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アショーカ王の聖妃  作者: 夢見るライオン
第三章 タキシラ 太守就任式典編
74/222

8  部族長会議②

「なにごとだああああ!」


 ビリビリと部屋全体が揺れた気がする。


 ミトラは耳の奥が痛くなって、アショーカの本気の大声の威力を久しぶりに思い出した。

 あまりの大声にしばし全員の耳が使用不能となり、シンと静まり返る。


 入り口からアショーカが三人の側近を引き連れ、ズカズカと入ってきた。

 今日は豪奢な刺繍の施された、藍色の膝丈の上衣に、共色の下穿き。

 それに質のいい先の尖った靴を履いている。

 背には上衣の余り布を肩で垂らした長いマント。

 耳にはいつも通りラピスラズリの耳飾りが揺れる。


 側近達は、アショーカより幾分刺繍を抑え目にした赤色の衣装で揃えている。


 アショーカは入ってすぐ、剣を抜いたトハラとアシドに目を留め、続いてヴェールが破れて床に手をついたままのミトラを見て目を見開く。


 途端に、恐ろしいほどの怒りでアショーカの頭上に湯気が上がったように思えた。


「ミトラ、怪我は?」

 唸るような声で尋ねられ、背中が凍りつく。


「だ、大丈夫だ。ヴェールが破れただけだから……」

 額の印が第三の怒りの目を開いていると思った。

 この恐怖も久しぶりだ。


「ヒジム!!!」


 怒鳴るように名前を呼ばれ、ヒジムがすっと前に出てミトラを安全な場所まで下がらせる。


「あ、あの……ヒジム……。

 ヴェールが破れたのは私が転んだからで……」

 今にも大男達を切り捨てそうなアショーカにオロオロする。


「うん。いいから下がって。

 ヴェールが破れたんだね。

 近くだと顔が少し見えちゃうね。

 僕のハンカチを巻いてあげるよ。

 お気に入りなんだから、もう破らないでよ」


 ヒジムは手際よく白いヴェールの上にミトラの鼻から下を隠すようにハンカチを結ぶ。

 その間に、つかつかと二人の大男達の前に歩いて行くアショーカが目に入った。


「あの……あの……アショーカは……」

 切り捨てはしないだろうかと心配したが、その腰に剣はなかった。

 サヒンダとトムデクも同じだ。

 警護の騎士団達だけが剣を履いている。


「ダメだよ、ミトラ。

 他の男達の腕が一本や二本切り落とされた所でどうもしないけど、ミトラだけは、かすり傷一つ負っちゃダメなんだから。

 気をつけてね」


「な、なぜ私だけ……?」


「決まってるでしょ。

 アショーカが怒っちゃうからね。

 アショーカを人殺しにしたくないでしょ?」


「で、でも、アショーカは剣を持ってない」

 剣を構えた大男二人を前にして丸腰なのだ。


「心配ないよ。あのアショーカだよ? 

 むしろ心配なのはあの二人だよ。

 死ななきゃいいけどね」


 絶対的に不利な立場で、どうしてこうも余裕なのか分からない。

 ミトラは不安げにアショーカを見つめた。


「剣は預けるように聞いていないか?」

 アショーカは見上げるような大男を前に唸るように尋ねた。


 自分より小柄で、少年と言っていいような若い男の妙な威圧感に二人は僅かに動揺する。


「今までの太守は帯剣を禁止してなかった。

 納得出来ない事には従えませんな新太守殿」

 トハラが虚勢を張るように睨み付ける。

 人というよりは飢えた獣に近い眼光だ。


 しかしアショーカはにやりと笑う。


「納得出来ぬか。なるほど、いいだろう」


 そう言うなり、アショーカの体が宙を舞った。



「! ! ?」

 


 一瞬の事で何が起きたのか分からない。


 気が付くと、二人の大男達は剣を持っていたはずの手を押さえうずくまり、その手に握られていたはずの大剣は天井高く跳ね上がっていた。


 アショーカが落ちてきた剣を両手でそれぞれ受け止めると、気付いた時にはトハラとアシドの首筋に押し当てられていた。


 すべてが、ほんのまばたきの間だった。


 部屋中の男達が息を呑んだのが聞こえる。


「そなた達、確か個別の呼び出しにも応じず、これが初対面だな。

 北方のスキタイ系の遊牧民族か。

 それゆえ俺がマガダで何と呼ばれていたか知らぬようだ」


 首筋に食い込む刃に、トハラとアシドの額から汗が流れる。


「各地の反乱に多く駆り出され、十二で初陣を飾り、十五ではすでに総大将となって正規軍の指揮をとっている。

 俺の通った後には草木も生えぬ、チャンダ(暴虐の)アショーカと呼ばれていた」


「チャンダ……アショーカ……」


 トハラが呆然とつぶやく。


「なにゆえ帯剣を禁止するかだったな」

 一旦言葉を切り、剣に力を込める。


「簡単だ。

 そなた達のような無法者への怒りに、俺が我を忘れ切り捨ててしまわぬようにだ」


 ポタポタとトハラとアシドの頬から汗が垂れる。


「それで納得出来ぬようなら、このまま会には出ず帰るがいい。

 ただし反旗を翻したとみなし、即日我が精鋭部隊がそなたの国を攻め落とすだろう。

 悪いが俺の軍は世界一強い。

 そしてこのタキシラの軍もすでに俺の手に掌握されている。

 お前に勝ち目はない」


 言うなりアショーカは、うずくまる二人の目の前に剣を投げ捨てた。


「俺に従うなら剣を鞘に収め、衛兵に預けて席につくがいい。

 チャンスは一度だけだ。

 即刻行動せよ」


 それだけ言ってアショーカはズカズカと部屋の真ん中を進み壇上の席についた。

 サヒンダとトムデクは付き従い、その背後に立つ。


 二人の大男は苦渋に顔を歪めながら、渋々剣を鞘に収め衛兵に手渡した。


 はったりではない。

 この太守はもし逆らえば本当に即日兵を挙げ攻め込むだろう。

 多くの争いに身を置いた者だからこそ分かる。

 今までの凡庸な太守達とは器が違う。


 荒くれとはいえ部族を束ねる責任感はあった。

 大人しく空いた席に胡坐座で座る。

 他の男達も全員自分の席に戻り座った。




次話タイトルは「部族長会議③」です

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