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アショーカ王の聖妃  作者: 夢見るライオン
第六章 トルファン 遊牧の民 烏孫編
209/222

27、消えたミトラ①

 その一刻ほど前にさかのぼる。


 夜明けと共に月氏げっしの大軍に囲まれていると気付いた村人達は、ゲルと家畜を置いて近くの避難場所に逃げる事になった。太古の墳墓ふんぼの中に掘られた洞窟は、入り口が大人一人が横向きになってギリギリ通れる大きさで、雪やわらで隠してしまえば容易に見つからないよう細工してあった。


 中は広く掘り込んであるが、それでも百人の村人が入るとさすがに狭い。

 女子供は身を寄せ合って、突然の月氏族の襲撃に震えていた。


 男達は入り口付近で武器を手に外を見張ったり、数人は外に出て敵の様子をうかがっていた。

 ヤギや羊は村に置いてきたが、馬は戦闘になった時のため、墳墓の裏に隠している。


「大丈夫ですか? ミトラ様?」

 神威がミトラの横の岩場に座って、ずっと気を配ってくれている。


(ゆうべの手紙はこの事だったのか……)


 烏孫は、手紙を見て蒼白になった後、ゾドをミトラのそばに置いて夜じゅう帰ってこなかった。

 翔靡達と話し合いをしていたようだが、朝方になって慌てて駆け込んで来たかと思うと、みんなと一緒にすぐに逃げろと、ゾドの代わりに神威かむいとボーと桂香けいかにミトラの事を頼んで行ってしまった。


