17 太守就任式典⑤
騎士団や貴族からの歓声を受けながら祭儀殿を出たアショーカは、そのまま出口で待ち構える神象ガネーシャの横に立った。
今日はガネーシャも金糸で編んだ帽子を被り、煌びやかな輿を乗せて飾り玉を垂らしている。
居並ぶ象の中で、一番若く知性の瞳を持つガネーシャ。
だが、その横にだけ乗降台がない。
不手際かと大衆は不安を浮かべた。
「ガネーシャ、行くか」
しかし、アショーカがその耳を一撫ぜすると、ガネーシャはパオオオオンと嘶いて、鼻を高々と上げた。
そしてその鼻先でアショーカをすくいあげると、大衆の前に高く掲げてみせた。
「わあああああ!」
驚いた大衆から大歓声が上がる。
自在に操れる動物は、神獣の証。
そして神獣を持つ者は大成すると言われていた。
ガネーシャは、鼻に乗せたアショーカを勢いよく空に投げ上げた。アショーカの体が一回転して宙を舞う。
大衆はひやりとしたが、アショーカは慣れたもので、トンとガネーシャの輿に飛び乗って、立ったまま大衆に手を振った。
またしても「わああああ!」という大歓声が上がった。
ガネーシャの両脇と後ろには、着飾った白馬に乗った側近三人が従う。
「こっちだ、ミトラ」
紗幕の中に迎えに来たスシーマは、祭儀殿を出てアショーカの後に続く象に乗り込んだ。
「え? 私も乗っていいのですか?」
「当たり前だ。ここが一番安全なのだ」
スシーマは自分の象の輿にミトラを乗せた。
確かに白馬の衛兵に挟まれ、大弓の矢ですら届かないだろうが、こんな派手な場所に自分ごときが陣取っていいものなのか。
ラーダグプタですら象ではなく馬に乗って後ろに控えている。
そんな不安をよそにパレードの行列が動き始めた。
先導の白馬の行列に続いて象の行列。
それから王子二人の象が現れると、王子の名前を口々に叫ぶ女達の黄色い声が耳に響いた。
「アショーカ様! きゃあ、こっちを見たわ」
「スシーマ皇太子様!
きゃああ、なんて素敵なのかしら!」
「アショーカ様! こっちも見て下さい!」
「スシーマ様笑って!」
「アショーカ様、頭の羽飾りを受け取って下さい。
寝ずに作りました!」
贈り物の数々は一番外側を歩く衛兵が受け取り、後でまとめて届けられる。
「ありがとう」
アショーカは気付いて笑顔を向ける。
それを見て村娘はきゃあああ! と金切り声を上げて飛び跳ねた。
スシーマにも贈り物を手に娘達が押し寄せる。
ミトラは宮殿の中にいて知らなかったが、外ではこの若い王子二人のパレードを心待ちにしていた娘達が大勢いたようだ。
なんという人気だろう。
圧倒されるミトラにスシーマが笑った。
「私は椅子に座って民に挨拶するが、そなたは輿の中で目立たぬようにしているといい」
「も、もちろんです。侍女のふりをしています」
ミトラは輿の中に身を沈めた。
「はは。そこまでせずとも良い。
私やアショーカの妻がいれば、共に乗っていたはずだ」
ミトラは青ざめる。
「な、尚更場違いなのでは……」
そして人質にとられているというアショーカの妻達を思った。
アショーカを心の底から慕っていたカールヴァキーとデビは、きっと今日の晴れ舞台を見たかった事だろう。
本来なら前を行くアショーカの輿に乗っていたであろう妻達を思うと、気の毒な気持ちと同時に、チクリと胸が痛んだ。
民の祝いの歓声に手を振って答えるアショーカの、あの隣りに座る資格を持った女性達。
ふいに無性に羨ましくなった。
アショーカが遠い……。
後ろに続くスシーマの輿から、そっと見つめるミトラに少しも気付いてはくれない。
この祝いの日に、朝から一度も近付く事さえ出来ない。
声をかける事も当然出来ない。
(ありがとうなんて私は言われた事がない。
しかもあんな優しい笑顔で……)
また胸が締め付けられる。
そしてこの距離をひどく寂しく感じた。
「どうした、ミトラ?」
椅子に座って大衆に手を振りながら、スシーマがミトラに声をかける。
「い、いえ。なぜか今日はアショーカを見るたび心が締め付けられるのです。
胸が苦しくなるのはどうしてなのか……」
「……」
胸を押さえ戸惑った様子のミトラを見て、スシーマは眉間のシワを深くする。
(まずいな……。封印が解けかかってるのか)
本人は全然気付いてないようだが、肉親に対する情から恋慕の想いに向かいつつある。
スシーマは初めて焦りを感じた。
数多の女達が、自分が見つめるだけで熱に浮かされたように頬を染めるのに、なぜたった一人、手に入れたいと渇望するこの姫だけは自分を見ないのか。
手を振る大衆の中に見える娘達も、自分の名を呼びこの目に映る事を懇願している。
それなのに、この姫は同じ輿に乗りながら、前を行くアショーカばかりを見ている。
「ミトラ!」
急に強い声で名前を呼ばれミトラは振り向いた。
「こちらに来るのだ。
そんな端にいたら、危険があっても守れぬ!」
叱りつけるようなスシーマの声に、あわててミトラはスシーマの椅子の横に寄り添った。
「す、すみません。
妻だと勘違いされたら申し訳ないと思ったのですが……」
「そう思われたならそれでも良い!
私の側から離れるな!」
「わ、分かりました」
いつも穏やかなスシーマの叱責にミトラは動揺している。
スシーマは我ながら大人げないと苦笑した。
(何を焦って姫に八つ当たりしてるのだ私は……。
情けない……)
ポンとミトラの頭に優しく触れる。
「すまぬ。きつい言い方をした」
不思議そうに見上げる翠の瞳が、ヴェールごしに眩しい。
(まだまだ勝負はこれからだ)
スシーマは心の中で呟いた。
次話タイトルは「アショーカとミトラ①」です




