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アショーカ王の聖妃  作者: 夢見るライオン
第六章 トルファン 遊牧の民 烏孫編
212/222

30、タイムリミット

「烏孫様! 援軍です!」

 叫びながら烏孫の側近が駆けてくる。


「援軍?」

 烏孫には寝耳に水だった。そんなものを頼んだ覚えはない。


単干ぜんう様みずから率いて来られた二十万の援軍が、このすぐ先に来ています!」


「な? じっちゃんが? しかも二十万? なんで……」

 本当に知らなかったらしい。


「分かりませんが、ミトラ様を追いかける道中で使者と会いました。蘭靡様はそのままミトラ様の捜索に向かっております」


 なぜこんな近くに来るまで烏孫に知らせなかったのか、それは烏孫には分かっていた。


「さっすが、じっちゃん。兵を動かす時を知ってるな」


 長年、この得体の知れない月氏げっしと対峙してきたのだ。

 こんな事態になる事に、どうやってだか知らないが気付いていたらしい。


(あいつもあざむけただろうか……)

 首をひねる。


 いや、今はまず、この目の前の敵をなんとかする事を考えよう。

 烏孫はわざと勝ち誇ったように、尊大にアショーカとカイを見た。


「おい、アショーカ王子、月氏。聞いただろう? このすぐ先に、我ら匈奴の二十万の兵が待機している。どうやら勝敗は決まったようだな。ミトラは渡さない。とっととヒンドゥへ帰るんだな。しつこいストーカーもここまでだ」


「くっ……」

 アショーカは悔しそうに唇を噛む。これがタイムリミットという事か。


「月王! お前、何だか訳の分からん力で先読みするくせに、何でこの事態を予想出来なかったんだ! 最初から村に潜入してミトラを奪還すれば、こんな面倒にはならなかったんだ!」


