31 エピローグ
夜の更けきった太守室でアショーカは窓の外の満天の星空を眺めながら腕を組む。
「今日のミトラの様子を見てどう思った?」
太守の机に不躾に腰かける黒装束の相手に尋ねる。
「やっぱり何かがおかしいよ」
いつもふざけた調子のヒジムが珍しく深刻に答える。
「カーマ・スートラの事か?」
「うん。
きっとその情報は愛だの恋だのいろんな装飾をつけてミトラの耳に入ったはずだよ。
でも、最終的にミトラの記憶に残ったのは滅多に手に入らない幻の書だという事だけだ。
他の情報は消え去ってしまった」
うーむとアショーカは唸る。
「そんなバカな事が本当にあるのか?」
「だってアショーカだっておかしいと思う事があるでしょ?
あんなに博識なのに、色恋に関してだけは幼児並だよ。
最初はかまととぶってるのかと思ったけど、あの無知はそんなレベルじゃないよ」
足をぶらぶらさせて言い募る。
「確かに唖然とさせられる事はあるが……。
それで教えようとしたらどうなったのだ?」
「うーん、とりあえず言えなくなった?」
言いながらヒジムは首を傾げる。
「言えないとはどういう事だ。
声が出なくなるのか?」
「うーん、何と言うか……、変な気分になるというか……。
僕が今まで感じた事のない気持ちが込み上げてきて……。
多分恥ずかしいって気持ちじゃないかな?」
自信なさげに答える。
「その年まで恥ずかしいという気持ちを感じた事がないお前もどうかしてるがな」
呆れ顔でヒジムを一瞥する。
「なんかアショーカに言われたくないよね」
心外な表情でふくれる。
「どういう意味だ」
「そういう意味だよ」
この俺様な主が恥らった姿など見た記憶がない。
「とにかくお前は秘かにミトラの様子を探れ。
ソーマを常用していたという聖大師も気になる。
何か知ってる者がいないか調べろ」
ヒジムはうなづく。
「もう一つ。
様子のおかしいミトラを見てもスシーマ王子が何も言わなかったのが気になる。
あの聡い王子が変に思わない訳がない。
何か知ってるんじゃないかな」
「ありえるな。
兄上とミトラの会話に注意しろ。
なるべくミトラの周りをうろついて、会話の内容については逐一報告しろ」
「了解」
「それからラーダグプタだ。
あいつは何か知っている。
洞窟で意識朦朧とした中で大聖と何か話していた。
そもそもシェイハンの焼き討ちは、あいつらしくないと思っていた。
いざとなったら問い詰めてやるが、今は秘かに調べよ」
ヒジムは肯いてすぐさま行動に移す。
一陣の風を残して部屋から消えた。
剣の腕もたつが、本来ヒジムの一番得意な任務は隠密だった。
並外れた運動神経とすばやい機転と情報網。
十日後に迫る太守就任式とパレード。
それまでにまとまった情報を集めてくる事だろう。
急がなければならない。
何故だかアショーカは気が急いた。
※ ※
マウリヤ朝の伝説の王アショーカ。
父王に虐げられ、利用され続ける屈辱の時代を抜け出し、ようやくタキシラ太守という安定した足場を築いた。
しかし王への道はまだまだ遠く、ようやく一歩踏み出したばかりだ。
宿敵スシーマ王子との戦いは始まったばかり。
この時点でアショーカを有利と思う者など、どこにもいなかった。
アサンディーミトラの封印は固く閉ざされ、まだ自分の持つ力に気付いてはいない。
しかし確実に何かは動き出した。
ミトラを中心にした渦のようなものが、やがて歴史を大きく揺るがす事に……
……まだ誰も気付いてはいない。
第二章完結です。
最後までお付き合い下さりありがとうございました。
第三章は「タキシラ 太守就任式典」編です。
アショーカは政治手腕を発揮出来るでしょうか。
新キャラも加わり、物語も大きく動き始める予定です。
誰も予想してなかった国が出てくると思います。
どうか引き続きお楽しみ下さいませ。
初回投稿日時につきましては活動報告にて随時お知らせ致します。




