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アショーカ王の聖妃  作者: 夢見るライオン
第六章 トルファン 遊牧の民 烏孫編
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28、消えたミトラ②

「殺せ!」

「殺せ!」

「その女を殺せ!」

「疫病神」

「その女さえいなければ……」


 村人達の呪いの言葉が洞窟の壁に反響してミトラを襲う。


「この悪魔めっ!」

 老人の一人が手を伸ばし、ミトラの服を掴もうとする。


「やめて下さい! ミトラ様が烏孫様を殺そうとなんて、するわけありません!」

 神威かむいがミトラの前にかばうように立って、老人の腕を振り払う。


「神威、お前もこの女にだまされとるんじゃ。魔力で洗脳されとるんじゃ」

 他の老人も神威の陰からミトラを引きずり出そうと手を伸ばす。


「違います! 私は正気です。どうかみんな冷静になって下さい!」


 老人達は暗い目をして、神威の体を縫うようにしてミトラに無数の手を伸ばす。

 ミトラの純白の服は枯れ枝のような腕に引っ張られ、群集に引き寄せられる。


「神威! その女から離れなさい!」

 一人の女が叫んで、地面に転がる石を拾い上げた。


「出て行け!」

 女がミトラに石を投げつけるのを皮切りに、みんなが一斉に石を投げ始めた。


「や、やめっ……っつ! みんな! ……った!」


 ミトラの前に立ちはだかる神威が石のつぶてを受けて、みるみる傷だらけになった。


「や、やめろ! いっ……つ!!」

 そのうちにミトラの右腕に大きな石が命中した。


(殺される……)


 次々神威とミトラの体に石が当たって、痛みが全身に突き刺さる。


 憎悪の中でなぶり殺される。

 その想像した事もない恐怖に心が凍りついた。


「やめよ!!」


 絶望の中に激しい一喝が響いて、ピタリとみんなの動きが止まった。


 腕を押さえながら見上げたミトラの前にはボーが立ちはだかっていた。


「ボー様! お止め下さいますな! この女さえいなくなればすべての災いがなくなるのです」

「シャーマンのあなた様一族をも愚弄ぐろうするこの女を今のうちに始末するのです」

                                                  

「そうよ、そうよ! 烏孫様のいない今のうちに殺してしまえばいいわ!」


 ボーはチラリと手傷を負ったミトラを、背に見下ろした。その目がぞっとするほど冷たく笑ったように見えた。


「待つのだ、静まれ。実は皆に伝えるべく重大な事実がある」

 村人達はボーの言葉にシンと静まった。


「重大な事実とは何じゃ?」

 一人の老人が尋ねた。


「実は私は昨夜、烏孫様に届いた月氏からの手紙を見たのだ」

 村人達は驚いたようにザワザワと騒ぎ出した。


「なんと、手紙が届いていたのか。それには何と書かれていたのです?」


「月氏の目的はこの巫女姫だ。この姫を引き渡せば兵を引くと書いてあった」


「な!!!」


 全員が驚いてボーを見つめた。ミトラも驚いた。


「で、では、やはりあの軍隊はこの女のせいで……」

「じゃあなぜ烏孫様は話し合いの場にこの女を連れて行かなかったのですか?」

「さっさと引き渡せばよいではありませんか!」


 ボーは肯く。


「私も烏孫様にそう申し上げた。なぜならこの姫を渡さねば、村人を皆殺しにすると書いてあったからだ」


「なんだとっ!!」


 村人達は今では災厄の象徴のようなミトラを、おぞましい怪物でも見るかのように見つめていた。神威ですら、もはや庇う言葉も見つからないという顔でミトラを見ている。


「ど、どういう事です? 私は月氏など会った事もないのに……なぜ私を……」


 分からない。なぜそんな手紙が届いたのか? 月氏とは何者なのか? 身に覚えの無い事だ。


「嘘をつけ! この魔女め! お前さえいなければ……」

「そうよ! あんたのせいで烏孫様達が危険な目に合ってるんだわ!」

「ボー様、すぐにこの女を差し出して、烏孫様をお救い下さい!」

「そうだ! 今すぐ連れて行け!」


 ミトラ排除の声が洞窟の中にわんわんと響いた。

 ボーは騒ぐ村人を制止するように右手を上げた。


「この女の術にはまった烏孫様は、皆と一緒にこの姫を逃がすように私におっしゃいました。しかし、烏孫様の忠実なる臣下である私は、烏孫様のために、そしてこの村の人々のために、この姫を月氏に差し出しに参る。みんな私に賛同してくれるか?」


