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アショーカ王の聖妃  作者: 夢見るライオン
第六章 トルファン 遊牧の民 烏孫編
207/222

25、月氏の恐るべき能力

「ならば全員ここで死んでもらう」


 そのカイの言葉と同時にイフリートと月氏族が腰をかがめ、戦闘態勢に入る。

 そのピリピリと肌に響く殺気にアショーカとヒジムとアッサカは息を呑んだ。


 ずっと九万の月氏族を見て不思議に思っていた事がある。

 敏捷びんしょうに動き、恐ろしく真面目な兵士達だが、彼らはどこにも武器らしい物を持っていなかった。敵が現れたらどうやって戦うのか。剣も弓も楯もない。


 月氏族の並ならぬ殺気にいち早く反応したのはユキヒョウのゾドだった。


 ピクリと耳を立て、瞬時に大地を蹴り、一気に月氏族に襲い掛かる。


 凶暴なあごを大きく開き、のどに噛み付いたと思った瞬間、月氏族の男は消えるように姿を無くし、あっと思った時には頭上からユキヒョウの腹に蹴りの一撃が加わっていた。


 ゾドは吹き飛びながらも、四足で着地して、目覚めた本能のままに再び襲い掛かる。


 月氏の男は曲芸のようにクルリと空を回り、今度は二本立てた指でユキヒョウの首を突く。

 急所だったのか、ゾドは珍しくキャンと悲鳴を上げて地面に転がった。


 その時には、他の月氏の男達が烏孫達全員の首を二本指で捕えていた。

 あまりに素早い動きで、剣を抜くヒマすらなかった。


 唖然とする。


「さて、どうしますか?」

 カイは右手の指二本を立てて口元に添えている。


(月王が妙な力を使う時の手つきだ。あれに息を吹きかければ……殺せるのか……?)


 アショーカは傍観ぼうかんしながらも、武器さえも不要である強大な力にうなる。


 悪霊を退散させるように人を殺せる。

 思った以上に無慈悲で圧倒的な武の力。


「待て! 分かった。俺が人質として残る。皆を解放してくれ」

 烏孫も顔を強張らせたまま、カイの条件をのんだ。


「う、烏孫様!」

 狛爺が主君の身を案じて蒼白になる。


「大丈夫だ。もし殺したいなら、今ここで殺してたはずだ。そうしないのは、そうしたくない理由があるはずだ。ここは言う通りにしよう」

「で、ですが……」

 翔靡と蘭靡も苦渋の顔を浮かべる。


「いいから、行け!」

 烏孫は地面に横たわったまま動かなくなったゾドを見下ろしながら、強く命じる。

 この場で逆らっても、全員がゾドと同じ運命になるしかない。

 だったら別の可能性を探すしか道はない。


「道はありますよ」

 カイは烏孫の心を覗いていたかのように告げる。


 烏孫は今ではこの年端もいかない少年の妙な力に最大限の警戒を強めて睨んだ。


匈奴きょうどの者なら知ってるでしょう? 我らは女神の御心に従う部族だと。女神があなたを望むなら、誰にも危害はくわえません。されど女神を我らの前から隠し連れ去るならば、容赦はしませんよ。女神を連れて来ないならば、村人すべて、その獣と同じ運命です」


