞ」
アショーカは何も教えてくれない。
パレードで終わりだと思っていた。
側近三人を引き連れ、大会準備の確認をして回るアショーカが見えた。
自分はいつも蚊帳の外だ。
(遠いな……)
今日ほどアショーカを遠く感じた事はない。
アショーカの指示を受けて忙しく立ち働くヒジム達が羨ましかった。
自分も何かアショーカの役に立ちたかった。
でも自分がアショーカの役に立つ事なんて何もないのだ。
剣も使えなければ、声も通らない。
力もなければ人脈もない。
「ミトラ、私達の席はあちらに設けてある。
太守の隣りだから特等席だぞ」
スシーマが台座を積み上げた貴賓席を指差した。
そこには多くの衛兵に守られた別格の囲いがあった。
真ん中に重厚な椅子が二つと、その横と後列に数人座れるようになっている。
真ん中の二つは間違いなくアショーカとスシーマの席だ。
その左横にはすでにラーダグプタとエランとアキムにバラモン司祭が座っている。
右側には一つ空けて年配の顧問官達が座っていた。
「ま、まさか、あの空いてる席に?」
「そうだ。
この時間はみなの気が緩み、一番危険が多い時間帯だ。
最初は私とアショーカの間にそなたを座らせようかと言ってたのだ。
サヒンダ殿に手ひどく却下されたがな」
「あ、当たり前です。
あの……私はどこか隅の方に座って見ていますので……」
貴賓席の隣りにはヴェールをつけた姫達が並ぶ一角もあった。
あそこの方がずっと落ち着く。
「バカを言うな。
私はそなたの護衛を頼まれているのだ。
もしもの事があればアショーカにもシェイハンの民にも顔向け出来ぬ」
「みな私の事を心配し過ぎるのです。
命を狙われているわけでもないのに……」
何も気付いてないのだとスシーマは思った。
それでいい。
気付かせないようにしている。
マガダの王子二人が懸想しているという噂はどこから漏れるともなく静かに広まっている。
そもそも直情型のアショーカに隠せるはずもない。
ミトラは自分のその身にどれほどの価値があるのか知らずにいる。
そう簡単に命を取れるとは思えない王子二人よりも、簡単に捕えられそうなミトラの方が、標的にされるだろう。
ミトラは今、このタキシラで一番その身を狙われている立場なのだ。
「よいから座れ」
スシーマはミトラの腕をぐいっと引っ張って貴賓席に座らせた。
隣りの重臣らしき顧問官がギロリとミトラを睨んだ。
エランとアキムもミトラを見てコソコソと耳打ちをしている。
居心地の悪さにミトラはうつむいた。
競技場ではアショーカが高らかに開会の宣言をしているのが見えた。
「みな大いに力を尽くし戦え!
力のある者は身分に関係なく取り立てる!
その手で望むものを手に入れよ!
健闘を祈る!」
アショーカが宣言するとおおおおっ! と雄叫びが上がり一回戦が始まった。
巨体の男達が剣を合わせる音が響く。
高みから見ていても恐ろしいほどの迫力だ。
ミトラはそっとヴェールに開けた穴から覗いて、激しい討ち合いに身を震わせた。
「ス、スシーマ殿、あれは本気で殺し合ってるのですか?」
あまりの激しさに負けた方は生きて戻れないのではないかと危ぶんだ。
「心配するな。
我が父上なら本当の殺し合いをさせたかもしれぬが、あの刃は競技用の物だ。
まあ怪我ぐらいはするだろうがな」
ミトラは少しほっとしてヴェールの穴を広げた。
アショーカの姿を探す。
さっきまで壇上で開会の宣言をしていたはずだが、どこに行ったのだろうか。
穴を広げすぎて、びりりとヴェールが必要以上に裂ける。
(しまった)
あわててカーテンを閉めるように両手でヴェールの穴を閉じた。
その手が外からぐいっと両側に広がる。
驚いて顔を上げるミトラの両目が、外から覗き込む灰緑の目と合った。
次話タイトルは「アショーカとミトラ②」です




