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アショーカ王の聖妃  作者: 夢見るライオン
第二章 ヒンドウクシュ カピラ大聖編
41/222

6  最高顧問官ラーダグプタ

 ブックマーク、感想、メール、評価、レビューありがとうございます。

 一つ一つが大きな心の支えとなって書いています。

 ひたすら感謝です。

 第二章に入り、インドの聞きなれない名前ばかりで誰が誰か分からなくなっている方もいることだろうと思います。

 サブタイトルは、なるべくその話に印象的に登場している人物や、キーワードとなる物の名前にしています。

 少しの登場でも、後でどこかで見た名前だったと探しやすいようにしていこうと思いますので、第一章もサブタイトルを変更するかもしれません。ご迷惑をおかけします。

 誰だっけ? 何だっけ? という方はお手数ですが、目次の名前で探して振り返っていただけたらと思います。


 翌日の昼前、ラーダグプタとの会見は早速実現した。


 アショーカもその必要性を感じていたに違いない。

 案外にあっさりと会見を許してもらえた。


 ただアショーカ自身も同席したかったようだが、ヒンドゥクシュ行きの準備に忙しく、サヒンダに手ひどく却下され渋々諦めたらしい。

 しかしその代わりにトムデクとヒジムを同席させた。


 会見の間ではミトラとラーダグプタが重厚なオークの机を挟んで座り、ミトラの後ろにはイスラーフィルとアッサカが立ち、少し離れてヒジムとトムデクが窓際の椅子で見守った。


「何ですか、この物々しさは?

 随分警戒されたものですね」

 ラーダグプタは裾が少しカールした長い黒髪を背に流し、白地の衣装にマガダの最高顧問官が身に付ける紫の絹織りを形良く巻いて、肩からマントのように垂らしている。


 シェイハンでは銀髪に変装していたため、中性のたおやかさがあったが、黒髪になってみると権謀術数に長けた切れ者の文官にしか見えなくなった。


 それでも鴉色の瞳は、軽く微笑むだけで心を捉える優雅さがある。

 この麗しい笑顔が心の支えだった事もあった。


 ついシェイハンでの懐かしい日々が思い出されて心が緩みそうになるのを必死で押さえて、ミトラは口を一文字に引き結んだ。


「ミトラ様の方からお声をかけて頂けるとは夢にも思いませんでしたよ」

 その温かな目にどうしても偽りを見つける事が出来ずに怯みそうになる。


「別にそなたと楽しい話をしようと思っているのではない」

 極力冷たく言い放つ。


「そうでしょうね。お顔を見れば分かります」

 その漆黒の瞳の奥に寂しげな翳りを見つけて怒りが浮かぶ。


(なぜそんな顔をする?

 聖大師様を……アロン王子を殺したくせに!)


「次は何を企んでいる!」

 間髪入れず直球で尋ねるミトラにラーダグプタは首を傾げた。


「企む……とは?

 何の事でございましょう?」


「誤魔化すな!

 今回のヒンドゥクシュ行きはそなたの企みであろう!」


「ヒンドゥクシュ?」

 ラーダグプタは思いもよらない話題に目を丸くする。


 イスラーフィルやトムデク達もそんな話だとは思っていなかった。

 おそらくは少し落ち着いた今、シェイハンでの残虐な行為への恨み言を言い募るのだろうと思っていた。


「その話でしたら私も昨晩アショーカ様に突然命令され戸惑っているところですが……」


「嘘をつけ!

 アショーカが側近を差し置いて、そなたを指名して危険な山に登るなんて、どう考えてもおかしい!」

 ムキになって問い詰めるミトラにラーダグプタは笑った。


「ほほ……確かに。私も驚いていますよ。

 それを私が企んだと?」


「そうだ!

 アショーカに何をするつもりだ!

 暗殺を企んでいるのか!」


 ミトラの荒唐無稽な発想に、緊張して見守っていた面々の顔がすっかり緩む。


「あ……あの……ミトラ様。

 そのような話をする為にラーダグプタ殿と会見を?」

 この会見のお膳立てをしたイスラーフィルが困ったように口を挟んだ。


「そうだ! 他に何の用があると言うのだ!

 二度と顔も見たくないのに!」


 イスラーフィルはまたしてもこの巫女姫が十四の少女だという事を失念していたと気付いた。

 相手は国で五本の指に入る最高顧問官。

 従属国のシェイハンの王女といえども易々と証拠もない言いがかりで呼びつけられる相手ではないのだ。


「ミトラったら今頃になって急に会見するとか言い出したからシェイハンの事を責め立てるのかと思ったら、そんな事だったの?」

 ヒジムが、やれやれと呆れる。


 ここにサヒンダがいたら、どれほど嫌味を言われたことか……。


「ミトラ様、その話なら僕達がちゃんと説明しますよ」

 気の優しいトムデクが穏やかに取り成す。


「これは、バラモンに通じたラーダグプタ様が適任とアショーカ様が判断したから決めた事で、ラーダグプタ様の意志の入り込む余地などありませんよ。

 それにアショーカ王子本人がおっしゃったように、ミトラ様の側にこの方を残して留守にしたくなかったのでしょう」


 ミトラはみんなの反応から、どうやら自分がまたしても勢いのままにバカな行動をとってしまったらしいと気付いた。


「ミトラ様、私はマガダの最高顧問官ですよ。

 主君の王子の暗殺を企む理由などありません」

 ラーダグプタが可笑しそうに笑った。


「でもスシーマ殿の軍に随行してきたではないか!

