表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アショーカ王の聖妃  作者: 夢見るライオン
第六章 トルファン 遊牧の民 烏孫編
206/222

24、一触即発の取引き


(本当にいやがった……)



 烏孫うそん翔靡しょうび蘭靡らんび狛爺こまじいと側近二人、それにゾドまでも携えて約束の場所に出向いた。


 ゆうべ手紙を見た時は半信半疑だった。

 まさかタキシラの太守たいしゅでもあるアショーカ王子が、こんな極寒の辺境の地にまでミトラを迎えに来るなんてありえない。


 ましてや、いつの間に月氏げっしと繋がっていたかと蒼白になった。


 あれほどアショーカ王子に会いたがっていたミトラだ。

 もし手紙を見たら、何があっても来ようとしたはずだ。

 村人達にも見せる訳にはいかない。

 ミトラを返さねば村を攻撃すると書いてあるのだ。

 ミトラを引き渡せと暴動が起こるに違いない。


 正直、翔靡と蘭靡にすら見せる事をためらった。

 誰が考えても、大人しくミトラを渡す以外、道はない。


 それでもミトラを渡したくないと懇願する烏孫に、翔靡と蘭靡は意外なほどあっさり応じてくれた。これには烏孫の方が驚いた。


 そうして翔靡と蘭靡の三人で行くつもりだったのだが、夜明け直後に急遽きゅうきょ変更になった。

 なぜなら、夜明けと共に様相をあらわにした眼前の山肌が真っ黒に染まっていたからだ。


 何万いるか分からない月氏の兵で山が埋め尽くされている。

 部族同士の小競り合いでは何度も剣を奮ってきた烏孫だが、整った敵の大軍隊を見るのは初めてだった。


 一目で勝ち目がないのは分かる。


 早起きの村人達もすぐに異変に気付き騒ぎ出した。

 仕方なく手紙の事は伏せて、自分達が話し合いに行っている間に、こういう時の隠れ場所に決めてある墳墓ふんぼの洞窟に、みんなで向かうよう指示を出した。


 男達はみんな烏孫と一緒に行くと意気込んだが、なんとかこのメンバーに納めたのだ。


 ミトラは神威と桂香とボーに任せるしかなかった。

 武力的には頼りない面々だが、他にミトラに好意的な者は村にはいない。

 ミトラの為に側近を一人でも残せば、返って村人の反感を買う。

 仕方がなかった。


 後は少しでも話し合いを長引かせ、確実に皆を逃がすぐらいしか出来る事はない。

 だからアショーカ達が痺れを切らすギリギリまで、岩陰に潜んで様子をうかがっていたのだ。


(しかしミトラ一人を取り戻す為に月氏と共謀してこれだけの軍隊を動かしたのか?)


 正気じゃない。

 自分のミトラへの執着も我ながら常軌を逸していると思っているが、アショーカ王子の執着は、すでに狂気じみている。


「まさかこんな所まで追いかけてくるとはな、アショーカ王子」

 開口一番、烏孫は自分を棚にあげて、アショーカの執着をわらった。


「ミトラが怖がって逃げ出すわけだ」

 納得したようにうなづく。


「な!」


 ありえそうな事実にアショーカは言葉をつまらせる。


「ミ、ミトラが俺から逃げているというのか!」

「決まってるだろう。だからこんな辺境まで大人しくついてきたんだ」


「う、嘘をつけ! 無理矢理連れて来たんだろう! 本当の事を言え!」

「ではミトラの伝言を伝えよう。『お前のような横暴な男は嫌いだ。数々の暴言に心は疲弊ひへいし、顔を合わせるのも恐ろしい。頼むからこのまま大人しく帰ってくれ』だそうだ」


「な!」


 アショーカは蒼白になる。


 烏孫が適当に考えた文面は、偶然にも以前アショーカの見た夢にリンクしていた。

 暴言を吐く男は嫌いだと夢で拒絶された事がリアルに思い出される。


「まずいよ、まずいよ……」

 ヒジムが小声で呟く。


「やはり私とヒジム様の名前も手紙に書くべきでした」

 アッサカが珍しく後悔している。


「どうやら結論は出たようですね」

 カイはまだ赤目のまま冷たく言い放つ。


「いや、そんな話、俺は信じぬ! ミトラの口から直接聞かねば信じぬぞ!」

 折れそうな心を立て直し、アショーカは烏孫に向かって叫んだ。


「とんでもないストーカー男だな。だからミトラが怯えてたんだな」

「怯えてた?」

 アショーカは怪訝な顔をする。


「お前の名を出すたび、体を震わせて青ざめていた」

 それは本当だ。


 そこまで嫌われていたのかとアショーカは言葉をなくす。


「それが本当であるなら、我らは兵を引く。だが、それは女神本人の口から聞かねば信じられぬな」

 カイが赤目のまま、尊大そんだいに告げる。


「あん? 誰だお前?」

 烏孫は遠目にも子供にしか見えないカイに悪態をつく。


「月王の代理だ」

 カイは意に介さぬように、堂々としている。


「月王の? 子供に代理をさせるのか?」

 烏孫達は初めて見る月氏族の姿に驚いた。


 精霊だの悪魔だの言われているが、神威かむいと年も違わぬ普通の子供じゃないか。


「まずは女神に会わせてもらおう」

 口調だけが妙に威厳がある。


「はっ! ミトラは月氏にも恐れを持っている。会いたくないとさ」

 烏孫は案外大した一族でもないのかもしれないと幾分(あなど)った。


「では力ずくで会うのみ。イフリート!」

 カイが名を呼ぶと、後ろに控えていた黒服のイフリートと、それに従う十人の角髪みずら頭の月氏族が前に進み出る。


 その均整のとれた黒服の男達に、初めて烏孫は脅威を感じた。

 ぶるりと鳥肌が立つ。


「お、お待ち下さい」

 慌てて横に控えていた狛爺が烏孫の前に出る。


「そこまでおっしゃるなら、姫君をここに連れて参りましょう」

「おい、狛爺!」


 烏孫があわてて口を挟む。

 それを狛爺は手で制止した。


「姫君はずいぶん怯えておいでのようでしたので、説得に時間がかかるかと思いますが、今から呼びに戻りましょう。しばしお待ち頂けますか?」


 時間稼ぎだ。


「いいでしょう」

 カイはしかし、短く笑んで、すんなり応じた。


「ではすぐに……」

 狛爺は烏孫に頷いて、みんなで馬首をかえした。


「待たれよ」

 しかしカイはすべてを見通したように呼び止めた。


「このまま逃げられても困る。人質を残してもらいましょう」


 狛爺は子供のくせに妙に頭のまわるカイをじっと見つめた。


「それではワシが……」

 言いかけた狛爺の言葉をカイがさえぎる。


「烏孫を残してもらいましょう」

「な!」

 狛爺は青ざめる。


「主君を人質に残すなど出来ませんぞ!」

「ならばここで全員死んでもらう」


 カイは事も無げに言って、目の赤みを増した。




次話タイトルは「月氏の恐るべき能力」です

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