 月氏との話し合いに行くと言っていたが、結局詳しい事は教えてくれなかった。


「こんな事は前にもあったのか?」

 ミトラは神威に尋ねた。


 この洞窟に入るまでの手際がひどく良かった。

 みんな慣れているように見えたのだ。


「よくあります。特にこのトルファンの地は昨年まで他の部族の土地でしたから」

「月氏族の土地だったのか?」


「はい。月氏の傘下の大宛だいえんという部族の土地です」

「では土地を取り戻しに来たのか?」


「どうでしょうか? 秋口には何度か小競り合いをしていましたが、大宛は春先にはもっと西によい土地を持っています。なぜ今頃来るのか……。しかもあんな凄い軍勢で……」


 神威は分からないという風に首を傾げた。

 ミトラも逃げながら遠くの山肌を埋める黒い軍勢を見ていた。


「月氏とはあんな軍隊が出せるほど巨大な国なのか?」

 尋常な数ではなかった。


「僕達は大宛とは何度か戦いましたが、月氏を見たのは初めてです。大宛は僕達と似たような毛皮を着た屈強な男達の部族です。あんな黒服の細身の軍勢は見た事がありません」


「誰も月氏の事は知らないのか?」

「はい。ずっと、本当に存在するのかも怪しい謎の部族でしたので」



「本当はよく知ってるんじゃないのか?」

 ミトラ達のすぐそばで、皮肉めいた声が響いた。


「え?」

 ミトラは周りを見回す。


 ひしめき合って隠れる村人達の中で、こちらに険しい視線を向ける者が何人かいた。


「月氏は赤目じゃと聞く。ワシはその赤目の坊主を村に入れるのは反対じゃったんじゃ」

「本当は裏で手引きしたんじゃないのか? 坊主」


「うまく烏孫様に取り入って、側近になったのも変な魔術を使ったんだろう」

「本当の事を言え! お前、月氏の間者なんだろう!」


 ここにいるのは女子供と老人ばかりだが、ひどい憎悪を感じる。


「な、何を言うんだ! 神威はそんな事の出来る者ではない。見ていれば分かるだろう」

 ミトラがあわてて庇った。


 すると今度は矛先ほこさきがミトラに向く。


「あんたも本当はグルなんじゃないの?」

「そうよ、そうよ。あんたこそ怪しい術で烏孫様をたぶらかしたんでしょ」


「あんた達のせいで私達の村が襲われたのよ」

「正直に言いなさいよ! 何を企んでるの?」


 ミトラの中傷になると俄然がぜん女達がいきり立つ。


「ち、違います! ミトラ様はそんな方ではありません!」

 今度は神威がミトラをかばった。


「あんたが月氏の間者でもどうでもいいわ!」

 杏奈が狭い洞窟で立ち上がった。


「杏奈……」


「でも烏孫様にもしもの事があったら…絶対許さないから!」

 その目に涙が溢れた。


「そうよ! 烏孫様や翔靡しょうび様達に何かあったら……ど、どうしたらいいのよ私達!」


 しくしくと、あちこちから女達のすすり泣きが聞こえてきた。

 女達は泣き、老人や子供達は燃えるような目でミトラと神威を睨みつける。


 一丸となった悪意が肌に刺さる。

 毒を持ったそれは、ジワジワとミトラの心を痛めつけた。


桂香けいか!」


 その時、人々の暗い思いをさえぎるようにボーの叫び声が洞窟に響いた。

 みんなは一斉に声の方を見やった。


 洞窟の一番入り口近くで、桂香が口を押さえてうずくまっていた。


「桂香! どうしたんだ?」

 ミトラは驚いてそばに駆け寄る。


 桂香は蒼白な顔色で、苦しそうに胸を押さえていた。


「食あたりかもしれない。ゆうべ何か変な物を食べなかったか?」

 ボーが背中をさすりながら、桂香に尋ねる。


 桂香は、はっと目を見開くと、青ざめた顔で神威を見た。


「え?」


 ミトラが神威を見ると、神威はビクリと肩を震わせた。


「ど、どうしたんだ? 神威、何か心当たりがあるのか?」

 神威は蒼白な顔でうつむいて、ガタガタと震えだした。


「そんな……、だって……あれは……」

 ひどく動揺している。


「何か桂香に食べさせたのか? 食べた物が分かれば対処出来る。言ってくれ、神威」

 ミトラが更に問い詰めると、神威は顔をおおって首を振った。


「神威、早く手当てをしないと、桂香の命に関わるかもしれない。言ってごらん」


 ボーが優しく神威の肩に手を置いた。

 桂香の命と言われ、神威は観念したようにゆっくり口を開いた。


「ゆ、ゆうべ、眠れない様子でしたので……カ、カノコ草を煎じて……」


 ミトラは驚いた。

 それはほんの二・三日前、ミトラが煎じ方を教えた薬草だ。


「カノコ草は濃すぎると毒にもなるが、適度な分量だと害はないはずだが……」

「は、はい。ちゃんとミトラ様に教えて頂いた通り処方したはずですが……」


 ミトラと神威の会話を聞いていた村人が一斉に驚愕の表情を浮かべる。


「な、なに? あんたたち、シャーマンの一族でもないのに薬草を煎じたの?」

「な、なんてバチ当たりな! この村にはボー様だっていらっしゃるのに!」

「ボー様の一族をおとしめる行為だわ。信じられない!」


 ミトラと神威を責める視線が突き刺さる。


「わざとじゃ。わざと分量を間違うように教えたんじゃ」

「この女は神威を使って我が村人を毒でむしばもうとしたんじゃ」


「この女は悪魔じゃ。こいつが来てから悪い事ばかり起こる」

「災いの魔女じゃ。すべてこいつのせいじゃ」


「そうだ、そうだ!」


 騒ぎが大きくなった所で「待て!」とボーが制した。


「神威、お前は教えられた通りに煎じたのか? 間違いないんだな?」

「そ、そ、それは……もちろん……桂香に毒を盛るつもりなんて……でも……」


 ボーは、うなずいてミトラを険しい目で見つめた。


「ボ、ボー殿、まさか私を疑って? 私がなぜ桂香に毒を盛ろうなんて……」

 ミトラは青ざめて首を振る。そして後ずさった。


「目的は桂香ではなかったのかもしれない」

 ボーはギロリと暗い目を向ける。


「け、桂香でなければ、いったい誰を殺そうというのです?」


 訳が分からない。

 なぜこんな事に?

 殺したい人間などいるはずもないのに……。


「目的は……烏孫様……ですか……?」


 しぼり出すように問い詰めるボーの言葉に全員がぎょっとミトラを見つめた。


「な、何を? 何を言ってるんだ! なぜ私が烏孫を! バカを言うな!」

「あなたが烏孫様に滋養の薬湯を飲ませている話は聞いています」

 ボーは畳み掛けるように言い放った。


「そ、それは……」

 本当に滋養の薬湯だ。

 毒であるはずなどなかった。


 しかし、村人達の悪意は、いまや怒涛どとうのようにミトラを覆いつくす。


「ち、違う! 聞いてくれ! 私は西洋の高度な薬学の知識を学んだ。その分量を間違える事なんてないし、誇りにかけてその知識を悪事に使うつもりなんてない! 信じてくれ!」

 ミトラの必死の訴えは空々しく村人の頭上をかすめ、更なる憎悪を生む。



「こ、殺せ!」


 誰からともなく恐ろしい言葉が洞窟にこだました。



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