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アショーカ王の聖妃  作者: 夢見るライオン
第六章 トルファン 遊牧の民 烏孫編
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34、アショーカの選んだもの

 匈奴の陣営はすでに曲者くせもの侵入の騒ぎで騒然としていて、休んでいた兵も全員武装し直し、イフリートの兵は潜入と同時に大勢の兵に阻まれた。


 すでに警戒している兵は手ごわく、素手の黒服の男達は匈奴の兵の急所をついて昏倒させていくが、さすがに槍や弓を無数に突き立てられ、トネリコの葉になって舞い落ちる。


 その度イフリートがふところの葉を出して新たな黒服を生み出す。

 その繰り返しだった。


 カイは剣を持っていたが、下手に手出しせず、ひたすら月王が憑く鷹を探して陣を進む。

 途中、何人かの護衛がやられたが、イフリートが見計らって新たな護衛を送ってくれた。


「まったく! アショーカ王子のせいだ。無謀な潜入で月王様がとばっちりを受けるんだ」


 カイは護衛が葉っぱに変わるたび、無性に腹が立った。

 三人で潜入なんて無茶に決まってる。きっと今頃もう三人共、命を落としている。自分達ですらこれほどやられているのだ。生身の三人でしのげる訳が無い。


「イフリート様、合図を送って父様達に突入してもらいましょう」


 カイ達の周りには武器を手にした男達が無数に取り囲んでいる。

 さすがにもう限界だ。ここでいくさを始めるしかない。


「まだ月王様からの命令が届いていません」

 意識だけで会話出来る月氏族は、鷹の姿の月王といつでも交信出来る。


「あちらも苦戦しているようですが……もうすぐ到着しますよ」


「アショーカ王子はまだ生きてるの?」


 おそらく向こうも同じような状況のはずなのに、よく持ちこたえているものだ。

 いや、きっと月王様の鷹が援護しているのだ。


「放っておけばいいのに……。あんなバカ王子」


「来られましたよ」

 イフリートが告げると同時に鷹がひゅんっとカイの横を通り過ぎ、その瞳の奥が赤く色付き始める。


 その存在を身になじませるようにゆっくり目を閉じ、再び開く。

 その時にはカイの瞳はすっかり赤に染まっていた。


「遅くなって済まなかったな、カイ、イフリート」


 微笑むと、カイの懐からトネリコの葉を出し、息を吹きかけ四方にばら撒いた。

 一枚の葉から十人もの黒服が現れる。


 突然出現した黒服の軍団に匈奴の兵は驚いて後ずさる。


「こっちだ。行くぞ!」


 カイの中の月王が叫ぶと、黒服の軍団はカイとイフリートを囲むようにして、月王の目指す方向に道を作っていく。


 ほどなくして、前方にわあわあという喧騒が聞こえ、大勢の兵に取り囲まれている三人の男が目に入った。


 三人が背を向け合い、返り血なのか自分の傷なのか、衣装を血に染めている。

 すでに息を切らし、相当数の兵と切り合ってきたのが分かった。


 三人は匈奴の兵服を着ていて、どうやら変装して潜入したらしいが見つかったのだ。


 匈奴の兵は防寒のために耳の垂れたフエルトの帽子を被っていたが、どうやらそれは乱闘の間にどこかへ飛んでいってしまったらしく、三人の顔はすっかりあらわになっていた。


 じりじりと間合いを詰めようとする匈奴の兵達に、三人は息を合わせて突然一方向に攻撃をしかける。一瞬にして一人が三・四人の利き腕を仕留める。腕を押さえ呻く兵の塁を築き、わっと突然別方向に三人で飛びかかる。すると匈奴の兵は驚いて後ずさった。


