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アショーカ王の聖妃  作者: 夢見るライオン
第六章 トルファン 遊牧の民 烏孫編
208/222

26、アショーカと烏孫と月王

 日が昇り、凍てつくような寒さは随分和らいだ。

 ミトラを待つ間、みんな手持ち無沙汰のまま、無言の時を過ごした。



「あんた、いつの間にこの気味の悪いヤツと仲良くなったんだ」

 烏孫はもう逆らう事を諦めたのか、どっかりと地面に座り込んで頬杖をついていた。


「俺とこいつが仲良しに見えるか?」

 アショーカは馬から下りて烏孫のそばに立って馬上のカイを指差した。


「仲良しでもないのにあんな大層な軍隊を率いてこんな所まで来たのか?」


 まあ、当然疑問に思うだろう。


「俺の軍隊じゃない。いくら俺でもタキシラからこんな軍隊を連れて来れるか!」

「ふーん。でもミトラは、あんたは追って来ないと言ってたがな」

「ミトラが?」


「ねえ、ミトラは元気にしてたの? お前いじめてないだろうね!」

 ヒジムが騎士団時代の主従関係のまま、アショーカの横から烏孫を問い詰める。


「いじめてなんか……」

 言いかけて言葉をにごす。


 最初はちょっと意地悪だったかもしれない。

 それに結構危ない目にも、辛い目にも合わせてしまったかもしれない。


「あんたらこそミトラに何をしたんだ。ミトラはパータリプトラで何があったのか、何で気味の悪い男に売られそうになってたのか、何度聞いても教えてくれなかった」


 烏孫に逆に問い詰められ、アショーカは言いよどむ。


「……俺の妻の一人がやった事だ」

 その返答に烏孫は驚く。


「妻? あんた妻がいるのか? それなのにこの上ミトラまでも?」

 あきれたようになじられ、アショーカはますますばつが悪くなった。


「ちなみに妻は三人いるけどね」

 ヒジムが横から余計な情報をバラす。


「さ、三人だと?」

 烏孫は腹が立った。


「だったらもう充分だろう! 俺はミトラ一人でいい。あんたなんかと違ってミトラ一人を一生大事にする。それなのに……」


 なんでこいつなんだ!

