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アショーカ王の聖妃  作者: 夢見るライオン
第一章 出会い編
31/222

31、アショーカと側近

  

        ※        ※


(来たな……)

 久しぶりに感じる嫌な緊迫感に、アショーカは成すすべも無く身を任せる。


 ぽとり……。


 鉛色のしずくが垂れて、暗闇が無機質な玉で埋まっていく。


(しばらく見ないと思っていたが……)

 ミトラに出会ってから見なくなっていた。


 暗闇が無数の鉛玉で埋まると、ピタリと増殖を止めた。

 そして、十の塊がまた十の塊を作り、高速で統合を始め、すぐに一つの塊になった。


「一億七千八百四十一万九千三十二」


 読み取った自分に、自ら驚く。


「ケケケケ。さすがは我が魔王。

 億の数もあなた様の限界ではございませんな」


「カルクリ……」

 いつの間にこれほど育っていたかと冷や汗が垂れる。


「案じられますな。

 十万の軍隊など、億の数から見れば、ほんのひとしずく。

 命令のままに愚王に従う愚かな兵士などこの鉛玉と同じ。

 私が見事に片付けて差し上げましょう」


「十万を片付けるというのか?

 どうやって?」

 うっかり問いかけていた。

 たった七百六十三のアショーカの陣営。

 この勝ち目のない戦で、少しの命でも救いたいという重圧がアショーカの心に気付かぬ内に隙を作っていた。


 カルクリは訪れた好機にほくそ笑む。


「どれほど聡明であっても、戦に素人の皇太子。

 まずは彼らの飲み水に毒をいれましょう。

 それから毒蛇を放ち、混乱の中に火矢を撃ち込み、焼き払うのです。

 さてさて、これで私めの試算によりますと、残るは一万をきりましょうぞ」


「なるほど。

 吐き気がするほど卑怯な戦法だな」

 聞くだけ無駄だった。


「卑怯とおっしゃいましたか。

 されど、本当に卑怯なのは誰でございましょう。

 勅命で討伐に向かわせながら、背後を十万もの兵で攻めたてる。

 あなた様の大切な友も部下も、むざむざと切り刻まれ、愚王の言いなりにしかなれぬ、信念もない愚者に嬲り殺されるのです」


 アショーカの脳裏に、今までの反乱討伐で失った、前途ある若者の最後の姿が浮かぶ。

 アショーカ自らも、未来を担う反乱民達を屠ってきた。

 その罪に押しつぶされそうになる。


「さあ、ご決断を。

 我と共に十万を屠るのです。

 そして我らの世界を築きましょうぞ」

 好機を逃すまいと数魔は一気に畳み掛ける。


 アショーカは、しかし、にやりと笑った。

「それで俺を手なずけたつもりか?」


 カルクリは驚いて言葉をなくす。


「俺様はこの数日の間に、思いがけない秘密兵器を手に入れた」

「ひ、秘密兵器ですと?」

 カルクリが珍しく動揺している。


「いでよっっ!! 十万サヒンダ!」


 アショーカが命じると、闇の中に十万のサヒンダの顔をした鉛玉が現れた。


「じ、十万サヒンダとは……」

 カルクリが想像もしてなかった攻撃に動揺している。


「ひいいいい!」

 無数のサヒンダ玉がカルクリを取り巻き、どんどん侵食していく。


「はっはっは。

 どうだ。まいったか?

 ミトラ直伝の最強のサヒンダ玉だ!」

 ついにやっつけたと高笑いするアショーカは、次の瞬間、ポロポロとカルクリから剥がれ落ちていくサヒンダ玉に目を見開く。


「なっ! どうしたんだ?!」


 サヒンダ玉は剥がれたと思うと、次々十の塊を作り、さらに十で纏まっていく。

「ケケケケ。

 名前がつこうと、数は数。

 我の支配を逃れる事など出来ませんぞ」

 サヒンダはその几帳面な性格通りに、不機嫌な顔のまま理路整然と数を操られていく。


「く、くそっ!

 ふがいないぞサヒンダ!」

 思いのほか役立たずの側近を怒鳴りつける。


「さあさ、余興はここまでに。

 そろそろ決断をいただきましょうか。

 もう、分かっておられるはずですぞ。

 今を救えるのは我しかいないと……ケケケケ」

 カルクリの闇がアショーカを覆う。


 しかし、その真っ暗な闇の中に、ふわりと光る翠の瞬きがあった。


「?」


 アショーカとカルクリの意識は、闇の片隅に広がる翠に注がれる。


「ミトラ?」

 ふるふると震えるように瞬く十個のミトラ玉がいた。


「な! こんな所で何をしている!

 立ち去れミトラ!」

 夢の中ですら、ミトラが危害を加えられる姿など見たくはなかった。


 しかし、ミトラ玉は震えながらも消える気配はない。

「お前はっ!!

 何でいつも無力な弱者のくせに、しゃしゃり出てくるんだ!

 消えろっ!」


 動揺を隠せないでいる王子に、カルクリはいよいよ勝ちを確信した。

「ケケケケ。

 これがあなた様の最大の弱点でございましたか。

 では、最後の仕上げをさせていただきましょう」


「よせ! カルクリ!

 ミトラに手を出すな!」

 アショーカが叫ぶ。


「十の玉よ。

 我の支配のもと、二つの塊に分かれよ!」

 カルクリはワザと大仰に、数に命じる。


 従順に応じる翠の玉は、ふわり、ふわりと怯えたように二つに分かれていく。


「?」


 しかし、次の瞬間、整然とした世界に、初めての混沌が訪れる。


「何をしている!