 烏孫は馬を降り、観念したようにゾドに近付き、その背中を撫ぜた。

 そして鼓動を無くした獣のそばに寄り添うように座り込み、狛爺達を見上げた。


「ミトラを連れて来てくれ。俺の私情で村人を皆殺しにされる訳にはいかない」


 狛爺と側近達はうなだれたまま「かしこまりました」と了解した。


 それを見てカイが目配せすると、黒服の男達は急所に当てていた指を離し、風のようにイフリートの元へ戻ってきた。その身は軽く、足音すらしない。



 そして烏孫の側近達は「すぐに戻ります」と言って去っていった。




「お前は善悪の中間にいるような事を言ってなかったか?」

 烏孫の側近の姿が見えなくなってから、アショーカはカイの中の月王に尋ねた。


「言いましたが、何か?」

 すっかり日が昇り、カイの赤目が日に透けている。


「どう考えても悪人寄りだろう。俺と同類の匂いがプンプンするぞ」

 アショーカは腕を組んで、この冷酷な王のどこかに弱点はないかと探る。


「人聞きが悪いですね。あなたのような極悪人と一緒にしないで頂きたい」


「その獣を殺したんだろう? こいつにとっては家族みたいな存在だったみたいだぞ」


 ひどく肩を落として毛皮をさすっている烏孫が、敵ながら気の毒になった。

 激闘ならともかく、指二本で殺されたのでは烏孫も獣も浮かばれないだろう。


「死んではいませんよ。仮死状態にする急所を突いただけです」


「!」


 アショーカよりも烏孫が弾けたように顔を上げた。


「生きてるのか……?」

 その安堵の表情を見れば、この獣がどれほど大切な存在か分かる。


「命あるものは皆、気を発する源である急所が存在している。あなたなどは実に分かりやすい印がしてありますね」

 カイは可笑しそうにアショーカのひたいの印をチラリと見た。


 アショーカは嫌な顔をして額の印を押さえた。


「……かと言って、誰でもがそこを突けば仮死状態に出来るかと言えば、それは無理です」


 ヒジムは三年前、アショーカの義兄ヴィータショーカを失った時の事を思い出していた。

 目覚めるたび錯乱するアショーカを三人がかりで抑えていた時、サヒンダが偶然発見した急所だった。

 サヒンダが指一本でアショーカを昏倒こんとうさせる姿は月氏の技と似ている。


「その命に対する慈愛と敬愛があるものだけが突ける秘孔。慈敬じけいのツボ」

「慈敬のツボ?」


「我らの攻撃は憎しみにたんを発するものにあらず。人を、獣を、虫を、木々を、ひいてはこの地上のありとあらゆる存在への愛をみなもとに持っている。あなた達には使えない」


「自分を襲ってきた獣を愛していたと?」


 そんなヤツいるか! とアショーカは思った。


「我々はこの世界の誰とも違う存在。あなたに私達を理解する事は出来ない」

「ああ、出来ないね。俺から見ればお前は身の毛もよだつ極悪人だ」


「ふふふ。自分本位の善悪に囚われている者には辿り着けぬ境地です」

「なんだと!」


 アショーカとカイの言い合いにしびれを切らせたように烏孫が叫んだ。


「おいっ! 愛でも憎しみでも何でもいいから早くゾドを戻してくれ!」


 二人は、まだ昏倒したままの獣を見つめた。

 草原では百獣の王たる猛獣だ。


「今、元に戻すと面倒ですね」

 カイは思案するようにユキヒョウを見下ろした。


「そんな事言ってる間に本当に死んじまうんじゃないだろうな!」

 寝ていても神経を尖らせている猛獣は、今は初めて見る無防備な姿で横たわったままだ。


「では、しばらく私の従僕しもべになってもらいましょうか」

 言って、カイは立てた二本指にふっと息を吹きかけた。


 すると、正体無く倒れていたユキヒョウはピクリと耳を立て、瞳をゆっくり開いたかと思うと、のそりと起き上がった。


「ゾド!」

 烏孫は喜んでユキヒョウに抱きつく。

 しかし、ゾドは「ウーーッ」と唸って烏孫を威嚇いかくした。


「ゾド?」

 自分に対して初めて発する唸り声に烏孫は驚く。


「あっ!」

 愛獣を信じられない思いで見つめた烏孫はさらに驚きの声を上げた。


 その瞳がほのかに赤く染まっている。


「ゾドという名ですか。では、ゾド。私の足元へ」

 カイが命じると、ゾドはすごすごとカイの乗る馬に寄り添うようにした。


「貴様! ゾドを!」

 烏孫はギリリと唇を噛みしめカイを睨みつける。


「決着がつけば返してあげますよ。でも、中々いい獣だ。欲しいですね」

「く、くそお……」

 烏孫は見た目子供のカイにもてあそばれてこぶしを握りしめた。


 アショーカはつくづく烏孫が気の毒になった。


「お前……善悪は知らんが、性格は最悪だな」

 


次話タイトルは「アショーカと月王と烏孫」です

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