 ……という言葉は呑み込んだ。


「ミトラの様子を教えてくれ。あいつはタキシラにいた時から食が細かったが、ちゃんと食べていたか? やせ細ってはいないか? メソメソ泣いてたんじゃないのか?」


 自分が相応しいかどうかは置いておいても、それだけは聞きたかった。

 そういういさぎよささえも烏孫には腹立たしい。

 それでも渋々口を開いた。


「木の実と干した果実ぐらいしか食べなかったが、やせ細ってはない。村の女に刺繍を習って楽しそうにしていた。あんたの事なんて少しも思い出してなんかなかった」


 ちょっと嘘をついた。

 口に出さなくとも、いつもこの王子を想っていたのは知っている。

 でもそんな事をわざわざ教えてやるのはしゃくだった。


「楽しそうにしてたのなら……それでいい……」


 目の前の王子は、その説明に素直に納得していた。

 どうやら好かれているとは気付いてないらしい。

 烏孫の適当な嘘を想像通りという様子で受け止めていた。

 むしろ、それを聞いて不満の声を上げたのはヒジムだった。


「えーっ! 寂しそうにしてなかったの? 僕の事は言ってなかった? ヒジムに会いたいとか、タキシラに帰りたいとか、言ってたでしょ?」


「帰りたいとは一言も言ってない。ミトラは俺達の国で生きるために、刺繍を教えて欲しいと自分から頼んできたんだ。あんたらの事に触れて欲しくないようだった」


「え――っ!」

 ヒジムは心底がっかりしたような声を上げた。


「アショーカを嫌うのは分かるけど、僕の事は好きだと思ってたのに……」


 会話に耳を澄ませていたアッサカも、凶悪な顔の裏で秘かに傷ついた。


 ただ一人、嫌われている事も想定内だったアショーカは、まずいな……とカイをチラリと見た。

 そして、おや? と思った。


 ずっと馬に乗ったままのカイには、さっきまでの妙な威厳がなくなっている。

 年相応の少年が、支配階級の男達に囲まれ、緊張で身を縮めている。


「カイか?」

 アショーカが呼びかけると、カイはビクッと肩を震わせ、顔を上げた。


 その目は澄んだ青。

 さっきまでの赤い光は消えている。

 どうやら月王は自分の体に戻ったらしい。


「なるほどな。あんまり長居は出来ないんだな」

 弱点を見つけ、にやりと微笑むアショーカにカイはあわあわと目を泳がせた。


「なんだ? こいつ、さっきまでのクソ生意気なガキと別人みたいじゃないか」

 烏孫も気付いて、カイを怪しんで見つめる。


「つ、月王様はあなたの連れて来た商人との商談に戻っただけです。いつでもここに戻って来れます」

 カイは冷や汗を浮かべながら、言い返した。


「ふーん。忙しい事だな。お前と月王は入れ替わるのか? それとも、月王がお前の中に入っている間は、月王の体はもぬけの殻か? どっちだ?」


「そ、そ、そ、それは……月王様の体は僕が……」

 根が真っ正直なカイに嘘はつけない。


「もぬけの殻か……。なるほど」

 あっさりバレて、カイは青ざめる。


「急に弱っちくなりやがったな。どうなってんだ?」

 烏孫も立ち上がってカイを覗き込んだ。


「おい! ゾドを元に戻しやがれ! こいつは俺の親友なんだ」

 馬上のカイの襟元を掴み、脅しにかかる。


「や、や、やめて下さい!」

 十四の少年にこの屈強な俺様男達と対峙するのは厳しい。


「カイ、月王は本当は何を企んでる? お前、知ってるんだろう?」


 アショーカも今がチャンスとばかり、カイの腕を掴んで馬上から引き摺り下ろす。

 月王が入ってしまうと太刀打ちできないが、カイの間ならなんとでも出来る。

 なんだったら、この体の息の根を止めてしまえば、月王はしろを失う事になる。


 それも有りか……とアショーカは、きな臭い事を考える。

 しかし、そのアショーカと烏孫の首に、つ……と二本指が当てられる。


 はっと振り返ると、イフリートの支配下にある黒服の月氏族が二人の首を捕えていた。


 その男達の先には、指二本を口元に添えるイフリートが目に入った。


(こいつらは別人格か……。月氏族の男達はイフリートが動かしているんだな……)

 アショーカは納得すると、両手を挙げて降参を表現した。


「分かった分かった。カイに手出しはしない。指をどけてくれ」

「なんだよ、こいつら。気持ち悪いんだよ」

 烏孫も仕方なく両手を挙げた。


 カイは開放され、オロオロと襟元を直して、もう一度馬に乗りなおした。


「おい! アショーカ王子! なんでこんなガキに従ってんだよ。さっきは妙に偉そうで引いちまったが、よく見ると、ただのガキじゃねえか! あんたらしくもねえな!」


 烏孫は納得いかないようにアショーカとカイを交互に見た。

 側近から引き離された自分はまだしも、ヒジムとアッサカという最強の男を連れたアショーカ王子なら武器も持たない黒服の男達にも太刀打ち出来るはずだ。


「カイをあまりいじめないでもらえますか?」


 ふ……と突然不敵な笑いを漏らす少年に、はっと烏孫は目を丸くして見上げる。


「月王が戻ってきたか……」

 アショーカは腕を組んでため息をつく。


「もうソグドとの商談は済んだのか?」

 赤目に変わったカイに尋ねる。


「な! なんだ! また偉そうになりやがったな!」

 烏孫は訳が分からず一人イラついた。


 しかしカイは、何かに気付いたようにその赤い瞳を草原の向こうに細める。


「戻ってきましたよ」


 全員の視線がカイと同じ方向に向けられる。

 すぐに、砂煙が上がり、二頭の騎馬が駆け戻って来るのが見えた。


「翔靡と狛爺だ!」

 烏孫がすぐに馬に飛び乗り、駆け寄る。


 アショーカ達も馬に乗り、その後を追いかけた。

 カイがその横に並ぶ。


「女神の姿はありませんね」

 カイの中の月王はすぐに見止めると、臣下の名を呼んだ。


「イフリート!」


 察しのいい忠臣は呼ばれただけで、すべてを悟ったように肯き、指二本を立てて馬上で呪文のようなものを唱えた。


 すると、その肩で眠っていた鷹が、赤い目をパチリと開き、おもむろに大きな翼を開いたかと思うと、あっという間に上空に飛翔した。

 一瞬の内に天高く昇り豆粒のようになる。


「なぜミトラがいないのだ……?」

 アショーカは不安な表情で、その鷹を見上げた。 

 烏孫にも月王にも予想外の事態が起こっている。


「まさか、あいつが……」


 背に動揺を浮かべ前を行く烏孫の呟きが、風に乗ってアショーカの耳に届いた。


(何かまたトラブルに巻き込まれたのか……)

 もはや必然のようにトラブルに巻き込まれるミトラの安否だけが心配だった。




次話タイトルは「消えたミトラ」です

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