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アショーカ王の聖妃  作者: 夢見るライオン
第一章 出会い編
35/222

35、アショーカとミトラ

 美しい庭園に孔雀が戯れる。

 神鳥ガルダが炎の羽を振りまいたような煌く日差し。

 ミトラは木々に触れ、鳥の鳴き声に耳を澄ませた。

 神殿に入れば二度と日の光に輝く自然の美を目にする事も出来なくなる。

 残りの人生分の情景を目に焼き付けておきたかった。


「ミトラ様、もう戻りましょう。

 アショーカ様に知れたらひどいお叱りを受けます」


 アッサカが部屋に戻ってすぐにミトラは散歩に行きたいとだだをこねた。

 ミトラに甘いアッサカは、引きとめきれず、先程の話も出来ぬままに中庭に出てきたのだ。


「まだ来たばかりではないか。

 アショーカは政務に忙しい。

 気付くわけがないだろう」

「いえ、アショーカ様のことです。

 ミトラ様の警備に隙があるとは……」


 アッサカが心配する言葉も終わらない内にバラバラと馬の蹄が聞こえてきた。

 騎士団の虎柄衣装が無数こっちに向かってくる。

 その先頭には、なんとアショーカが、アッサカ顔負けの恐ろしい形相で馬を駆っていた。


「な、な、なにごとだっ!」


 ミトラは非力な者の本能として、逃れようと走った。


「ミトラ様、どこに行かれます!」

 予想外の行動に、アッサカは慌てて追いかける。

「なんだか分からんが怒っているではないかっ!」

 あの顔に追いかけられて逃げない方がおかしい。


「ミトラーっっ!

 なぜ逃げるーっ!」

 鼓膜が破れそうな千アショーカの大声が響く。


「お、お前の顔が怖いからだ!

 来るな!」

 それでも言い返すのがミトラのあっぱれな所だ。


「なにを!

 俺様に来るなと言うかあっ!」

 更に恐ろしくなる顔に、アッサカすら負けを認めた。


「私が何をしたと言うのだ!」

 必死で走るミトラだったが、アショーカの馬の足は速く、あっという間に背後に迫る。

 そのまま踏みつけられるのではないかと思った。


「俺から逃げられると思うなよっ!!」

 言ったかと思うと、アショーカは馬から飛び降り右足をトンと地につけ、そのままミトラに飛び掛った。


「わあああああっ!」


 羽交い絞めにされたまま二人は地面に転がった。


 脇に広がる茉莉花の園をゴロゴロとなぎ倒し、花園に見事な轍を作ってから、ようやく止まった。


 ミトラは無傷だったが、アショーカはあちこち擦り剥いて花まみれになっている。


「な、なんていう無茶をするんだ!

 大怪我をしてもおかしくなかったぞ!」

「お前が逃げようとするからだ!

 なぜ逃げる!

 そんなに俺が嫌かああっっ!」

 耳元で大声で怒鳴られて、ミトラはひゃっと耳を塞いだ。

 大き過ぎて消化しきれない音量が花園に漏れこぼれる。


「逃げてなどない。

 びっくりしただけだ。

 そもそも庭園を散歩しているだけで何の騒ぎだ。

 私はシェイハンの客人であって、もう囚われの身ではないのだぞ」


「まだ反乱がおさまったばかりだ。

 どんな輩がいるとも知れぬのに勝手に出歩くな!」


「なぜそなたに命令されねばならぬのだ。

 大体アッサカはともかく、何故私の警備をそなたの騎士団がするのだ。

 私はもうシェイハンの者なのだからシェイハンの護衛がつくべきであろう」


「シェイハンなど平和ボケの兵士に任せておけるか!

 イスラーフィル以外は警備のなんたるかも知らないではないか!

 お前は俺の騎士団が守る」


「勝手に決めるな!

