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アショーカ王の聖妃  作者: 夢見るライオン
第六章 トルファン 遊牧の民 烏孫編
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38、恋焦がれたその胸に

「では残るはお前の進退だけだ、ミトラ」

 アショーカが待ち切れないように口を開いた。


「私の進退?」


「そうだ。お前はどうしたいのだ? このまま匈奴に残るのか? それとも俺と一緒にタキシラに帰るのか? さっさと答えろ!」

 いらいらしたように結論を促す。


 ミトラの答えは決まっていた。でも……。


「それも……私が決めていいのか?」

 そんな事が許されるのか? 本当に?


「当たり前だ! お前の事だろう? お前が決めなくてどうするっ!!!」

 声が怒っている。


「私が決めた事にみんな納得してくれるのか?」

 下手な事を言ったらもっと怒られそうだ。


「そうだと言ってるだろう! くどいぞっ!!」

 すでに完全に怒っているではないか。


「私が何を言っても喧嘩したり殺し合ったりしないか?」

 不安が残る。


「当たり前だ!! 早く結論を言えっ!!!」

 もう喧嘩ごしだ。


「烏孫も納得してくれるか?」

 ミトラは先程自分を殺そうとした烏孫が心配だった。


 まさか怒りのままにアショーカに切りかかるのではないか……。


「……」


 うつむいて答えない烏孫に単干ぜんうが怒鳴る。

「こら! 返事をせぬか、烏孫!」


 それでも答えようとしない烏孫に代わって単干が答えた。


「女神様、このバカの事は私が責任をもって収めます。ご心配なさるな」

 ミトラは肯いて今度はアショーカを見た。


「アショーカも……私が何を選んでも納得してくれるのか?」

 改めて問われアショーカは嫌な予感に汗を滲ませた。


「さ、さっきからそう言ってるだろう! なんで何度も確かめる! それはどういう了見だ!」


 まさか匈奴に残ると言うのか?

 それとも月氏の元へ?

 そうでなければ、こんなに何度も自分に確かめるはずがない。

 嫌な汗が流れる。


「私が何を言ってもちゃんと受け入れてくれるのか?」

「し、しつこいぞっ!! 受け入れると言っただろうがあ! 早く言えっっ!!」


「もう、アショーカ! 声がでかいんだったら。ミトラが怖がってるでしょ?」

 暴君になり始めた主君を見ていられず、ヒジムが口を挟んだ。


「う、うるさい!! ここまで辿り着くのにどれほど大変な思いをしたと思ってるんだ! その俺様が納得出来ないような何を言うつもりだ! 早く言ってみろおおお!!」


「もう、もう。それじゃ脅してるようなもんじゃないか。こんなだからミトラに逃げられるんだよ。見なよ、アッサカが鬼みたいな顔で睨んでるよ」


「い、いえ……。そんなつもりでは……」

 アッサカは突然話を振られ、恐縮して俯く。


 紛れもなくヒジムとアッサカと……そしてアショーカ。


 変わらない。

 ミトラは可笑しくなった。

 そして勇気を出してアショーカに問う。



「私が……アショーカの側に……いたいと言っても……怒らないか?」


 ここで拒絶されたら、もうどうしていいか分からない。

 無様にアショーカの足に縋りついて、側にいさせてくれと泣き叫んでしまうかもしれない。


 そんなミトラの不安を裏付けるように、アショーカは「は?」と呆れたような声を出した。

 ミトラは途端に自信がなくなって言葉を失う。


「ふざけてるのか?」

 完全に怒った声で返され、足がガクガクと震えた。


「ふざけてなんか……。何を選んでも受け入れると言ったくせに……」

 やっぱり迷惑なんじゃないか。




「この……バカ者がああああ!!!!」


 突然大声で怒鳴られ、ミトラはひゃっと耳を塞いだ。


「そんなに怒らないでくれ! 私はアショーカが何でも受け入れると言ったから望みを言ってみたんじゃないか。受け入れられないなら最初から約束なんかしなければいいだろ!」

 折れそうな心を立て直すようにムキになって言い返す。


「誰が受け入れないと言ったあああ!! このたわけがああ!!」


「だって怒ってるじゃないか! 側にいて迷惑なら期待を持たせるような事を言うなバカ!」


「誰がお前が側にいるのが迷惑などと言った! そんな訳ないだろう! この阿呆!」


「じゃあっ! 何で怒ってるんだ!」

 こんなに不機嫌になる理由が分からない。


「お前があまりに何も分かってないから怒ってるんだ! お前はっ……」


 アショーカは親に怒られた子兎のように怯えるミトラに気付いて、荒ぶる心を一旦鎮めた。


「お前は……側にいてほしくもない女のために俺がこんな辺境までのこのこやってきたと本気で思ってるのか? そんなバカがどこにいる?」


「だってカールヴァキー殿の髪を取り戻すために来たんだろう?」


「カールヴァキーの髪? 何の話だ?」

 ミトラがそんな物を持ってるなんて初耳だ。


「違うのか? じゃあ守ると言ってしまった責任感から……」


「お前を迎えに来たに決まってるだろうが! この状況で何故分からないんだ」

 アショーカはいらいらと地団駄を踏んだ。


「で、では……、私はアショーカの側にいても……いいのか……?」


「何を今更聞いてるんだ! 俺の側にいると約束しただろうが!」


「でも……私はきっと……そなたの望むものを何もあげられぬ。何の力もなければ何の役にも立たぬ。ミカエル様のおっしゃった唯一無二の愛というのもよく分からないんだ」


「バカもんが! 誰がお前に見返りなど期待した! それとも何か? お前が俺の側にいたいと言うのは俺からの見返りを期待しての事か?」


「ま、まさか……そんな事……」


「そうだろう。俺様とて、今お前に差し出せるものなど何もない。皇太子でもなければ、いつ失脚するか分からぬ危うい立場だ。お前はそんな俺に何か差し出せと言うのか!」


 ミトラは慌てて首を振る。


「だったら難しく考えるな。お前の望む所を答えろ。俺の側にいたいのだろう?」


 アショーカはふてぶてしいぐらい傲岸に、にっと笑った。

 安堵の思いが怒涛のようにミトラの心を突き上げ、じわりと涙が溢れる。



「来い!」


 アショーカが当然のように両手を広げる。


 思うよりも早く体が動いていた。

 一直線に駆け出す。

 そして全力でその胸に飛び込んだ。


「わああああ!!」

 抱きつくと同時に子供のように泣き叫んでいた。


 焦がれるほどに戻りたかった腕の中。

 もう二度とその温かさを感じる事はないと何度も諦めた心地よい胸。

 少しの揺らぎもなくミトラの体を受け止める屈強な体。


 不安も恐怖も絶望も、ここにいればすべて浄化されて安らぎに変わる。

 ずっと張り詰めたままだった緊張の糸が不思議なほど弛んで嗚咽が止まらない。


 アショーカはそんなミトラに「遅い!」と怒鳴った。


「迷うな! バカ者!」

 言葉とは裏腹に抱きしめる手は優しい。


「俺様が見返りなど期待する心の狭い男と思ったか! 余計な心配などせずとも、欲しい物があれば力ずくでも奪ってやる! 覚悟しておけ!」

 どさくさ紛れに不穏な宣言をする主君にヒジムが苦笑した。


「やれやれ、とんでもない男の胸に飛び込んだもんだね」




次話タイトルは「アショーカと烏孫と」です

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