13 太守就任式典①
ドーラの音が響く。
頬を撫ぜる風すらも陽気に華やいでいる。
窓から見える中庭には花を敷き詰めた艶やかな花道が遥か先の正門まで続いている。
その両脇にはペルシャ織りの豪奢な掛布で飾られた象が居並ぶ。
頭には金糸で編んだ帽子を被り、飾り玉の連なった紐が何重にも垂れている。
百頭はいるだろうか。
その横には色とりどりの衣装に身を包む踊り子達が花篭を持って待機していた。
手前には、やはり金糸の房を垂らした白馬が誇らしげにいな鳴いている。
「すごいな……」
ミトラは初めて目にするタキシラの祝賀式典の壮大さに思わずため息を洩らした。
シェイハンにも祭りや式典はあったが、規模が違う。
象も馬も人も破格の人数だ。
「さあ、ミトラ様、見惚れてらっしゃらないで、ご自分の準備をなさって下さい」
ソルが慌ただしくミトラに衣装を着付ける。
今日だけはお願いしますと懇願され、月色の髪は頭上に高く結い上げられている。
海の宝石と呼ばれる真珠の数珠が清楚に飾られ、額には真っ赤なルビーが垂らされた。
スシーマが用意してくれた淡いピンクの衣装は幾重にもひだが垂れ、袖口や襟元には小さな宝石を編み込んだ縁取りがされていて、誰の目にも高価なものだと分かる。
右肩から垂れるマントは羽のように軽く、歩くたびふわりと風にゆれた。
「なんて素敵なんでしょう。
月の妖精のようですわ、ミトラ様」
ソルがほうっとため息をつく。
「ヴェールを付けたら全部隠れるのだ。
こんな豪華な衣装、私には勿体無いな」
ミトラは普段の二倍は重い頭を見上げ、落ち着かない様子で部屋をうろつく。
「用意は出来たか? ミトラ」
そこにスシーマ王子が入ってきた。
スシーマも白の正装に、金糸で縁取った襷を左肩から斜め掛けにしている。
頭には孔雀の羽をあしらったターバンと大粒のルビーが輝いている。
ミトラの額のルビーと、お揃いらしい。
振り向いたミトラを眩しそうに見つめる。
「思った通り、そなたはピンクが似合う。
パータリプトラにいた時の赤のサリーも良かったが、淡い色の方がそなたの可憐さを引き立てるな」
この数日でスシーマの美辞麗句には慣れたつもりだったが、やはり落ち着かない。
「皇太子がこんな所にいていいのですか?
私の事は気になさらず、式典の方に行って下さい」
「何を言ってるのだ。そなたも壇上に上がるのだぞ」
「え!」
初耳だ。
「……と言っても、紗幕の後ろだがな。
貴賓席を設けてある。そこに座るがいい」
「わ、私がそのような場所に座って良いのですか?
場違いでは……」
「部族長は立派な貴賓だ。
目立たぬよう一番末席にはなるがな。
その方が警護もしやすい」
ミトラの目が好奇心に輝く。
広間の一番後ろからヴェールをつけて見るぐらいしか出来ないだろうと思っていた。
背の低いミトラには、隙間からアショーカの足先でも見れればいい方だと。
「本当に? ありがとう、スシーマ王子!」
晴れやかな笑顔にスシーマは目を細める。
「会場まで一緒に参ろう。
今日は宮殿中が雑多な人々で溢れかえっている。
城の衛兵達は各地の警備に借り出されているし、アショーカの騎士団も式典の方に出払っている。
そなたの警護を頼まれているのだ。
私の傍ほど安全な場所はないからな。
マガダの最精鋭の衛兵達が守っている」
そう言うスシーマの腰には宝石が敷き詰められた重そうな剣がさしてある。
飾り用の物だろうか。
ミトラの視線に気付いてスシーマは笑う。
「これはいかにも飾り用に見せかけた実践用の剣だ。
アショーカほどではないが、私はこれでも剣は使える方だ。
そなた一人ぐらいは守る自信はある」
きっと本当だろう。
「マガダの王子はみな剣技に優れているのですね」
ミトラは感心して呟く。
「どうだかな。
私とアショーカはすべてにおいて別格かもしれぬ。
私には同母の弟がいるが、あれなどは、まだまだ使い物にならぬ」
「弟がおられるのですか」
知らなかった。
「確かそなたと同じ年かもしれぬな。
生真面目過ぎて融通の効かぬ頑固者だ」
「似ているのですね」
言葉に詰まるスシーマの後ろでナーガが吹き出す。
「ナーガ!」チラリとたしなめる。
「だってそっくりではありませんか。
六年前のスシーマ様を見ているような方ですよ」
「バカを言うな。全然似てなどない」
「お会いしてみたいです。
きっと素敵な方なのですね」
その言葉に少し機嫌を直す。
「まあ、いつか会う事もあるだろう」
コホリと咳払いをしてソルを見る。
「では、そろそろ行こうか。
侍女殿、ヴェールを二重に掛けてやってくれ」
ソルは目が合ってポッと顔を赤らめる。
「畏まりました」
今日は白の紗織りのヴェールと衣装と共布の絹のピンクのヴェールだ。
視界に紗が懸かりミトラはがっかりする。
ソルや他の女官達もヴェールはつけるが、目は出している。
鼻から下だけを覆っている者も多いのに、自分だけは頭の先から足の先まで覆われるのだ。
スシーマの用意してくれた高価なヴェールだが、式典の時は指先で小さな穴を開けてやろうと秘かに決心した。
次話タイトルは「太守就任式典②」です