 それにシェイハンの者をバカにすると許さないからな!」


「むうう……」

 ミトラを恐ろしい形相で睨みつけるアショーカを見て、アッサカは困ったものだと思った。

 愛情表現が激しすぎる上に自分が好かれているとは微塵も思っていない。


 一瞬で大勢の民を従わせるカリスマ性を持ちながら、ただ一人ミトラには、まったくもって不器用で甘い言葉の一つも言えない。


 しかし……そんな二人を眺めながらアッサカは微笑んだ。

 この二人が創る世界を間近で見られる自分の幸福を思った。

 この地はきっと栄える。

 きっとかつてないほどの大国が築かれる。


「お前は俺を選んだと言ったのだからな!

 逃げるのは許さん!」

「一体いつの話だ!

 あれから事情は変わったのだぞ」


「ああ、くそっ!

 母上との約束がなければ、あの時力ずくでもそなたを俺のものにしていたのにっ!」

 アショーカは地面の石ころを蹴り飛ばした。

 こういう所は、まだまだ少年のようだ。


「だから何の事だ。

 変な話をするな!」

 ミトラは顔を赤らめた。


 あの時アショーカを愛していると言った自分を思い出していた。

 あの時は追い詰められて簡単に口から出た言葉だったが、今なら絶対に言えないだろう。


 それは嘘ではないから……。


 限りなく真実に近いから……。

 なおさら口にしてはいけない。


「よいか!

 神殿が出来るまで、俺にはお前を守る義務がある。

 俺はお前のすべてを把握し、俺が許した場所しか行ってはならぬ。

 俺が認めた者にしか会ってはならぬ。

 わかったか!」


「どれほど横暴なのだ!

 そんなバカな命令には従えぬ。

 私は自分の思う場所に行き、自分の会いたい者と会う」


「許さん!

 言う事を聞かねば縛り上げて部屋に閉じ込めるぞ!」


「なっ!」

 ミトラが非難に満ちた目でアショーカを見つめる。


 アショーカは、しまったと思った。

 こんな事を言うつもりではなかった。

 優しく甘い言葉を並べるようにヒジムとサヒンダにさんざん手ほどきを受けてきたばかりだったのに。


「つ、つまりあれだ……。

 どこにも行くなという事だ!」

「何をいまさら……」

 アショーカの熱を帯びた眼差しにミトラは目を伏せた。


「俺のそばにいろ!

 どこにも……行かないでくれ……」


 ミトラは驚いた。

 この俺様な男が人に頼みごとをする姿など見る事もないと思っていた。


「そばにいないのはそなたの方だろう。

 私の事などもう用なしではないのか」


「だ、誰がそんな事言った。

 用なら大ありだ。用だらけだ!」

「用だらけってなんだバカ」

 こみ上げる温かなものに目頭が熱くなる。


「前に言ったであろう。

 そなたは俺の暴虐を止めるために神が遣わしたのだ。

 そなたのおかげで俺はこのタキシラで血を流さずにすんだ。

 そなたは俺のそばにいなければダメなのだ。

 俺と正しき国を創るのがそなたの使命なのだ。

 分かったか!」


「それで……口説いてるつもりなのか……」

 笑顔の頬に涙がこぼれる。


「うるさい!

 これが俺の精一杯だ。悪いか!

 さあ、返事を申せ!」


 拗ねた子供のように開き直るアショーカを見て、ミトラは微笑んだ。


「仕方がないからそばにいてやる」


「むうう。

 もっと可愛い言い方は出来ぬのか!」


「アショーカの……そばにいたい……」


 自分を見上げる翠の瞳にアショーカは破顔した。

 そして力ずくで抱きしめる。


「痛い!

 だから力を加減しろ! バカ!」


「よいか、さっきの言葉、毎日、朝晩言うがいい。

 命令だ」


 とんでもなく横暴な男と関わってしまった。

 でも、今ミトラは幸福だと思った。


 ずっとずっとこの幸せが続くように……。


  

     ※        ※


 仏教徒でなかった聖妃アサンディーミトラは、仏典に記される事もなく、今も多くの謎に包まれたままだ。

 偉大なアショーカ王の治世に、しかし、不可欠な存在であったと……

 歴史はいつか証明するだろう……。




 第一章、完結です。

 最後まで読んでいただきありがとうございました。

 ブックマークが本当に嬉しかったです。

 ありがとうございました。


 第二章、『ヒンドゥークシュ カピラ大聖編』に続きます。

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