表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アショーカ王の聖妃  作者: 夢見るライオン
第二章 ヒンドウクシュ カピラ大聖編
49/222

14  鬼凍湖の鬼①

 アショーカ達はミトラの目に映る光景を鬼凍湖の湖面を通して見つめていた。



 やがて女官が数人やってきて、ミトラは初めて部屋の外に出た。


「む。部屋から出たな」


 アッサカと騎士団四人がミトラを囲み、階下に下りて行く。

 ミトラはヴェールを深く被り、目さえも僅かにしか見えないようにしているらしい。

 視界の半分に紗が懸かっている。


 そして見知らぬ扉に入っていった。


 アッサカと騎士団はそこに留まる。


「なんだ? 見た事のない部屋だな? 

 城の中はほとんど見て回ったつもりだったが……。

 しかもアッサカを置いてどこに行くのだ?」


 ミトラのすべてを把握しているつもりだったが、こうしてミトラの目に映るものを追っていくと、案外知らない事の方が多い。


 扉を入ると薄い紗織りの布が天井から幾重にも垂れ下がっている。

 その一枚一枚に女官がついて、ミトラが通るたび持ち上げて通るスペースを開ける。

 そしてミトラが通り過ぎると布を下ろす。

 そうやって十枚ばかり通り過ぎた。


「なんだここは? こんな場所は知らぬぞ」

 怪しむアショーカにラーダグプタがおずおずと申し述べた。


「恐れながら……ここは女湯ではないかと……」


「なっ!」

 アショーカは気付いて唖然とする。


 紗織りの通路を抜け出ると、白い湯気の中に大きな浴場が現れた。

 世話をする女官達は薄い肌着一枚で、おのおの香り玉や磨き粉、拭き布を手にして待機している。


 そうだった。


 ミトラの目を追っていれば、こんなシーンにも出くわす事になる。

 当然だ。


 ミトラの隣りにいるらしい女官が何事か言って立ち止まった。

 見え隠れする女官の様子から服を脱いでいるらしいのが分かった。

 呆然と見つめていたアショーカは隣りで目を輝かせ、湖面を見る老僧に気付いた。


「こら! 変態じじい! 

 何を見ておるか! 向こうへ行け!」


「ほっほ。ずるいでございますよ。

 ご自分は覗きのようなマネをしておいでなのに」


「う、うるさい!

 俺はミトラの夫になる男だからよいのだ!

 さあ、あっちへ行け!

 ラーダグプタも湖面が見えぬ所まで離れろ!」


「もう離れております」

 ラーダグプタは言われる前に湖面を離れ背を向けていた。


「それ、じじいもラーダグプタと同じようにせよ!」


「ワシのような老人が女人の裸など見ても欲情する訳でもございませんのに……」


「老人でもなんでも男はミトラの裸を見てはならん!

 さっさと行かねば蹴り飛ばすぞ!」


「ひいい、なんと自分勝手な王子でございましょうか」

 老僧はしぶしぶ壁まで下がった。


 アショーカはごくりと唾を呑み込み湖面を見つめた。


「おおっ!」


 アショーカの上げる歓声に「何でございますか?」と老僧が近付こうとする。

 アショーカは慌てて蹴るマネをして退けた。


「いや、女官達の肌着が湯に濡れて体の線が丸見えになっていただけだ」


「どれどれ……」

 さりげなく近付こうとする老僧を、アショーカは再び威嚇して遠ざける。


「しかし……肝心のミトラの姿は全然見えぬではないか。

 むうう……自分の裸を見ないのか」


 どうやら女官達にされるがままに任せているらしい。

 おまけに湯は石灰の混じった白湯で、浸かってしまえば白い水面しか映らない。


「くうう……ミトラめ。

 自分の体に興味が無いにもほどがあろう。

 俺でも筋肉のつき具合ぐらい見るというのに……。

 俺様のこのトキメキをどう静めろというのだ」


「アショーカ様。

 心の声が漏れております」

 ラーダグプタが困ったように窘める。


「とんでもないスケベ王子ですな」

 老僧は見れない腹立ち紛れに悪態をつく。


「うるさい!

 女の裸なぞ見飽きておるわ。

 俺はミトラの裸が見たかったのだ」


「開き直りましたな。この淫乱王子」


「何とでも言え! 