 村人達は「お――――!!!」と拳を上げて声援を送った。


 

 ミトラは村人達に縄で縛られ、ボーと共に洞窟から外に出された。


 ボーは外で見張る男達に簡単に説明すると、馬を一頭連れて来て、縛ったままのミトラを動けないように馬の背にうつむけに固定すると、自分も同じ馬に飛び乗って草原に駆け出した。


「ボー殿、縄を解いて下さい。手紙の話が本当なら、私は月氏の元に行きます」


 逃げるつもりなどなかった。村人達の憎しみに満ちた目を思い出せば、あそこがもはや帰れる場所ではないのは確かだ。鞍の上とはいえ俯けの態勢は振動が腹に痛い。


 もともと一度は月氏の元へ行こうとしていたのだ。ましてや村人を皆殺しにするなどと聞いた後では、他に選択肢などなかった。


 しかし、ボーは無言のまま、険しい表情で馬を進める。


「ボー殿……」


 こんな人だっただろうかとミトラは冷たい目をしたボーをそっと見上げた。

 前に蘭靡に言われて月氏の元へ行こうとしていたミトラを助ける為に奔走してくれたのは、このボーだったはずだ。親切な人だと思っていたのに……。


 何も答えてくれないままに、半刻近く馬を走らせ、どこをどう進んだのかも分からないままに、少し上り坂になったかと思うと、山あいに隠すように建てられたゲルに到着した。


 小ぶりなゲルは巧妙に岩肌と一体化していて、近付くまでそれと気付かなかった。

 ボーはそっとミトラを下ろすと、肩に抱き上げてゲルの中に入った。


 ゲルの中は使い勝手よく整えられ、食糧や寝袋などの必要な物資が揃っていた。

 まるで予定通りのように準備されている。


「ここは? 月氏のゲルではないのですか?」


 ゲルの中を見回すミトラを分厚いクッションの上に下ろすと、ボーは丁寧に縄をほどいた。

 そして、開放されたミトラの前にひざまずいた。


「ボー殿?」

 さっきまでの態度と一変している。


「手荒な事をして申し訳ありませんでした。村人達に悟られぬよう、こうする他ありませんでした。どうかお許し下さい」

 ボーは真摯に頭を下げる。


「どうゆう事だ?」

 訳が分からなかった。


「ここはいざという時に巫女姫様を隠すため烏孫様と準備していた隠れ家です」

「烏孫と?」


 ミトラは驚いた。

「では月氏に差し出すというのは?」


「もちろん村人達を納得させるための方便です。そして月氏の間者からミトラ様を引き離すための偽装です」


「月氏の間者?」

 一体誰の事を言っているのか分からなかった。


「神威でございます」

「なっ! か、神威が間者だと言うのか? まさか!」


「烏孫様はずいぶん前から気付いておられました。その目的を探るため、わざと泳がせておられたのです。側近に選び、近くに置いたのもそのためです」


「で、でも……神威はいつも私に親切で誠実だった。さっきだって、私を庇うために前に立ちはだかって傷を負ってたではないか?」


「よく教育された間者です。なかなかしっぽを掴めませんでした」

「そ、それに……ま、まだ子供ではないか……」

 信じられない。


「子供だから警戒が薄くなるのです。でも利口な子供だと思いませんでしたか?」

「そ、それは、もちろん……」

 独学とは思えぬほどに薬草も揃えていたが……。


「信じられぬようでしたら証人を見せましょう。入れ!」


 ボーがゲルの入り口に声をかけると、人影が天幕を上げ、しずしずと入ってきた。



次話タイトルは「裏切り者は誰?」です

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