15 太守就任式典③
「千年の時を見つめ続けて来られた、伝説の聖仙。
カピラ大聖様だ!」
驚きのどよめきと共に、広間に弾けんばかりの驚声が上がった。
紗幕の内側でも、まさかという呟きがあちこちで聞こえた。
カピラ大聖は禿げ上がった頭に毛を一本突き立てて、右手に自分の背丈よりも長い杖を持って、ゆったりと壇上に進む。
痩せてガリガリの老人。
一見すると貧しい老人にしか見えないが、バラモンの世界ではそれこそが尊き修行をした証だと聞いた。
その姿にみなは一斉にひれ伏した。
紗幕の中の貴族達も狭い空間にひれ伏している。
他信徒のミトラにさえ聞こえてきたその聖者の名は、バラモン教徒にとっては神に等しいのだ。
いや、仏教徒達もひれ伏している。
偉大な聖者は宗派を超えるのだ。
ミトラも同じようにひれ伏した。
カピラ大聖はにこやかに壇上の真ん中まで来ると、ダンッと杖を床に一突きした。
ビクリと大衆が顔を上げる。
その大衆を見回すように杖の先を向けて、ゆっくりと全体をなぞった。
そして温かな笑顔で微笑む。
「わが愛すべき民よ!」
その一言の慈愛に満ち満ちた響き。
悟りを得たものだけが持つ至高の空気。
「祝福を与える!」
わあああっと泣き叫ぶ声があちこちで響いた。
感激のあまり気を失った者もいる。
改めてその存在の偉大さを知った。
これを得るためにアショーカは危険なヒンドゥクシュに登ったのだ。
この大衆の様子を見れば、それは価値ある選択だった。
そう確信出来る。
カピラ大聖はその一言だけを発すると、金造りの椅子に腰掛けた。
一言で充分だった
「では、そろそろ主役に登場願おう。
マガダ王子、アショーカよ前へ」
スシーマが叫ぶと、バカワジの音色が厳かに広間を包む。
入り口からざわめきが広がってくる。
あまりに広大な大広間は、まだミトラの視界にアショーカを届けてくれない。
ざわめきだけが順を追って届く。
そして、ようやくアショーカの姿を捉えたミトラは、思いがけない感動が体の奥深くから 込み上げる事に動揺した。
マガダの正装だという白の礼服。
真っ白な長衣に白のブーツ。
白い羽をあしらったターバンも真っ白で、後ろに共布が垂れている。
肩にかかるマントも真っ白。
いつも青や赤の派手な原色を好むアショーカだが、白が一番似合うのだと初めて知った。
浅焼けた肌は白を着ると不思議に爽やかさを増す。
軽やかに後ろになびく黒髪も、意志の強いつり気味の灰緑の瞳も、筋肉質な肢体もすべてが引き立って、美しい。
そしてラピスラズリの耳飾りと額の印。
そしてターバンに留めつけた大粒の石。
その翠を秘めた青い輝きが、少年のような純粋さを漂わせる。
なんだろう、この体の奥深くから湧き出てくる痺れるような揺らぎ。
ずっとずっと眠っていた何かが目覚めたような甘美な痺れ。
アショーカの周りだけが星の瞬きを纏ったように輝いて見える。
(こんな風に感じるのは私だけなのか?)
ミトラは周囲を見回した。
周りの部族長達は感動はしているようだが、ミトラほどの動揺をしている者はいない。
(胸が苦しい……。病の一種か?)
アショーカの両脇には部族長会議で着ていた赤の正装をしたサヒンダとトムデクがつき従う。
後ろにはマントの裾を捧げ持ったヒジムが続いていた。
いつもせっかちに、走るような速さで歩くアショーカが、今日はゆっくり歩を進める。
何故かはすぐに分かった。
騎士団達一人一人の顔を確認しながら進んでいるのだ。
多くの反乱討伐で苦楽を共にしてきた臣下達。
長い不遇の時代を経て、ようやく皆に報いる立場を得た。
希望に溢れた強い瞳の輝きに、騎士団の中には堪えきれず男泣きをしている者もいる。
(ああ、そうか。)
深く関わった自分は、あの騎士団達のように感激しているのだ。
ミトラはそう理解した。
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