25 ミトラの夢読み
「いやあああああっっっ!」
ミトラは悲鳴と共に飛び起きた。
侍女の控えの間で眠っていたソルと、隣室の護衛用の仮眠室で休んでいたアッサカが飛んで来るのがほぼ同時だった。
「ミトラ様! どうされました!」
ソルがベッドの上で顔を覆って震えているミトラの肩に青刺繍のショールを掛けて尋ねる。
「アショーカが……、アショーカが……」
ミトラは錯乱したように叫ぶ。
「どうされたのだ?」
階下から駆けつけたスシーマとナーガも、錯乱したミトラの様子に驚いた。
口元を覆う両手が尋常でなく震えている。
「ミトラ、大丈夫か?
何があったのだ?」
スシーマがベッドに腰掛け、ミトラの肩を抱く。
震える振動がスシーマにも伝わる。
「アショーカが……。
アショーカが恐ろしい魔物に……あああ……」
「魔物?」
「頭が十もあって……。
あれはまさに……ラーマーヤナの魔王ラーヴァナ。
恐ろしい羅刹……」
「ラーヴァナだと?」
「アショーカがラーヴァナに……」
わあああと泣き出すミトラの背をさする。
「ミトラ落ち着け。
ヒンドゥクシュにラーヴァナがいるなどという話は聞いた事もない。
夢を見たのだ。現実ではない」
「でも……アショーカは……ミトラすまぬと。
必ず生きて帰ると約束したのだ。
だから……うっく……うう」
後は嗚咽で言葉にならない。
「何事ですか?」
騒ぎを聞きつけ、サヒンダとトムデクもやって来た。
「サヒンダ、ヒンドゥクシュに行く!
アショーカを助けに行く!」
ミトラはベッドから這い出て、まだ捻挫の治りきらない足で駆け出そうとする。
そのミトラを慌ててスシーマが抱き止める。
「何をバカな事を言ってるのですか、こんな真夜中に!
獣のエサになりたいのですか!」
サヒンダはバカバカしいと怒鳴りつける。
「アショーカが怪我をしている。
もう……左半身は壊死して動いてなかった。
それなのに剣をとり……ラーヴァナに立ち向かい……。
恐ろしい爪で体中を引き裂かれ……ああ……頭を貫き……。
アショーカが死んでしまう……。
わあああっ! 死んでしまうっ!」
ミトラは顔を覆って泣き崩れた。
「な、何を言い出すのですか!
縁起でもない。
巫女姫様にそんな事を言われたら臣下が動揺します。
落ち着いて下さい!」
サヒンダは舌打ちをしてトムデクに扉を閉め、ミトラの声が外に漏れぬよう指示を下す。
「いいですか?
アショーカ様はカピラ大聖に会うため僧院の崖山に登っていると聞いています。
七日したら下りてくるとの報告でしたから、明日には下山され、明後日にはこのタキシラに戻ってくる予定です。
魔物と戦う予定などありません」
「でも……でも、戦っていたのだ。
そう……何故だか私を守ろうとしていたような気がする。
また私の為に危険な目に……」
「なぜここにいるミトラ様を守るために魔物と戦うのですか!
言ってる事が滅茶苦茶ですよ!
……ったく人騒がせな!」
サヒンダはまたしても十四の少女の戯言だと思った。
スシーマ達も夢と現実を混同してしまったのだと思った。
「ソル、薬師に命じ薬湯を準備せよ。
心配で気が高ぶってらっしゃるのだ」
「薬湯などいらぬ!
私は……私は……」
ミトラははっと顔を上げる。
そして支えるスシーマの手を振りほどき、部屋の隅に設えたミスラの祭壇に向かう。
そして祭壇に置いていたアショーカの耳飾りを握り締めると、そのまま祈りの姿勢になり何事か唱え始めた。
「ミ、ミトラ様、こんな時間です。
どうかお休みになって下さい」
ソルがもう一度ショールを肩に掛け直したが、聞こえてもいないようだった。
サヒンダはやれやれとため息をつく。
「ソル、気の済むようにして差し上げろ」
それからスシーマを見る。
「スシーマ様も部屋にお引取りを。
後は衛兵達に任せます。
アッサカ、ミトラ様が眠られるまで傍にお仕えするように」
アッサカは「はっ!」と頷いて、ミスラの祭壇から少し離れた所に片膝をついて控える。
「ソルは仮眠をとりながら様子を見ていてくれ。
衛兵は扉の外でいつも通り警護せよ」
一通り指示を与えると、スシーマを追い立てるように部屋から出した。
さすがに真夜中の姫の部屋とあっては、スシーマも素直に従った。
スシーマが部屋に戻るのを見届けてから、サヒンダは重いため息をついた。
「まったく、明日も激務が控えているというのに人騒がせな……」
しかし、愚痴をこぼすサヒンダに、トムデクは不安な顔を向ける。
「でも……魔物と戦う予定は……あったよね」
サヒンダは渋い顔で応じる。
「ああ、山頂の鬼凍湖で鬼と対決するという話であったが……」
側近三人しか知らない話だ。
ミトラが知るはずもない。
「まさかミトラ様の言ってる事は本当に……」
「バカを言うな!
それが本当ならアショーカ様はもう……」
言いかけて口を噤む。
左半身は壊死し、ラーヴァナに頭を貫かれたと言ったのだ。
それで生きてる人間なんている訳がない。
信じるものか!
また十四の少女の戯言だ。
しかし、ジワリと心に不安が押し寄せた。
次話タイトルは「カピラ大聖」です




