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アショーカ王の聖妃  作者: 夢見るライオン
第六章 トルファン 遊牧の民 烏孫編
217/222

35、すぐそこに……

「ミトラ――――ッ!!!!!」



 月王ばかりか、匈奴の兵もイフリートもその大声に驚き、鼓膜を破きそうな響きに耳を押さえた。


耳を貫く凶器のように、全員が手を止めて発生源のアショーカを見つめた。



「ミトラ――――ッ!! どこにいる? 返事をしろおおおお!!!!」


 あまりの大声に松明たいまつの火が揺れ、地面が振動する。


「ミトラ――――ッ!! アショーカだあああ!!! 迎えにきたぞおお!!!」




 ミトラは陣の真ん中の烏孫のゲルにいた。


 洞窟で石のつぶてを受けて負傷した神威の手当てをしていたが、途中で外が騒がしい事に気付いて様子を見ようと立ち上がる。


そこに烏孫が飛び込んできた。


「烏孫、外が騒がしいが、どうかしたのか?」


 外を覗こうとするミトラを烏孫がグイと抱きとめ、ゲルの中に戻す。


「なんでもない。お前はここから出るな」

青ざめている。


「なんでもないはずがあるか。まさか月氏が攻め込んできたのか?」

「違う。間者が三人潜入してきたのを捕えている。たいした事ではない」


 その割りに顔色が悪い。


「たった三人で? 月氏の者なのか?」

「いや、月氏ではない。異国の兵だ」


アショーカだとは知ってても言わない。


「異国の兵? 月氏の他にも攻めてくる相手がいるのか?」

「お、お前は余計な事を考えなくていい。ここでおとなしくしていろ!」 



 匈奴きょうどの陣営に到着してみると、単干ぜんうの祖父は途中で風邪で寝込み、遅れていると聞いた。


 そうなるとこの陣営の総指揮は単干の代わりに率いてきた右賢王うけんおうの翔靡達の父と、烏孫という事になる。


 烏孫はもちろんミトラを渡すつもりなどなかった。

 時間を稼いで、ゾドを奪還し、あわよくばアショーカ王子を亡き者にする。


 アショーカ王子さえいなければ、ミトラは月氏よりも匈奴に残りたいと言うはずだ。


 都合のいい事に、そのアショーカ王子が月氏から離れて、たった三人で潜入してきたというではないか。アショーカを秘かに討ち、今を乗り切れば月氏の話し合いの場にミトラを連れていってもいい。ミトラの望みに従うと言うのであれば、なお都合がいい。


