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アショーカ王の聖妃  作者: 夢見るライオン
第三章 タキシラ 太守就任式典編
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3  シェイハン貴族との会見① 

 会見の部屋に入ると、すでに顔ぶれは揃っていた。


 窓際の奥に椅子が三席用意され、真ん中を開けて両脇にアショーカと急遽参加を申し出たスシーマ王子が座っていた。


 アショーカの後ろにはヒジム、スシーマの後ろにはナーガが立っている。

 その前には片膝をついて顔を伏せる男が三人。

 そしてその後ろに同じ姿勢でイスラーフィルが控えていた。


 アッサカを扉の外で待たせ、ミトラは頭から足元まで覆う純白の紗織りのヴェールをつけたままおずおずと進み出た。

 空気が重い。


 ミトラが席に着くと、アショーカが三人に「表を上げよ」と命じた。


 前の三人と同時にイスラーフィルが微笑を浮かべて顔を上げた。

 その笑顔にほっとする。


 少し気持ちが落ち着いた所で三人の顔を見まわした。

 そして知った顔を見て驚く。

「そなたは……」


 一番右端の白髭の老人に見覚えがある。

 シェイハン焼き討ちの後、イスラーフィルに連れて行かれた石工場の地下にいた老人だ。

 確かみんなが長老と呼んでいた。


「覚えて下さってましたか。

 シェイハンの石工を束ねるヤムシャと申します」

 穏やかな笑顔に安堵が込み上げる。


 しかしすぐに、この長老の説得を振り切ってラーダグプタの元に走った自分を思い出し、居たたまれなくなる。


「そ、その節は……迷惑をかけ……失望させた。

 す、すまない……」

 詫びる以外に自分は何の言葉も持たない。

 それが悲しかった。


「気になさいますな。すべては過去の事。

 私のごとく年を取りますと、人生は結果が良ければすべて良しなのです。

 失敗も挫折も、より良き現在のために神が与えた試練と思いますれば、今のこの再会は神が導いた必然でございましょう。

 何の恥じる事もございません」

 年を重ねた年輪の重みは、穏やかな説得力で場を和ましてくれた。


 しかしすぐに場は凍りつく。


「なるほど。神が導いた必然。

 物は言いようですな。

 されどそれは、身近に悲劇を受けなかった者の都合のいい解釈ですな」


 口を挟んだのは左端にひざまずく壮年の貴族だった。

 色あせ縮れてはいるが、ミトラと同じ月色の髪は王家に近しい貴族だと分かる。

 五十に近いであろう深く刻まれた顔のシワが、つい最近の心労で刻まれたばかりだと思うのは、幸せを微塵も感じさせない険しい表情からだろう。


「まず名を名乗るがいい」

 アショーカが告げると貴族は憎々しげに睨み付けた。

 アショーカはひるむ事なく睨み返す。


「シェイハン王とは従兄弟にあたります。

 南の領地を治めておりましたメルクリウス公爵と申します」

 渋々頭を下げ名を名乗る。


「メルクリウス殿……」

 会った事はないが、シェイハンの系譜で名前は知っている。


 シェイハンの南の領地は富裕で人口も多く、他国との折衝も頻繁で重大な要所だ。

 そこを治めていたという事は、王の信頼も厚く、相当有力な貴族であったという事だ。


「ついでに私も名乗らせて頂きましょう」

 真ん中でひざまずく男が口を開いた。


 無造作に後ろで束ねた栗色の巻き毛に、生真面目そうな切れ長の細い黒目。

 イスラーフィルと同年代の三十半ばぐらいだろうか。


「行政執行官でしたクロノス子爵と申します。

 行政執行官はゴドラ前太守によってすべて死罪にされましたが、私は就任したばかりで、年も若く、このヤムシャ長老に匿って頂いたため難を逃れましてございます」


 淡々と告げるクロノスは、そこにどんな感情ものぞかせなかった。


 行政執行官はシェイハンの行政を司る最高機関。

 たしか王の一族が大半を占めていたはずだ。

 子爵の身分で就任したという事は異例の抜擢。

 しかもこの若さだ。相当の秀才に違いない。


「ミトラ、この中から部族長代理と地方管理官代理を選んでもらう。

 三人に何か質問があれば申せ」

 アショーカに問われ、ミトラはヴェールの奥で青ざめる。


 何を問えばいいのか。

 そもそも自分などがこんな大事を決めていいのか。

 しかしまずは聞いてみたかった事……。


「シ、シェイハンの民は元気か?」


 小娘の発想。

 そう思われても仕方がない。

 でも、やはり一番に聞きたいのだ。

 無事生き残った貴族達が、巡行で回った村人達が、変わりなく暮らせているのか。

 アショーカから聞いてはいるが、直接シェイハンの民から聞きたい。


「は。何を今更……。

 次代の聖大師様はマガダの王子達に守られ、都合の悪い事は聞かされておられぬのですかな。

 巫女姫様が敵国で歓待されている間に、シェイハンの王族も有力貴族も前太守に虐殺され、無法の限りを尽くされたとご存知ないのか。

 変わらず幸せに暮らしていますとでも答えるとお思いか」

 メルクリウス公爵は容赦が無かった。


 ヴェールに隠した手が震える。


「隠してなどおらぬ。

 前太守が何をしたかはミトラにも話してある」

 反論するアショーカの言葉を引き継ぐようにスシーマが続ける。


「それにミトラ殿は歓待などされておらぬ。

 何度も命の危険に晒されながら、シェイハンの民のためタキシラへ逃げ戻ってきたのではないか。

 そなたも知ってるであろう」


 若造のくせに並外れた威厳を持つ二人の王子に言い返され、メルクリウスは低く唸った。


 アショーカもスシーマも、シェイハンの弱みにならぬため何度も死を選ぼうとしていたミトラを知っている。

 あの頃も今も、この巫女姫はシェイハンを最優先に考えている。


 がっかりするほど、この魅力溢れた二人の王子は眼中にないのだ。



次話タイトルは「シェイハン貴族との会見②」です

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