27 帰還
早朝のタキシラの城門は突然現れた騎馬の一団に騒然としていた。
たまたま物見の塔に登って衛兵の指導をしていたイスラーフィルは、遠くに見える砂煙の合間に黒と黄色の派手な衣装を見止めて、階下に駆け出した。
途中で部下達にそれぞれ指示を与え、一人には太守室にいるサヒンダを呼びに行かせた。
兵士が十人がかりで動かす鉄の門は、一団が到着した時、ようやく馬一頭が通れるほどに開いた所だった。
イスラーフィルが門の外に出迎え、身元を確認し、ようやく最初の馬が城内に入ってきた所で、サヒンダが駆けつけた。
そして馬上の人物を見るなり、心の底から安堵の笑みを浮かべた。
すぐに片膝をつき、右手を胸に当てる。
「お帰りなさいませ。アショーカ様」
馬上の王子は少し疲れは見えるものの、精悍な笑顔で応じた。
「うむ、出迎えご苦労であったな。
留守中何事もなかったか?」
「いろいろありましてございますが、急を要する事はございません。
まずは太守室にて旅の疲れを癒すご用意を致しましょう」
「うむ、そうだな。
大体の事は見ていたから知っておるのだ」
「え?」
サヒンダは意味不明な事を言う主を見上げた。
「それより、この後カピラ大聖様が衛兵達の警護の下、ゆるりとこちらに向かっておられる。
明日には到着されるだろう。
出迎えの準備を致せ」
「カピラ大聖様が?
では祭司大官の話は……」
サヒンダは驚いて問い返す。
「うむ。お受け頂いた。
すぐにお部屋の準備ともろもろの儀式の用意をせよ。
忙しいぞ」
「はっ。かしこまりました」
誰も本気で連れ帰って来るとは思っていなかった。
このお方はどれほど底知れぬのか。
サヒンダは我が主をつくづく誇りに思う。
そして次々衛兵に指示をとばす。
「それからラーダグプタを部屋に運び、しばらく休ませてやってくれ」
騎士団の一人に抱えられるように馬に乗るラーダグプタが城内に入ってきた。
日ごろの麗しい様相からは想像も出来ないほどズタボロになって消耗している。
ヒンドゥクシュの激闘の上、まる一日、ぶっ続けでタキシラに駆け戻った行程で、すっかり体力を使い果たし、抜け殻のようになっている。
「こ、これは……大変なお疲れのご様子……」
文官がこの疲れ知らずの王子に十日近くもつき従ったのだ。
サヒンダはラーダグプタが少し気の毒になった。
「それでミトラはどうしている?」
自分の耳飾りを見つめている映像が最後で、その翌日は高熱にうなされ見ていない。
ラーダグプタの話ではスシーマの猿にバナナをやって楽しそうにしていたらしいので異変はないと思うのだが……。
「それが……少し困った事がございまして……」
アショーカは馬を預け、サヒンダと太守室に向かいながら報告を聞く。
「困った事? 兄上が何かしたのか?」
「スシーマ様のご到着をご存知でしたか。
いえ、でもそれではありません」
「兄上でないならどうしたのだ?」
「一昨日の真夜中に突然夢を見たと言って大騒ぎをされまして……」
サヒンダは腹立たしげに告げる。
「夢? どんな夢だ?」
「なんでもアショーカ様がラーヴァナに殺される夢だとか……。
アショーカ様の左半身は壊死して動かず、ラーヴァナの爪がアショーカ様の頭を貫いたなどと、とんでもない事を言い出されまして……。
我らがどれほど心配しました事か!
まったく人騒がせなお方です!」
今こうやって元気なアショーカの姿を見ると、安堵と共に、無駄に心配した怒りがムラムラと湧き上がる。
「ラーヴァナだと?」
しかしアショーカは瞠目し、後ろで騎士団に両肩を支えられて歩くラーダグプタと顔を見合わせた。
「サヒンダ殿、それは事実ですよ。
ミトラ様は本当に我らの姿を見られたのです」
ラーダグプタが答える。
「しかし、お二人共お怪我はないご様子で」
「カピラ大聖の幻影の中で俺達は確かにラーヴァナに殺されたのだ。
ミトラはそれを見ていたのであろう。
それでミトラはどうしているのだ?」
「そ、それが……錯乱を起こされた後、ミスラの祭壇に向かいアショーカ様の耳飾りを握り締めたまま、ずっと何やら唱えておいでで、二日の間、眠る事も食べる事もして下さいません」
「なんだと! 二日間も?」
アショーカは驚く。
「まったく、あのバカ者は!
あれほど命を粗末にするなと申しておるのに!」
アショーカはいらいらと駆け出した。
「アショーカ様、どちらに行かれます?」
「ミトラの部屋に行く!
大聖様の出迎えはそなたに任せた。
頼むぞ!」
サヒンダはやれやれと黙って見送った。
次話タイトルは「アショーカとスシーマ」です