 アショーカは苛立ちを、隣で澄ましているカイにぶつけた。


「結果論ですね。潜入すれば死人が出ていた。私は、その時見える最善を選んだだけです」

「そのせいで戦になれば、もっと死人が出るだろうが!」


「結果論だと言いました。あなたや女神のように運命と宿命の輪からはずれた生き方をする者がいれば、未来は定められた道から大きくずれる。あなたのせいですよ」


「なっ! 俺のせいだと申すかっ!! 言いがかりもたいがいにしろ!」


「アショーカ、落ち着きなよ。とにかく今は陣まで引くしかないよ」

 ヒジムがやれやれとアショーカをなだめる。


「仲間割れすんのは勝手だがよお、負けが分かったならゾドを返してくれ」

 烏孫は、まだ赤目のままカイの馬に寄り添うゾドを見下ろした。


「申し訳ありませんがゾドはもうしばらく預からせて頂きましょう」

 カイは涼しげに告げる。


「なんだとっ!!」

 烏孫は剣の柄を握りしめる。


 その烏孫にゾドがう――っと唸り声を発して殺気立つ。

 自分の分身のような獣に殺意を向けられ、烏孫はショックを受けた顔をした。


単干ぜんう殿にお伝えなさい。今宵、月が中天に昇る頃、お会いしましょうと。その時、女神とゾドを交換しましょう。我らは女神の言葉に従う」


「はんっ! お前はどっちが優勢か分かってないようだな。こっちは二十万の兵を従えてんだぞ。しかも精鋭騎馬部隊だ。そんな要求は呑めないな」

 烏孫は腕を組んでいきがった。


「ふふっ。二十万の兵は単干殿の戦力ですよ? 合流して彼の意見を聞いてみるとよい。賢明な単干殿なら、私の申し出を受け入れるはずだ」


 小バカにされて烏孫はむかっ腹を立てる。

「このっ……くそガキ!」


「では、後ほど」

 カイは烏孫の暴言を無視してきびすを返した。


「お前、自分で気付いてないようだが、相当性格悪いぞ」

 悠々とゾドを連れて立ち去るカイの背に、アショーカはぽつりと呟いた。


 烏孫達とアショーカ達はそれぞれの陣地に向かって東西に別れて駆け去った。



「おい、待てよ、月王」

 烏孫達が見えなくなった所で、アショーカは先を行くカイを呼び止めた。


「え?」

 戸惑ったように青い瞳が振り返った。


「なんだよ、またカイに戻ったのか? なら、まあ丁度いい」

 動揺した様子で馬を止めるカイを、イフリート達が守るように取り囲む。


「今、烏孫と約束を交わしたのは月氏族のお前だな」

「え?」

 カイは無駄に威圧的なアショーカが心底苦手な様子で目を泳がす。


「だから、お前は今夜の会談に向けて十万の軍を率いてくるがいい」

「はい……」

 当たり前の事を言われてカイは怪訝な顔をする。


「だが、俺は関係ないから好きにさせてもらう」

「は?」

 カイは悪びれもせず、勝手な事を言い出す男に蒼白になる。


「俺達三人はこれより匈奴の軍に潜入して、独自にミトラ奪還を目指す」


「な! な! なにを言うのですか! 二十万の軍にたった三人で? 無茶な!」

 しかも大国の王子だろう。決して安い首ではないはずだ。それぐらいカイにも分かる。


「少人数だから動きやすいって事もある」

「で、でも、見つかったら助かりませんよ!」


「まあ、その時はその時だな。そういうのには慣れてる。なあ、ヒジム」

 同意を求められ、ヒジムは大きなため息をつく。


「まあね。覚悟はしてたけどね」

「アッサカも異存はないな?」

 アショーカは凶悪な顔に目を向ける。


「はい。仰せの通りに」

 すんなり肯いた。


 カイは唖然と三人の顔を見回した。

(この男達、まともじゃない)


「我らでこの三人を捕えましょうか?」

 横からイフリートが主君の指示を待つ。


 すぐにカイの目がぽうっと赤く灯った。

 やがて疲れた表情で額を押さえる月王が現れた。


「いい加減にしてくれませんか? 何度私を呼び出せば気が済むのですか!」

 さすがに長時間の憑依に疲れが出ているようだ。いかにも気だるい顔をしている。


「別に俺が呼んだわけじゃない。勝手に出てくるんだろう?」

「次々に想定外の事ばかりするからですよ!」

 珍しく語尾を荒げる。


「なんせ天命を生きる男だからな。予想もつかないだろう」

 ははっと笑う。


「確かにバカバカし過ぎて予測もつきませんね」

 月王は頭を抱えた。


「月王様、命じて下されば私が捕えて差し上げますが……」

 イフリートが冷たく言い放ち、口元に指を立てると、黒服の十人が殺気を放って、じわりとアショーカ達三人を取り囲む。


「おっと。別に三人抜けたぐらいであんたらが困る事もないだろ? そう目くじら立てるなよ」

 軽く言いながら、アショーカはすっと腰の剣を引き抜いた。ヒジムとアッサカも剣を抜く。


「!」


 三人の剣は一斉にカイ一人に向けられる。


「いくら変な技を使おうとも、俺達三人の剣から無傷で逃れるのは難しいだろうな」

 月王は首筋に当てられた剣を見つめ、続いてアショーカに微笑む。


「それはどうでしょうか?」

 相手の力量を測るように灰緑の瞳を覗き込む。


「ためしてみるか?」

 この短絡的な男には性格に反して不思議なほど隙がない。


 しばし、月王とアショーカは無言で睨み合った。


 やがて、ふ……と笑いを漏らしたのは月王だった。


「イフリート、離れろ。行かせてやるがいい。カイの体を傷つけたくない」

「は……。しかし……」

 イフリートは珍しく弱気な主君に口ごもる。


「いいから離れろ!」

 強く命じて、仕方なくイフリートは黒服の男と共に離れた。


「ははっ! 子供は素直じゃないとな。じゃあな、月王!」

 アショーカは剣を戻し、ヒジムとアッサカを連れて烏孫の後を追うように立ち去った。



「よろしいのですか? 月王様」

 イフリートはまんまと逃げていくアショーカ達の馬を見送りながら複雑な顔をする。

 この主君は想定外の行動をされる事を一番嫌うはずなのに……。


「放っておけ」

 しかし月王はにやりと微笑んだ。


「バカな王子だ。私の言う通りにしていれば死人は出なかったのに。余計な行動のせいで、あの三人の内、一人が命を落とすだろう」

 禍々しい笑いを残して、月王とイフリート達は自陣に戻って行った。 




次話タイトルは「ミトラの策略」です

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