 よし、城に戻ったら女湯に大きな鏡を置かせよう。

 それから湯は透明な湯に変えさせよう」


「城に戻ったら、女湯を覗く機会もないかと思いますが……」

 ラーダグプタは至極、真面目な顔で王子の壮大な夢を打ち砕く。


「むうう……そうであったな。無念。

 いや、まだ六日残っておる。

 その間にはミトラも自分の胸ぐらいはチラとでも見るかもしれん」


「アショーカ様。

 心の声がだだ漏れでございます」

 ラーダグプタはもう一度王子を窘めた。




 単調な一日が終わり湖面が真っ暗になると、ミトラが眠りについたのが分かった。


 穏やかに眠っている姿を思い浮かべ、アショーカはとにかく平穏に一日を終えた事にほっとした。

 しかし安心したのも束の間、瞳を守る洞窟の方は湖面の輝きを無くし、不穏な空気が漂い始める。


「そろそろ来ますかな。

 瞳が起きている間は鬼は出てきませんのじゃ」


「うむ。嫌な感じがしてきたな」


 アショーカは剣の柄を握り込み、いつでも戦闘態勢に入れるように神経を尖らせる。


 ぐううう……という猛獣の威嚇のような声が洞窟の奥から響いてくる。

 声の低さが巨体を思わせる。


 アショーカとラーダグプタは湖面を背に、剣を抜いて洞窟の奥に目を凝らす。


 ズルッズルッという大きな物を引きずるような音がこちらに近付いてくる。


「ラーダグプタ、まずは俺が行く。

 お前は湖面の水晶を死守せよ」


「はい」

 

 本来なら部下であるラーダグプタが先陣を切るべきだが、剣技の差が歴然としているため素直に従った。


 暗闇から二つの赤い光が近付く。

 目の位置だとすると、かなり大きい。

 アショーカの背の二倍はあるに違いない。


 しかしアショーカは剣を構え、赤い光に向かって自ら突進した。

 少しでも湖から離れた場所で退治したかった。


 ブサリ、ザブリという肉を切り刻む音と、ぎゃあああという低い叫び声が暗闇に木霊する。

 ラーダグプタは必死で目を凝らすが、洞穴の奥は真っ暗で何が起こっているのか分からない。


 しかしアショーカが殺られたら、拙い剣で自分が応戦しなければならない。

 文官といえども、もっと剣を練習すべきであったと今更ながら後悔していた。


 やがて、すぐ暗闇は静かになった。


 思ったよりも決着は早くついたようだ。

 ほんの二呼吸ほどだった気がする。


「アショーカ様!」

 ラーダグプタが暗闇に呼びかける。


 しばらくすると怪訝な表情をしたアショーカが洞窟の奥から出てきた。


 剣を持ったまま、衣服に少々の乱れはあるものの、無事な様子にほっとする。

 あれだけの肉を切る音にも関わらず、返り血を浴びた様子もない。

 視界が開いた場所まで出てきてから、アショーカは自分の手足を見回し、しきりに首を傾げている。


「退治したのですか?」

 ラーダグプタが尋ねる。


「おお。確かに怪物を切り刻み、返り血をたっぷり浴びたと思ったのだが、何もない。

 倒れたはずの鬼も一瞬で掻き消え、どれほど探しても見当たらなかった」


「棲む次元が違いますのでな。

 屍となって自分の次元に帰ったのでございましょう」

 老僧が納得したように説明する。


「なんだ。これで終わりか?

 鬼などと言うからどれほどの強者かと思ったが、これなら俺の騎士団なら誰でも勝てるぞ」


「ほっほ。これは驚きましたな。

 王子様は体力ばかりか剣も相当使えるようでございますな。

 普通は鬼の大きさに平常心を失う者も多いと聞きますのに。

 それに、まだ見えぬ暗闇に突進していくとはなんと無謀な」

 老僧は王子とも思えぬ無鉄砲に驚いていた。


「湖面に近付いてからでは万一水晶に肉薄されても困ると思ったのでな。

 こんな事なら明るい場所まで待って、鬼の姿とやらをじっくり見てやればよかった」


「ほっほ。残念がらずとも明日には別の鬼がやってきますのじゃ」

 当たり前のように言う老僧に、アショーカとラーダグプタは眉間を寄せる。


「なにっ? 鬼は一匹ではないのか?」


「七匹おりますのじゃ。

 今日やってきたのは様子見の下っ端ですじゃ。

 明日はもっと強い鬼でございましょう」


 アショーカとラーダグプタは唖然とする。


 七匹。

 七匹倒せというのか?

 しかも今日のが下っ端とは……。


「くそっ! やってやる! 

 七匹でも何匹でも全部退治してやる。

 ミトラの目は絶対渡さぬからな!」


 アショーカは洞窟の奥に叫んだ。




次話タイトルは「スシーマ皇太子」です

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