 何か策略があってもおかしくない!」

 やけくそになって絡む。


「もちろん皇太子であらせられるスシーマ様の部下でもありますが、私にとってはどちらも大切な主君の子息です。

 それに、ご存知ないでしょうが、私は先王チャンドラグプタ様の宰相であったカウティリアの息子として、先王が可愛がっておられたアショーカ様がご幼少の折よりお世話をさせて頂いておりました。

 ミカエル様の事も僭越ながら姉のように慕い、王子はさながら弟のように想っておりました」


「そ、そうなのか?」

 初めて聞いた話を確認するように、ミトラはトムデクを見た。


「はい。ミカエル様の元で共に勉学に励んでいた時期もあります」


「そ、そうだったのか……」


 肝心な事を忘れていた。

 自分には平気で信を欺く敵でしかなかったこの男だが、裏を返せば祖国のために忠誠を尽くす信頼厚い高官なのだ。

 当然そこには自分の知らない歴史もあれば交流もある。

 アショーカにとっても、ヒジムやトムデクにとっても、アッサカにさえ信頼に値する味方なのだ。


 急に自分だけが他国の人間だと思い知る。

 みんなが遠い存在になったような気がしてミトラは俯いた。


 しゅんとするミトラを、ラーダグプタは愛おしそうに見つめた。


「どれほどの罵詈雑言を浴びせられるかと覚悟して参りましたのに……」


 はっとミトラは顔を上げた。


「そ、それは今更言っても仕方のない事だ。

 責めた所で誰も帰っては来ない……」


「そうですね……」

 一瞬寂しげにミトラを見つめたラーダグプタに、イスラーフィルは自分と同じ呪に囚われた恍惚を見た。


「私はそなたを一生許さぬ!

 それだけは生涯変わらぬ!」

 翠の瞳がラーダグプタを射る。


「心得ております」

 ラーダグプタは静かに頭を下げた。


 イスラーフィルは今しかチャンスはないと問いかけた。

「あなたは本当にシェイハンの神殿に火をかけたのですか?

 本当に自らの手で聖大師様を亡き者にしようとしたのですか?」


「……」

 ラーダグプタは一転、冷ややかな目でイスラーフィルを見た。


 しかし声を上げたのはミトラだった。

「イスラーフィル、今更何を言うのだ。

 ラーダグプタ以外に誰が火をかけるというのだ」


「それはそうですが私にはどうしても納得出来ないのです。

 この者が本当にあの翠の瞳を……」


「イスラーフィルッッ!!」


 突然の叱責に一同が驚く。


 今まで穏やかだったラーダグプタが激しい侮蔑を乗せてイスラーフィルを睨んでいた。


「そなたは今誰に向かって口をきいているのか分かっているのか!

 シェイハンでは対等の立場で過ごしたかもしれぬが、私は今マガダの最高顧問官。

 そして、そなたはそのマガダの一都市の衛兵隊長に過ぎぬのであるぞ!

 この者とは何事ぞ!

 私の許可無く口をきいて良い立場ではない!

 礼儀をわきまえよ!」


 イスラーフィルは痛い所を突かれ、ぐっと唇を噛みしめた。


「申し訳ございません。ラーダグプタ様」

 深く頭を下げる。


「ラーダグプタ、そなたは……」

 権力など一番嫌っていたはずだったのに……。

 その教えも嘘だったというのか……。


 言い澱むミトラにラーダグプタは別人のように優しげな顔を向けた。


「ミトラ様はどうぞラーダグプタと呼び捨てて下さい。

 いずれはマガダの王妃になられるお方。

 私は生涯あなた様の従僕です」


 それが答えなのだとイスラーフィルは思った。


「王妃など……されど私の命に従う意志があるのなら一つ頼みがある」

 ミトラは思いつめたように呟いた。


「何なりとお申し付け下さい」


「アショーカのヒンドゥクシュ行きをやめさせてくれ。

 そなたが説得してくれ」


 ラーダグプタは困ったようにミトラを見つめた。


「それが出来るのならそうしております。

 私とて武官のように体を鍛えている訳ではありませんゆえ、出来るなら辞退したいのです。

 ですが、あの方は昔からこうと決めたら揺るがないお方。

 それはミトラ様もご存知のはず」


「そうだな。そなたでも無理か……」


「ミトラ様に引き止められぬものを他の誰にも出来ないでしょう」


 しょんぼりと俯くミトラにラーダグプタは続けた。

「しかしマガダの最高顧問官として衛兵を増やす事は出来ます」


「衛兵を?」

 ミトラは、ぱっと顔を輝かせた。


「実はサヒンダ殿よりアショーカ様には内密に護衛をつけるよう頼まれています。

 騎士団はアショーカ様が掌握なさっているため動かせませんが、タキシラの衛兵は最高顧問官の私の命令があれば太守を通さずとも動かせます」


 イスラーフィルははっと顔を上げた。


「この場を借りてイスラーフィルに命ずる。

 そなたの指揮下に隠密の要人警護の部隊を再編させていたはずだ。

 その部隊をアショーカ王子の警護に秘かにつけよ」


「はっ。かしこまりました」

 右手を胸に当て、恭しく応じる。


 ミトラは少しだけほっとした。

 イスラーフィルの部隊なら信用出来る。


「これで納得されましたか?

 私はアショーカ王子の御身と、その寵愛深きミトラ様の安全を第一に考える者でございます」


 畳み掛けるように宣言するラーダグプタに、ミトラはぷいっと横を向いた。


「私はそなたに守ってもらうつもりはない。

 話はそれだけだ。もう会う事もない」


「ミトラ様の仰せのままに……」


 辛辣なミトラの言葉に動じる様子もなく、ラーダグプタは恭しく頭を下げた。


 しかしイスラーフィルにだけは分かった。


 この男が真に仕えるのはビンドゥサーラ王でもアショーカ王子でもない。

 ミトラ様ただ一人なのだと……。



次話タイトルは「側近ヒジム」です

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