 二つに分かれるのだ。

 五と五だ!」

 カルクリが焦って命じる。


 六と四になっていた翠玉はあわてて、右へ左へふわふわと漂って、三と七に分かれた。


「な! 五と五だと言ってるだろう!」

 怒鳴られ、戸惑ったように二と八に分かれる。


「違う! 五と五だ!

 いや、ならば五つに分かれよ!

 二ずつだ!」

 ミトラ玉は困ったように右往左往した挙句、二が二つと、三が二つに分かれた。

「ち、違う! 違うっっ!!

 やめろ! 数を乱すな!

 我の緻密な世界を崩すなっっ!」

 ミトラ玉は申し訳なさそうに闇を漂い、整然と隊列を組むサヒンダ玉を一つ二つと引っ張り出して、迷惑そうなサヒンダ玉のいびつな塊を作っていく。


「やめろ! やめろ!

 やめてくれええっっ!!!」

 カルクリは止めようとミトラ玉に触れたかと思うと、

「うぎゃああああ!!!」

 という断末魔の叫びを上げて、バラバラになった。


「は……」


 アショーカは呆然と見守っていたが、ふいに腹の底からこみ上げるものに抗えなかった。


「はははは……はは……ははは」

 これほど笑ったのは久しぶりかもしれない。


 勝つのか?

 無垢で無力なお前が……。

 俺にもサヒンダにも倒せなかった相手に。


「はははははは」

 気付くと全力で笑っていた。





 目の前には、突然バカ笑いをし出した主君を、冷ややかに見つめるサヒンダとヒジムがいた。


「気が触れてたなら、先に言って下さい」

 極北の熊が間違えて冬眠しそうな目で言い放つ。


「道理で。

 ガネーシャと最強戦力のアッサカを供につけ、取引きに有利な巫女姫をわざと逃がし十万の正規軍に立ち向かうなど正気の沙汰とは思えなかったのです」

 サヒンダは今回の作戦変更を相当不満に思っているらしい。


 まあ、当然だろう。


「だが、お前でも倒せなかったカルクリをミトラは倒してくれたぞ。はは」

 まだ笑いがおさまらない。

「何の話ですか?

 私を勝手にいろんな所に引っ張り出さないで頂けますか」

「ははは。

 お前は顔が嫌味なだけで、まったく役立たずだったぞ」


 まだ笑っている。


「いい加減、その間の抜けた笑いをすっこめて頂けますか。

 そろそろ奇襲の時間です」


 見ると、すでに側近達は甲冑をつけて準備は万端整っているようだ。


「ヒジム、つけてくれ」

 立ち上がるアショーカにヒジムは「はいはい」と言いながら、丁寧に甲冑と手足の当てを結んでいく。


 そこに天幕の外から慌てふためいた様子でトムデクが駆け込んできた。


「アショーカッ! 大変だよ!」


 顔面蒼白で息を切らしている。

「なんだ? どうしたトムデク?」


「天幕の周りを反乱民に囲まれてるよ!」


「なにっ?!」

 アショーカの顔から、さすがに笑みが消えた。



 すぐさま四人は天幕を出て簡易の物見台に上った。

 ようやく白み始めた夜明けの街道は、タキシラの城門までの道を埋め尽くす人の群れで溢れていた。

 スシーマへの奇襲に備え前面ばかりに気を取られていて気付くのが遅れた。

 ……というより、堅固な城からわざわざ討って出るとは思っていなかった。


 見ている間にも人の群れはどんどんこちらに迫り、その様相が分かってくる。


「先頭にガネーシャがいる……」


 ガネーシャの上にはヴェールの裾から漏れ出た月色の髪が揺れている。


「ミトラか……」


 敵の姫を逃がしたのだ。

 当然考えられる最悪の結末の一つだ。


 ミトラの後ろには騎馬の軍隊が続いている。

 二千はいるだろうか。

 整った隊列が即席の烏合の衆ではないのを示している。

 五つの隊に別れ、それぞれ指揮官がいるようだ。

 よくまとまっている。


 その後ろに、まだ遠くてよく見えないが無数の歩兵が続いている。

 タキシラの城門から続々と出てきて終わりが見えてこない。


(数万か……)


「女などを信じるからこんな事になるのです」

 サヒンダが一番危惧していた事態だ。


「こうまで嫌われていたとはな……」

 アショーカはふ……と笑った。

 不思議に後悔はない。


「どうしますか?」

 人のいいトムデクは、信じた少女の裏切りが、ただ悲しかった。


「騎士団はここに待機させておけ。

 俺が一人で行く。

 反乱民の目的は総大将の俺だけだ。

 山賊の頭が申していた」

 アショーカの心はすでに決まっていた。


「何言ってんだよアショーカ。

 僕達を置いていくつもりか?」


「そうだよ。

 僕達の主君はアショーカしかいないんだよ」


「ここまで散々巻き込んでおいて、今更なにカッコつけてんですか!

 私達を置き去りになんかしたら、地獄の底まで追いかけて、気が触れるまで嫌味を言い続けますよ」


 アショーカは三人の側近の顔を順に見て、はははと笑った。


 覚悟は決まった。


「俺に仕えた事を後悔しているか?」

 三人に問う。


「するわけないだろ。

 短い間だったけど楽しかったさ」


「もう少し長く一緒にいたかっただけだよ」


「いつかこんな事になるだろうと思ってましたよ。

 でも過去の自分に会えたなら、やっぱりあなたに仕えろと言うんでしょうね。

 長年一緒にいて、バカが移ってしまいました」


 四人はお互いの顔を見合わせて、清々しく笑った。




次話タイトルは「アショーカとミトラ」です

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