 ミトラは会った事のない月氏より自分を選んでくれる。

 その程度の自信はあった。


「心配するな。もう少しで決着はつく。お前が月氏に匈奴に残りたいと言えば、戦にもならず誰も死なない。だから俺を選んでくれるな? ミトラ」


 烏孫はミトラに確認する。


「それで事が済むなら今すぐ話をつけよう。外の騒ぎも治めよう」


 立ち上がりかけるミトラを押しとどめ、座らせる。


「まだダメだ。三人の潜入者を仕留めてからだ。今外に出るのは危険なんだ」


 絶対アショーカ王子と会わせてはならない。もう少しだ。

 もう少しで一番目障りな男がこの世からいなくなる。

 そうすれば誰はばかる事もなく、ミトラは自分のものだ。


「仕留めるとは殺すという事か? やめてくれ。私はこれ以上誰も死んで欲しくない」


 桂香とボーでもう充分だ。これ以上誰であっても死んで欲しくない。


「彼らは非常に危険な男達なんだ。生き延びれば必ず世界の災いとなる」

「そんな危険な男が? いったいなぜこの陣営にたった三人で潜入したのだ?」

「いや、だからそれは……」


 必死で言い訳を探す烏孫を前に、ミトラははっと顔を上げた。



「いま……何か……聞こえなかったか?」


「え?」


「まさか……そんなはずはないのだが……」


 ミトラは立ち上がり、入り口に向かう。



「ミトラ――――ッ!!!」



遠くに聞きなれた大声が聞こえる。



「ア、アショーカ……? で、でも……まさか……」


 心臓がドクンと跳ねる。ありえないはずの声がはっきりと聞こえる。


 烏孫はまずいとミトラの腕を掴んでゲルの中央に戻す。


「き、気のせいだ。アショーカ王子などこんな所にいるはずがないだろう」

「で、でも……確かに……あれは……」



「ミトラ――――ッ!!!! アショーカだあああ!!!」


 はっきり聞こえる。あんなバカみたいな大声、他に出せる男などいない。



「アショーカ! アショーカだ!」


 ミトラは烏孫の手を振りきり、ゲルの外に出ようとする。

 烏孫はそのミトラの体を羽交い絞めにして捕まえた。


「は、放してくれ烏孫! アショーカがいるんだ! 私を呼んでいる!」


「ダメだっ!!! 行かせない! お前は俺の妻になるんだ!」


 ミトラは驚いて烏孫を見上げる。


「まさか……知ってたのか? アショーカが来ている事を……」

「そ、それは……」


烏孫は目を泳がす。


「放してくれっ!! アショーカが呼んでいるっ!!」


 ミトラはもがいてなんとか烏孫の手から出ようとするが、力の差が歴然としている。


「アショーカッ!!! アショーカあああっ!!!!」


 必死に叫んでも、アショーカのような大声が出るはずもない。

 ゲルの中にこだまするだけで立ち消えてしまう。


「烏孫、お願いだ。一目会うだけでも……」

「ダメだ! 会ったらお前はアショーカの元へ行ってしまう!」


 永遠に自分の腕には戻ってこない。烏孫には分かっていた。


「お願いだ。アショーカに渡す物がある。それにシェイハンの事もちゃんと頼んで別れたい」


 そうだ。何故こんな所にアショーカがいるのかは分からないが、ずっと心残りだった。


 拒絶され、追い出されたのだとしても、ティシヤラクシタの神殿で奪ったカールヴァキーの髪の束を返して、シェイハンの事をきちんと頼んで笑顔で別れたかった。


「そなたの妻になれというなら、なるから。最後にアショーカと話をさせてくれ」


 ミトラは烏孫の腕を振り解こうともがいた。

 しかし烏孫はますますかたくなになって、びくとも動かない。


「嘘だ。アショーカに会ったらあいつの所に戻るに決まってる。分かってるんだ!」


 ミトラは烏孫を哀しげに見上げた。


「烏孫、私はパータリプトラでアショーカの宮殿に会いに行って拒絶されている。だからアショーカの元には戻れないのだ。アショーカは……そうか。カールヴァキー殿の髪を取り戻すためにこんな所まで私を追いかけてきたのか……」


 烏孫は瞠目した。勘違いも甚だしい。そんな風に思っていたのか……。


 なぜアショーカ王子の元へ帰りたいと言わないのか不思議だったが、拒絶されたと思っていたのだ。


どういう行き違いでそう思ったのかは知らないが、実際にはあの王子はこんな所まで命懸けでミトラを探しに来たのだ。好きでもない女のためにこんな所まで来る男はいない。


 それなのに気の毒なほど、アショーカの想いに気付いてない。

 お互いにこんなにも惹かれ合っていながら、互いに嫌われていると思い込んでいる。


 だったら、なおさら……。


「渡す物があるなら俺が渡してやる。伝えたい事があるなら俺が伝えてやる。だが会うのは許さない!」


会って誤解が解けたら終わりだ。


「烏孫、どうして? 最後に会う事も許してくれないのか?」


「そうだ、許さない! どうしても会うと言うなら俺はこの場でお前を殺す!」


「なぜ……」


ミトラには何故烏孫がそこまで頑ななのか分からなかった。



「ミトラ――――ッ!!!!」


アショーカの声が聞こえる。

 すぐそこにアショーカはいるのに……。




次話タイトルは「会いたい」です

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