 そうやって少しずつ陣の中に進んで行くが、兵の数が多く、きりが無かった。


「ダメだよ、アショーカ。これじゃらちがあかない。ここからはバラけよう」

 ヒジムがさすがに限界を訴える。この中では一番体力がない。


「そうだな、さっきまで鷹が匈奴を蹴散らしていたが、それもいなくなった」


 月氏の鷹だろうが、どうやら見捨てられたらしい。


「私が残ってこの兵達の相手をします。その間にお二人でミトラ様を探して下さい」

 アッサカが覚悟を決めて剣を構える。


「バカを言うな。お前を死なせたりしたらミトラに恨まれる」


「では、急所を狙う事を許して下さいますか? さすれば活路を見出してみせます」


 もちろんはったりだった。

 この状況で活路などあるはずがない。でもそう言わなければ、この主君は自分を残して先に進もうとしないだろう。


 自分の最後に悔いはなかった。とっくの昔にミトラに捧げた命だ。

 心よりの忠誠を誓うミトラとアショーカの役に立つなら、本望だ。


 アショーカは思いのほか剣の扱いがうまい匈奴の兵に追い詰められていた。

 それでもこの不利な状況で急所をよけて戦ってきたのは残酷な殺生をしてミトラに嫌悪されないためだった。しかしもうそんな余裕はない。殺らなければ殺られる。


「仕方がないか。お前の命には代えられない」


 いざバラけようと地を踏みしめた所で、突然匈奴の兵の一方向がわああと崩れた。


「なに?」


 三人が驚いて視線を向けると、大量の黒服の男達がなだれ込んできた。


 黒服の男達はあっという間に匈奴の兵を蹴散らし、一方向を掌握した。

 それと同時に無数の鷹が上空に円を描いて飛び交っているのが目に入った。


 そうして黒服の男達の中からイフリートを従えたカイがゆっくりとアショーカの前に現れた。


「月王か……」


 匈奴の兵は呆然として、妙な威厳を持つ少年を見つめていた。


「これがあなたの思いつきの計画ですか? 無謀にも程がありますね」


 背の高いアショーカを見上げるように腕を組んで睨み付けた。

 本気で呆れている。


「いや、バレずにもう少し奥まで潜入するはずだったんだ。だから見張りの匈奴の兵服を奪い、フエルト帽を深く被って陣地に入ったんだが、驚くほど簡単に見つかった」


「当たり前でしょう!」

 月王はため息をつく。


「バレるなら女顔のヒジムかと思って気をつけていたのだが、思いがけずアッサカが真っ先に怪しまれたのだ。こんな凶悪な顔の男は見た事がないと言われて……」


「も、申し訳ございません」

 アッサカは恐縮してうつむく。


「まったく想定外の事でまいったぞ」

 アショーカは悪びれもせず肯く。


「何が想定外ですかっ! この北の寒冷地にあなたとアッサカのような色濃く日焼けした男などいませんよ! 周りを見てごらんなさい!」


 月王に怒鳴られ、アショーカは驚いたように黒服と匈奴の男達を見回した。


「なるほど、気付かなかったぞ。ヒンドゥでは一番目立たぬ顔色だったからな」

 ヒンドゥでは黒過ぎず白過ぎず間者にうってつけの顔色だった。


「ふざけないで下さい! おかげでこっちの計画は台無しですよ!」

 今まで味わった事のない修羅場に巻き込まれた。


「お前の読みはまた外れたぞ。烏孫はもともとミトラを返すつもりは無かったみたいだ」

「そんなはずはありません。単干ぜんう月氏げっしの恐ろしさを充分知ってるはずだ」


「その単干様がまだ到着してないようだぞ」

「単干が?」


 月王はまたしても予測外の事に驚く。


「どうやらあまりの寒さに高齢の単干様は途中でお風邪を召されて遅れているらしい」

「風邪……」


 それは運命のいたずらか、それとも天命の歪みか……。


 ならばこのまま戦になって、力ずくで女神を奪うしかないのか……。


「あなたはどうするつもりですか?」


 月王は初めて他人の意見を尋ねた。

 こうまで予想が外れると、未来を読んでも仕方がない。


 ここは未来をかき乱す元凶の男に委ねてみるか……。

 月王はアショーカに尋ねた。


「どうするかだと? そんなものは決まってる」


 戦い疲れて血まみれ傷だらけの男の決断は早く、にんまりと微笑んだ。



 そうして大きく息を吸い込むと、二十万の兵全員に聞こえる声でえた。



「ミトラ――――ッ!!!!!」




次話タイトルは「すぐそこに……」です

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